第14話 雪崩を起こす一点となる

 異変というほどの異変があったわけではない。

 陰陽のバランス感覚はいつだって拮抗しており、傾くことはない。

 拮抗を崩しかねない駒が出た場合は互いにいる約定者が無慈悲なまでにそれを狩りとることが当たり前だから、出来レースのようなものだ。

 世界は12ある天盤から成り立っている。

 至上の天盤は神の領域故に、不可侵・不可触となっている。

 ゆえに、残り11の天盤が陰陽のバランスをはかる対象となる。

 事実上の最上天盤は「第二天盤」となっており、そこは万年の春の世界であり、神の声が聴けたり、神の目を与えられたりといった特殊な奴らが存在する。その特殊な輩が陰陽のどちらと組するかで、パワーバランスが大きく変わるのは想像に易い。

 陽の側は圧倒的な勝利を重ねてはいるがこの特殊な輩は実に面倒この上ない。

 数千回以上のやり取りを通して学ばされたという方が正確だ。

 神が何かを与えた輩は必ず敗者の側につく。そして、彼らは道を示し、光をつかむ。

 陰陽が拮抗を保ってきたものを破壊して、再度、構築してみせろとゼロに戻す。

 小さな駒を総入れ替えするだけでなく、陰陽の王の入れ替えすら容赦ないほどの激変が起こる。

 だから、陰の側はこれを護り、陽の側がこれを狩る。

 きっと勝者と敗者が逆転していれば、これはひっくり返るのだろうが現状は動かない。陽の勝率が高いからこそ、常に陰に特殊な武器が与えられる。

 短いスパンであれば数十年でこの特異な存在は生まれてくる。短いスパンで誕生してくるのはそれほどの大物ではないから、見逃すことも多い。

 だけれど、数千年規模で生まれてくる存在は見逃すことができない。

 すべての天盤が振動し、空を赤く染める異変はその誕生の証だ。

 その誕生を感じ取ったのならば、選択は一択で、狩る他ない。

 俺は陽側の約定者の1人なのだから、その選択を認めるしかない。

 ただ狩る。痛みもなく、苦しみもないように狩り、灰にする。

 俺がそう言ったところで、数千年に一度の規模の子供なのだから、血肉を無駄にするのはいかがなものかと抗議の声をあげる奴らも多い。

 そう、勝者の側だからといって、正義に満ち溢れた者ばかりが集まっているわけではない。

 敗者の側だからといって、悪の巣窟であるとはいえないのと同じだ。

 第二天盤はこのところ常に陰の側にある。これを手にできない理由は簡単だ。

 俺達が勝者側に立ち、第二天盤の申し子に手をかけ続けるからだ。

 ある時は、恐怖に震えている幼子を生きたままに食んだ者がいた。

 ある時は、幼子をだまし抜いて、幼子自身にその血肉を差し出させた者もいた。

 ある時は、幼子を恐怖でねじ伏せ、相手の王の殺害を命じた者もいた。

 つまり、これまでの約定者はろくでなしばっかりだったということだ。

 俺はずっと一番手に居たわけではなかったし、先人たちに口を出せる位置にもいなかった。蹂躙され尽くした彼らに助けてくれと懇願された時に、そっと狩ってやるくらいがめいいっぱいだった。

 陰の側が彼らをどれほど必死に護ろうとしたとて、結果は同じ。

 どうしてそうなってしまうのかを先のトップに聞いた時に、俺は愕然とした。

 

