第46話『ハプニング』

「雄兄ちゃん、バイバーイ!」


 笑顔で手を振る男の子に応え、雄一も同じように手を振り返す。そのまま雑踏の中に消えていく親子三人を見送りながら、雄一はコリを解すように両肩を回した。隣の澄乃がくすりと笑って、「お疲れ様」と労いの言葉をかけてくる。


「雄兄ちゃんだって。すっかり懐かれちゃったみたいだね」


 微笑ましいもの見るような目をしている澄乃に妙な気恥ずかしさを覚えて、雄一は視線を合わせないようにしながら「みたいだな」と返す。


「喜んでくれたようで何よりだ」


「そうだね、お母さんの方も何度もお礼を言ってたし。ふふっ、とっても頼り甲斐があったよ、雄お兄ちゃん?」


「茶化さないでくれ」


 普段と違う呼び方がむず痒くて、ついぶっきらぼうな返事をしてしまう。地味に苗字じゃなくて名前で呼ばれている辺り余計にそう感じてしまい、それを隠そうとそっぽを向けば澄乃がより一層くすくすと笑うのが聞こえた。


 照れていることが完全にバレている。


「そんな恥ずかしがることないのに。そういう優しいところ、私は良いと思うよ」


「……そりゃどうも。ほら、早く白取の行きたい店に行こう。店は逃げないけど時間は有限だろ?」


 ただでさえ澄乃に対して悶えることが多い日だというのに、無防備に寄り掛かってきたり真正面から褒めてきたりと、手を変え品を変え雄一の意識を揺さぶってくるのだから心臓に悪い。天使の笑顔で小悪魔めいたことをやってくるなんて反則もいいところだ。本人は意識などしてないだろうが。


 逃げるように歩き出す雄一を、穏やかな笑みを浮かべながら澄乃は追いかけた。











「わあ……!」


 澄乃が感嘆の声を上げる。


 キャラクターショーの後、澄乃の希望した店や途中で目に留まったアトラクションを楽しんでいると、気付けば空には綺麗な茜色が広がってた。一通り行きたい場所も行って若干手持無沙汰になっていた二人は、ちょうど良くアプリのオススメ欄に表示された湖近くの広い休憩スペースを訪れた。


 園内中央付近の大きな湖に隣接されたそのスペースは、柵で囲われた湖の形に沿ってベンチが設置されており、座って休みながら景色を楽しむことができる場所だ。今も何個かのベンチには家族なりカップルなりが座っていて、夕焼けに染まる目前の光景に目を向けている。


 湖の対岸の建物が水面に映り込み、赤々とした夕日がそれらを照らしてきらきらと輝く。時折吹く風で水面にさざ波が立つと、反射した夕日が瞬いて異なった趣を見せてくれる。


 腰の高さほどの柵に片手を付いた澄乃はもう片方の手で風で飛びそうになる帽子を押さえて、感極まったようにため息を漏らした。


「すごく綺麗……」


「……ああ、そうだな」


 景色と隣の少女――どちらかと言うと、後者の方に比重を置いて雄一は答えた。


 穏やかな笑顔に、景色を映してきらめく藍色の瞳。興奮して上気した頬、そして風でなびく紫がかった長い銀髪。全てのパーツが最上級の美貌を備えていて、それらが組み合わさってさらなる次元へと澄乃という人間を昇華させている。


 本当に……つくづく綺麗だと思う。


 これまでそう感じることは幾度となくあったのに、いつまで経っても、何度経験しても、雄一の意識は奪われずにはいられなかった。そんな彼女を間近で、その隣に立って過ごすことのできる今日の立ち位置は、言葉では言い表せないほどの幸福に満ちている気さえしてくる。


 けれど、刻一刻と終わりの瞬間は近付いてくる。


「――なぁ、白取」


 手放したくない、何か形に残したい――そんな想いが、気付かない内に溢れ出した。


「写真、撮らないか?」


 口をついて出た雄一の言葉に、澄乃が「え?」と瞳を瞬かせた。しばしきょとんとしていた瞳がゆっくりと大きく見開かれていき、藍色の輝きがどこか所在無さげに揺れ始める。


 頬の赤みは夕焼けか、それとも別の要因か。


 そんな澄乃の反応を見て、自身の発言が若干言葉足らずだったことに気付いた雄一は慌てて言葉を付け足した。


「あっ、いやっ、別にツーショットが撮りたいとか、そういうことじゃなくてさ……! ほら、思い出がてら、景色をバッグに白取単体でもどうかなって思っただけで」


 言い終えて、澄乃単体の写真を撮りたがるというのも欲が見え隠れして失言だったような気がしてくる。思い出というなら、まだツーショットに誘う方が自然な流れではないだろうか。


