第20話 身の衣を脱ぎ捨てたなら
「公介さん! こ~すけさ~ん!! ちょっと、こうすけさ~ん!」
汗びっしょりで飛び起きて、身なり一つ整えず、俺は階段を駆け下りた。
京の町屋の階段と言えば、一段がやたらと狭い上に急こう配。
最後の10段はすべりおちた気がする。
狭い廊下を駆け抜けて、のれんをあげて、キッチンへ飛び込んだ。
「爆弾が落ちてきたかと思っただろうが! 新、何事だ!? な~に、わちゃわちゃしてやがるんだ?」
いつものエプロン姿の公介がフライパンを手にしながら俺の方を振り返った。
「貴一さんはどこにいるの!? どうしよう! 公介さん!」
夢の中の話は起きたら徐々に記憶が薄れてしまうのは自覚していた。
だから、記憶が鮮やかな内にせめて公介にだけは何としてでも伝えなければと思って、大変なことになったと口を開こうとしたら、そこには当然のように泰介や美蘭、真規がいて俺は思わず息を飲んだ。夢の中の静は貴一と公介以外には話すなとくぎを刺していたことを思い出したからだ。
急に押し黙った俺に公介が小首を傾げている。
公介が出来上がった厚焼き玉子のサンドイッチを皿に盛りつけ、カウンターの向こうへと差し出した。それにつられて視線を動かすと、受け取ったのは静音だった。
彼女のくりくりした大きな目がこちらへ向き、俺はあっと声がもれて、あわてて口を掌で覆い隠した。
俺の挙動不審具合に全員の目が一斉にこちらへ向くのがわかった。
俺は馬鹿だ。どうしたら良いのかわからない。
思わずうつむいて、両手の拳を固く握りしめる。考えろ、この空気を何とかしなくちゃならないのに、静音の顔を見たら時生の訃報をどうして伝えたら良いのかがわからなくなり、感情がぐちゃぐちゃになる。
「貴一なら、ほれ、そこにいるぞ?」
公介が俺の肩に手を置いて、顎でカフェの奥を指した。
ソファーで横になっていたらしい貴一がゆるりと身体を起こして、背もたれ越しに顔をのぞかせた。
「新、僕はもう少し寝ていたかったんだけれど? そんなに僕に逢いたかったわけ?」
背もたれに顎をのせて、だらりと両手をぶらさげたままの貴一がじっと俺を見ている。そうか、この人であれば気づいてくれるかもしれない。
「俺、闘えるようになったよ。 早く! 見て欲しいんだ……」
脈絡もなく何をと笑った貴一だったが、すぐにしっかりと身体を起こして、わずかに目をすがめた。眼の中の光が数秒前とは明らかに違う。だから、俺は確実に伝わったと思った。
にこやかな表情を崩さない貴一だが、指先でこいこいと俺を呼びつけた。
やっぱりわかってくれている。そう思うと足取りが軽くなる。
ソファーへ近づくとぐいっと首に腕を回されて、貴一に綺麗なヘッドロックを決められ、ギブアップと声をあげながら、俺は急いで聞いて欲しいとつぶやいた。
人と場を選ぶネタかというようにちらりと貴一の目がこちらを見た気がして、俺は何度も大きく頷いた。
「公介さん、うちの子ネコ君の修行の成果をみせてよ。 ちょっと付き合って」
貴一が公介を名指ししてくれたことに俺はきっとあからさまにホッとした表情をしていた気がする。
「お前ら二人で行けよ。 俺がいかにゃならんのか!?」
公介はまだ気が付いていないようで、小首を傾げたままだ。
他のメンバーは食事中で、はてどうしたものかというような顔のままだ。
「皆は食べててよ。 ほら、師匠なんだから、付き合う!」
貴一は俺に緩くヘッドロックしたまま立ち上がって、公介に行くよと声をかけて奥の廊下へ向かって歩き出した。
「静音、それ食べ終わったらさ、僕の水出し珈琲つくって待ってて。 それから、また出て行く予定だから支度を!」