『本当に護る気がないからだよ』


 取引は成立しており、最小限の生贄で安寧が得られるのなら、相手は頑張り抜くふりをしながら、最終、彼らの首をこちらへ差し出す。

 こちらもあちらも結局、クズしかいないのかと俺は救われない気持ちになった。

 あれからどれくらいの時が経ったのだろうか。

 久方ぶりにここへ足を踏み入れた。

 ここへ来るのは大概、死の宣告時だけだから、本当にいつぶりだろう。

 以前は半強制的な随行だったから、まさか、自分が名乗りを上げて先頭だって第二天盤へ来ることになるとはなと苦笑いだ。 

 できれば避けて通りたいこの醜いやり取り。傍観者でしかなかった前回の狩の対象は黒髪の綺麗な美少女だった。

 神の声を聴き、その類の物に触れることができ、白い狼を連れていた。

 恐怖の声をあげることも、抵抗もしなかった。

 まるで腹をくくった武人のような気迫で、こちらを見て言った。


『私は雪崩を起こすぞ』


 彼女は俺達の目の前で、白い狼にその喉笛を嚙み切らせた。あたり一面を血に染めて、壮絶な最期を迎えたというのに彼女は笑っていた。

 俺はあまりのことに唖然として立ち尽くしてしまったのを覚えている。

 雪崩を起こすという声が今でも鮮明なまま脳裏に焼き付いている。

 俺は主に命じられるままに、彼女の遺体を持ち帰ろうと手を伸ばしたが、届かなかった。彼女の額に蓮の花のような模様が浮かび上がり、黒い炎が彼女の遺体を一瞬にして飲み込んで、灰すら残らないほどい焼き尽くしてしまった。

 先の主はおおいに悔しがり、髪の毛一本でも値千金だったのにと俺をなじった。

 千年に一度の血肉を保存し、奴らにここにあるぞと示してやるのも悪くなかったとまで言った。

 その時、俺はどうしてかわからないけれど、自分の主の首をはねてしまった。

 その返り血を浴びても、深いため息しかでなかった。

 魔が差したのか、何だったのかわからない。

 ただ無性に吐き気がした。それだけの衝動だったのだと思う。

 俺がトップを殺した瞬間をアイツは見ていた。その上で、トップは相手の王に葬られたとアイツは証言した。さらに、アイツは俺が次のトップだと先代の言葉があるとも言いやがった。


「別段、一番偉くなりたかったわけやない」


 第二天盤へたどいついて、空から見下ろすだけで、嫌でも過去のやりとりを思い出してしまう。

 一人で良いと単独でここへ来た。

 通常なら、ここへ招かざる客がたどり着いただけで警鐘が鳴り響き、この場所が俺と言う存在を排除しようと動くはずだった。

 それなのに、異様なほどに何も起きない。

 咲き乱れる花々、飛び交う美しい蝶たち、小鳥はさえずり、頬を撫でる風は柔らかいという相変わらずの常春の景色のど真ん中にあって、永久凍土の如く凍り付いたままの湖面が異彩を放つ。

 湖面の中央に降り立ってみて、足元を軽く蹴飛ばしてみても、ひびが入るどころか、びくともしない。


「邪魔をしても構わへんか?」

 

