第2話『ヒーローのお仕事』

「白取、お待たせ」


 相手の表情がはっきりと認識できる距離まで近付いたことろで、雄一はまず澄乃にだけ声をかけた。


 横合いから急に声をかけられたせいか、澄乃は弾かれたようにこちらに顔を向ける。


 驚きも相まって、大きく見開かれた二重の瞳が雄一の姿を映す。


「あ、えっと、あい……ざわ……くん?」


 違う。惜しいけど違う。“ざ”ではなく“か”だ。


 思わずツッコミたくなったものの、ここはクラスメイト歴一ヵ月程度の自分を覚えていてくれただけ良しとしよう。


 ここで全く知らない人扱いされたらさすがに悲しくなるし、意気込んで出した助け船が早くも暗礁に乗り上げかねない。


「待たせて悪い。この量だからさすがに時間かかってな」


 どすんと、わざと大きな音を立てて段ボール箱を下ろす。澄乃とナンパ二人組を隔てるような位置にさり気なく置くのが重要だ。


「き、気にしないで。私も待ってる間は、あの、色々と見て回ってたし……」


 雄一の意図を察してか、澄乃は若干つっかえながらも話を合わせてくる。


 さすが優等生。頭の回転の早さに、雄一は内心で舌を巻いた。


「そっか、なら良かった。――っと、この子自分の連れなんですけど……なんかありました?」


 ここでもう一芝居。ナンパ二人組に向けて、さも今初めて気付きましたと言わんばかりに雄一は首を傾げる。


 あからさまに割って入るより、こうした方が波風立たないだろうという判断だ。


 その判断は間違ってなかったようで、急に降って湧いた雄一(じゃまもの)に対して、ナンパ二人組は怒りよりも困惑の表情を浮かべていた。


「いや、俺たちは……」


「ほーら、やっぱりが連れがいるって言っただろ」


「な……お前だって途中から乗り気だったくせに……!」


「うっせ、お前があんまり言うもんだから、しかたなく付き合ってやっただけだ。さっさと行くぞ」


「あ、おい! ちょっと待てって……!」


 蓋を開けてみればなんともあっけないことで、二人組の片割れが足早に立ち去ってしまうと、もう一方もそれに連られて雄一達の前からいなくなってしまった。


 相手が年上なこともあってそれなりに身構えていたのだが、随分と拍子抜けな結果だ。


『…………』


 なんとなく微妙な間が、雄一と澄乃の間に流れる。


「あー、その、白取が困ってそうだから手を貸したつもりだったんだけど、余計だったかなー……?」


「え、いや……そんなことない、そんなことないっ」


 沈黙に耐え切れず自嘲気味な笑みを浮かべた雄一の発言に、澄乃はぶんぶんと勢い良く手を振る。そのあまりの慌てぶりが無性に可愛らしくて、雄一は思わず緩みそうになる頬をぐっと引き締めた。


 澄乃の外見はどちらかというと美人寄りだが、ちょっとした所作からは年相応の可愛らしさを滲ませている。綺麗と可愛さの両立を体現しているとこを見せられると、改めて澄乃の美少女っぷりが際立つというものだ。


「本当に助かったから……ありがとう、アイザワくん」


 一難去って安心したのか、ふんわりと落ち着きのある笑みを浮かべる澄乃。名前通り澄んだ藍色の瞳は、身長差も相まって上目遣いで雄一に向けられる。


 本日の澄乃の服装は全体的に清楚にコーディネートされていた。


 フリルがあしらわれた白のノースリーブブラウスに、瞳の色と似通った青のコルセットスカート。きゅっと引き締まった腰のくびれと、その上に位置する確かな存在感を持った膨らみが強調される形になって、無意識に視線が吸い寄せられそうになるから油断できない。


 加えて、膝上のスカートの裾からは黒ストッキングに包まれた両足が伸びており、惚れ惚れするほどの流麗なラインを描いていた。


 頭にちょこんと乗るのは、リボンの付いた小さめのベレー帽。それがまた良いアクセントになり、澄乃の纏う雰囲気をより一層華やかに彩る。


 華奢な肩から下げたトートバッグ然り、小物一つとっても彼女のセンスの良さが垣間見えた。


 まさに完全調和。このまま時が止まってしまえばいいと思えるほど完璧なバランスが出来上がっている。それを崩すのは非常に口惜しいのだが……雄一としてはさすがに一つ、訂正しておきたいことがある。


