第19話 夢でしか逢えなくとも

『惜しむ別れなどないだろう?』


 惜しむ別れがないと言いやがるのか。

 相手は丸腰しだった。

 相手の誇りも何もかもを無視して、その胸を一突きして、奴はすぐに首を斬りつけた。

 不意打ちに浴びた血潮は生温かいままで、ぬるりとした感触をもって俺の頬を伝い、首を伝い落ちていく。

 自分よりわずかに前に立っている男の刃にはべったりと血糊がついている。

 俺の前に立っているこの男の目をそらせるか、事を煙に巻けるかとばかり注力していた思考回路が木っ端微塵に破壊された。

 この男の前にどうして出てきた。あれほど、何が起ころうとも退がっていてくれと、堪えてくれと伝えたはずなのに、どうしてこうなった。

 一人を護りきるためだけに動いてきた過去が俺をあざ笑う。

 ダメだ、思考がついていかない。

 息を吸って、吐き出す。これだけをひたすらに繰り返すしかできない。


『片が付いたな。 これで互いに五分と五分だ。 最速で最短、お前の望んだ最小限と言うやつだ』


 男の言葉がそのまま突き刺さってくる。何一つ間違いではない。

 それでも歪なのだ。

 己の感情があまりに歪で、醜悪すぎて、涙一つでない。

 自分が手をかけようとかけまいと、対象が排除された。

 その対象が見知った顔をしていたとしても、恨み言一つ吐かずに果てたとしても、最大の脅威を除くために来たのだから、結果は求めたものそのものだ。

 太陽も月も互いに同じ土俵で命をやり取りをしている以上、気を許した方が負けなのだ。

 幾度も繰り返されてきた型通りの蛮行なのだから、この場に姿を現せばどうなるかなど子供にでもわかる。

 これから先も彼女のような人がこうして刃に倒れていくのだろう。

 恐ろしいほどの透明度を誇る湖の浅瀬に倒れこんだ身体からひっきりなしに流れ出ていく血液はまるで天女のヴェールのように広がっていく。 

 漆黒の長い髪が水面にゆったりとひろがっていく。閉じられたままの瞼は美しいはちみつ色の瞳を隠している。死の間際にあふれだした血が唇を紅く紅く染めたままだ。ほんの少しだけ眉根を寄せたような苦痛の欠片を残した表情のままで彼女は絶命していた。

 対岸から彼女のむごたらしい死を知った同胞達の嘆きの声が方々からあがり、殺気があたりを埋め尽くすまでに時間はかからなかった。それでも、彼女の同胞達は戦端を開けない。

 強者を屠ることでイーブンになった闘いは協定通りの停戦となるからだ。

 彼らが先に奪った。だから、こちらも奪った。そのことを理解しているのだろう。

 命を奪われるべきは彼女じゃなかったはずだという嘆きの声に俺は唇をかんだ。

 彼らの敵である俺自身も同感だからだ。

 花は散るし、美しい物は終わるものだと頭上から降ってくる声に俺はのろのろと顔をあげた。そうか、俺はその場に膝を折っていたのか。


『お前はコレを屠る気はなかったようだが、こうなった以上、致し方なしだ。 いっそ、このまま朽ちて腐り落ちる前に喰ってしまうか?』


 異常だ。

 喰えるはずがない。

 抵抗ひとつせずに、無条件で己を差し出した者を豚や牛の肉のように喰うというのか。


『穢れをしらぬ血肉、最上級という奴だろう? 奴らも卑しくも吾らの最も美しい者を喰ったというのだから、おかしな話ではないはずだ。 まさか、コレがのこのこと出てくるとは思わなんだ。 知っていたのなら、辱め、喰うでも良かったかもしれんがな』


 愛しい命を奪われ、その血肉を捕食されたという悲劇を覚えている者達は報復に次ぐ報復を続ける。

 勝っても負けてもこの地獄は続くだけ。


『これほどまでに美しいとは予想外であったが、死せば、いかなる美姫でも興味も失せるというものだな』


 これ以上の辱めを彼女に与えるわけにはいかない。無理くりにでも冷静さを引きずり寄せるしかない。ゆっくりと立ち上がり、俺の前に居た男の肩をつかみ後方へさげた。


「よせ。 同じにはならん。 死肉など喰う価値などないといっそ火を放つ。 味方の送り火でなく、敵であるこの俺の炎でもって跡形もなく燃え尽きたその後で、奴らには灰すらも与えない。 これほどの屈辱はないだろう?」