 数メートル先で両膝をついたまま、凍り付いた湖面の下をしきりに覗き込んでいた少年がゆっくりと顔を上げた。

 白銀と漆黒の闇色がまざりあったくせっ毛が肩あたりでくるりとはねているのがかわいらしい。

 侵入者である俺に対して、いいよと答えた少年はにっこりと笑っている。

 拍子抜けするほどの安穏とした雰囲気に、俺は少年の横にしゃがみこんだ。

 湖面の下を指さして、一緒に見て欲しいというように俺の袖をひっぱるしぐさが本当にかわいらしくて、思わず破顔してしまう。

「ここに何が?」

 湖面の下には大きな翼が見えた。ただ大きいってもんじゃない。湖の半分はこれの翼だ。あたりを見回すと、全体像が見えてくる。

 鶏の頭に燕の顎、首が蛇、尾は魚、背中は亀、翼は青・白・赤・黒・黄の五色の輝きを持っている。間違いない。これは天の瑞獣だ。

「鳳凰やないか……」

 俺のつぶやきに、少年はうんとうなずいた。

 綺麗でしょうとにこにこしている。

 時々、彼の呼びかけに、鳳凰は少しだけ瞼を持ち上げてくれるそうだ。

 天真爛漫な少年は俺に対しておそろしいほどに無防備だ。

 何なら、まだこの鳳凰についての追加情報を口にしそうだ。

「あのな、少年。 たぶん、これは誰にも見せたらアカンものやと思うぞ? 敵に知られてみろ、ここを破壊されてしまいかねんぞ?」

 ええっと驚くような声をあげて、彼はしゅんとしてしまった。

 その敵というのは俺なのだけれどと思いながら、俺はその場に胡坐をかいて、胸の前で腕を組んだ。

 少年はその横にちょこんと腰を下ろして、どうしようというようにうなだれている。鳳凰を傷つけられたらどうしようと大きな瞳に大粒の涙がたまりはじめている。

「いつも一人で見てたんか?」

 うんと小さくうなずいた少年の後頭部に手をのせてやると、彼はびくりと身体を震わせた。

「だって、僕じゃないとみられないんだ」

「そうか。 俺はついでにみせてもらったってことやな?」

「うん。 みせたかったんだ」

「なんでや?」

「なんで? そんなの、わからないよ」

 困ったように小首を傾げて、少年は口先をとがらせた。

「髪の色がきれいだったからかな?」

 少年が俺の髪をひとふさ手に取り、きれいだねとつぶやいた。

 髪の色など気にしたことはなかった。

 陽の光の下だとほとんど色素が失せてしまうほどの銀色など、白髪の老人とそう大差ないと思っていたから、意表を突かれた。

「少年の髪の色の方がきれいやろ」

 そうかなと少年は小首を傾げている。銀をはじく黒と白が不可思議に混ざり合う、まさに夜の闇をも照らす月明りのような色だ。  

「ねぇ、あそこの蓮の花が見える? あれにふれたらあぶないから、気を付けてね」

 少年は俺を心配しているのか、本当に怖いんだよと真剣に語った。

 彼の小さな指が示す方に視線を動かすと、確かに雲のような黒い何かが蓮の花をかたどって浮かんでいる。それは良く目を凝らさねばわからないほどに小さなものだ。

 そして、俺は息を飲んだ。

 冷たい何かが背を滑り落ちて行った。

 ここはあの少女が凄絶な最期を遂げた場所と同じであるということに気が付いた。

 あの時は、湖の上にいた自覚などなかった。

 俺が知っているのはあたり一面の草原でしかなかったはずだ。


「……幻術だったのか」

 

 逃げようと思えば逃げ出せたのに、彼女は一切逃げなかった。

 彼女がここを離れたら、幻術が揺らぐ可能性があったのかもしれない。

 身を挺して護ろうとしたのはここで眠る物。

 足元にある大きな宝に気づかれる前に、彼女は己の方へと敵の目をひきつけた。

 己の血をもって、力尽きても尚、ここを隠し通した。

 これを眠りから解き放つ者が自分でないことを知っていたのだろうか。

 陰の連中がこれを使えばすべての天盤がひっくり返るのに、どうして使わない。

 これを隠し玉として何かを企んでいるというのなら、大打撃どころでは済まない。

 身震いの後に激しい頭痛がしてくる。

「少年、これを誰かに言ったことはあるか?」

「僕は『少年』じゃないよ。 えいしゅうって名前あるよ」

 少年は氷の上に、指先で字を映し出す。

 頴秀。

「頴秀だと!?」

「うん、僕の名前だよ」

 さらに頭がくらくらしてくる。


『才知すぐれたる者の字を得る刃は、あけぼのに至りて来たり、月愛でたる蓮の花の手により風となる』


 手の内の者が割り出していた狩るべき相手の情報がぐるりと頭の中を一周した。

 頴とは才知優れる様、秀とはそのままの意味だ。

 いくつだと年を尋ねたら、少年は6つだと答えた。

 強者の片鱗もない、ただのぼんやり坊やはエメラルドより美しい両眼でこちらをみる。あけすけなまでに危機意識ひとつないのはどうしてだと肩を落としてしまうほどのこの綿菓子のような少年が狩るべき対象というのか。

「頴秀というのは字だろう? 本当の名前は別にあるのだろう?」

「まだないよ。 いつか、真君がくださるって」

「真君? 頴秀の仕える真君って誰だ?」

「まだ逢えてないんだ。 でもね、暁春君ってお名前は決まってるんだよ」  

「それは……よかったな」

 俺はそっと頴秀の細い首に手を伸ばした。

 何をされているのかも理解できずに、きょとんとしたままこちらを見ている深緑の瞳が俺を射抜く。

 片手で十分なほどに細い首をそっとつかみ、手に力を入れれば済む。

 このまま絞めるだけだ。すぐに終わる。

 今は非力であったにせよ、頴秀はいずれこの鳳凰を覚醒させるのだろう。その上、暁春君とまで名を掲げる強者が月に現れることとなれば、互いに被る血の雨はこれまでと比にならない。