静音が卵サンドをほおばりながら、貴一のお願いに片腕をあげた。貴一はいつもどおりのやりとりの中に静音を近づけないためのやりとりを挟み込んだ。うまいと俺は思わずうなりそうになり、唇をぐっと噛んでこらえた。
公介は俺はまだ食ってないのになぁと暢気な声をあげてぶつぶつとこぼしているが、エプロンをはずす音が背後で聞こえた。
「毎日付き合ってやってんのは俺だぞ!? まだまだピヨピヨのお前を貴一に見てもらってどうしたいんだ? 貴一、あんま期待すんなよ? まだ毛が生えた程度なんだからな! 絶対、俺に苦情申し立てしてくるなよ?」
ぶつぶつとぼやきながら公介がキッチンの後始末をしている音がして、作りかけの料理を泰介や美蘭にやっといてと指示をだしている声も聞こえた。
公介がさらりと他のメンバーをその場に足止めしたのがその時ようやくわかった。
「貴一、どこでやる?」
公介の問いに貴一は桜だと返す。
やばい、あれをされると俺が身構えた瞬間、足元を支えていた地面がなくなった。
フリーフォールばりに垂直落下して、数秒後に荒波の上に置かれたかのような感覚がして、完全に船酔いだ。
まだ慣れないのかと貴一に笑われ、ぽいっと放り投げられた空間は桜だなんて真っ赤な嘘だと思った。
あまりの気持ち悪さに耐えられず、四つん這いになった次の瞬間、俺は息を飲むしかなかった。
「何だここ。 綺麗すぎる」
溢れ出る深緑の木々に囲まれた湖が目の前にある。
水草が少なく、水も非常に透き通っており、波風一つ立たない穏やかな湖面は揺るぎ一つない。きっと、大空があれば、その空の青さまでもこの湖面は綺麗に映し出すことだろう。
風景としてこれ以上のものが他にあるのであろうかというほどに美しい。水面を覗き込むと、あまりの透明度に引きずり込まれるような錯覚を起こしてしまう。
船酔いばりに気分が悪かったのに、一瞬で消し去られた感じがするほどの衝撃。
「ここは静音に言わせたら知床の一湖に勝るらしいよ。 空がないのが惜しいけれどね。 新、根の泉にようこそ」
根の泉。
黄泉の深淵にある最も神聖な場だとしか知識のない俺は呆然と口を開けるしかできない。
最も神聖な場という言葉では語ることができない。
これほどすさまじい神氣の集約と幾筋もの立ち上っていく光のヴェールはまるで魂の再生を支えているような感覚が来る。
邪なものは何一つなく、むしろ、清廉すぎて怖いのだ。
身体はかなり正直なようで、寒いわけではないのに奥歯まで音がなるほど身体の震えを止めることができない。
ここは理をはずれた魂であったなら秒で喰われてもおかしくない場所だ。
だからこそ安全で、絶対の不可侵領域であることもわかっているのに、その安心感こそが恐怖だと本能が警鐘をならしてくる。
冷や汗がこめかみから頬を伝い、顎を伝い落ちてくる。
ついで、絶対不可侵の領域にいるはずの自分の首を無残にかき切られるようなイメージが襲い掛かってくる。
清廉な氣しかない場所が血に染まる場所になるという強烈な恐怖感と息苦しさが押し寄せて来る。
呼吸をしなさいと貴一がそっと俺の肩を抱くように腕を回してくれると、おかしな程に体の震えが止まっていく。
「新、ここは僕のテリトリーだから何も心配はいらない。 君を狙う奴らは誰一人ここへはたどり着けない。 思い出してごらん。 君は何不自由なく、ちゃんとここで息ができる。 神の氣の満ちた場所は君にとって怖い場所じゃなかったはずだ」
貴一の言葉に俺はえっと顔をあげると、彼がにこりと笑んだ。
柔らかな草の上に座るように促され、ゆるゆると腰を下ろした。
ゆっくりゆっくりと息を吸って、吐いてを繰り返して、俺は胸のあたりを握り締めた。
「落ち着いたかい? で、そろそろ、何があったか、聴いても?」
貴一がすぐ近くにあった小さな岩の上にすわりながらこちらをみた。
