第9話『嘘も方便(前編)』

 私立小山高等学校。それが雄一達の通う高校の名称であり、その名の通り校舎は小高い丘の上に建てられている。


 校門からは緩やかながらも地味に長い坂が伸びていて、生徒は登下校の度にちょっとしたハイキングを強制されることで有名だ。今の時期は美しい桜並木が広がっているのだが、雨のせいでその魅力は半減している。


 その下り坂を雄一と澄乃の二人は一つの傘を分け合って歩いていた。


 二人の間にはそれなりの身長差があるので、普通に歩いたら歩幅が合わず、雄一が先行する形になってしまうだろう。その点には留意しつつ、澄乃をできるだけ濡らさないようにと雄一は傘を持つ右手を握り直した。


「ホントにごめんね? わざわざ傘に入れてもらって」


「気にすんな。俺も帰るところだったし、ちょうど良かったってだけの話だよ」


「……優しいんだね、英河くんは」


 口元に手を当てて、「ふふ」と柔らかに微笑む澄乃。そんな笑顔を間近で見れただけで、傘に入れたメリットは十分にあるというものだ。


「あ、先に言っておくけど、一緒に帰れるとこまでで大丈夫だからね」


「そうか? 別に俺は用事もないし、白取の家まで送っていっても――」


「ダメです。そこまでお世話になれません」


 澄乃が小さくバツマークを作った。数日前の祭りの時もそうだったが、譲らないと決めた一線に関しては頑として譲りたくないらしい。


「はいはい、分かりました。それで白取はどっち方面だ? 駅の方?」


 校門から続いた長い下り坂も終わり、雄一と澄乃は大通りに辿り着く。二人から向かって左側――駅へと続く方向を指差して雄一は隣の少女に問い掛けた。


「ううん、駅とは逆方向だから右。英河くんは?」


「……奇遇だな、俺も右だ」


「そう? なら良かった」


 右に進路を向けて歩き出す。少し歩いたところで横に目をやると建築業者のトラックが停まっていて、作業員が資材を運び出していた。恐らくあれがコンビニの改装を請け負っている業者だろう。店舗自体は少し横道に入ったところにあるので、トラックは大通りに停めざる得なかったのか。


「雨なのに大変だな」と心中で同情しつつ、雄一は歩道側を澄乃に譲って歩を進める。


 しとしとと降り続ける雨。


 水滴が地面に落ちて跳ねる音をBGМ代わりに、二人はゆっくりとしたリズムで歩き続ける。


 時折思い出したように世間話を交わすが、それも大して長くは続かない。


 今さらながらに異性との相合傘に緊張している自分に気付いた雄一は、少し手汗が滲んだ右手を握り直す。自分から提案しとおいてなんてザマだ。


 もう少しウィットに富んだ話題でも振れればいいのだけれど、残念ながら雄一の趣味はヒーロー物がほとんど。女子高生が興味を持てそうな話題なんてそれこそ専門外だ。


 何か話のネタになりそうなものはないかと周囲に視線を巡らせていると、上目遣いでこちらを見上げてくる澄乃と目が合った。なにか申し訳なさそうな、そんな表情を彼女は浮かべている。


「あの、ね……この間はごめんね?」


「え、何が?」


 突然の謝罪だった。


 この間というのが祭りの日を指すことはすぐに分かったが、謝られることなど微塵も心当たりは無い。


「ほら、ヒーローショー。せっかく誘ってくれたのに途中で帰っちゃったんだけど……気付いてたかな?」


「ああ、そのことか。舞台の裏からでも、ある程度は客席見えてたからな。元々時間と興味があればってだけの話だったし、何か用事でもあったんだろ?」


「…………」


 澄乃が目を伏せる。艶やかな銀髪に隠れ、その瞳の奥の感情を窺い知ることはできない。


 一時の逡巡の後、顔を上げた澄乃は静かに口を開いた。


「ううん、用事があったわけじゃないの。ただ……」


「――ただ?」


「……ヒーローとかね、そういうのがちょっと……苦手なんだ」


 途切れ途切れの、けれどはっきりとした言葉で澄乃はそう告げた。


 一つの告白が終わると澄乃はまた顔を伏せ、無言で雄一の隣を歩き続ける。しかし表情は見えなくとも、雰囲気というか立ち振る舞いというか、そういったものから彼女の気まずさは伝わってきた。


 当然だ。なにせ雄一の趣味――言うならば好きなものであるヒーローというものに対して、澄乃は真っ向から難色を示したのだから。


 そういえばヒーローショーへ誘った時も、澄乃はどこか難しそうな表情を浮かべていた。あれも要は、苦手意識から来る反応だったということか。


 申し訳なさそうに告白したのは、他人の好きなものを少なからず否定してしまうことへの後ろめたさがあるからなのだろう。


(苦手、か……)


 澄乃が口にした言葉を、雄一は頭の中で反芻する。


 嫌悪とまではいかないものの、その言葉にはどうしても拒絶の意味が含まれる。


 雄一にとって信条の一つでもあるものへの拒絶――本来だったら気分の一つでも悪くなるところだろうけど、雄一の胸中にあるのは澄乃への反感でなく、むしろ称賛にも似た感情だった。