『本当に、あなたのその手で殺すことが正しいのか?』

 

 頴秀ではない。だけれど、頴秀の声がする。

 頭の中に直接響くこの声は俺の判断を鈍らせてくる。


『緋賢、あなたなら変えられる。 だから、おやめなさい』


 名前まで言い当てられるとはと、俺は足の下に眠る者に目をやった。

 紅にも琥珀にも見えるその鳳凰の瞳がこちらを見ている。

『頴秀は他と違う。 あなたはもうわかっているはずです。 頴秀はあなたに私を見せた。 真の主となる暁春君より先に、あなたに見せたのですよ?』

「俺は月ではない」

『だから何だと言うのですか? あなたは変われます』

「俺は幾人もの頴秀のような子供たちを見殺しにしてきた。 今更、かわらんよ」

『でも、頴秀は違うはずです。 心の底ではもうわかってしまっている。 あなたは殺せない』

「俺じゃなくとも、別の誰かが狩りにくるぞ? もっとひどい目にあう。 ひどい目に合う前に俺がする他ないだろう?」

『何度も言います。 頴秀は違う。 あなたの魂はそれをもう知っています』

「うるさい!」

 頴秀の首から手を離して、両耳を塞いでも声は聴こえる。

 俺は殺したくはない。殺してはいけないこともわかっている。

 眠りについたままの強者に言われる通りなのが癪に障る。

 俺はこの細い首を絞めるという決断ができない。

 この甘さが後の不幸を招くかもしれない恐怖は大きいのに、無理だ。

 苛立った声をあげてから、俺はふうっと息を吐いた。

 やめようと思った。

 この少年を殺してどれほど世界が良くなるのかわからない。

 慢性的な痛みを抱えながら、マンネリのやりとりを続けていく事のどこに救いがあるのかもわからない。

 だったら、この少年が何を成して、何を消して、何を再生させるのかをみてみたい。これで俺が終いになったとしても良いのかもしれないと天を見上げた。


「おい、頴秀、寝てんのか?」


 頴秀の柔らかなほっぺたに手を伸ばしてやると、はっと我に返った頴秀が起きてるよとあわてて言い返してきた。

 頴秀がふいに立ち上がり、俺の前に膝をつきあわせて座りだし、何を思ったのか、俺の額に自分の額を押し付けた。

「緋賢は友達だ。 僕のはじめてのお友達。 だから、鳳凰のお守りをあげるよ」

 誰にも言っちゃだめだよと頴秀がゆっくりと目を閉じているのがわかった。

 額の中央が熱くなり、慌てて、俺が身を離すと、頴秀がいひひと笑んでいた。

「緋賢、これで穢れは逃げていくからね」

 だから、もう痛くないよと頴秀が俺の胸のあたりに触れてからふわりと笑った。

 生まれて初めて、誰かの前で涙がこぼれた。

 不覚にも涙をこらえきれなくなっている俺がいて、たかだか10にも満たない小僧に慰められているのだ。

「何で、名前わかったんや?」

「鳳凰さんに教えてもらったの」

 そうかと俺が笑うと、頴秀がうんとうなずいた。

「時々、こっそりコレを見に来て良いか?」

 俺が足元を指さすと、頴秀は良いよと笑った。

 それなのに、ひと月もたたずして、耳を疑う情報に俺は愕然とした。

 