 俺にできることはこれしかなかった。

 批難轟轟の声を抑えきるために、俺は死せる彼女の身体に鞭打つ。

 彼女の長い髪をつかみ、湖からひきずりあげて、腹部に足を乗せた。


「一戦も交えずにまるで自害のような死に様ではこちらの気がおさまらない」


 報復の証を立てるため、俺が左胸へと深々と剣を刺した。

 味方からの歓声が癪に障ったが、目を閉じて、一つだけ息を吐いた。

 喰われるよりはマシだろうと心の中で彼女に問うてみるが当然その返事はない。

 ごめんなという言葉が口からこぼれ落ちそうになる手前で、ごまかすように蒼白い炎でそのまま彼女の身体を包み込む。

 一瞬で焼き切れば憤懣たる味方の心を鎮めることはできない。だから、むごたらしく時間をかける他ない。

 焼くのなら一瞬でしてくれと懇願するような声に、俺だってそうしたいと言ってやりたかったが、それでは彼女が死んでまで止めようとした今が容易く壊れてしまうんだと声の主達を睨み返した。

 お前達が彼女を矢面に立たせさえしなければこんなことにはならなかったのだと心の内があふれ出てしまいそうだ。

 炎は蒼白くゆらいで、立ち上る白煙は肉を焼く臭いをはらんでいる。美しかった皮膚が焼け落ち、目を覆いたくなるほどに肉がそぎおち、骨が露呈する。

 悪鬼や死霊、死獣の姿など見慣れているが、さすがにこれはこたえた。

 臓腑が悲鳴をあげて、不快な嘔気があがってくるのをこらえる。

 奥歯にひびが入るほどにかみしめて、唸り声を押し殺す。

 だが、最後まで目をそらさなかった。

 全てを燃やし尽くした結末は木々が燃え落ちるのと似ていると思った。

 柔らかな風が吹けば飛んで行ってしまいそうな小骨を含む死灰だけが残るのだ。

 俺は自分の羽織を脱いでその上へ、彼女だった物を手でかき集めた。


「狩りは終わりだ。 死灰を手に戻るぞ」


 死灰があれば彼らは彼女を再生させようとするかもしれない。

 この魂の灰さえあれば彼女は不死鳥のように蘇る。四聖の一である鳳凰を従えることができた彼女ならばと月の奴らは信じている。

 だからこそ、俺が持ち帰り、奴らには渡さない。

 こちらの手で彼女を再生されるかもしれないという恐怖は心理的にも十分すぎる報復となる。

 

「第10の天盤での勝敗はついた。 約束通り、停戦だ」


 羽織で包んだ灰を抱えている腕が震えていることなど誰も気が付くまい。

 陽の光のようで美しいと彼女に賛辞されたこの長い髪は赤く染まったままだ。

 ふき取ろうとしてくれた仲間の手を俺は無意識にはらっていた。

 この血をとりのぞいてしまったら、彼女の残した物が何もなくなると苛立った。

 すぐに心に乱れなどないと鉄面皮ですべてを覆い隠して、難攻不落の最上級である敵の絶対強者を葬った悪魔の役割を果たす。

 お前ごときが触れるなと静かに言い放ち、敵にも味方にも恐怖を植え付ければそれで済む。

 一人残らず遠ざけて、俺はしばらくの間、天を仰ぎ見た。

 天盤の支配などに何の意味があるのだろう。

 勝っても負けても、いつだって結末は不毛で、この苦しみの先にはまた新たな火種がくすぶるだけ。

 これまで生きてみて、自分が清廉潔白であるなどとは思ったことは一度もない。

 味方と言えど、ひとえに仲良しこよしとはいくわけもなく、胸糞悪い連中もいる。

 正義も悪もないほどに何もかもが灰色だ。

 勧善懲悪であるのなら、この曖昧で、得も言われぬほどの心地悪さは残らない。

 境界線はどこにあるのだ。どこで敵と味方に分かれる。

 

