第2章『縮め合う距離』

第28話『席替え』

 ある日のホーム―ルーム。その内容は席替えだ。


 先日のオリエンテーションでクラスの結束を高めたところで、今度は席順を一新することで人間関係のリフレッシュを図ろう、というのが担任の弁らしい。


 内容自体はもっともらしいが、それを若干気だるけに説明している辺り、ホームルームのネタに困ったから席替えに走ったのは明白であろう。このクラスは新学期開始早々に一度席替えをしており、時期に関しては明らかに時期尚早なのだ。とはいえ生徒側としても割と心躍るイベントなので、それについて言及するものは誰一人としていない。


「席替えねえ……。雄一はどこ狙いだ?」


 担任が黒板に描いた席順に番号を振っていく傍ら、隣の雅人が楽しそうに話を振ってくる。


 雄一の所属する二年一組は四十人学級で、席は男女混合で六列。七人の列が四つと、六人の列が二つという構成だ。その中で人気となるのはやはり最後尾、ないしはそれに近い席だろう。


「そりゃもちろん、窓際最後尾だろ」


 例に漏れず雄一が狙うのは、恐らく全学生一番人気と言える左下隅の席だ。廊下側の一番前の席から席替えの番号は振られていくので、番号で言えば四十番。


 別に授業中サボり気味でもバレないような席に着きたい、というほど不真面目ではないが、やはり精神的には教卓から離れている方が気が楽だったりする。


「チッ、狙いは俺と同じか。なら俺とお前はライバルだな」


「望むところだ。恨みっこなしだぜ?」


「もちろん。ただしお前が四十番を勝ち取った暁には、口内炎が二、三個できる呪いをかけてやる」


「恨みありまくりじゃねえかよ……」


 そして地味にダメージがでかい。


 ツッコミよろしく雅人の肩を小突くと、雅人はカラカラと笑って大袈裟に肩を竦めた。と思ったら何やら雄一の方に身体を寄せてきて、先ほどより幾分か声を落として話を続けてくる。


「でもアレだよな、このクラスで一番人気の席って言ったらあそこだよな」


「あそこ?」


「あそこ。というかあの人の隣な」


 雅人が顎でしゃくる先を目で追って、雄一は「ああ」と納得するように頷いた。


 雅人の言う“あの人”とは、今日も今日とて手入れの行き届いた銀髪を揺らす絶世の美少女――澄乃である。隣席の女生徒と笑顔で会話を交わしながら口元に手を当てる様からは、上品さと親しみやすさが醸し出されて非常に魅力的だ。


 ――実のところ、近頃澄乃の人気が再燃しているらしい。


 元々その容姿と人当たりの良さで学校の人気者という位置を盤石のものにしていた彼女だが、さすがに転校当初よりは騒がれることもなくなり、また何度アプローチを受けても誰とも付き合おうとしないことから、告白の数自体も減少傾向にあった。


 しかしオリエンテーションの日を皮切りに、その人当たりの良さにさらに磨きがかかったようで、交友関係の質も以前より深いものになってきているようなのだ。結果、落ち着きつつあった澄乃の人気はまた沸き立つこととなり、彼女とより仲を深めようという人間が後を絶たない。


 ちなみに今年入学した新一年生の間でも『二年にすごい美人の先輩がいる』と噂になっているようで、下級生界隈でもその名は広まり始めているようだ。


 なるほど、この席替えを契機にそんな人物と隣席になれるかもしれないとくれば、特に異性からの熱は凄まじいものになるだろう。よくよく周りを観察してみれば、そこはかとなく浮足立っているクラスメイトも何人か見かける。


 この席替え、意外とグッドタイミングなのかもしれない。


「私は雄一か雅人の近くが良いなあ」


 くじの準備に入った担任をなんとなく眺めていると、一つ前の席に座る紗菜が、どことなく哀愁の漂う面持ちと共に振り返る。同年代と比較しても大人びた魅力のある彼女には、陰のある表情が似合うことこの上ない。


「何だ、俺たちと離れるのが寂しいのか?」


「そりゃ仲の良い友達と離れるかもしれないのは寂しいよ。それにもし近く、例えば隣同士になれたらさ……」


「なれたら?」


 続きを促す雅人の言葉に、頬を少しばかり朱色に染めた紗菜が「そしたら……」と、思わずぐっときそうな表情を浮かべて――


「君らが授業中に寝てるのをいち早く見つけて、先生に『この人寝てまーす』って告げ口しやすいじゃあないか」


 すんごい良い笑顔でそんなことを言ってのけた。


「鬼……」


「悪魔……」


 雄一と雅人の恨めしい視線を気にすることもなく、むしろ余計に笑みを深める紗菜。恐らく彼女のサトリ並みの洞察力を持ってすれば、仮に寝ているのを上手く誤魔化そうとしても看破されるだろう。


 お互いに目配せをし合った雄一と雅人は、『絶対にコイツの隣にだけはならない』と心に誓うのであった。そもそも授業中に寝るなという話ではあるが。


 そんなせめぎ合いを展開していると、いつの間にか席替えのくじ引きはスタートしている。廊下側の生徒から順繰りにくじを引いていき、全員が引き終わったら一斉に移動を開始するという流れだ。


 雄一も自分の番が来たらさっさとくじを引いて席に戻る。ちなみに雄一のくじ引きスタイルは先手必勝、一番最初に手に触れたものを引くというのをポリシーにしている。理由は特に無い。


 席に戻ったところで折りたたまれた紙片を開いてみると――番号は三十三番。窓際から数えて二列目の最後尾の席だ。


(おっしい……!)


 狙っていた四十番とはニアミスだが、場所としては悪くない。これも日頃の行いの賜物――と自分で言うのはさすがに自意識過剰な気がしたので、ささやかなガッツポーズで抑えておく。


「よーし、全員引いたな。じゃあ移動開始ー」


 未だに気だるげな担任の音頭と共に、各々私物を携えて移動を開始する。席自体の距離が比較的近かった雄一は手早く移動を終え、一足先に新たな席に腰を落ち着けた。


 周りが自分の周囲の顔ぶれに一喜一憂し始めている中、さて四十番を引き当てたラッキボーイorガールは誰なのだろうかと、未だあるじが不在の左隣の席に目を向ける。


 もし雅人だったら、口内炎が四、六個できる呪いをかけてやろう。恨んでいいのは、恨まれる覚悟のある奴だけ。そして倍返しだ。


「よろしく、英河くん」


 ――どうやら呪いをかける必要はなさそうだ。


 軽やかに銀髪を揺らした澄乃が左隣の席に腰掛ける。結果的に、雄一は男子垂涎の席を勝ち得たということらしい。これぞ無欲の勝利。やはりこの世には物欲センサーというものが存在するに違いない。


「よろしく。学年首席レベルが隣ってのは心強いなあ。授業で分からないことがあったら心置きなく質問できる」


「んー? どうしようかなあ……最初から他人の力をアテにする人に手を貸すのはなー」


「おっと、そいつは手厳しいな。ちゃんと頑張りますんで、どうしようもない時は手を貸して頂けるとありがたいです」


「ふふっ、それならいくらでも。英河くんにはお世話になりっぱなしだしね」


 柔らかく微笑む澄乃を前にすると、自然と自分の顔も綻んでくるのを感じる。


 やはり澄乃には、笑顔が良く似合う。


 これからの学校生活。そんな彼女を眺めながら過ごせることに、ちょっとした優越感を覚える雄一であった。






 ――紗菜と仲良く隣同士になった雅人が睨んでくるのは、あえて無視した。

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