「例の子供、身内に殺されかねないって笑っちゃう」


 雪陽の声が俺の動きを止めた。

「月の王自ら殺しかねないらしいですよ。 何せ、あの子供、『あなたではない』と宣言してしまったようで、愉快ですよね」

 迷惑な産物がこの世から去ってくれるのならそれで良いし、手を汚さずに済むのならそれが一番ですなんて声がした。

 俺はもう言葉半分で駆け出していたと思う。

 駄目だ、あれを殺されてしまったのなら、何かが壊れる。

 すべての制止を振り切って、俺は頴秀の元へかけつけた。

 あのかわいらしい笑顔が恐怖にゆがめられ、声も出せずに、ただ死を受け入れようとしている姿を見た瞬間、何かが切れた。

 頴秀を逃がして、とことんまでやりあってから第二天盤を離れた。

 探しに探して、黒い海の底で、ただよっていた満身創痍の頴秀の核をみつけた。

 無残にも白銀と黒銀の髪やエメラルド色の瞳ははぎ取られていて、頴秀だと示すものは何もなかった。

 だから、俺達の側に生まれながら、戦闘に不向きすぎて、天に召される寸前だった高階新の肉体を与え、俺の支配天盤である第十天盤へと招き入れた。

 頴秀を手の内に置き、いずれ月と敵対させて行使するという俺の決定に当然、逆風が吹き荒れた。それを抑え込んでいたのはある意味で雪陽だった。

 俺達の側はトップは常に2枚看板だ。雪陽、つまり、若宮直人もまたリーダーなのだ。

 天の神々の誰かが参入してきている現状から、支配天盤の権利剥奪が怪しいと踏んだ雪渓夏子の王号を持つ直人が単独で舵を切る選択をしたのなら、母体そのものは完全に彼の指揮下に入って動く。

 逆サイドに立っている人間は全て殺せという明確すぎる理念を持つ直人は策を弄さない。目の前の者をたたけばよいからだ。大きな兵力をもって、力攻めする。


「なぁ、どのあたりまで、大人しくしてくれるつもりやった?」


 ぼんやりと薄暗い中に浮かび上がった男の姿に俺はため息をもらした。

 俺の麾下で直人に左右されることなく動ける人間はしれている。

 それを直人は絶対に把握している。


「もう限界だってことは理解していたでしょう?」


 直人は手で何かを引きずっている。

 それが成人男性だとわかり、俺は目を閉じ、天を仰いだ。

「ちなみに、これをこんな状態にしたのは僕じゃない」

 ごろりと俺の足元へ転がした直人はぴくりともしない男の横にしゃがみこんだ。

「宗像時生をこうしたのは、あっち側の奴だよ。 僕はしてもいないことで、怒られるのが癪だから拾ってきただけ」

 頸動脈に触れてから、まだ生きてるよとぼやいた。

「こんなのを拾った後で、ちょっと気になったものだからさ、いっそのこと襲撃してみた。 そしたらさ、あっちにも宗像時生がいるんだもの。 穏やかな状況とは言えないよねぇ」

 直人はちょんちょんと時生の頬を指でつつきながら、こちらを見あげた。

「それからもう一つ報告ね。 宗像貴一に黒い蓮を見せられたよ」

 直人は俺を試すようににらみつけてくる。

「一発で戦況をひっくり返せる核弾頭を、それを制御できてしまう人間の手に委ねたのは静ちゃんだよね? 迷惑な核弾頭でも、こちらの手の内にあるのならまだいくらか抑えることはできたけれど、今のこの状況に至ってはもう無理な話だ。 温情を大盤振る舞いしてきたけれども、もう貴方をかばっていられない」