「君が世界に不要と言われるのなら、俺も不要だ」


 だから、この壊れた天盤争いが終わる日まで俺も戻らない。

 君の灰も俺の灰も、誰の手にも渡らせない。

 

「俺はこの機に乗じて君を連れ出したかったのに、結局、俺と君が争う体面は崩せず、君は敗れる道を選んで、俺に骨皮となるその死せる姿を見せつけて、さっさと闇へと去った。 何を望んでいたのか、何度考えてみてもわからない。 でも、いつか、二人で同じ側に立って、世界とやらを眺めてみたのなら、君の望んだものが少しはわかるのだろうか」


 羽織を広げると死灰の中には小さな骨がいくつもころがっていた。

 己の手のひらを真一文字に剣で切りつけ、したたり落ちる血を灰へとかける。

 君はこんなにも小さくなってしまったのだなとその一つを拾い上げ、骨片を口にした。

「誓うよ、次は必ず」

 護るからなんて安い言葉はもう言えそうにない。次はいつくるかもわからない。何年、いや、そんな生易しいものではないだろう。


「と ほ か み え み た め」


 俺達は元は同じであり、別の種類の生物でも何でもないのだから、俺と君の血と灰で天盤争いの選定者をも超える存在を生み出すことができるはずだ。

 10と11の天盤は表裏一体のようなものだから、俺と君が新たな理の礎ともなれるはずだ。

 この二つの天盤から抗いをはじめよう。

 これが俺の最初で最後の抗いとなるだろう。


「ひふみ よいむなや こともちろらね

 しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか

 うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」


 森羅万象は、天の偉大な恵みによって生をうけたもの。

 すべては日の神、月の神の慈しみによって生かされている。

 日の神、月の神は老・病・死の恐怖を退け、悪が憑りつくことから護る。

 穀物は豊かに実り、海の魚は豊富に獲得でき、生命を養う。

 日々を生き、飢え渇くことはない。

 朝に起きて働き、子孫は繁栄する。

 熱心に日の神、月の神の出現を祈れ。


 これが神霊を慰め、諸々の災いを幸にかえるという天の言葉の意味だ。

 天が祈れと言うのだから、祈ってやる。

 

「この祈りの言葉に目覚めし神霊達よ、絆を抱く御魂となれ。 成せる者達を護り、導け」 

 

 日にも月にも同等にこの魂を抱く者が生まれ落ち、その彼らが蟻の一穴となれば良い。

 願いの代償が必要だと言うのならば、この身を、魂を根こそぎ捧げよう。

 彼女の死灰へと伸ばした指が透き通っているのがわかり、苦笑いだ。

 望むところだ、すべからくくれてやる。

 だけれど、どうか、彼女だけは安らかで、穏やかで、美しい花のもとへ。

 温かくて柔らかい風が死灰を巻き上げていく。

 天はしっかりとみていてくれたか。

 ならば、俺はまだ、天へと感謝しよう。

 もう触れることはかなわないけれど、君は梅が好きだから、枯れ木に花を咲かせることができる灰となることができれば、君は梅の花を咲かせるのだろう。

 俺は桜が好きだから、きっと桜の大樹の下で眠らせてもらえる。

 俺も君もきっとそのままの命でもう一度逢える。


「お前の望み通りにはせん」


 どんと背に何かがぶつかり、遅れて痛みが走る。

 もうすぐ消えゆくこの身体はまだ生身の部分があったのかと俺は苦笑いだ。

 この男はよくよく嫉妬深い。

 天がこの身体を召す前に、俺を食み、彼女との糸をからめとろうとでもいうのか。

 だが、それをするには真実もう遅く、奴の願いは何一つかなわない。 

 俺は自然に口元がほころんできたのが自分でもよくわかった。 


「俺に魂を喰われるというのに何がおかしい?」

「おかしいさ。 お前、紛い物でも俺になれて良かったな」


 男は刃で俺の胸をさらに深く突き刺してきたが、もう痛みはこない。

 肉体の大半はもうすでにこの世の側にない。

 奴が手を伸ばしたのは俺の左眼。力任せに眼球をえぐり取られても笑えるほどに痛みは感じなかった。


「愚かだな、何をしても、お前は紛い物にしかなれん」


 そもそも天眼は奪い取れる物ではない。

 所有者以外が抉りだして、手にしたところでそれはただの肉片となるだけで意味をなさない。  

 