公介は俺のすぐそばで胡坐をかいて、じっと俺の言葉を待っていてくれている。
「夢を見たんだ。 でも、夢じゃない。 本当のことなんだと思う。 信じてくれる?」
二人はわかったから話してみろというように俺を見た。
だから、俺は一つ息を吐いてから静と夢で逢ったことを話した。
「太陽のキングが囚われていると?」
公介が眉間に皺を寄せて、唸り声をあげて、何か考え込んでいる。
貴一は何も言葉を発さずに俺の言葉の続きを待っていてくれている。
静が囚われている状況はスムーズに話すことができたが、俺は本当に伝えなければならない内容がなかなか言葉に出せない。
貴一がそんな俺の様子を見るに見かねて、ようやく口を開いた。
「僕と公介さんだけを選択した理由があったはず。 それをそろそろ聴いても?」
俺はぎゅっと唇をかみしめた。
両手の拳を握り締めすぎて、爪の先がくいこんでくるのがわかる。
「時生さんのことかな? 捕縛でもされた?」
貴一の声がほんの少しだけ低くなったように感じて、俺ははっと顔を上げた。
捕縛で済んでいるのなら俺はこうも迷わない。
「新のその様子じゃ、危機的状況、いや、最悪の報告と捉えるべきか。 訃報だというの?」
常に柔らかな表情をしている貴一がいつになく厳しい顔つきになった。
俺はそれに静かにうんとうなずいた。
公介がまいったと空を仰ぐように顔をあげた。瞼を閉じた瞬間、大粒の涙が零れ落ちて、彼の横顔を濡らした。
「遺体はどこにある?」
貴一の問いに、俺は静のそばにあると告げた。
「これが罠でなく、静さんが殺ってもいないという証拠はあるの?」
貴一のこぼした言葉があまりに予想外のもので、絶対にないと俺は立ち上がった。
静はそんなことはしないと貴一にむかって大声をあげて、俺ははっとした。
静は敵側に居て、敵のボスでもあって、時生を排除する理由があって、俺をだます理由もある。
静を疑う思考をイチミリももっていなかった。
悔しいけれど、貴一の方が正しいと俺はようやく気が付いて、すぐにごめんなさいと謝った。
「意地悪なことを言ってわるかったよ。 新、君を信じるよ。 それに時生さんは静さんを信じていたのは知っていたし、だからこそ、君や真規君を預ることにしたんだしね。 この訃報を聞かせる相手から静音をはずした理由は時生さんの遺言かな?」
貴一は困ったように眉根を寄せた。
時生さんならやりかねないから余計に信じるよと苦笑いした。
「静音さんにはどこかで生きていると思っていてもらった方が良いって。 でも、しーちゃんは静音さんがお別れを言えないままに荼毘にふせたくはないって」
「時生さんが死んだことを公にもできない、秘密裏に荼毘にふすこともできない、遺体をこちらへ届ける手段もないから、君のしーちゃんは僕と公介さんだけ知らせろと言ったんだろう?」
貴一が深いため息をもらし、目を伏せた。
公介がふうっと息を吐いて、泰介や一心、志貴という宗像の核とする人間が外された理由を俺に問うてきたが、俺はそこまではわからないとしか答えられなかった。
「泰介さんや父さん、母さんが外されている理由は明確だよ。 時生さんの意志だ。 時生さんがただで殺られるとは思い難い。 彼らを今ははずしておくことで、この先に何かあるんだろう。 それにしても……」
言葉をつまらせた貴一が再び口を開く瞬間、公介と声が重なった。
二人ともが同時に『痛いな』とつぶやいたのだ。
宗像における『知』の領域、つまり、諜報と戦略担当は時生が主導しており、現トップである一心ですら把握できていないことが多数あるのだと二人はうなった。
時生を失うとなると次に頼るべきは泰介だそうだが、彼と時生はほぼ互角であったにせよ、思考の選択方法が大きく異なっており、時生の方が柔軟で、穏健派だともこぼした。
