第12話『付き合い方の理由』

「にしたって、何だって白取はそんな人付き合いをしてるんだ?」


 ショッピングモール内の休憩スペースに移ったところで、雄一は率直な疑問を口にする。


 人と仲良くしつつもどこかで一線を引くという付き合い方は、それはそれで大変なはずだ。何の理由も無しに取る行動だとは思えない。


「そればっかりは本人じゃないと分からないよ。っていうか、あくまで私はそう感じたってだけの話だし、あんまり真に受けなくていいよ」


 紗菜はそう言ってひらひらと手を振る。


 確かに全て彼女の憶測でしかない。けれどそれがただの見当違いだと言い切れない部分が雄一の中には存在していた。なぜかは自分でも分からない。


「人から一線を引く理由かあ」


 近くの自販機で買った缶コーラをあおりつつ、雅人が考え込むように虚空を見上げる。ややあって何か思い付いたのか、ピンと人差し指を立てた。


「実は周りの人間を見下してるとか」


「まっさかあ」


 雅人の唱えた理由を雄一は半笑いで否定する。言った本人もさすがにあり得ないと思っていたのか、雅人は「だよなー」とだけ返して再びコーラを口に含んだ。


 今までの澄乃との触れ合いを振り返ってみても、あれが演技だとは到底思えない。というかあの華やかな笑顔の下で実は嘲笑われていたとしたら、雄一は今後一生、女性不信に苛まれることになるだろう。


 だが笑う二人とは対照的に、紗菜だけは何か思うところがあるかのように口元に手を当てていた。


「……いや、結構良い線いってるかも」


「え、マジで言ってるのか……!?」


「うん。ただ強いて言うなら、対象は周りじゃなくて自分って感じかなあ……」


「……ん? んんん? えーっと……どういうことだ?」


 納得するように漏らした紗菜の呟きに思わず反応してしまった雄一だが、その後に続く言葉の意味は掴み切れず、困惑気味に首を捻る。


「つまり周りをじゃなくて……自分を下に見てるかもしれないってこと。自分なんて大した人間じゃないって思ってるから、どこかで人と一線を引こうとする」


「……全然分からん」


 紗菜の言っている意味がではなく、澄乃がそんなことをする理由がだ。


 容姿端麗、品行方正、学業優秀の模範的な生徒。加えて、受けた恩への感謝を忘れないとても律儀な性格。まさに非の打ち所の無い完璧に近い美少女。それが澄乃に対する雄一の評価だ。


 下どころか、周囲と比べても頭の一つや二つは容易に飛び抜けている。何度も告白されていることからも、異性にとって魅力的な存在であることは明らかだ。


 そんな人物が何をどう考えたら、自分を卑下しようなどと思うのか。雄一にはさっぱり分からない。まだ周りを見下してる方が納得できる。


「さすがに変に捉えすぎなんじゃないか?」


「んー……まあ私もそんな気はするんだけど、なんていうか、白取さんって割と謙遜することが多いんだよね」


「謙遜ね……」


 その単語を反芻したところで、雄一の脳裏に数日前の光景が思い浮かぶ。


 澄乃と一緒に帰ったあの雨の日。雄一が相合傘を切り出した時、確か澄乃はこう口にしていた。


『良いよ、私なんかのためにそこまでしなくても』


 あの時は大して気にも留めなかったが、言葉のチョイスとしては些か不自然かもしれない。


 一度そう考えてしまうと、今までの「気にしないで」だの「無理しないで」だのも、自分を卑下することから来てる言葉のように聞こえてくる。


「あ、言われてみれば、あの時も……」


 雄一が頭を唸らせていると、空になったコーラの缶を潰していた雅人が不意にその動きを止めた。


「あの時? お前、白取と何かあったのか?」


「いや、俺じゃなくて別の奴なんだけどよ……」


 少しだけ躊躇う素振りを見せた雅人だが、ややあってから「一応他人のプライベートだからここだけの話だぞ?」と前置きしてから話を切り出した。


 そんな気遣いができるのなら、相合傘の一件もそっとしておいてくれれば良かったのにと思った雄一だが、話の腰を折りそうなのでそこは堪える。


「三学期の終わりだったから……二ヶ月前ぐらいか? 上級生の人が白取さんに告白してる現場を見たんだよ」


「お前、まさか出羽亀して――」


「人聞き悪いこと言うなっ。ゴミ捨てに行ったら偶然通りかかっただけだ」


 雅人は心外だと言わんばかりに唇を尖らせる。まあそこら辺の分別はあるはずなので、実際雅人の言い分通りなのだろう。


「話を戻すぞ? 例に漏れず白取さんは告白を断ったんだけど、その時にこう言ってたんだよ――『私なんかよりもっと良い人がいるから』って」


 奇しくもその断り方は、雄一が思い出した言葉と一部が共通していた。


 私なんか――字面だけを捉えれば、それは明確に自分を卑下する発言だ。


「まあ告白を断る時の常套句って言えばそれまでだから、その時は特に気にならなかったけどさ。男の方は『そんなことない。君は素晴らしい人だ』って粘ってたけど、白取さん最後までそこだけは譲らなかったんだよなー」


「なるほど。――って、結局お前、最後まで見てんのかい」


「仕方ねえだろ。そこ通らないとゴミ捨てに行けなかったんだから」


 ぶーぶーと不平を露わにする雅人。


 それはさておき、何やら澄乃が自分を卑下しているという説が少しずつ真実味を帯びてきている。最初に紗菜がその可能性を挙げた時は「まさか」と思ったが、存外に具体例が出てきているので驚きだ。


