第18話『ボーイズサイド』
「悪い竜宮、待たせた」
昼休み。生徒たちはこれからの戦いに備えて英気を養うため、思い思いの場所とグループで昼食を取り始めている。そんな中、先ほど取り付けられた約束に従い、雄一は委員長の竜宮の下を訪れていた。
「こちらこそ急に呼び出してすまないね。あそこのベンチにでも座ろうか」
眼鏡の似合う理知的な顔の竜宮は、少し外れたところにある横長の木製ベンチを指差す。人の輪から離れようとするあたり、あまり他人に聞かれたくない話なのだろうか?
ベンチに腰掛けたところで、雄一は持っていたビニール袋からおにぎりを取り出して包装ビニールを破く。今日は自炊してきたものでなく、コンビニで販売している既製品だ。
具の鮭の塩味を味わっていると、横の竜宮がゼリー飲料を口にしているのが目に入る。見たところ彼が昼食として用意しているのはそれだけだ。
「お前、昼それだけ? 足りるのか?」
「さすがに物足りなくはあるけど、僕はこの後の障害物競走に出るからね。あまり腹に物を入れたくないのさ」
なるほどと雄一は納得すると、ペットボトルのお茶を飲んで一息ついた。
「それで、聞きたいことってのは?」
おにぎりの一つを食べ終わったところで、雄一は話を切り出した。昼休憩が始まって時間も経ってきたためか、皆それぞれの場所に腰を落ち着けている。移動も減ってきたので、話すならそろそろ頃合いだろう。
「そのことなんだが……まあ……なんだ……」
「どうした?」
「――すまない、先に謝らせてくれ。今から君に少し不躾なことを訊いてしまう」
「お、おう」
頭を下げる竜宮。
一体全体何を訊かれるのか。雄一が少し身構える中、竜宮はおもむろに口を開いた。
「君は、その……白取くんと付き合っているのかい?」
「――――はあ?」
雄一の口から困惑の声が漏れる。質問の内容もそうだが、今まであまり関わりのなかった相手から訊かれるにしては突拍子もないことだった。
「付き合うってのは……」
「もちろん、男女交際という意味でだ。……どうだろうか?」
「……何でまたそんなことを」
「いや、重ね重ねすまない。僕もいきなり訊くのはどうかと思ったんだが……どうしても知りたいんだ。実はその……君と白取くんが先日、デートらしきものをしていたという噂を耳にしてね」
「デート? ……あー、それたぶん勘違いだぞ」
竜宮の言葉に思考の海を彷徨うこと数秒、雄一は恐らくショッピングモールでの買い出しの件が邪推されたのだろうと思い当たる。
「勘違い? 人違いということだろうか?」
「いや、俺と白取が一緒にいたのはホントだけど、それは今日のための買い出しだよ。ほら、俺たちの担当って生徒用の飲み物だったろ? ショッピングモール近くのジャンキに行ってたんだ」
「そうなのかい? 話だと女性物の服屋で仲睦まじそうにしていたということなのだが……」
「まあ途中で寄りはしたけども……。あくまで買い出しのついでってだけだ。デートとかじゃないよ」
「そう、だったのか。では君たちの間に子供がいたという話も……?」
「それ迷子の子供連れてただけだからなッ!?」
とんだ誤解もいいとこだ。
「な、なるほど! そういうことだったのか……!」
どこかホッとしたように息をつく竜宮。普段、その眼鏡の奥には同年代と比較しても鋭い眼光を宿している彼だが、今はその面影もなく眉尻も下がって随分としおらしい。
(この間の相合傘の件もそうだけど、一体誰がそんな噂を流してるんだか……)
人に見られて困るわけではないが、話に変な尾ひれがつくのはやめて欲しい。というか子供云々に関しては、確実に面白おかしく事実を歪められている。自分はまだしも澄乃に迷惑だ。
「では、君と白取くんは付き合っているわけでは――」
「ない」
「ちなみに、彼女に今そういった相手は――」
「俺が知る限りではないな。ってか、白取の難攻不落っぷりは竜宮だって知ってるだろ?」
「それはもちろん知ってるが、何事にももしもということはあるからね。それに彼女が告白を断っているのも、すでに意中の相手がいるとからいう可能性もあるだろう?」
「まあ、そりゃ確かに」
