+8話『食後の甘味』

「ごちそうさま」


「お粗末様です」


 米粒一つ残さず完食した器を前に雄一が手を合わせると、対面の澄乃は嬉しそうに頬を弛ませる。


 今日も今日とて澄乃の料理は最高。いや、出来立てなだけに最高も飛び越えて至高の味と言っても過言ではなかった。


 ほかほかご飯に豆腐とわかめの味噌汁、浅漬け、ほうれん草のおひたし、そして雄一リクエストの肉じゃが。和風テイストで構成された今夜の食卓は味や香りは申し分無し、雄一にとってはどんな一流料理店に勝るとも劣らなかった。


 特に力を入れたらしい肉じゃがはしっかりと味が沁み込んでおり、牛肉、にんじん、じゃがいも、たまねぎ、白滝、そしてさやえんどうの緑も加えて色彩豊か。肉はもちろん、ほくほくに煮込まれた野菜でも十分に白飯が進んだ。


 澄乃が前もってタッパーに寄り分けていなければ、全部食べ尽くしていたかもしれない。ちなみにタッパーの分は雄一が持って帰っていいとのことで、至れり尽くせりで逆に申し訳ないぐらいだった。


 食後、まず使い終わった食器を水に浸けてから温かいお茶で食休み。飲み終わった後に二人で協力して洗い物を済ませ、あとは雄一が帰るまでゆっくりくつろげる時間となった。


「ほい、お疲れさん」


 そのタイミングで雄一は、スーパーでこっそり購入して冷蔵庫で冷やしておいた秘密兵器を投入した。


 すぐ隣でソファに腰を下ろした澄乃の前に置いたのは、プラスチックカップに入った栗色クリームの乗ったプリン。夕食を振る舞ってくれた澄乃へのお礼として用意した、ちょっとお高いデザートだ。


「いつの間に」


 澄乃は自分の前に置かれたモンブランプリンに目を瞬かせると、それから少し頬を膨らませて雄一を見る。


「もう、私が好きで作ったんだから気を遣わなくていいのに……」


「俺的にはお礼したい気分だったんだよ。もう買っちまったからキャンセル不可だぞ」


 広げた人差し指と親指で澄乃の頬を両側から挟み込むと、ぷひゅっと空気の抜ける音と共にふくれっ面が解除される。くすぐったそうに目を細めた澄乃は、はにかんだ笑顔で「ありがとう」と口にしてくれた。


「雄くん、ちょっと足広げて」


「ん? おう」


 なぜか一度腰を上げた澄乃からのお願いに首を傾げつつも素直に従うと、すぐさま澄乃は広げた足の間に座った。そのまま雄一の方にもたれかかり、どことなく蠱惑的な上目遣いを向けてくる。


「さっきの続き」


「はいはい」


 恋人からの可愛らしいおねだりはもちろん雄一も望むところ。後ろからほっそりとした腰に両腕を回すと、一瞬ぴくりと身体を震わせた澄乃は全身を弛緩させる。


「えへへ、雄くんあったかーい」


 澄乃は満面の笑みでプリンの封を破った。どうやら、こうして背後から抱き締められるのがいたくお気に入りらしい。全幅の信頼を寄せてくれる最愛の少女の姿に雄一が和むのをよそに、澄乃はさっそくプリンに口につけた。


「ん、甘くておいしい……」


 値段相応の効果はあったようだ。幸せそうな声音で二口、三口とプリンを食べ進める澄乃は、ふと何か思い付いたようにスプーンを持つ手を止めた。


「雄くん、あーん」


 栗クリームとプリンを半々の割合で掬ったスプーンを雄一の口許へ寄せてくる。澄乃の肩越しに首を伸ばしてありがたく頂くと、ほど良い甘さが口の中に広がった。スーパーで売ってるような既製品にしては想像以上の味わいだ。無論、澄乃の料理には及ばないが。


 プリンに舌鼓を打つのも束の間、澄乃は期待するような上目遣いで雄一を見ている。その意図を正しく読み取った雄一は澄乃の手からスプーンを受け取り、同じようにプリンを掬って澄乃に差し出した。


 それから何度かあーんの応酬を繰り返したところでプリンが底をついた。澄乃へのお礼の割に三分の一程度は雄一が頂いてしまったのだが、澄乃が満足そうなら何よりだ。


 と、幸せいっぱいに頬を弛ませていた澄乃が一転して、何故かちょっと複雑そうに眉を寄せ始めた。撫でているのは自分のお腹。


「どうした?」


「……美味しいのはいいんだけど、ちょっと気を付けないとなあって。ほら、カロリー的なアレで……」


「気にするほどじゃないと思うけどな」


 澄乃の細い腰を抱く腕に力を込める。


 恋人としてのプラス補正もあることは自覚しているが、雄一にとって澄乃のスタイルは至高の領域にあると言ってもいい。普段から栄養バランスの良い自炊を行っているわけだし、たまに間食や食後のデザートを摂っても問題ないと思うのだが。


「女の子は色々と大変なの。……好きな人には少しでも綺麗だって思ってもらいたいもん」


「……綺麗だよ」


 健気な姿に胸を打たれ、自分でもキザかなと思う台詞を耳元で囁く。不意打ちの囁きに耳たぶまで紅潮させた澄乃に構わず、さらさらの銀髪に指を通してみると、驚くほど引っかかりも無くその間を通過した。