「宗像がやられると踏んだら、泰介は相手の一番嫌な所をつく。 己がどれだけ嫌われようと憎まれようと平気だ」
公介が苦々しい表情で言葉を吐き捨てた。
一番嫌な所をつくという表現が何を指すのかは俺もすぐにわかった。
高階静を消しかねないということだろう。
貴一がさもありなんというように軽く頷き、そういう人だとは思うと同意した。
「ここでワイルドカードを切るという手はなるべく控えておきたいんだけどなぁ」
貴一がため息まじりにぼやき、公介がそれだけはやめとけと苦笑いだ。
ワイルドカードとはどういう意味かと聞こうとしたが、貴一が知らなくて良いんだというようにウィンクしてきたので、俺はぐっとこらえた。
「敵は妖魔、悪鬼、死霊なんでもござれだろう? ちらっと見聞したけれど、人数も桁違い。 まるで一国の軍隊だよ。 こちらが冥府を強制買収したとしても雀の涙ほどにもならない。 それが同等に勝負せよっていうんだから、何かを期待しちゃうよねぇ」
貴一が唇を指でなでながら、またゆっくりと瞼を閉じる。
無音の世界が続く。
俺はどうしたらよいのかわからないから、策ひとつ浮かばない自分が悔しくて、涙があふれてきた。
俺には難しいことはわからない。
ただ、静を助けだしたい。
どれだけ悲しくても時生と静音を逢わせてあげたい。
でも、大切な貴一や公介を危険に晒したくもない。
それなのに、俺は何もできない。
泣いている暇などないはずなのに、何をしているんだ。
俺が俺であったのなら良かったのにと思い、俺は首を傾げた。
俺が俺であったならとはどういう思考だ。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
言葉が零れ落ちた。
これは制御不能だ。自分の意志では言葉を止められない。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
俺はたぶん悲しいんだ。
大切な人達を護れない、慈しむことをはぎ取られ、尊き最期を見送ることすら許されないから、魂が悲鳴を上げている。
大切にしたいし、大切にされたい。
傷つきたくないし、傷つけたくない。
生きてるし、息をしているし、鼓動していることすら罪なのかと大声で叫びたい。
そのままの命でここに居たい。
俺は俺にしかなりえないのに、別の何かであろうとしたことが間違いだ。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
急に息が苦しくなり、喉元をかきむしる。
直後に胸のあたりに何か熱をもった硬質のものがあることに気が付いた。
皮膚の直下にあるような違和感。爪の先で皮膚を傷つけ、薄皮一枚下にあるそれをつかみだすように手を胸に差し込んだ。おかしいほどに痛くない。むしろ、すっきりしたような安堵感。
傷口からは血がにじみでていたが、やはり痛みはいくら待っても訪れなかった。
拳一つ分の大きさの真珠色の美しい玉は俺に泣いてはいけないよと言ってくれているみたいだ。
俺はその玉にひとつだけうなずいて、これを身に宿すべき人の場所へと告げるとふっと姿を消した。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
この身体は借り物で、俺のじゃない。
絶体絶命のその時に、俺を救おうとしてくれた手が『今しばらく耐えろ』と死に至る過程にあった魂の抜け落ちた肉体に俺の核を押し込んだ。
そのことをようやく自覚した。
骨と肉の間がぶよぶよして気持ち悪い。指先を動かそうとすると肉が骨からすべりおちていくような感覚がする。
