第45話『お似合いの二人』
「よっと!」
威勢の良い掛け声と共に雄一が立ち上がる。その肩には小さな男の子が背負われていて、肩車状態で担ぎ上げられた男の子の視界は人垣を乗り越えて一気に広がったことだろう。
「うわぁ! 兄ちゃんたかーい!」
それを証明するかのように、雄一の頭上で男の子は嬉しそうにはしゃぎ出した。
「こらこら、あんまり暴れるなって。ちゃーんと大人しくしないと降ろしちゃうぞー?」
「えー、おろしちゃヤダよー!」
「ならお行儀良くな。ほら、これならちゃんとショーも見れるだろ?」
「うん! 兄ちゃんありがとっ!」
「どーいたしまして」
男の子からのお礼に、雄一は屈託のない笑顔を浮かべて応じた。
高身長の雄一に肩車された男の子は、今や周囲と比較しても頭一つ飛び抜けている。あれならば例え目の前に人垣があろうとも、しっかりとショーの全景を見ることができるだろう。
興奮で目を輝かせる男の子と、それを適度にたしなめながら肩車を続ける雄一。そんな二人の様子を少し離れた場所から眺めながら、澄乃は柔らかい笑みを浮かべた。
(本当に優しいなぁ、英河くんは)
――少し前、ショーを見ていたはずの雄一がいつの間にか違う方向を見ている。その視線を辿った先にいた親子を見た瞬間、澄乃は雄一が何を考えているのかすぐにピンときた。
笑ってその先を促してみると、彼は一言「悪い」と言って頭を下げて、親子の方に歩み寄っていく。そしていつも通り、ごく自然に、当たり前のように手を差し伸べた。
『あの……ショーを見に来たんですよね? もし良かったら、自分がその子を背負いましょうか?』
雄一の突然の申し出に、最初に母親は疑いの素振りを見せた。係員でもない人間が近付いてきたかと思ったら、急にそんなことを言ってきたのだ。子を守る親ならば、多少警戒しても致し方ないだろう。
けれどそれに気を悪くすることもなく、雄一は『自分で言うのも何ですけど、俺、背が高い方なんで。俺が背負えば、その子もちゃんとショーが見れるんじゃないかって思ったんです』と続けた。
ただ純粋に、他者を気遣う裏表の無い笑みを浮かべて。
それに毒気が抜かれてしまったのか、表情を緩めた母親はおずおずと雄一の申し出を受け入れた。どちらかと言うと、ショーを見れるという点に男の子が喰い付いたという方が正しいだろうけど。
男の子に請われるまま付いていった雄一は、ちょうど正面にステージの中央が来る位置でその小さな身体を背負い上げた。そのせいでせっかくセットした髪が乱れてしまうのに、気にする素振りは一切無い。そんなところまた、雄一の優しい一面だと澄乃は思う。
「すいません、わざわざ気を遣って頂いて……」
澄乃の隣、赤ちゃんを胸の辺りで抱え直した母親が申し訳なそうに頭を下げる。赤ちゃんはすやすやと寝息を立てていて、見ているだけでこちらの頬が緩んでしまうほど愛らしい。
「いえ、気にしないで下さい。私たちもショーを見に来て、それのついでみたいなものですから」
あくまで当事者ではない自分が答えるのも変な話だとは思うが、できるだけ母親に負い目を感じさせないように澄乃は答える。子育てで大変な人間に余計な負担はかけたくない。
(それにしても……何だか板についてるなぁ)
男の子を背負う雄一の背中を見て、澄乃は人知れず微笑む。
ヒーローショーでの経験が活きているのか、それなりに子供の扱いには慣れているのだろう。もし雄一が父親になったらあんな感じなのかもしれない。
……そういえば、父親自体は来ていないのだろうか?