 全てが澄乃の努力の結晶だ。細くて柔らかい肢体も、潤いたっぷりですべすべの白い素肌も、手入れの行き届いた紫がかった銀髪も、それこそ頭のてっぺんから足のつま先まで。


 これだけでも十分すぎるぐらい完成された美だというのに、それに恥ずかしさで真っ赤に染まった表情も合わさった日には桁違いの魅力を誇っていた。


「澄乃」


 澄乃の顔を振り向かせ、羞恥で潤んだ藍色の瞳を見つめ、ゆっくりと顔を寄せる。視線を泳がせていた澄乃もやがて目を閉じて、まずは額と額、それから唇の距離がゼロになった。


 澄乃の唇から「んっ」とか細い声が漏れたのは一瞬、すぐに雄一とのキスを受け入れて全身から力を抜いた。確かな重みと柔らかさ、温もりを丸ごと味わいながら、最初は啄むような軽いキスを繰り返す。丁寧にゆっくり、澄乃はもちろん、自分自身も急かさないように。


 お互いの熱で唇がよりしっとりしてきたところで、少しずつ段階を進めていく。


 唇を押し付けるようにして触れ合う面積を増やしていくと共に、腰に回していた手を片方上げて澄乃の頭を優しく撫でる。唇の隙間から漏れる澄乃の吐息に喜びの色が混じった気がした。


「それ……好き……。キスされながら、頭撫でられるの……」


「ん。続けるな」


 息継ぎがてら少し顔を離すと澄乃がそんな嬉しいことを言ってくれるから、雄一は期待に応えてキスと撫でる動きを続ける。


 澄乃の唇はふにふにとしていて気持ち良い。自分の唇で澄乃の唇を挟むようなキスをしてみれば、弛緩しきった身体をビクッと震わせる。けれど嫌がるような素振りは無く、むしろ雄一の動きを真似るようにお返ししてくれるのだから、愛らしくてたまらない。


 幸せで、満たされて、心地良くて――それだけに。


(きっつ……)


 雄一は心の中で呻いた。


 自分から迫っておいて情けない話だと思うが、こうしてキスをしていると男としての欲が際限なく湧き上がってくる。


 いっそこのまま澄乃を押し倒して、衣服の下に隠された肢体を暴いて情欲のままに貪ることができれば、どれほどの快楽を雄一に与えてくれるだろうか。


 ……でも、ここから先はたぶんまだ早い。


 もうしばらく澄乃との愛を育んで、ゆっくりと距離を詰めていきたいと思う。澄乃の大事にしたい、ただその一心で。


 あとはまあ、これまた情けない話だと思うけど、雄一だってまだ心の準備が不十分なのだ。澄乃が初めての恋人だから当然そういった経験も無いわけで、上手くリードしてあげられるかというと……ちょっとまだ自信が無い。


 だからお互い、もう少し準備に時間をかけてから。


 そう思ってキスを繰り返す。


「……ぁ」


 だが、唇が離れた瞬間に名残惜しそうな吐息を漏らす澄乃を前にすると、ちょっと決意が揺らぎそうになる。ここら辺で止め時かと思って顔を離そうとするたびにそんな誘惑されてしまうものだから、さっきからどうにも終わりのタイミングが見つからないのだ。


「……澄乃、それわざとやってる?」


「……え、何が?」


「いや、なんでも……」


 つまり完全無意識。そのあどけなさは余計にたちが悪かった。


 ――澄乃がそんな調子なら、こっちも少し欲張っていいかもしれない。


 あくまで一線は踏み越えないことを頭の片隅で念頭に置きつつ、再び澄乃の唇に自分のそれを重ねる。ただ今度は啄むでも挟むでもなく、ずっと重ね合わせるだけ。唇の柔らかさを味わうために時折力加減を変えたりもするが、基本的には密着させたままだ。


 その代わり漏れる吐息や声は逃さず、全部味わい尽くす。


「――んぅ?」


 今までと違うキスに気付いたのか、澄乃から戸惑いの声が聞こえた。当然、それも逃したりしない。もぞりと動く澄乃の身体を抑え込むように抱き寄せ、頭を撫でていた手もキスの状態を固定するように後頭部に添えると、澄乃の戸惑いは大きくなっていった。


 息継ぎのタイミングを見失っているのだろう。澄乃の荒い鼻息が雄一の顔をくすぐるけれど、それがまた甘美な刺激なのでキスは止めない。


 しばらくそのまま堪能して、澄乃から強く腕を叩かれたところで唇を離した。


 澄乃の呼吸は荒く、制服のブラウスの中で豊満な膨らみが窮屈そうに上下している。雄一を見上げる瞳はとろんと蕩け切っていて、目尻には微かな雫も見て取れた。


「キ、キス、長すぎ……っ!」


「そういうのもアリかなって思ったんだけど……ダメだったか?」


「だめ、じゃないけど……次からは、先に言ってくれた方が……。いつ息していいのか分かんないし……」


「……ごめん、ちょっと強引すぎたな」


 澄乃を落ち着かせるために頭を撫でる。それだけでふにゃりと目を細めた澄乃は、少し呆れたような笑みを浮かべて雄一の頬を指でつついた。


「別に、ちょっと強引なのも嫌いじゃないよ?」


(……だからそういうこと言われるとさあ)


 なかなかどうして、今日の戯れはまだまだ終われそうになかった。

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