この借り物の肉体と俺の核が切り離されてしまったのだろう。この肉体はそのものの死に等しく朽ちるしかない。
だから、俺の身体を返せと心が悲鳴をあげている。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
誰かが俺の身体を抱きかかえてくれている。
あれ、俺はどうしたんだろう。
貴一の声も公介の声も聴こえない。
彼らが必死に俺をつなぎとめようとしてくれているのに、俺は形を保てない。
『天祖神、恵霊玉』
『産士神、依身玉』
『父母神、笑愛玉』
まるで俺はスライムのように溶けてしまったようで、その場にはいつくばり、彼らをぼんやりと見上げている。
貴一の右眼がやたらと紅く見える。
紅い月のようだと思った。
液体のように融けてしまった俺へとすっと伸びてきた貴一の指が糸をつむぐようにして何かを編んでいる。
あたたかいなと思うと糸が俺の身体の輪郭を形作ってくれている。
俺のは黒と白銀がまざりあった変な髪色なんだ。
俺の瞳は翠玉の猫目入りだから、とても貴重で綺麗な宝玉にも勝るものだと言われたこともある。
それに、左肩には鳳凰の紋、右肩には麒麟の紋があるのはかなり珍しいそうだ。
俺の専用の長羽織は黒一色で、裾には鳳凰と麒麟が楽し気に遊ぶ模様が金と銀の糸で刺繍されているんだ。
静が綺麗な柄だって褒めてくれたことがある。
褒めてくれたのは静だったはず。
白の布で作られた膝下まである長い靴も白の袴も汚れが目立つから黒にでもしてもらえって言われたのに、俺は決められた色だから変えられないと言われて白をはくしかなかった。
額飾りは祀りの時だけで、とっても大切な物だから壊してはいけないよとあれほど言われていたのに、逃げる途中で壊されてしまった。
「天祖神、恵霊玉。 産士神、依身玉。 父母神、笑愛玉。 吾がこの魂の名をもって護ると誓約する! ゆえに、形をとどめることを赦し給え!」
ふいに貴一の声が鼓膜を揺さぶった。
五感がはっきりして、足の裏に地面を感じた。
いつも感じていた体の違和感がない。
ゆっくりと拳を握り締めてみて、そっとまた開いてみる。
「何てこった……」
対面にいる公介が呆然とした顔で俺を眺めている。
貴一はその場に四つん這いになっており、肩で息をするほどに疲弊していた。
呼吸を必死に整えて、ゆっくりと俺の姿を見上げた貴一の表情にわかりやすいほどの動揺が浮かんでいる。
「どういう……ことだ?」
今度はその場に尻もちをついたままで、貴一が頭を抱えている。
公介がゆっくりと俺へと近づき、物珍しそうに、その指先で俺の頬を撫でた。
「新、お前、今のその姿に違和感ないか?」
「違和感はないよ。 俺はすっきりしてる。 何かおかしい? でも、たぶん、これが本当の俺なのだと思う」
「遠慮なく、はっきり言うぞ? 新、お前の容姿は宗像志貴と瓜二つだ。 違いは性別と背丈くらいのもんだ」
「俺が宗像志貴と同じ!?」
俺が声を裏返らせてる様子に、冷静さを取り戻した様子の貴一が声を上げて笑い出した。そして、時生さんは知っていたんだなと貴一がつぶやいて、公介がそれに追従するようになるほどねとぼやいた。
「俺は志貴さんの顔も一心さんの顔も知らない……」
それこそが時生さんが知っていたと言う証拠だよと貴一が言った。
「いっそ、新がここで本体を取り戻すことも、時生さんが狙いすましたそのタイミングだったんだろうなとさえ思えてくる。 それだけじゃない。 こちらがワイルドカードを2枚持っているってことの意味をいやというほど理解できた」
貴一が唇を指でなぞりながら、思考に沈んだ。
公介がその岩の横に胡坐をかいて、どうするかねとつぶやきながら髪をかきむしっている。