「あの、今日はお子さんたちとだけですか? ご主人の方は……?」
疑問に思って澄乃が問い掛けると、母親は少しむくれた様子で唇を尖らせる。
「ついさっきまで一緒にいたんですけどね。どうしても外せない仕事が入ったみたいで、私たちを置いて行っちゃいました」
「あ、そうだったんですか……。残念ですね……」
「ええ、ほんと。ほったらかしにされた分、帰ってきたらうんと優しくしてもらわないと」
母親は冗談めかした声でそう口にすると、「ねー?」と言って赤ちゃんの頬を優しく
穏やかに眠る赤ちゃんを満足気に眺めた後、母親は自身のもう一人の子供を見て緩く目を細めた。
「このショーに出てくるキャラクター、あの子の大好きなものなんです」
「そうなんですか。確かに……本当に楽しそうに見てますもんね」
「ええ、今日の一番の楽しみにしてたぐらいですから。……だから貴女たちが声をかけてくれて本当に助かりました。ありがとうございます」
「お礼なら彼に言ってあげてください。私はただの付き添いですから」
謙遜して澄乃が笑うと、それにつられて母親も笑みを浮かべる。そして今一度赤ちゃんの方に視線を落としたかと思えば、その笑みに少しだけ陰が混ざり始めた。
「――この子が生まれてからというもの、あの子には我慢をさせてしまっていると思います」
突然の告白だった。けれど澄乃は口を挟むこともなく、母親の言葉にじっと耳を傾ける。
「できるだけ平等に接しようと気を付けているんですけど、どうしてもこの子にかかりきりになってしまうことも多くて……。それなのにあの子、『お兄ちゃんだから』って言って、私や主人に心配をかけまいと振舞うんです」
罪悪感が滲んだ横顔。
つまりこのショーは、そんな家族想いの男の子にとっての数少ないワガママ……ということなのだろう。
「……良い息子さんですね」
「ええ、自慢の息子です」
その言葉を聞いた後に、澄乃の胸の奥がチクリと痛んだ。
親が子を愛し、そして子もまた親を愛す。そんな当たり前の家族の形が、今の澄乃にとってはとても眩しい。
今の自分には無いもの。
自分が手放してしまったもの。
取り戻したいと思うもの。
……戻れるだろうか?
自分はまた、この家族のような関係に――。
「…………」
雄一の背中を見つめて、澄乃は改めて決意を固める。
戻れるかどうかの保証なんて無いけど、それでも精一杯やってみようと思う。
自分のために。そして何より――前を向かせてくれた
「でも、そちらもですよ?」
自分の世界に入りかけていた澄乃の意識を母親の声が呼び戻した。何故だか母親はニンマリとした笑みを浮かべていて、うまく言葉の意図を読み込めない澄乃は「え?」と声を漏らす。
「もちろん貴女もですけど……良い
――言っている意味が、最初はよく分からなかった。
けれど彼女の口にした言葉の一つ一つを順繰りに噛み砕いていき、そして最後の“お似合い”という言葉の意味を正しく理解したところで、澄乃の顔が一気に真っ赤に染め上がる。
「ちっ、違います違いますっ!? 私たち、そういう関係じゃなくて……! その、ただの友達でっ……」
「えっ、そうだったんですか!? 私てっきり、そうだとばかりに……。ごめんなさいっ、助けてもらったのに失礼な勘違いを……!」
「あ、いえ、気にしないで下さいっ。そんな失礼ってほどでもありませんから……」
見るからに恐縮して頭を下げる母親に、澄乃は慌ててぶんぶんと両手を振る。勘違いさせてしまうような状況を作ったこちらが悪いわけであって、これに関して彼女を責めることなど出来はしない。
ややあってから頭を下げた母親に苦笑すると、身体の奥から湧きあがった熱を逃がすように澄乃は大きく息を吐いた。
(でも、そっか、そうだよね……。他の人から見たら、そういう風に見えるんだよね……?)
今さらな――本当に今さらな話だが、澄乃と雄一は二人だけでテーマパークに遊びに来ているのだ。順当に考えれば、誰だって“そういう関係”を想像するに決まっている。
少なくとも澄乃自身は、そのことを嫌だとは思わない。すごく恥ずかしいけれど、嫌だという気持ちは湧いてこなかった。
なら――
(英河くんはどう思うんだろう……?)
そして何より、自分はどう思って欲しいんだろう――。
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