転校してからこっち、澄乃が何人もの男子に告白されているというのは学内では有名な話だ。そして、それが一つの例外も無く断られているということも。
なにせあの容姿と親しみやすさ。「ひょっとして自分は……」なんて舞い上がった相手が想いの丈をぶつけてしまうのも、実際に関わりを持った今なら雄一も理解できる。ぶっちゃけ雄一も時たま勘違いをおこしそうになる時は、あるにはある。
「うん、とりあえず訊きたいことは訊けた。時間を取らせてすまなかったね」
「気にすんな。誤解が解けたんならこっちも何よりだ」
律儀にまた頭を下げる竜宮に、雄一もひらひらと手を振って応える。
それにしても、こうして澄乃との関係を気にしてくるということは、もしや。
「なあ、竜宮ってさ、もしかして白取のこと……」
「――まあ、こちらだけ訊いてばかりというのも不公平か。君の察している通り、僕は白取くんのことが好きだ。一人の女性としてね」
「お、おお……」
つい先ほどまでのしおらしかった雰囲気が一変し、竜宮は淀みの無いきっぱりとした口調で自らの想いを口にする。その潔さは思わず雄一が唸ってしまうほどだった。
「英河くん――次の障害物競争、記録係の担当は君のクラスだね?」
「ん? ああ」
「つまり白取くんもゴール地点にいるということだ」
「そうだな」
「僕はね、そのレースで一位を獲って彼女にこの想いを伝えようと思うんだ」
「……ん?」
にわかに眉を寄せる雄一を他所に、竜宮はベンチから立ち上がると、晴れ渡る空を見上げて言葉を続ける。
「そう、僕は――この戦いが終わったら彼女に告白するんだ」
「……おー」
なぜ、よりにもよって死亡フラグっぽく言い直したのだろうか。雄一はそんなツッコミを心の奥に封じ込める。
「お前、まさか、俺たちの担当もわざと……」
雄一は委員会での話し合いを思い出す。確か各種目への記録係の割り振りは竜宮主導で決めていた記憶がある。
「いやいや、それに関しては偶然だとも」
(ぜってー嘘だコイツ……)
無駄に爽やかな笑みを浮かべる竜宮を雄一は胡乱げな目で見やる。まあ、別に他人の意見を無視した無茶な割り振りをしたわけではないから、構わないと言えば構わないのだけれど。むしろ竜宮の抜け目の無さには感心するところかもしれない。
「まあ、なんだ、頑張れよ」
目的のために一直線に頑張るという姿勢は評価すべき点だ。素直に激励の言葉を送った雄一に、竜宮は満足そうな笑みで頷いた。
「ありがとう。けれど心配は無用だ。白取くんへの想いを胸に抱いて生きる僕は――負ける気がしない……!」
そう告げる竜宮の背後には、彼の意志の強さを体現するかのような荒ぶる竜のオーラが見えた気がした。
結論、見えた気がしただけだった。
午後になって始まった、公園内のアスレチック器具を利用した障害物競争。竜宮が参加するのは最終レースだったのだが、順位はよりにもよって最下位であった。
レース序盤は上位をキープしていた竜宮だが、最後の最後で前日の雨でぬかるんでいた地面に足を取られて転んだらしい。その隙にほとんど団子状態だった他の走者に抜かれてしまい、残念な結果に終わってしまった。コースのギリギリを攻めたことによる結果だ。想いの強さが裏目に出た――というのはさすがに残酷だろう。
最後にゴールを通り過ぎた竜宮に澄乃が駆け寄る。
「あの、転んだけど大丈夫?」
「……はは、大丈夫だ。少しはしゃぎ過ぎってしまっただけだよ」
違和感が無い程度に澄乃から顔を背ける竜宮。しかし対角線にいた雄一からは、悔しさを滲ませたその表情がしっかり見えてしまった。
さすがにこの結果で澄乃に告白する気はないらしい。
雄一は足早にそこから立ち去る竜宮を追いかけ、澄乃から見えなくなったあたりでその力無い姿に近寄り頭からタオルを被せる。
「英河くん……?」
「足、捻ってるだろ? 肩貸してやるから救護の先生のとこまで行くぞ」
「……あい、かわ、くん……! ぐっ、ぬぅ、うぅぅぅ……!」
すぐ横から聞こえる嗚咽を、けれど雄一は気付かない振りをしてゆっくりとした足取りで歩を進める。
ただ一つの戦いを終えた戦士を労わるように、その背中を一度叩いた。
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