第7話『良い人止まり』

 昼休みを告げるチャイムが鳴ると、スタートダッシュが大事と言わんばかりに駆け出した雄一は雅人太鼓判の運動神経を活かしてパン争奪戦に身を投じた。


 幸いなことに雄一のクラスは比較的購買に近いところに位置している。教師の病欠もあって授業終了と同時に教室を飛び出せたことも功を奏し、思ったよりも楽に雅人指定の品物を購入することができた。


 悠々と雅人の下に凱旋した雄一は戦利品とお釣りを渡し、紗菜も加えた三人で昼食を摂ることとなった。


「でもまあ、私としても雅人はもう少し自分の体を労わった方がいいと思うけど。どんなスポーツにしても、土台になる下半身は大事だからね」


 雄一が席を外している間に怪我の話題でもしていたのか、紗菜がほんのりと呆れた様子で窘める。言いながら上履きの片足を脱いだ紗菜は、その足先で雅人の脛辺りをちょいちょいと小突いていた。一部の界隈では『踏まれたい』と騒がれるほどの美脚らしい。


「へーへー分かりました。これに懲りて少しは控えまーす」


「素直でよろしい。もう少し落ち着きを持てるようになれば、人気ランキングでも一位になれると思うよ」


「ランキング? 何だそれ?」


 紗菜の口にした気になる単語に、雅人は眉をひそめて雄一を見る。生憎と雄一もそのランキングとやらに心当たりはないので、首を振って紗菜の方に視線を送った。


「一年の頃に女子の間でちょっとだけ流行ったヤツだよ。『もし付き合うなら誰が良いか』ランキングで、なんと雅人はトップ3」


「マジか。悪いな雄一、俺はお前よりも先の世界にいくぜ」


「何で謝るんだよ。別に嫉妬なんかしないわ」


 雄一の自己評価として自らの外見をそこまで悪いとは思っていないが、雅人のような十人中十人がイケメンと評するレベルと比べると見劣りするだろう。


 実際、男の雄一の目から見ても雅人は好青年だ。人気が出るのも頷けるし、友人としてもむしろ誇らしい。こうも如実な差があると、比べることすら馬鹿らしいと思えてくるほどだ。


 まあ、悔しさが全くないと言えば嘘にはなるが。


 そんな雄一の感情の機微を察したのか、紗菜が絶妙に生暖かい目で雄一の肩に手を置く。


「まあまあそう落ち込まないで。雄一だって別部門でランクインしてるんだよ?」


「え、マジ? 何部門?」


「『良い人なんだけどね』部門」


「…………うっわー複雑―」


 一瞬期待した自分が馬鹿だった。


 横で笑いを堪えている雅人を軽く小突いて、雄一は手製のおにぎりの最後の一欠片を口に放り込んだ。塩味が少しきつく感じるのは調味料の分量ミスであり、決して悔し涙どうこうではないと思いたい。


「ちなみに寄せられたコメントは――」


「ヒーローが好きなんて子供っぽい、とかだろ?」


「おや、自覚はおありで」


「そりゃまあな」


 雄一は自身の趣味を触れ回りはしないが、特にひた隠しにしているわけでもない。友人関係にある人間なら大体知っているので、赤の他人であっても多少は耳に入る情報だろう。


「好きなもん曲げてまでモテたいとは思わないよ」


 ことさらモテたい欲があるわけでもないし、『特撮連』での活動も楽しい。概ね現在の日常に満足しているので、とりあえずはこれを維持していければそれで良い。


「雄一はそういうところ淡泊だよね。素材は良いんだし、もう少し髪型とかに気を遣えば結構モテると思うけど」


 紗菜の細い指先が雄一の髪を一房摘まみ上げる。せいぜい寝癖直し程度しかしていない黒髪はやや長めで、雄一の瞳は隠れがちだ。


「朝は家事で色々と忙しいし、あんまりセットとかする時間取れないな。あと中学の頃に一回試してアホみたいに失敗した」


「ああ、そういえば一人暮らしなんだっけ? お昼も自分で作ってるみたいだし大変だね」


「言うほどのもんでもないけどな」


 雄一の昼飯はやや大きめのおにぎり二つに、冷凍食品やカット野菜を詰め込んだタッパーという構成だ。弁当というには少し貧相だが、見てくれに気を配らなければ案外簡単に用意できる。それでも毎日というわけじゃないし、半分ぐらいの割合で学食や購買を利用している。


 一応十分な生活費を親から仕送りされているが、出来る範囲で節約するに越したことはないだろう。


「素材云々の話をするなら、俺は雄一の“声”を推すぞ」


「あ、それ私も同感」


「声?」


 雄一の買ってきた品々を平らげた雅人が人差し指を立ち上げると、紗菜もそれにのって軽く挙手をする。


 推されても自覚のない雄一としては頭上に?マークが浮かぶだけだ。


「性格が落ち着いてるのもあるんだろうけど、雄一の声ってちょっと低めなんだよね。渋いとまでは言わないけど、良い声してると思うよ」


「分かる。それこそ……あー、特撮連……だっけ? あっちの活動でもスーツアクターだけじゃなくて、声優とかやってみればいいんじゃね?」


「――――やらない」


「え、なんで? いい線いけるだろ」


「髪型と同じだ。一回試して…………あとは聞くな」


 雄一の脳裏に浮かぶ過去の光景。『特撮連』でのヒーローショーの練習の合間、世間話程度のフリで台本の台詞を試しに演じてみたことがあるのだが……自分でもびっくりするほどの棒読みだった。演技経験がないからとかそういうレベルの話でなく、まさに聞くに堪えない演技だったなと他人事のように記憶している。正確には、他人事にでもしなければあまりの羞恥で自分が耐えられない。


 いっそ笑ってくれれば開き直れたかもしれない。けれど『特撮連』のメンバーは悉く気の良い人達で、あまりの惨状を経験した後でも健気に雄一を励ましてくれた。


『最初は誰だってそんなもん』、『むしろ伸びしろしかないってことだ』、『これも一つの才能』、『感情が無い系の敵キャラにぴったり』等々。


 優しさが時として人を傷付けると、あの日ほど身に沁みたことはない。


 再熱した黒歴史に雄一が悶えている中、なんとなーく大体の裏事情を察した雅人と紗菜は素知らぬ顔で飲み物を口にしていた。


 そう、人というものは時として放っておいてもらいたい時があるのだ。

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