+4話『それはまだまだ先のお話』

「あー、疲れたぁー……」


 澄乃との関係が暴露されてから二日後の土曜日。半日授業も終わりを迎え、部活動のない生徒は基本的に帰宅するだけだ。お互い部活には入っていないので澄乃と一緒に帰ろうとした雄一だが、澄乃が「授業で少し気になったことを質問してくる」ということなので、一旦購買地下の自販機コーナーで待つことにした。相変わらず澄乃は勤勉だ。


 一昨日から今日まで色々と質問攻めに見舞われることになったが、ようやくそれも落ち着きの兆しを見せている。もう少し時間も経てば、表立って騒ぎ立てられることもなくなるだろ。


 というか、さすがにそうあって欲しい。一昨日のカラオケ店での騒動を思い返し、雄一はげんなりとした様子でため息をついた。


「ありゃ、そこにいるのは英河くん?」


 自販機で何を買おうかと物色していると、背後から張りのある元気な声がかかる。振り返った先には、自分と澄乃の関係が暴露されることになった原因の女生徒――空がいた。彼女は人懐っこい笑みを浮かべて「やほやほー」と手を振っている。


「いやー、一昨日は大変でしたねぇ」


 さも世間話かのように話を振る空。どこか楽しげにも見える彼女を横目でほんのりと睨みつつ、雄一は制服のポケットから財布を取り出す。


「全くだ。誰かさんがとんでもない爆弾を投下してくれたお陰でな」


「あはは……それに関しては正直面目ない。あたしも友達とパンフ見てる時に初めて気付いてさ。周りがわーって盛り上がちゃって、聞かなきゃ治まらない雰囲気だったんだよね」


「……の割には、夏樹も楽しんでた風に見えたけど」


「そりゃまあ。女の子はコイバナ大好きですから!」


 空が良い笑顔でぐっと親指を立てる。鼻を鳴らした雄一が自販機に小銭を入れようとすると、それを遮るように空の小さな手が先んじて投入した。


「せめてもの罪滅ぼし。ここはあっしに奢らせてくんなせぇ」


 芝居がかった口調の空の厚意に甘え、雄一はありがたく微糖の缶コーヒーを頂くことにした。


「まさかここまで騒ぎになるとはねー。すーちゃんが大人気美少女だって改めて思い知ったよ。一昨日の女子会でも可愛かったし」


「へぇ、どんな風に?」


 雄一が男子連中に連行された同時刻、澄乃も別のカラオケ店で根掘り葉掘り質問されていたのだろう。なんだかんだ祝福されたというのは澄乃から聞いているが、さすがに事細かな会話の内容までは別だ。自分の知らない恋人の言動というのは大いに興味がある。


「『英河くんのこと、性格とか人柄で選んだんだねー』って言った子がいたんだけどさ、そしたらすーちゃんがちょっとむくれちゃったの」


「え、なんで? 褒められたんだろ、俺?」


「『性格はもちろんだけど、それだけじゃない。外見とかそういうの全部ひっくるめて好きになったもん』だってさ。いやー、べた惚れと言いますか何と言いますか、愛されてるねー英河くん。……って、急にうずくまってどうしたの?」


「いや……ちょっと……幸せを噛み締めてる……」


 自分の恋人はなんて可愛いことを言ってくれるのだろう。伝聞でこの威力なのだ。もしその場で直接聞いていようものなら、むず痒さで全身を掻きむしりたくなったかもしれない。


「べた惚れなのはお互い様か……。ほんっと良いカップルだねぇ……」


 空から呆れたような生暖かい視線で見下ろされているのは感じているが、すぐに立ち直れそうにはない。胸の奥からせり上がってくる甘さを打ち消すように缶コーヒーをあおる。ブラックにすれば良かった。