 だって普通なら、他人の好きなものを面と向かって拒絶するなんてそうそうできない。


 これが気心の知れた間柄、例えば友達とかなら話は別だろうけど、雄一と澄乃が声を交わしたのは数日前が初めて。まだ友達と言えるほどの関係は築けていないと思うし、クラスメイトなだけの、言ってしまえば赤の他人に近い。


 そんな相手の機嫌を損ないかねない発言なんて、まず口にするのを避けるはずだ。


 けれど澄乃は口にした。


 嘘も方便なんてことわざがあるように、それこそ「用事があった」とか適当な嘘でお茶を濁していいものを、それを良しとせず、自分の胸の内を正直に吐露した。


 とても律儀な、悪く言えば不器用なその姿が、雄一の目には好ましく映った。


 だから反感なんて覚えるわけがないし、むしろ澄乃の気まずそうな態度を見てると、逆に申し訳なさを感じるぐらいだ。


 雄一はゆっくりと口を開く。


「だったら……俺の方こそごめんな」


「え?」


「いやだって、知らなかったとは言え、苦手なもんを無理やり見せることになったわけだろ? そこに関しては謝るべきだと思ってさ」


 元々の人当たりの良さか、それともナンパから助けられたことで無下に断れなかったのか。どちらにしても、澄乃に苦手なものを強制してしまったことに変わりはない。


 その点は自分が一言詫びを入れるべき点だろうと雄一は思う。


 雄一からの詫びに面を喰らった澄乃は、先日と同じようにぶんぶんと手を横に振り始めた。癖になっているのだろうか。


「だ、大丈夫だよ! 別に謝ってもらうほどのことじゃないし……! それに苦手って言っても、視界に入れるのも嫌だーなんてことはないから!」


「気にしないで、嫌なら嫌ではっきり言ってもらっていいぞ? 気を遣ってもらえるのはありがたいけど……」


「いや別に気を遣ってるわけでもないから! あの、なんていうか……私も私でいつまでも苦手のままでいないで、克服しなきゃって考えてるところもあって……そ、そう、リハビリ! リハビリとしてちょうどいいかなーって思って見に行ったの!」


「そうなのか? なら良かったけど……」


「うん、そう、良かったの。良かったから、だから気にしないで。むしろ気にされると私の方がそれを気にしちゃって……あー、待って、自分でも何言ってるか分かんなくなってきたかも……!」


「白取、どうどう」


「私、馬じゃないよ!?」


 慌てている割には的確なツッコミだった。


 とにもかくにも雄一含めて、一旦落ち着いた方が良いのは明白だ。先日に引き続き今日も「気にしないで」合戦を繰り広げそうになっている。このままではお互い気を遣い合って堂々巡り。無限ループは怖い。


「分かった。何にしても終わった話なわけだから、俺はもう気にしない。だから白取も気にしない。それでいいか?」


「う、うん、それで大丈夫です」


 ようやく落ち着きを取り戻したのか、胸に手を当ててはふぅと息を吐く澄乃。それから少し頬を紅潮させて雄一を見上げる。


「あの、取り乱してすいませんでした……」


「別に気に――」


「しなくていいは禁止。でしょ?」


「……そうでした」


 意趣返しのつもりなのか、澄乃の顔には少し挑発的な笑みが浮かんでいた。微妙にやり返したい気持ちになるけれど、自分が以前口にした台詞で釘を刺されてはぐうの音も出ない。素直に白旗を上げることにしよう。


「それで、苦手の克服には役に立ったのか?」


「うん……少しは。まあ途中で帰っちゃったわけなんだけどね……」


「そっか」


「…………あ、でも」


 何かを思い出した澄乃が声を上げた。


 今までと違う声音が気になった雄一は顔ごとそちらを向くと、またもや頬を朱に染めた澄乃と目が合う。


「――カッコ良かったと思うよ、英河くんのヒーロー姿」


 ――それは控え目に言っても、最上級の微笑みだった。


 自分の口にしたことが照れ臭くて紅潮した頬。それと同じ理由で少しだけ伏し目がちになって、だから余計に強調されてしまう上目遣いの瞳。やんわりとU字の弧を描く桜色に色付いた唇。あらゆる要素が澄乃の魅力を何倍にも引き上げ、息を呑むぐらいの美しさがそこにはあった。


 ちょっとした所作すら絵になるとは思っていたが、今回に関しては、今までと比べ物にならないほどの桁違いの魅力に満ちている。


 言葉を発することも、呼吸をすることも、生理反応の全てを根こそぎ奪い去ってしまうような微笑み。


 それを前にした雄一が想像よりも早く再起動できたのは、一重に澄乃がしている盛大な“勘違い”による影響が大きかったのだろう。


「ごめん、あれ……俺じゃない」


「――え?」


「あのヒーロー……俺じゃないんだよ」


「え、え……? で、でもスーツ、アクター……だっけ? 着ぐるみの中の人やってるって話じゃ……」


「それは合ってるんだけど、ヒーローじゃなくて敵の怪人役なんだよ、俺」


「怪人」


「そう。えーっと、途中まで見てたんなら分かると思うんだけど……覚えてないか? 最初の方に登場した、こう、魚みたいなヤツ」


「最初の方の……魚みたいな……? …………あっ、あの、倒された時になんかすごいピチピチしてた……!」


「そうそう。そのピチピチ」


「あのピチピチ……」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………カ、カワイカッタトオモウヨ」


「目を逸らすな目を」


 せっかくの最上級の笑みは消えてしまった。


 非常にもったいない。

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