後日談『二人の日々』

+1話『恋人同士の帰り道』

 最愛の少女と想いが通じ合ってからしばらく、雄一と澄乃は学校の屋上で戯れのような触れ合いを続けていた。


 頭を撫でたり、頬に手を添えたり、抱き合ったり、時にはキスしたりと。


 幸福な時間は自らの手で手放すにはあまりにも惜しく、結局最終下校時刻を告げる放送が流れるまでそのままだった。途中で誰も屋上に来なかったのは幸運だったと言えよう。


 すっかり暗くなってしまった夜空の下、校門から続く長く緩やかな下り坂を澄乃と一緒に歩く。遅くまで残っていた他の生徒も多少見かけるので恋人のように手こそ繋ぐことはしないが、距離はいつもよりも近い。時折肩が擦れ合うように接触しても離れる気にならず、お互い苦笑を浮かべるばかり。澄乃の笑みにどこか楽しそうな色が混ざっている辺り、彼女の方はわざとやっている節があるのかもしれない。


 晴れて恋人となった少女のイタズラ心に口許を緩ませながら、雄一もまた高揚した自分の感情を実感していた。


 坂を下っているのに、気持ちは遥か上を向いて浮き足立っている。幸せという感情で満たされたプールにぷかぷかと身を委ねているような感覚で、身体中を得も言われぬくすぐったさが巡っていた。


 好きな人と恋人同士になる――言葉にすればたったそれだけの事実が嬉しくてたまらない。


 それは隣を歩く澄乃もきっと同じで、薄い薔薇色に染まった頬と緩い弧を描く口許からも隠し切れない喜びが伝わってくる。恋仲になったことでさらなるプラス補正がかかってしまったのか、街灯に照らされた澄乃の端整な横顔は今まで以上に綺麗だった。


 ……その分周囲からの視線もそれとなく感じるのだが、まぁ、こればっかりは致し方無いことだろう。一人占めしたい気持ち半分、そりゃこんだけ魅力的なら当然かという気持ち半分を抱えながら、雄一は澄乃の隣をキープし続けた。


 やがて坂の終着点へと辿り着く。帰り道の都合上、本来ならここで澄乃とお別れだ。


 そのことを察したらしい澄乃は緩いため息をついて、雄一から距離を取った。


「じゃあね雄くん。また明日」


 手を小さく振りながら、別れの挨拶でこの場を締め括ろうとする澄乃。だが雄一をそれに手を振り返すことはせず、澄乃との空いた距離を即座に詰めた。


「雄くん?」


「家まで送る。ってか、送らせて欲しい」


 これは澄乃に気を遣っての行動というよりは、少しでも長く彼女と共にいたいという自分の願望だ。


 不思議そうに雄一を見上げた澄乃もそれを理解してくれたのか、ちょっと困ったような、けれど嬉しさを全面に押し出したような笑顔を浮かべる。いつもは「気を遣わないで」と言って断ろうとする澄乃も、雄一と気持ちは同じなようだ。


「じゃあ、エスコートお願いします」


「喜んで。と言っても、まだ澄乃の家の場所は覚えてないけどな」


 一緒に帰ったことはまだ一度しかないので、さすがに道のりは覚えきれてない。頼りない言葉の割には堂々とした態度で手を差し出した雄一に、澄乃は「もうっ」と微笑みながらその手を取った。











「ふふっ」


 夜の帰り道に澄乃の軽やかな声が微かに響く。少し視線を横にやれば、喜色満面の笑みを浮かべた澄乃は繋ぎ合った手を見て頬を弛ませていた。


 見ているだけでもこちらも幸せになれるような笑顔だ。


「嬉しそうだな」


「雄くんと恋人になれたんだもん、当たり前だよ。……えへへ、なんだか夢みたい」


「夢じゃなくて現実だ」


 伝えるようにやんわりと手に力を込めてみると、より一層笑みを深めた澄乃がぎゅっと握り返してくる。雄一よりも小さくて柔らかい手からもたらされる感触は格別だ。


 本当にこの幸せな時間が夢じゃなくて良かった。というか仮にこれが夢だったとしたら、雄一は目が覚めた後に間違いなく睡眠薬にでも手を伸ばすだろう。


「噂になっちゃうかな?」


 繋いだままの手を見た澄乃がぽつりと漏らした呟きに、雄一は「だろうな」と頷く。坂を下ったあたりで衝動に負けて澄乃と手を繋いでしまったが、その時は他の生徒の目はまだあった。まず間違いなく数人には目撃されているはずだ。