「まぁ、何はともあれおめでとう。末永くお幸せに」


「ああ、さんきゅ。あ、お兄さんにも礼を言っといてもらえるか? 良い思い出になったって」


「ほいほい、伝えとくねー。……それにしても、英河くんとすーちゃんが恋人かぁ」


「ん? どうした?」


 空が何やら意味深に目を細める。不思議に思いつつも缶コーヒーに口を付けると、自分の身体を見下ろした空はぽつりと呟いた。


「――とうとうあの胸をモノにできる男が現れたんだなぁと」


「ぶふぉっ!?」


 盛大にコーヒーを吹き出し――そうになる瀬戸際で何とか飲み込む。代わりに気管にコーヒーが侵入してしまい、雄一はゲホゲホと激しく咳き込んだ。


「おまっ、夏樹……! いきなり何言い出してんだッ!?」


「いやー……だってすごいじゃん、すーちゃんの胸。っていうか英河くん、水着姿見たぐらいなんだから分かるでしょ?」


「……それは……まぁ、そうだけど……」


 可愛らしくも蠱惑的な澄乃の水着姿は、未だ雄一の脳内に色濃く残っている。到底忘れることのできないほど強烈な刺激だったし、そもそも忘れたくもない。


「あたしは胸の大きさとかにあまりコンプレックス無い方だったけど……すーちゃん見てると、正直羨ましいって思っちゃうんだよねぇ。男の子目線でもだろうけど、女の子から見てもアレは憧れる」


 そう言って空は自分の胸元に手を置く。平べったい――とまでは言わないが、まぁ平均から考えればなだらかな起伏を描いている方だろう。


「女子から見ても、やっぱそうなんだな……」


「うんうん。たまに体育の合同クラスとかで一緒に着替える時あるんだけどね……こう、制服という戒めから解き放たれたサイズと形の究極のバランスが――」


「…………」


 思わず黙って耳を傾けてしまう雄一。そして、そんな思春期真っ盛りの男を見てニヤリと口の端を吊り上げる空は――


「ここから先は君の目で確認しよう!」


「ここまで煽っといてッ!?」


 今や廃れ気味のゲームの攻略本のような台詞を口にして、雄一の興味の向かう先を真っ向からぶった切った。


「まぁまぁ、どうせ英河くんならその内見れるし触れるんじゃないの?」


「あのなぁ……! いや、もちろん、ゆくゆくはそういう関係に……進めるようになりたいとは思うけどさ……軽はずみにできるもんでもないだろ」


 雄一にだってそういう行為への欲は十分ある。けれどお互いの準備なり心構えなりが必須だし、どうしたって相手――澄乃にかかる負担の方が大きいはずだ。恋人として大切にしたいと想う少女には、やはりできるかぎり無理はさせたくない。


「おー、ちゃんと女の子のこと考えてるんだね」


「当たり前だろ。好きな相手なんだから」


「……そういうことを当然のように言えちゃう辺り、英河くんは良い人だねぇ」


「言うほどのもんか……?」


 褒めてくれるのは嬉しいが、言葉通り当然のことだと思っている雄一としてはあまり釈然としない。煮え切らない様子で首を傾げる雄一を眺めた空は、「言うほどのもんだよ」と口にして笑った。


「からかっちゃってゴメンゴメン。改めて、すーちゃんとお幸せにー」


 ひらひらと手を振って、空はその場を後にした。


 祝福してくれたのは素直に嬉しいのだが、こちらの心臓に悪い話題は慎んでもらいたいところだ。澄乃に聞かれでもしたらどうなることやら。


(ってか澄乃はまだかな……?)


 いっそ職員室に迎えにでも行こうかと思い、雄一が踏み出そうとした瞬間――気付く。


 自販機の影に、いる。


 こちらをじぃっと見つめる、見知った銀色が。


「……澄乃、さん?」


 恐る恐るその名を呼ぶと、少女は自販機の影からぬるりと姿を現した。


 付け加えるなら、涙目+真っ赤+ふくれっ面という三連コンボ状態で。


「あの、いつから、そこにいらっしゃって……」


 澄乃は何も言わず、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。距離が詰まれば詰まるほど圧が増す。


「待て、悪かった……! 悪かったから――ふ、無言ふほんふぉふぉを引っふぁるのはふぁへろ……!」


 結局、しばらく澄乃から無言の制裁を受ける雄一であった。

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