「ねぇ、公介さん! 俺、何かできるんだろうか?」
公介がにこりと笑んで、こいこいと手招きしてくれた。
俺は公介のそばにまで歩いていき、その横に座った。
「新、お前はとんでもなく強いはずなんだ。 だけどな、それは諸刃だ。 力は必ず両方向に働く。 強いと弱いは紙一重なんだ。 闘えば、お前は相手を葬れるが、同時にお前もある意味で葬られる。 だから、お前は闘うな。 ひたすらに赦せ。 赦しまくるんだ。 破壊や滅殺は誰かに託せ、お前は浄化と赦しのためだけに攻撃をする。 意味がわかるか?」
公介の声はとてつもなく穏やかで心地が良い。
俺はうん、うんと頷き続ける。
「大きすぎる力は我が身を滅ぼしかねないほどの痛みを伴う。 勿論、意味があってその大きな力はその人間のところへ来たんだけど、それに苦しんできた人間を俺はよく知ってんだ。 でもな、そいつは赦しって攻撃は実は一番強いんだって闘い方をする。 だから、すべてが味方をする。 お前もそれをやれと俺は言いたい」
公介の大きな手が俺の頭の上にのせられた。
弓を教えておいてよかったよと公介は笑った。
「新、その姿をまだ公式としてさらすわけにはいかないから、僕が術で制御する。 これを知っているのはアントンポレルにいるメンバーだけにする。 良いね?」
貴一がゆっくりとこちらを見て、にっこりと笑ってくれた。
紅の月にも思えた貴一の右目はもういつものような猫目のアンバーだ。
制御なんかできるのかという公介の問いに、貴一はたぶんできると思うとつぶやいた。
「新、隠すことではないから話すけれど、天の神々が悪戯に与える天眼を僕は持ってしまっている。 天眼はある意味で万能の象徴だ。 中でも月讀様と絆が深いから僕のは天月眼と呼ばれてる代物で、わりと嫌みなまでに色々なことができてしまう」
天眼は万能の象徴のはずなのに、貴一は自嘲気味に笑い、どこかさびしそうだ。
「コレをもっている人間は限られていて、いつだって突拍子もないことを無意識にするのが特徴だ。 僕も僕自身ですら知らない自分を思い知らされることもしばしばだ。 さっき、君の元の姿を生成した時もそんなことが自分にできるなんて自覚していなかったのに、この通りの結果だ」
貴一はふうと息を吐くと、俺を安心させようとおだやかな笑みを浮かべてくれた。
「僕が何を言いたいのか、かわかる? 新、誰かの夢と己の夢をつないで制御できる能力者なんてどこを探してもいない。 つまり、君のしーちゃんもおそらく同様の目を持っているんじゃないかって僕は推測している。 これを互いに利用しあえたなら、誰かさんの筋書きを想定外の形に変えてしまうことができてしまうんじゃないかって思う。 でも、選定者のグルーピングを大きく変えてしまうだろうから、この先の流れにどう影響するかはわからない。 それでもやってみる?」
貴一の言葉に俺はすぐには答えられなかった。
「しーちゃんを信じてるんだろう?」
貴一が面白そうに、どこか意地悪な笑みを浮かべた。
俺は大きく頷いた。
「信じてる」
なら問題ないと貴一が岩の上にひょいと飛び上がって、宗像は負けず嫌いなんだとにやりと笑んだ。
「雪崩ってね、最初はささいなひびからはじまるんだ。 それがいつしか山全体を飲み込むほどになる。 だから、そのひびをいれてみようって話だ。 これから先、僕は新をただ護るつもりはないし、ただ闘わせるつもりもない。 でも、確実に僕が切るワイルドカードとして勘定しているから、よろしく頼むよ」
貴一はそう言って、ほんの少しだけ先を歩いて行った。
俺と公介はその後をただゆっくりとついて歩いていくだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます