+6話『今晩は一緒に』

 澄乃と交際を始めてから、気付けば三週間ほど過ぎていた。まだ暑い日が続いているが時折肌寒いと感じる瞬間も顔を見せ、季節は秋に移ろい始めていく。


 色々と騒ぎになった雄一と澄乃の仲もようやく浸透していったようで、今となっては表立って騒がれることもない。「それでも」と澄乃に想いをぶつけた男は何人かいたが、全員澄乃によって丁重にお断りされている。その様子を離れたところからそっと窺っていた雄一は心の中で彼らに合掌した。


 皮肉になるかもしれないが、彼らには新しい恋を見つけて頑張って欲しい。悪いが澄乃は渡さない。


 とにもかくにも学生らしい日常を謳歌している、そんな日の昼休みのことだ。


「雄くんのお弁当ってザ・男飯って感じだよね」


 雄一のよりも一回り小さい弁当箱を広げつつ、澄乃は思い付いたように呟いた。


 見つめる先は雄一の手元――弁当箱代わりのタッパーやラップに巻かれたおにぎり等々。本日のメニューは焼き肉のタレで味付けした肉野菜炒めとカット野菜、ふりかけを混ぜたおにぎりが二個である。おかずに関しては昨晩の自炊の残りだ。


「味付けとかは割かし適当だからな。澄乃ほど上手くないし」


 正直いちいち調味料の配分を考えるぐらいなら、市販のタレやソースを使った方が手っ取り早い。澄乃ぐらい手慣れていれば目分量でさっと量ることができるのだろうけど、雄一がその域に達するにはまだまだ経験が必要だ。


 ふと澄乃の弁当箱を覗いてみれば、美味しそうな鶏の照り焼きがメインとして鎮座している。自分と同じように昨晩の残りだろうけど、食欲を誘う良い照りと色合いだ。


 雄一の視線に気付いた澄乃が笑いながら「良かったら一切れいる?」と聞いてきたので、ありがたく端っこの一番小さい部分を箸で摘まんだ。代わりに肉野菜炒めを差し出せば、澄乃も箸で摘まんでさっそく口に運ぶ。


 味に関しては澄乃の普段の料理よりも格段に劣るだろうに、どこか嬉しそうに食べる澄乃の笑顔は今日も可愛らしい。


 魅力的な恋人の様子に癒されつつ鶏の照り焼きを頬張れば、抜群の美味さが雄一の口内に広がる。カレーでないが、一晩経って鶏の旨味やコクが深まったような気がしてならない。


「うっま」


 咀嚼して飲み込んだ後に素直な感想を述べると、澄乃は「ありがと」と照れ臭そうに笑った。


 ……それにしても、時間が経ってこの美味しさなのだ。


「出来立てだったらもっと美味いんだろうなぁ」


 別に思惑など無く、ただ感じたことが雄一の口からこぼれた。何度か澄乃の料理をご相伴に預かったが、出来立てを食べたのは風邪を引いた時の雑炊ぐらいだ。あの時も風邪で多少味覚が麻痺していたことを考えれば、真の意味で出来立てを味わったことはないとも言える。


 一抹の歯痒さを雄一が感じていると、きょとんと首を傾げた澄乃は口を開いた。


「だったら、今日の夜は私の家でご飯食べる?」


「…………え?」


 突然のお誘いに、今度は雄一の方が首を傾げるのだった。











 放課後。


 いつも通り一緒に学校を後にした二人が向かう先は澄乃の自宅でなく、その近くにあるスーパーだ。二十四時間経営の利便性の高いスーパーは、夕方という時間も相まって中々に人が多い。


 買い物客がチラチラと澄乃に視線を向けてくる中、その隣に立つ雄一は自らの存在を誇示するように澄乃側に少し身を寄せた。ほぼ無意識の行動を自覚したところで、雄一はそっと苦笑を浮かべる。


 我ながら独占欲が強くなったものだ。澄乃が人目を引く容姿をしていることは重々承知しているのに、近頃は何かにつけてこういった行動をしてしまう。


(気を付けないとな)


 大した効果が無いであろう自制の言葉を心中で唱え、買い物カゴ片手に澄乃と青果コーナーへ。


「それで今日の献立は?」


 まず一通りの野菜の値段をチェックしているらしい澄乃に尋ねると、彼女は思案顔で唇に人差し指を当てている。


「まだ考え中。特売の食材とかあったらそれ中心に組み立てるから、基本的には値段見てから決めてるんだよね」


「おぉ……もうその発言からしてすごいな……」


「そう?」


 澄乃はさらっと受け流すが、雄一からしてみれば尊敬の念すら覚える。


 雄一も自炊のためスーパーに赴く時はあるが、大体はメニューありきの買い物だ。あらかじめレシピなりを調べてそれに必要なものを買うので、澄乃のようにその場で組み立てる臨機応変な思考は持ち合わせていない。


 きっと澄乃の頭の中には多くのレシピが詰まっているのだろう。


「んー……特別安いのは無いかなぁ……」


 ざっと青果コーナーを一周し、澄乃は形の良い眉を寄せて考え込む。しばらくすると何かを思い付いたのか、ぽんっと手を叩いて雄一の方を見た。


「ね、どうせだったら雄くんの好きなもの作ってあげよっか? 好きな食べ物とか知りたいし」


「え、まじか。どうすっかな……」


 手料理を振舞ってもらうだけでもありがたいのに、その上リクエストまで聞いてもらえるなんて願ってもない状況だ。


 恐らく何を作らせても美味しいだろうけど、それだけに最適解が選び難い。このまたとない機会をどう活かそうかと、雄一の脳内では熾烈な議論が繰り広げられていく。


「あの、雄くん? そこまで真剣に悩まなくても……」


「いやだって澄乃の手料理だぞ? 折角のチャンスなんだし、ここで悩まないでいつ悩むんだ」


「別にこれからいくらでも作ってあげるんだけどなぁ……」


 そんな澄乃の呟きも熟考を重ねる雄一にはもはや届かない。


 まとまらない思考のまま何か良いアイディアは転がってないかと周囲に目を走らせると、一つの商品が雄一の目に留まった。


 じゃがいも、たまねぎ、人参が一つの袋でまとめられたお買い得セット。そのセットが雄一に一つの結論を与える。


「――肉じゃが」


「肉じゃが?」


 口を突いて出た言葉を澄乃が聞き返す。


 家庭料理の定番中の定番、肉じゃが。カレー風味など色々アレンジバージョンもあるが、雄一は変な趣向を凝らさないオーソドックスな肉じゃがが好きだ。


 定番品なだけに料理人の実力が浮き彫りになり、澄乃お手製ともなれば期待値は相応に高い。


「肉じゃがかぁ……」


「あ、もちろん無理にとは――」


「ふふっ、大丈夫任せて。リクエストをお願いしたのは私なんだし、全力で作らせて頂きますっ」


 ふんす、と気合を入れた澄乃が微笑む。魅力的な笑顔にちょっと悪戯っぽい色が浮かんだ。


「美味しいの作ってあげるね」


 澄乃はそう言って、さっそく野菜の吟味に取り掛かる。不意打ちの可愛らしさに軽く悩殺された雄一も一呼吸置いて、荷物持ちとしての役目を全うするのだった。

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