「アイカワな」


「え?」


「俺の苗字。アイザワじゃなくてアイカワ。英語の“英”にさんずいの“河”で、英河」


「――――…………」


 動きが固まること、数秒。その間に脳内のクラスメイト名簿を引っ張り出して照合でもしたのか、ややあってから再起動した澄乃は、普段落ち着きのある彼女からは想像できないほどに狼狽え始めた。


「え、あ……そっか、ざわじゃなくて、かわ……!? あ、あの、その……ご、ごめんなさいっ!」


 真っ赤になったり真っ青になったり、意外にころころと変わる澄乃の表情が可笑しくて、先ほど引き締めたはずの雄一の頬がまたもや弛緩しそうになる。


「別に気にしてないさ。クラスメイトになったのも今年からだし、ぶっちゃけほとんど接点無かったからな」


 澄乃のフォローのつもりもあるが、これに関しては雄一の嘘偽りの無い本音だ。


 学年問わず人気のある彼女と違って、こちらはたいして目立たない人種。一ヵ月程度で覚えられるとは思わないし、雄一だってクラスメイト全員は把握し切れていない。


 しかし生真面目な澄乃はそれを許せないらしく、なおも申し訳なさそうに頭を垂れていた。


「本当にごめんっ。わざわざ助けてくれたのに、私、すごく失礼で……」


「いや、だから気にしてないって。白取のことだって、俺の方が勝手に知ってただけだし」


 ここまでぺこぺこされると、なんだか逆にこちらが申し訳なくなってくる。


 いっそこの場面だけ切り取られたら、雄一が澄乃をいじめてるんじゃないかと思われそうだ。


「とにかく、助かったならそれで満足だ。俺はもう行くから、白取も気を付けてな」


 パンと手を叩いて澄乃の謝罪を半ば強引に終わらせると、地面に置いた段ボール箱を抱え直そうと、雄一は腰を屈める。


「……ずいぶんと大荷物なんだね」


「ん? ああ、買い出しとか色々と頼まれてるからな」


 横合いから興味深そうに覗き込んでくる澄乃。両手を膝に置いているせいで、ブラウスの中の豊かな膨らみが寄せられて大変よろしくない光景が雄一の顔の横に広がる。


 ヒーローとして意地でも視線を合わせないように努める雄一だが、ふとその動きを遮るように、澄乃の手が段ボール箱に添えられた。


「白取?」


「半分持つよ。助けてくれたお礼」


「気にしなくていいぞ。手を貸したのは俺が勝手にやったことだし」


「それなら私だって勝手にやる。助けてもらったのに、それで『はいさよなら』じゃさすがに納得できないから」


 じっと雄一を見てくる瞳の奥には、こればかりは譲らないという鉄の意思が見て取れる。


 見た目に反して、なかなか頑固なようだ。


「――分かった。なら半分頼む」


「うんっ」


 雄一は澄乃の申し出を受け入れ、二つの段ボール箱の内の片方を彼女に差し出す。


 小声で「よしっ」と可愛らしい気合を入れた澄乃が、意気揚々と段ボール箱を抱え上げると――


「……ふっ、う、うぅん……!」


 ――雄一の目の前に、生まれ立ての小鹿が誕生した。


 頬を赤く染め、両手足ははっきり分かるほどぷるぷると震えている。漏れる声が若干艶めかしく聞こえるのは、雄一の気のせいだろうか。


 決して持ち運べない重量ではないだろうし、お礼をしたいという澄乃の律儀な気持ちを尊重したいとも思うが、さすがにここまでの悲壮感を出されるのは勘弁だった。


 あと目的地まで割とまだ距離があるため、澄乃の耐久力が保つかも心配だった。


「オーケー白取ストップ、こっちのビニール袋を頼む」


「……本当にごめんなさい」


 萎縮しながらビニール袋を受け取る澄乃に対し、「なんかさっきから謝ってばかりだな」と零した雄一は、とうとう堪え切れずに吹き出してしまう。


 不服そうな澄乃からほんのりと睨まれはするが、羞恥で紅潮した頬と涙目のせいで微塵も迫力は無く、むしろ微笑ましいぐらいだった。

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