「天の定めた明かされていない禁忌について一つだけ教えてやるよ。 天眼の者に手をかけた者はな、その咎で終わりのない無間地獄を生きることになるんだ。 無間地獄の種類は個性的でな、その咎人がもっとも苦しむ方法でやってくるそうだ。 これで俺は手を汚すことなく、お前への復讐が完了したというわけだ。 彼女と違って、俺はずっと昔からお前が大嫌いだったんだ。 都合良く、復讐されに来てくれてありがとうよ」


 天眼の者が自害できない理由はこの禁忌があるからだ。この禁忌は己の身にも降りかかってくるからこそ、己の命の是非を己で判じることができない。

 天眼を持っていた彼女を葬ったあいつも、今、ここにいるこいつも赦されないまま、死を切望するほどに追い詰められた無間地獄を生きることになるのだ。

 

「次、お前に逢った時が楽しみだ。 紛い物が本物に勝てるか、見物だ」


 最大級の嫌みをこめた煽り文句を吐き捨ててやる。

 姿形、声色、能力なんぞいくらでもくれてやる。

 それでも、俺は俺しかいないから、紛い物は本物には永遠に勝てはしない。


「それに、俺は天盤すべてをひっくり返す奴らを必ずお前にぶつけてやるよ」


 天よ、あなた方の意志を真っ当に受け継げる王が立ち、すべての天盤の意味を明らかにする日のために生命樹を準備してくれ。そして、そこへ正厄を遣わしてくれ。

 あいつは己を責め続けているが、それは間違いだ。正厄が己を赦せるようにあるべき場所へ返してやってくれ。正厄に咎などない。正厄なら、きっと導ける。

 きっとまだまだ長い闘いは続くけれど、その先にすべてをひっくり返せる連中が現れたのなら、正厄、お前が彼らにすべてを与えてやってくれ。


「雪崩を起こせ」


 


 洞窟内の空間は大気で満たされているから、内部は外部と較べると夏は涼しく、冬は暖かい。また地中であることも含め、かなり湿度が高い。

 髪を結い上げる紐すらないから、髪がしっけをはらんで肌にくっつき心地悪いことこの上ない。

 この地下洞窟は水平方向に伸びている横穴だけでなく、井戸状に開口している縦穴などもあり、とかく迷路状態だ。しかも、かなり奥まっていることもあり陽の光は届くはずがなく、あたりは暗闇で何も見えない。

 身内であっても迷い込んで縦穴に落ちて安否不明などという事態は簡単に起きる。つまり、部外者が俺のいる地点へたどり着くことは宝くじが当たる確率より難しいというわけだ。


「この足錠、ほんまにどないしたらええんや?」


 両足首に巻かれている金属でできた足錠にはみたこともない封紋が描かれており、こちらが下手に小細工しようものなら、一発で直人の言っていた結末がくっついてきかねない。

 直人はこういう時だけ知恵がやたらと回る。

 足錠にもゆとりがあり、地味に自由は効くのだ。さらには両腕には拘束具などないから、術は使い放題。それでも、俺はここから動けないでいる。

 俺は直人の言葉ひとつで押さえているようなものだ。実に情けない。


「玉三郎、やっぱ、おでかけしてきてくれへん?」


 面倒くさそうに現れた白い毛並みのややフェレット気味のネコが膝の上にあがってきて、ため息をもらした。

「静、神鬼である私が動いてもほんまに大丈夫なんか?」

 俺はたぶんと視線をそらしてぼやくと、さらに深いため息をついた玉三郎が俺の膝に軽く爪を立てた。


「俺はさ、やっぱり、時生がどんな姿であっても娘ちゃんに逢わせてやりたいんや。 あかんことか?」

 

 時生の亡骸をここで今すぐ灰にすべきなのはわかっているが、一人娘は時生に二度と逢えなくなってしまう。

 死の事実を隠して、どこかで生きていると思わせてくれと時生は言ったけれど、残された者の気持ちはそれでは済まないだろう。俺が逆の立場だったのならどうするか。やっぱり黙って荼毘にふすことはできない。