 しかし言ってしまったものはもう遅い。今さらあたふたする自分を雄一が情けなく思っていると、ほんのりと上目遣いになった澄乃が囁くように言葉を漏らした。


「……いいよ、私は一緒でも」


「え?」


「だから……ツーショットでもいいよ? 撮る……?」


 か細く、けれど明確に承諾の意を示す澄乃。


 頬の赤みは夕焼けか、それとも――気恥ずかしさからか。


 さっき以上に頬を染めた澄乃に、今度は雄一の方が視線を彷徨わせることになった。


「あー……じゃあ、どうするか……? 自撮りか、誰かに頼むか……」


「――もし良ければ、お撮りしましょうか?」


 まとまらない思考で撮影方法を選ぼうとすると、見計らったようなタイミングで横合いから声がかかった。


 声の主はテーマパークの制服に身を包む、柔和な笑顔を浮かべた一人の女性。


 こちらのやり取りを見て親切に手を差し伸べてくれたのだろうけど、むしろ目撃されていたことに余計な羞恥を感じてしまう。


 そのせいで「じゃ、じゃあ、お願いします……」とたどたどしい返事をした雄一は、ポケットから取り出したスマホのカメラを起動して女性に手渡した。そのまま夕日で色付く景色を背景に、澄乃と一緒に並んで立つ。


「えっと、ここら辺か……?」


「うん、そうだね。ここがいいんじゃないかな……?」


 景色との兼ね合いを考えて位置を調節し、納得のいったところで女性の方に向き直る。


 正直景色なんかより、雄一にとっては澄乃との距離感の方がよほど気掛かりだった。


 隣に立つ澄乃のとの距離はおよそ拳二つ分ほど空いている。男女の友人という間柄を考えれば十二分に近しい距離だろうに、その間が無性に恨めしく思えてしまうのは何故か。


 もう少し縮めてもいいだろうかとチラリと視線を横にやると、同じタイミングでこちらを見てきた澄乃の視線とぶつかる。磁石の同じ極みたいに反発し合って、お互いにそれ以上は何も言えない。


 それでいっそ諦めがついたような、けど残念なような。


 緊張して固まりそうな精神を少しでも軽くしたくて、意味など無いはずなのに背負ったショルダーバッグを下ろしてシャッターが下りるのを待つ。


 やがて澄乃の準備も整い、向けられたスマホのカメラレンズに意識を集中させながら、とりあえず無難にピースサインでいいかとポーズを取ろうした――その時だった。


 突如として、一陣の風が空間を横切る。


 下から斜め上に掬い上げるように吹いた突風が二人に襲いかかり、澄乃が「ふぁっ!?」と可愛らしい悲鳴を上げて両手でスカートを押さえた。それでも普段は見えづらい白い太もものラインが露わになり、男なら誰しもが目を奪われそうになるけれど――雄一の視界が捉えているのもは全く別のものだった。


 両手を下半身の防御に回したせいで、手薄になる澄乃の上半身。その最上段に置かれた青いベレー帽が突風で舞い上がり、そのまま二人の後方へと連れ去られていく。すぐに勢いは衰えて落ちていくが、その予想着地地点は――柵を越えた先の湖。


「――っ!」


 反射が雄一を突き動かした。


 素早く身体をUターンさせて柵に片足をかけ、帽子目掛けて飛び上がる。限界ギリギリまで伸ばした片手で帽子を空中キャッチ、即座に後方に投擲。


 視界の端で澄乃が受け取ったことを確認した雄一は、そのまま重力の誘いを受けて落ちていき――


「あ、英河くーーーーんっ!?」


 驚愕に染まった澄乃の声と、どっぱーんと派手な水飛沫の音が重なった。

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