 というか、やはり紗菜の洞察力は恐ろしい。


 畏敬の念を込めて彼女を見ていると、「そんなに見つめられると照れるよ」と微塵も赤くなってない顔で返される。演劇部の割に言葉と表情がてんで一致していない。


「とにかくだ雄一。お前はそんな風に人と一線を引く白取さんに対し、見事その一線を踏み越えたハジメテの男ってわけだ」


「変な言い方をするなコラ」


 一線を超えるだのハジメテだの、うっかり他人に聞かれでもしたら誤解を招くことこの上ない発言だ。幸い周りの反応も見るとその心配はないが、言葉の選び方には気を付けて欲しい。


「つーか、結局話はそこに戻るのかよ」


「まあな。というか単純に疑問でもある。どうしてお前だけ他のヤツよりも白取さんに近付けたのか」


「そう言われてもなあ……」


 何も澄乃は、他人との交流を一切拒否するような冷徹な人物というわけではない。問題なく交流はできるわけだし、そもそも今までの話だって裏側にそういう意図が読み取れるというだけのことであって、普通に接している分には違和感なんて感じないのだ。ぶっちゃけ全て三人の思い過ごしという可能性だって十分ある。


 確かに相合傘の件に関しては、人より一歩踏み込んだ結果になるのだろう。異性から何度も告白されている澄乃にとって、同じ男性である雄一からの相合傘の誘いは警戒するであろう案件だ。けれど雄一にとってはあくまで偶然の産物としか言えない。たまたま澄乃が傘を忘れて、たまたま自分が通りかかって、たまたまお互い帰るところだったから一緒に帰った。多少は食い下がった部分もあるかもしれないが、最終的には澄乃自身の判断に委ねたつもりだ。


 ――いや、まあ、嘘を吐いて家まで送り届けたわけでもあるのだが。


 とにもかくにもきっかけが偶然である以上、そこに意図的な要素を見出そうとしても土台無理な話だ。


「雄一はさ、どうして白取さんを助けたの?」


 先程と立場が逆転して、今度は紗菜が雄一を見つめてくる。非難するのでなく、ただ純粋に理由を問い掛ける眼差しだった。


「どうしてって……困ってたからとしか?」


「本当にそれだけ?」


「本当も何も、それ以外に理由なんてないだろ」


 もっと言うならば、困ってる人を助けるのに一々理由なんていらないというのが雄一の考えだ。


「そういうところなんじゃない、つまりは」


 ロクな返答はしていないはずなのに、何故か紗菜はニンマリと口元を弛ませていた。納得のいく答えを得たと言わんばかりの満足げな笑みだ。


「え、どういうところ?」


「利害とか損得とか、そういうのをこれっぽちも考えてないところ。雄一が白取さんを助けたのはあくまで困ってたからであって、白取さんだから助けたってわけじゃないでしょ?」


「そりゃまあ」


「今回で言えば、これにかこつけてあわよくばーなんていう下心のないところが大きな理由だったんだろうね」


「そんなの分かるのか?」


 それこそ紗菜でもあるまいに。


「女の子は意外とそういうのに敏感だよ? 特に白取さんなんてよく告白されてるんだから、余計に敏感になってると思うし」


「うーん、そういうもんなのかねえ……」


「それに雄一はお祭りの時も助けてあげたんでしょ? それも大きなアドバンテージ。何にしても信頼されてるってことだよ。良かったじゃないか」


 ポンポンと称賛するように肩を叩かれるが、雄一にしてみれば自覚のないことなので素直に喜べない。まあ澄乃のような人間から信頼されるのは悪い気はしない。むしろ嬉しいぐらいだ。


「雄一の人柄が理由ってわけか。ヒーローさまさまだな」


 雅人も雅人で納得したのか、うんうんと大きく頷いている。とりあえずこれ以上追求されないのなら一安心だ。


「――っと、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」


 スマホを覗き込む雅人の言う通り、時刻はぼちぼち19時を回ろうとしていた。そろそろ夕飯時。一人暮らしの雄一はともかく、実家暮らしの雅人と紗菜はそろそろ帰宅した方がいいだろう。


 三人はショッピングモールを後にして、そのまま最寄りの駅へ。電車通学の雅人と紗菜に別れを告げると、雄一は一人帰路に就いた。


 澄乃から信頼されている――その事実にむず痒さを覚えつつも、一度冷静になって、俯瞰的にこれからの付き合い方を考えてみる。


 クラスメイトである以上、一年の時と比べて交流する機会は増えるだろうし、また何か困ったことがあるのなら手を貸すつもりだ。

 けれど。


(俺、あんまり白取には近付かない方が良い気がするんだよなあ……)


 雄一がそう考えるのは、澄乃が口にしたある言葉が理由だ。


『……ヒーローとかね、そういうのがちょっと……苦手なんだ』


 何故かは分からない。それでも何かしらの事情がある以上、ヒーロー物を趣味としている自分は必要以上に近付かない方が良いだろう。


 アクションを起こすのは澄乃の方から来た時だけ。それが自分と澄乃の適切な距離感。


 雄一はそう結論付けると、闇に染まる空を見上げる。


 どこか頼りない三日月が、そこには浮かんでいた。










「じゃあ厳正なくじ引きの結果、次のオリエンテーション、ウチのクラスからの実行委員は英河と白取に決まりだな。はい皆拍手―」


 翌日のホームルーム。クラス担任の音頭と共に起こる拍手の中、雄一の頬はピクピクと痙攣を起こしていた。


 あまりにも早いフラグ回収である。

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