「気持ちはわからんでもない。 でもな、静、あんたの神鬼で目覚めているのは私と小次郎だけやで? 小次郎は新にやってしもうたし、一匹しかおらん私が離れて、あんたに何かあったらどないするつもりでおるん?」


「そりゃ、直人が何とかするやろ? あいつは俺が大好物なわけやし?」


 がっくりと耳も頭もさげきった玉三郎が阿保やと表現に困るほどの脱力した声色でぼやいた。

「主に向かって阿呆とはいかがなもんや?」

「いや、間違いなく阿呆やろ? 静、阿呆のてっぺんとれるで」

 尻尾で頬を打たれた上に、さらに腕にまで爪を立てられた。

「阿呆のてっぺんってあんのかいな……」

 脳裏にTop of AHOというロゴが浮かんで、頬が引き攣った。

「静、落ち着いてよう考えや? わざとのように何もかんも自由にされてるのに、言葉縛りのみでお留守番人生させられてんのやで? それにや! あの直人が静のやりそうなことに当たりつけてへんとかあると思うか? お見通しな上に、返り討ちやで!」

「そら、一理あるな。 じゃあ、どないすんのが正解か、言うてみいや」

 玉三郎が明らかに明後日の方を見た。

「ほら、策あらへんやろが! この場所へどこかの誰かが到達して、助けに来たよ~、しーちゃん! みたいなことないんかしら?」

「それはまさに夢幻や」  

 玉三郎がけたけたと声を上げて笑い出した。

「笑えんわ!」

 打開策がない俺は壁にもたれたまま、ゆっくりと目をつむった。

 直人の予想の右上斜めを行くくらい奇天烈な作用が働けば状況は一変するのになと深いため息を吐いた。

 俺をここに縛り付けると言うことは直人は必ず月狩りをはじめているはずだ。

 急がないと、泥仕合がさらなる泥仕合を生む。

 ここに縛り付けたままでは時生が最後に残してくれたカードも切ることができない。 

「冷静になれ、冷静になるんや!」

 ここまで来て、嫌と言うほどに時生という存在を失ったことの痛手を知る。

 俺は元より策略家ではない。

 知略を尽くすのは万葉であり、直人であり、時生の専売特許だ。それ故に、誰かの裏を突くために己の頭で策を弄して動いたためしがない。

 新、いや、頴秀を救い出した時も本能に任せて真っ向勝負しすぎたから、後に直人からかなり罵倒された。

 痛めつけられ、命を狩られる寸前のあの子が目の前にいたとして、策を練る時間などあるわけがないと言った俺に、後のためにも下準備をすべきだったと直人は怒鳴った。

 時生もまた、その時、その瞬間、刹那的に護ることができただけで、長期的には危険をひとつも排除できていないし、己の身すら危うくする馬鹿がどこに居るのかとくどいまでに説教された。

 死生観も立ち位置も全く異なる二人なのに、直人も時生もそういうところは思考がリンクするのがおかしかった。

 直人は俺の方針を捻じ曲げて動き、時生は俺にすべてを託して去った。

「どうしたらええんや……」 

 宙に手を伸ばすと、そこに幼い日の頴秀の姿かたちが浮かび上がる。

 どこからどう見ても美少女でしかない容姿なのに、口調はちゃんと男の子なのだ。

 あの姿を今の新に返してやれたのなら、彼はどんな風に成長した姿をみせてくれるのだろうか。この世の平均的な女子よりは確実に美くしいのは間違いない。

「新でも十分可愛いのに、元通りになったら俺、絶対、性癖でしかないわ」

「こんな時に何言ってんねん」

 玉三郎のつっこみに、俺はこんな時だからやとぼやいた。

 女子は好きな癖にと追撃をかけてくる玉三郎に俺はそうだなとうなずいた。

「女子はええよなぁ。 女子はわりと好きや。 せやけど、アレはあかんで、玉三郎。 美少女の容姿に、口悪いのと涙もろくて純なところと甘えんぼがくっついてみ。 オジさんは何でも買ってしまいますがな」

