第8話『雨降って』

 昼休みも過ぎ去り、往々にして眠気との戦いを余儀なくされる五限、六限目の授業も終わりを迎え、放課後。雅人はテニス部(恐らく見学)、紗菜は演劇部とそれぞれの活動に精を出している頃合いだろう。


 雄一にとってはある意味『特撮連』が部活のようなものなので、高校ではあくまで帰宅部という立ち位置だ。先日の祭りでのヒーローショーも大成功に終わり、『特撮連』の活動も一段落ついたところなので、しばらくはゆっくりとした日々を過ごすことになる。


 帰宅部である以上、授業が終わったらさっさと帰るのが当たり前なのだが、日直の仕事や急遽頼まれたプリント整理などをこなしている間に、上空には灰色の空模様が広がっていた。単純に日が落ちてきたのもあるが、それ以上に雨雲が多い。


 やがてポツポツと雫が落ちてくると、そう時間もかからない内に雨は本降りになった。


「あー、降ってきちゃったか……」


 自分以外誰もいない教室で帰り支度を整えていた雄一は、窓を伝って流れ落ちていく水滴を見ながら呟いた。


 朝に見た天気予報では降るか降らないかは半々。あらかじめ洗濯物は部屋干しにしてあるので問題ないが、どうせなら降る前に帰りたかったという気持ちがある。


 まあ色々と手伝いを頼まれてしまったし、自分も進んで請け負ったところがあるので、これは取るに足らない些細な後悔だ。


 学生鞄と空のタッパーを入れた小さな手提げ、それから雨を見越して用意してあった傘を携えると雄一は教室を後にした。


 階段を下りて昇降口に向かい、上履きからローファーに履き替える。そして降りしきる雨の中に進み出ようと傘に手をかけたところで、意外な人物の背中を見つけた。


「白取?」


 思わずその名を口にした雄一の視線の先には、制服に身を包んだ可憐な少女が佇んでいた。


「あれ、英河くん? 今帰り?」


 雄一の呼びかけに反応して澄乃が振り返る。動きに合わせてさらりと流れる銀髪は、日頃から手入れが行き届いていることが見て取れる。


「ああ。白取は何でいるんだ? 今日欠席のはずだったろ」


「うん、ちょっと用事があってね。でも今日中に先生に提出しなきゃならないプリントがあったのを思い出して、用事が終わった後に登校したの」


「じゃあ白取も今から帰りか?」


「そのつもりだったんだけどね……」


 苦笑を浮かべながら澄乃が上空に目を向ける。雄一もつられて目を向けると、そこにはすっかりと灰色に支配された光景が広がっていた。


「朝はバタバタしてて、天気予報見てなかったんだよね」


 再び視線を戻すと、澄乃は緩くため息を吐いていた。憂いを帯びたその横顔は思わず目を奪われるほど綺麗で、ちょっとした不幸すら澄乃の魅力を増す要因にしかなり得ないと感じてしまう。


 それはともかく、落胆した様子をジロジロ見るのも失礼というものだろう。


 若干の名残惜しさを感じつつ、未練を断ち切るように前を向いた雄一は手にしていた傘をバサッと広げた。

 そして、ごく自然に頭に浮かんだ選択を口にする。


「良かったら入るか?」


「――――へ?」


 澄乃が呆けた返事をする。


 そんなことを言われるとは微塵を思っていなかったのか、呼び掛けられても最初は反応すらせず、ややあってから自分に向けられた言葉であることに気付いたようだ。


 鳩が豆鉄砲を喰らったという表現がぴったりとハマるような澄乃の顔に吹き出しそうになったものの、そこはなんとか平静を保って言葉を続ける。


「傘忘れたんだろ? お互い帰るとこなんだし、白取さえ良ければ送ってくぞ」


「え……でも……良いよ、私なんかのためにそこまでしなくても。この前も助けてもらったばかりだし。雨が止むまで図書室にでもいるから」


「そうは言うけどな。もし天気予報通りなら日付変わるまでずっと降ってるぞ」


「え、そうなの……? あー……じゃ、じゃあ坂を下りてちょっとのところにあるコンビニで傘買うから――」


「あそこ今日から改装工事らしいぞ」


「えぇー……」


 目に見えて困惑する澄乃。なんだかこちらが逃げ道を塞いで追い詰めているみたいだが、こればかりは現実をありのままに伝えているだけなので勘弁してもらいたい。


「あー」とか「うー」とか小さな唸り声を上げる澄乃を眺めつつ、まあいきなり相合傘を提案するのはやり過ぎだったかと、雄一も今さらながらに自分の下した判断を省みた。


 とはいえ、雄一の自宅は学校から歩いて三十分かかるかどうかの距離。澄乃に傘だけ渡して自分は走って帰る、というのはさすがにリスキーな行為だ。一人暮らしで風邪を引くというのは地味に辛い。


 かといって、ここで澄乃を見捨てるという選択もないわけで。


 さてどうしたもんかと雄一が考えていると、内なる葛藤にけりをつけたらしい澄乃がおずおずと手を挙げていた。


「あの、この前もお世話になった手前、大変申し訳ないんですが……」


「はあ」


 何もそんな畏まらんでも、というツッコミはぐっと堪える。


「……入れてもらってもよろしいでしょうか?」


「よろしいも何も、最初からそのつもりだよ」


 提案したのは俺だしなと付け加えて、雄一は掲げた傘をズラして人一人が入り込めるスペースを作る。遠慮がちに近付いてくる澄乃に苦笑しつつ、彼女の体がしっかりと傘の下に収まったことを確認してから、ゆっくりと雨の中に踏み出した。

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