+5話『改めて』

「……雄くんのえっち」


「……申し訳ありませんでした」


 学校を後にし、澄乃の自宅までの道を二人並んで歩く。時刻は十四時を回ったぐらいで外はまだ明るく、防犯面も考えても一緒に帰る必要性はあまり無いだろう。とはいえ少しでも恋人と長く共にいたいとも思うわけで、雄一はこうして澄乃を家まで送り届けているわけだ。


 しかし、さすがにそろそろ、横からのジト目の圧力に耐えられなくなってきた。


 澄乃の頬には未だ赤みが差している。涙こそ引っ込みはしたが羞恥は健在のご様子で、尖った唇からは雄一への文句が漏れ出ていた。


「えっち」という何やらグッとくる言葉のチョイスに胸が高鳴るのを隠しつつ、雄一は澄乃に向けて手の平を合わせ、謝罪の意を引き続き表明する。


 ……正直なところ、雄一はあくまで空から話を振られただけに過ぎない。別に自分から好き好んで話題に出したわけでもないので(無論、嫌いではない)、澄乃からの文句を不当なものだと突っぱねることだってできる。


 けれど最終的に聞き入ってしまった自分もいるので、その点に関してはこちらの落ち度だろう。恋人だろうと友人だろうと、知らないところで自分の身体的特徴について噂されていたら誰だって良い気はしないはずだ。


「ほんとにごめん。今後は気を付けます」


 念押しで頭を下げると、澄乃はようやくハの字だった眉の角度を緩めた。


「……その、別に私も、そこまで怒ってるわけじゃないの。ただ恥ずかしいってだけで、男の子ならそういうことに興味あるのは当然だし……私のこと、ちゃんと考えてくれてるんだし……」


「澄乃……」


 その割にはだいぶ引っ張られたんだけど、とまだちょっとだけヒリヒリする頬を掻く雄一。もちろん言葉には出さないが。


「それにまぁ、今さらな話と言えば今さらだし……」


「……ん? それはどういう……?」


 澄乃の言わんとしていることの意味が分からず、雄一は首を捻る。そんな雄一をチラチラと見ていた澄乃だが、耐えかねたようにそっぽを向いてしまった。気付けば耳の先まで真っ赤だ。


「……今までだって雄くん、何度か私の胸見てたことあったでしょ?」


「――――」


 絶句。アンド驚愕。


 澄乃からの突然の指摘に、雄一の脳内コンピュータは瞬く間にフリーズを起こした。


 プールの時、花火大会で膝枕してもらった時――思い当たる節は何個かあるが、どれもすぐに目を逸らすようにはしていたのでよもやバレているとは思わなかった。いや、そもそも目を逸らすという行為自体が怪しかったのかもしれない。


 一瞬誤魔化すべきかと思ったが、ほぼ確信している様子の澄乃を前にそれは逆効果だろうと判断し、雄一は恐る恐る口を開いた。


「き、気付くもんなのか、やっぱり……?」


「まぁ、それなりに……。好きな人の視線だから……なおさら……」


「なるほど……。その、本当に悪いとは思ってる……」


「あ、謝らなくていいよ。雄くんにだったら、別に嫌な気はしないし……。ただやっぱり、恥ずかしいから……」


「ああ、そうだな……」


「…………」


「…………」


 いっそ隕石でも降ってこい。そう叫び出したいぐらいに、いたたまれない空気が二人の間に広がっていた。


 それもこれもあんな話題を振ってきた空のせいだと恨みたくはなるが、突き詰めれば原因は欲望を抑えきれなかった過去の自分にある。今さら四の五の言っても過去は変えられない以上、ここは率直な自分の想いを告白するしかないだろう。


 たっぷりと時間をかけて深呼吸してから、雄一は「澄乃」と呼びかけた。


「この際だから正直に白状するけどさ、俺も男だから……そういうことに興味はある。いつかは澄乃と……そういう関係に進めたらなとも思う」


「……うん」


「でも……無理強いしたいわけじゃないんだ。澄乃のことは大事にしたいから……澄乃の意志を最大限尊重したい」


「雄くん……」


「だからその、あー、何て言うか……とにかく……無理だけはしないでくれ。それだけは伝えとく」


 それが雄一の心からの言葉だった。


 将来その時が来たら、もちろん澄乃には自分を受け入れて欲しい。けれど無理だけはさせたくない。完全に不安や恐怖を無くすことはできないかもしれないけど、それでもできる限り安心させてあげたい。そのためだったらいくらでも我慢するつもりだ。


「…………」


 澄乃からの返事は無い。もしかしたら少し時間を置いた方がいいのかもしれない。どうしたものかと雄一が悩んでいた矢先――


 左腕が、温かな柔らかさに包まれた。


「――っと、澄乃?」


 驚いて横を見れば、澄乃が雄一の左腕に抱き着くように身を寄せている。二の腕辺りに感じる格別の感触はもちろんのこと、からだった左手も澄乃の手にぎゅっと握られる。


 指と指と交互に絡めた恋人繋ぎ。伝わってくる体温は少し高い気がした。


「ありがとう」


 雄一を見上げた澄乃が呟く。口許には柔らかな笑みが浮かび、桜色に色付いた頬からは少し色香が漂ってきた。透き通った藍色の瞳が訴えてくるのは、心の底からの信頼と感謝。


「雄くんが私を大事にしてくれてるの、すごく嬉しい」


「当たり前だろ。好きな相手なんだから」


 先ほど空の前で宣言したことをもう一度口にすると、澄乃はより一層頬を弛ませて喜びを露わにした。


「うん、それでもありがとう。雄くんのこと好きになって良かったって思う。……ふふっ、こういう気持ちが惚れ直すって言うんだろうね」


 納得したように澄乃は微笑む。抑え切れない感情に彩られた端正な顔立ちは文句無しに綺麗で、同時に可愛らしくもあった。


 運良く路地に入り込んだところだったので、周囲には人影が無い。澄乃のこんな笑顔を見れるのは自分だけの特権だ。


 最愛の恋人の表情に見惚れていると、澄乃は申し訳なさそうにほんのりと眉尻を下げた。


「あの……さっきはほっぺた引っ張っちゃってごめんね? 痛かったよね……?」


「気にすんな。良い薬になったよ」


 こうして笑い合えるのなら、あれもまた良いスキンシップだったと言える。澄乃を安心させるように笑いかけると、彼女は不意に雄一の腕を引っ張った。


「雄くん、ちょっとストップ」


「ん? おう」


 要望に従ってその場に立ち止まる。何だろうと不思議に思っていると。


「――んっ」


 可愛らしい声と、ちゅっと控えめな音が左頬のそばで響いた。間近に迫った澄乃の顔には、どこか甘さすら感じさせる小悪魔のような笑みが浮かんでいる。


「痛くなくなるおまじない、なんちゃって」


 ぺろっと小さく舌を出す姿はまさに小悪魔。あっけなく魅了された雄一は、澄乃の顔をじっと見つめて口を開く。


「なぁ澄乃」


「なに?」


「さっき両方引っ張られたわけだからさ、当然右にも貰えるんだよな?」


「……雄くんの欲張り」


 文句とは裏腹に楽しそうに、雄一の右側に回り込んだ澄乃は少し背伸びをする。


 その後にもう一回――“真ん中”も忘れずに。

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