 直人はくるりと背を向けて歩き始めた。

「何をする気だ?」

 俺の声にぴたりと足を止めた彼は半身だけ振り返った。

「知っているでしょう?」

 直人は自分の首のあたりを人差し指で水平に線を引くように動かした。

 狩るという意味だ。

「おい、直人。 俺を本気で怒らせる前に、この枷、はずせ」

 俺は両足を指さして、にらみつけた。

「ダメだよ。 静ちゃんに何かあったら困るから、ここでお留守番だよ」

 直人がくすりと笑った。

 本気になれば枷など破壊できるぞと眉間に皺を寄せたが、直人は困ったように笑ったままだ。

「一応、再度、お知らせしておきます。 その枷を強引にはずしたら、貴方の直轄麾下の誰かの首が吹っ飛びますよ」

 誰であるかを特定しない以上、直人は全員にしかけていると考える方が無難か。

「麾下の誰かがお前の呪符を破ったら俺は死ねるのか?」

 これには直人が苦笑いだ。

「いいえ。 僕が生かしたいのは貴方だけなので、一方通行ですよ」

 直人は嘘をついた。ぺろりと下唇をなめるしぐさは嘘をつく時の奴の癖だ。

 俺の麾下の連中が奴の指揮に従っている以上、何か別の制約をかけている。

 自分達が死ねば俺が自由になるとわかれば、あの連中のことだすぐにでもそれをするだろう。それをさせないための制約があるということだ。   

「ねぇ、静ちゃん。 常に勝者であらねばならん理由を忘れないで欲しい。 かつて、一度だけ全天盤で敗北した時、彼らがこちらに何をしましたか? 黒衣をまとった幾人もの冷酷な王達の前へ連れだされ、弱い者から順に死を宣告された。 真っ暗な部屋に押し込められ、人数分の蝋燭を与えられ、蝋燭が尽きる度にバタバタと皆が崩れ落ちていく。 最後に残された者に、仲間の腐り果てた遺体を喰わせたことを僕は忘れていないよ」

「知ってるさ。 あれがあったからこそ、こちらも慈悲の心など持つなという教訓になったのだろうからな。 でもな、あれで月は絶対強者を失ったんやぞ?」

「下の馬鹿どもを抑えきれなかった者の末路など知りませんよ」

「俺達にもおこりうることやぞ?」

「起こさせませんよ。 常にルールブック通りの殺戮をさせてもらいますから」

「直人! お前が決めることやない!」

「僕が決めますよ。 緋賢、良いですか? 規定外の天の神々が手を出してきてる現実が目の前にはもうあるんだ。 その牙はこちらへも向いてるって自覚ありますか? 大人しく取引に応じてるから、こうなるんだ。 昔のように徹底的にやりあえって言われてるんですよ。 それに、黒い蓮を扱うのはただの月じゃない。 後手に回れば回るほどに、僕たちの首が締まることになる!」

「雪陽、その手を出してきているという神々の意図が俺にはわからん。 ひっかきまわして何がしたいのかもまだわからんのやぞ?」

「神とは元よりそういうものでしょう? 神の意図などはかれるはずがない。 与えられたルールの中で11の天盤争奪を行う。 それが全てでそれ以上はない。 宗像には僕の類似物がいる。 貴方や宗像貴一が清廉潔白であったにせよ、僕とそいつがいる以上、戦端は簡単に開かれます。 これが神の御望みです。 さて、僕はもう行きますよ。 本物の時生さんによろしくお伝えください。 まぁ、目が覚めるかはいささか期待薄ですけれどね」

 待てという俺の声だけが地下牢に響き渡った。

 直人は今度こそ姿を消した。

 俺は意識を失ったままの時生の首に指先で触れた。弱く拍動はしているが、呼吸が恐ろしく弱い。

 宗像時生は優秀この上ない人物だ。もちろん、策には策を重ね、簡単に足元をすくわれたりする男ではない。

 何があったらこうも追い詰められるのかと思ったが、その解答はひどく簡単だ。

 俺と時生にとって最も逢いたくない奴が姿を現したということだ。

「高みの見物していたってことかよ」

 直人は時生とそれが対峙していた時にそばでそれを見ていたのだろう。

 生死のやりとりをする際、直人の脳みそにネジが一つ足らないのは今にはじまったことではない。だが、天人王号を持っているだけあり、ここぞという所でちゃんと正しい判断をする。敵側所属の時生をここへ連れてくる判断をしたということは、俺と時生が直接的に会話する必要がある状況が発生したという証だ。

「俺がまた聞きだと信じないことを理解していたってことか……」

 時生をこれほどまでに追い詰めることができるのは、直人かもう一人かのどちらかだと俺が判断するのをわかっていたからこそ、直人は自分ではないと示すために、時生をここへ連行し、一時的であれ匿うことにしたということだろう。

「頭が痛いことやな……」

 直人がもっとも警戒する人間が今、時生のかわりに宗像にいる。

 新が危険だ。

 全身に冷や汗が噴出してくる。

 どうするべきだ。

 俺はここから出られない。枷を外せば、間違いなく誰かの血が流れる。


「時生、目を覚ませ! 何があったか言え!」


 相手の狙っていることがわからない。

 時生はそれに気が付いて、動いたからこそ、こうなった。

 直人はおそらくその内容を知って、俺を動かさない選択をした。

 