 アレが自分のものにならないことを知っていたのに、殺せなかった。

 あの段階で俺はもう白旗をあげている。

「勝たせてやりたくもなるわけよ」

 血なまぐさいやりとりの中で生きてきたというのに、新が笑っている時間が長く続くのなら、それで良いだなんていつから俺は頭がお花畑になってしまったのだろう。


『ならば、何故、お前は動かない?』

 

 ガツンと急に後頭部を殴られた感覚がして、男の声がした。

 不覚にも気配を悟れなかった。


『日にも月にも同等に与えたはずだ。 お前はそこで何をしている?』


 何をしてるって言われてもと声を上げようとしたが、自分の身体が壁伝いに横倒しになっていく。

 俺はそれほど弱くはないはずなのに、手も足も出ず、眠りに引きずり込まれていく。


『間違いだらけの世界に雪崩を起こすのではなかったのか?』


 うるさい。

 言われんでもそれをするつもりだ。

 真っ暗な世界と真っ白な世界がまじりあい、まるで黄泉道に立っているようだ。

 数秒して寒々しい氷の世界へ紛れ込んだように世界が一変する。

 足裏がリアルに凍傷を起こしていく感覚に俺は苦笑いする。

 吹雪の向こう側に桜の木が見える。

 しばらく歩き続けて、雪に見えていたのは桜の花びらだったのかと近づいてから理解した。

 樹齢は確実に数百年以上あるだろうというほど見事な枝振りの枝垂れ桜だ。その太い幹のあたりに人影がある。

 目を凝らしてみると新が座っているではないか。


「新、お前、そこで何してんねん」


 新がこちらを見て、慌てて立ち上がっている。俺の声は届くらしい。

 駆け寄りたいのに見えない透明な壁に阻まれてこちらへは来られない様子だ。

 だから、その壁のすぐ近くまで俺が歩み寄った。


「しーちゃん! どこにおるのん?」


 妙にリアリティたっぷりのこの新の驚いた顔と裏返った声は嘘物ではない様子。

「うっかり拘束されてんのよ、新くん」

「はぁ!? 拘束? 誰に? あの若宮直人? どこで? ちょっと、しーちゃん、どういうことなん?」

 矢継ぎ早に質問を繰り返しながら、透明な壁を両手でばんばんと叩き、しーちゃんと俺の名前を呼んでいる姿もおかしいくらい新そのものだ。

 この状況が成立している理由として考えられることは一つだ。これはおそらく夢でつながっている。

「お前、寝てるか?」

 新は少し考えこんでから、はっと顔を上げた。

「俺、寝てると思う! 稽古の後は公介さんに必ず昼寝させられるんだ!」

 やっぱりなと俺は小さく息を吐いた。

 新が稽古というからには身を護る術を仕込んでくれているということだろう。しかも、その指南役があの宗像公介という。それだけで胸をなでおろすことができる。

「新、これは夢でつながってんねん」

 そうか、これは夢なんかと繰り返す新の様子がやたらと可愛いから、俺は思わず破顔してしまった。

「新、この状態がいつ途切れるかわからんから、手短に話すで? 宗像貴一か宗像公介にだけ伝えて欲しいことがある。 二人以外には絶対に口外したらあかん。 いけるか?」

 新がうんうんと首を縦に振っている。何故と聞いてこないあたり、新もそれなりに宗像の人間への理解があるということだ。

「宗像時生が亡くなった。 宗像万葉という男に殺されたんや」

 新は呆然と口をあけ、しばらく後に、表情に影が落ちた。

 新を宗像へと導いたのは時生だから、当然のように面識があっただろうし、この告白は多大な衝撃となって彼の綺麗な心を襲っていることは手に取るようにわかった。

 これから託す情報を冷静に貴一と公介につないでいく役割が果たせるだろうかと心配した俺をよそに、目を伏せたままの新の声が珍しく低くなった。

 それはいつのことだと尋ねたその声は凛とした響きをもっており、凪のように静かだ。

 正直、俺は驚いていた。

 俺の知っている新はまだ弱くそだったのに、何だ、この覚悟が定まった人間が見せる氣は一体どうしたことだ。

「直人の襲撃があったやろう? その直前らしい」

 俺は新の気配を探りながら、言葉を返す。

 ぱっと顔を上げた新の表情が激しく怒りに歪んでいた。だけれど、激情にのまれている様子はなく、静かに怒っている。そんな感じがした。

「じゃぁ、あの襲撃の時に宗像におったのは別人やね?」

「おそらく、宗像万葉や。 でも、こちらがそれに気が付いていることを明らかにすることがうまくないんはわかるか?」

「うん、わかるよ。 俺は貴一さんと公介さんの二人だけに言うたらええってことやろう? ばれるのを百も承知でやってるかもしらん万葉って人と化かしあいをせなあかんってことやろう?」

