第17話『集団心理とはかくも恐ろしい』

 どうしてこうなったのか。その問いに対する元凶こたえは今から二、三時間前、オリエンテーション開会式に遡る。


 元々今回のオリエンテーション、生徒の参加意欲という点ではさして高いものではなかった。目も当てられないほどダラダラしているわけでもなければ、熱心に上位クラスを狙おうというほどの気概もない。大半の生徒の思考は、平日の授業一日分が丸々潰れてラッキーぐらいのものであった。


 だが開会式における、実行委員長を務める男子――竜宮たつみやの宣言を境に、その雰囲気は一変した。


 開会式と言っても選手宣誓をするような大それたものでなく、クラス毎に整列させた生徒たちの前で委員長が拡声器片手に諸注意や景品の内容を話すだけ。諸注意も「水分補給はこまめに」とか当たり障りのないものばかりで、生徒らは皆話半分で聞いていた。上位クラス用の景品だって、何か適当な袋菓子とかそんなもんだろうと高を括っていたわけだ。


 ところが――


「次に上位クラスに与えられる景品の内容だが。まず三位――クラス全員分の学食無料券一回分!」


 ピタリと、生徒らの動きが静止した。


「二位――三位の倍、クラス全員分の学食無料券二回分!」


 この辺りから目の色が変わった。


「そして一位ィッ!」


『…………』


 生徒らが固唾を呑んで見守る中、数百人もの視線を一身に集めた竜宮は眼鏡をクイッと直すと――


「――――フゥン」


 渾身のドヤ顔を披露した。


『ウオオオオオオオオオオオオ!』


「皆一位になりたいかァアアアーッ!」


『ウオオオオオオオオオオオオ!』


「景品が欲しいかァァアアアアーッ!」


『ウオオオオオオオオオオオオ!』


「それではこれより、春のオリエンテーション、クラス対抗スポーツ大会を始めるゥゥウウウウウッ!」


『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 どこぞの高校生のクイズ大会的なノリで、オリエンテーションは開幕したのだっだ。












 で、この現状である。


 これまでの光景を振り返って、若干痛くなった頭に雄一は手をやる。


 比較的ノリの良い体育会系の生徒が真っ先に騒ぎ立て、それが周りを伝って全員に伝播、結果的に生徒全体のテンションがうなぎ上りになったわけだ。周囲のテンションが上がれば自分のテンションも跳ね上がったりするもので、集団心理とはかくも恐ろしいものである。


 そのあたり、煽るだけ煽って一位の景品の内容をぼかした竜宮の判断も巧妙だ。二位までの時点で想像よりも豪華な景品が用意されているだけあって、一位への期待も否応なしに上がっていく。


 ちなみに一位の景品の内容は、委員会外には決して漏らさないようにとのことで発表されているので、雄一や澄乃はすでに把握している。


 肝心の内容だが、日本有数のテーマパークの一日フリーパスペアチケット×三セットである。提供元は一人の女教師で「ゴールデンウィーク中に色んなところの福引を総なめにした!」とのことらしい。凄まじい運の使いようである。


 せっかく三セットもあるのだから一セットぐらい自分で使ったら良いのにという意見は委員会で挙がったのだが、それに対する返答は「いいの、私は仕事に生きる女。あなたたち若者が使いなさい」であった。言葉の割には、チケットを差し出す時に目の奥にドス黒い光が宿っているように見えたが、さすがにそれを追求するほど委員たちは愚かではない。


 ただ皆心の底で「この人くじ運には恵まれたけど男運には恵まれなかったのかなあ……」と冷静に推測しただけだ。


 結局元々が福引の商品である以上、一位に関しては元手がタダ。さらに他にかかる予定だった諸経費も、委員たちが各々節約に励んだおかげでその分が浮き、結果的に二位三位の景品に回せる予算が多くなったわけだ。


 そういった点では生徒に配る飲料水代を安く抑えた雄一や澄乃も、この狂乱の状況を創りあげてしまった一因であると言える。あまり認めたくない話だが。


 それにしても、と雄一は考える。


 一位の景品フリーパスペアチケットだが、これはなかなかに曲者だ。確かに単純な金額で比較するならば二位三位の景品より上であるが、三セットという限りがある数なので、クラス全員が恩恵を受けれるわけではない。仮に全ての枠をクラス内で使ったとしても、最大六人。雄一の学年は基本的に一クラス四十人なので、その六人に入り込める確率はおよそ十五パーセント。計算してみると意外と狭き門だ。


 つまるところ、一位になったクラスは一位になったで、その後にまた別の戦いが始まってしまうということだ。なにせ期待値が高い分、より激しさを増すかもしれない。


 下手したら自分のクラスがそうなることに戦々恐々している雄一だが、始まってしまった以上今さら考えても仕方がない。というか実行委員は運営が忙しくて競技自体には大して参加しないので、成り行きに身を任せるしかないのだ。


 そんなことを考えながら無意識に記録係の仕事をこなしていると、気付けば最終レースの走者がゴールに滑り込んだところだった。これまでと同じように澄乃と互いの結果を照合して、それをトランシーバーで報告。相手から返事が返ってきたところで、雄一は大きく息をついた。


「これで一旦仕事は終わりか。次の俺たちの担当なんだっけか?」


「えっと……お昼の後の障害物競争かな。少しはゆっくりできそうだね」


「そりゃ良かった。開会式からこっち、なんかもう色々と暑苦しくてかなわないからな」


「あはは……まあ、景品が景品だしね。私たちは知っちゃってる分、皆よりは冷静でいられるけど」


「だな」


 顔を見合わせて頷き合ったところで、雄一と澄乃は皆のいる集合場所へ向かうことにした。


『英河くん、今いいかい?』


 その道すがら、雄一の携えるトランシーバーに反応があった。相手は委員長の竜宮だ。


「竜宮か。どうした?」


『君に聞きたいことがあってね。昼休憩の時に少し時間を貰えるだろうか?』


「俺に? 別に構わないけど……」


『助かるよ。ではまた後で』


 そこで会話は終わった。


 一体なんだろうか? 正直委員会のこと以外、あまり関りのない相手だ。


 首を捻っても特に思い当たる節はないが、まあ昼になれば分かるだろうと思って、雄一はそれきり考えるのを止めた。

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