「俺はともかく、澄乃に彼氏ができたとなるとなぁ。少なからず騒ぎにもなるだろうよ」


 何せ澄乃は学年問わず異性に大人気の美少女なのだ。雄一はしばらく怨嗟の視線や声に晒されることになるだろう。とはいえそれは覚悟の上だし、たとえ何を言われようともこの立場は譲る気は一切無いのだが。


「むー……」


 今一度雄一が気合入れ直していると、何故か澄乃はほんのりと眉を八の字に寄せていた。


「え、なんで不服そうなんだよ」


「俺はともかく、とか言わないの。雄くんだって女子の間だって結構評判高いんだよ? 真面目で優しそうだーって」


「でもヒーロー好きなんて子供っぽい、だろ?」


「そうなんだよねぇ……。私は良いと思うんだけどなぁ」


 何かで聞いたことがあるが、高校生という年頃は身体つきにしても精神にしても大人に近付きつつある。だからこそ大人らしく見えるというのは一つのステータスになり、逆に子供っぽい人間は敬遠とまでは言わなくとも、異性としては多少低く見られてしまうのかもしれない。


 一年の時の人気ランキングとやらで、雄一が『良い人なんだけどね』部門にランクインしたのはそういうことなのだろう。


 でも、雄一としてはそれで構わない。


「俺は、その……澄乃が好きでいてくれるなら、それで十分だよ」


 気恥ずかしさでややどもりつつも素直な想いを口にすると、澄乃は呆けたように雄一を見上げ――次の瞬間には雄一の腕にぎゅうっと抱き着いてきた。


 二の腕あたりに感じる柔らかい感触に、思わず雄一の喉の奥からは変な声が上がりそうになる。


「うんっ、雄くんのカッコいいところはちゃーんと私が分かってますっ」


「……ありがとな」


 少し歩き辛くもあるが、率直に好意を示してくれる澄乃はとても愛らしい。先ほどそうじゃないと思ったばかりなのに、まさに夢心地のような気分だ。


 その後、幾分か緩めた歩調で歩き続けた二人だが、とうとう澄乃の自宅であるマンションのエントランスに辿り着いてしまった。今度こそ本当にお別れ。明日も登校日だから学校で会えるのだが、束の間でも別れはやはり物寂しい。


 澄乃は惜しむように雄一から身体を離した。


「送ってくれてありがとう。もう真っ暗だし気を付けて帰ってね」


「ああ。澄乃も戸締りしっかりな」


「分かってる。もうっ、子供扱いしないでよ」


「子供扱いじゃなくて恋人扱いだ。大事なんだから心配すんのは当たり前だろ?」


「……ありがと」


 頬を朱色に染めてはにかむ澄乃。可愛らしい表情に雄一の口許にも笑みが浮かぶ。


 そうして二人は見つめ合う。お互い、その場から一歩も動かずに。


「……部屋に行かないのか、澄乃?」


「雄くんが見えなくなるまでここにいようかなって。そう言う雄くんは?」


「澄乃が見えなくなるまでここにいようかと」


「…………」


「…………」


 二人の視線が交錯する。やがてどちらからともなく掲げた拳は、開戦の合図。


「最初は!」


「グー!」


『じゃんけんぽんっ!』


 結果、雄一がグーで澄乃がチョキ。ヒーローの拳は見事勝利を掴み取った。


「むぅー……!」


 澄乃はこれでもかと頬を膨らませるが、正当な権利を勝ち得た雄一はドヤ顔でその場に佇んだ。


「雄くんのいじわるっ」


 可愛らしい文句を残してぷいっと顔を背けると、澄乃は暗証番号用のテンキーを備えたコンソールを操作する。ややあって空いたオートロックの扉の先へ踏み出そうとしたところで、急に振り向いた澄乃が雄一に近付く。


 何を、と問い掛ける暇も無く距離を詰められると――雄一の鼻先を甘い香りがくすぐった。それと同時に唇に感じる、瑞々しくて柔らかい感触。


 気付けば真っ赤に染まった恋人の顔が目の前にあって、彼女は恥じらいながらもしてやったりといった様子で微笑んでいた。


「おやすみっ」


 その一言を告げて、澄乃は廊下の奥へと逃げるように姿を消した。


 一人残された雄一は長いため息をつく。


 不意打ちはズルい。


(屋上で何度かしたのになぁ……)


 どうにもこうにも、恋人らしい行為に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

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