「そうや。 その上、時生の死を公にすることもできへんってことや。 でも、一人娘に逢わせてやらんままで灰にすることはできんやろう? 時生の遺体は俺のそばにあるんやが、そちらへ届ける術もあらへん。 まさに八方塞や」

「しーちゃんの監禁場所ってどこなん?」

「わかるか、そんなもん!」

 俺の返事に新が明らかにがっくりと肩を落とした。

「しーちゃん、自分の監禁されてる場所もわからんの? そこそこ偉いんちゃうのん?」

「そこそこ偉いどころちゃうわ。 ものすごく偉いんやけれども、その次に偉い奴に場所を伏せられたまま、うっかり拘束されてしもたんやから、仕方ないやろが!」

 しーちゃんとつぶやきながら新がその場に崩れ落ちて、四つん這いになった。

 これほどまでにわかりやすく、新に脱力されるとさすがに落ち込みそうになる。

「宗像貴一なら或いはここを探り当てることができるかもしらん! でも、これは直人の罠でもあると思うんや。 俺一人の知恵では直人を欺けへんし、万葉に何されるか予想できへん。 この意味、わかるか?」

「うん、わかる。 貴一さんなら何とかしてくれると思う。 あの人はしーちゃんと180度逆サイドの人間やからきっと大丈夫!」

 自信満々の新の言葉に今度は俺がその場に崩れ落ちた。

「新くん、そのお言葉の意味については現でお逢いできた時に、しーちゃんは厳しく言及するで?」

「なんでだよ。 しーちゃんはグーは強いし、勢いある生き方するけどさ。 ほら、戦略立てるとかいつもお任せやから、得意とは言えんやろうってことなだけやで?」

「いや、だから……。 新、お前、しーちゃんをフルボッコにしてる自覚あるか?」

「俺、しーちゃんのそういう所、好きやで?」

「その言葉のどこに好きな箇所があるというのか、さっぱりやわ」

 励ましているつもりの新の言葉に俺はその場で膝を抱えて、体育すわりだ。

「しーちゃん、大丈夫やって! しーちゃんはグーは強いんやから!」

 グーとばかり言われて、俺はその場に泣き崩れ、倒れこむしかない。

 愛おしい新の励ましが、これほどの打撃をもたらすとは思いもしなかった。

「しーちゃん、助けてあげるから、待ってて! 俺、急いで起きるわ!」

「ちょい待て、新! まだ、話が!」

 天然成分100%の新はじゃあと話を最後まで聞かずに桜の木へとかけて行く。


「ほんまに……。 何、アレ……。 助けてあげるって何!?」


 新の姿がまた桜吹雪にのまれていく。

 手を伸ばしても、空をつかむだけだ。

 あぁ、夢が覚めていく。

 目が覚めてしまう感覚が手に取るようにわかってしまうのが口惜しい。

 再び、洞窟の岩の硬さを背に感じて、瞼を持ち上げる。


「静! ようやく目が覚めた!」


 胸の上にのっている玉三郎の後ろ首をむんずとつかむと、前足で額を殴打された。


「玉三郎よ、新は俺を助けるつもりらしいで?」


 一応、俺の所属は敵側なんですけどねとぼやいてみるとやけにおかしくなった。

 思い出し笑いする俺の腕に、玉三郎がまた爪を立てた。

 敵味方なく、新は動く。その思考を赦されている環境に置いてもらえているということがうれしかった。

 宗像はさすがだ。

 月の親玉である宗像貴一はこの短期間に新を手なずけたか。

 それが寂しく思うのは俺が狭量なのだろうなと苦笑いした。


「夢でしか逢えんって何よとか言わなあかんか? 俺、恋する乙女かいな……」


 

 

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