「俺に何がある?」


 新、何があっても一人で動くなよ。

 頼むから、お前の主の手の中でじっとしていろ。

 左眼がやけにじくじくと痛む。

 そっと左眼にふれてみるとぬるりとした感覚が指先に届き、俺は思わず声を上げた。血が流れ出ている。どこにも傷などないのに、流れ出てくるそれを止められない。


「それは天眼だ……」


 時生のかすれた声がした。

 苦しそうに眉をひそめたまま、時生が必死に言葉を紡いでいく。


「貴一の持つ天月眼と同種のものだろう……」


 俺は慌てて、時生の上半身を抱き起した。

「静、その眼だけは使うな。 気安く使用すれば、無傷では居られないぞ……」

「待て待て、俺は元からこんなものを持っていたわけやないぞ?」

「貴一と違って、君のは後天的なものなのだろう。 だが、選ばれたきっかけがあったはずだ」

 そんなことを言われてもと思い、その刹那、俺ははっと息を飲んだ。

「その顔、やっぱり覚えがあるみたいだね。 まぁ、良い。 それどころじゃないんだ。 静、時間がない。 良く、聞いてくれ。 万葉が生きてる……」

「やっぱりそうか……。 お前たちが排除したはずではなかったんか?」

「貴一が首を狩って、封印した。 だけれど、アイツは生きていた。 つまり、本体は別においていて、まんまと騙されていたというわけだ……」

「何が狙いだったと?」

「貴一が覚醒して、道を開いた先にあるモノだろう……」

 苦し気な息を続ける時生は口の端から血をこぼした。

「内心、おかしいと思っていた。 天月眼の継承者が生まれ、神との絆を持つ黄泉使いがその周囲に誕生するだけでなく、同時代に千年王が3人立った……。 宗像を取り巻く環境は幸か不幸かキャラクターがそろいすぎた。 その理由は考えたくもなかったが、より大きな災難に対峙させるためなんてことは明々白々。 だから、何が来ても良いようにと用心に用心を重ねていたのに……」

 激しく咳き込んだ時生は胸をおさえてうなっている。

 大丈夫かと声をかけることしかできない俺は、とにかく、自分にあるだけの力を時生へ注ごうとしたが、それを彼が制した。

「よせ、どんなに手を施しても滅ぶ道しか用意されていない。 君もよく知っているだろう? 彼がどんな男であるか……」

「それでも!」

「静が僕に力を流し込めば、僕の穢れが君に移行するだけでなく、君の居場所を奴に知らせることになる! 万葉はそういう奴だって、知ってるだろう? 静、頼むから、ただ聞いてくれ。 良いか? すぐに理解して、今から言うことをすべてそのまま飲み込んでくれ。 万葉にはルールが通用しない。 今の万葉に弱点は存在しない。 真っ向から挑めば、陰陽関係なく、すべて敗れる。 だから、真正面からは決して相手にしてはいけない」

 また激しく時生が咳き込んだ。多量の血を吐き出しながら、あの冷静な男が癇癪を起すようにくそうと怒鳴った。

「時間が……ない。 君はひたすらにその眼を最後の最後まで使うな。 その眼が君にあるという事実一つで最終局面で全ての流れがかわる」

「どういうことか、さっぱりわからん!」

「静、この天盤争奪がそもそも天の意志でなかったとしたら? だから、天は満を持して新を送り出した。 新が欠けることは何よりも天が困る。 彼を護るために規定外を適応してでも、天は物事を修正しようと動く。 万葉はその天の修正をかいくぐって動く……。 そんな万葉にとって一番怖いのは何だと思う? 天がしたたかにも準備したバグの存在だよ……」

「そのバグが俺やと言いたいんか?」

「そうだ。 バグは君ともう一人いる。 うちの貴一だ。 それから、もう一つ付け加えるとそもそも天照と月讀は敵同士じゃない……。 だから、冷たいだけの詩に身を任せる必要はない。 どうせ、この世界のバグ扱いなのだから、バグが何をどうしたって平気だろう?」

「それはあちらの貴一君も知っていると?」

「いいや、彼は知らない。 だけれど、彼は若くとも『黒王』の号を持っている男だよ……僕如きが指南を要する相手とは思えない……」

 時生は激しく咳き込み、ひゅひゅと喉の奥を鳴らしながら、身をよじった。

「静、黒の千年王はね……異名があるんだ」

「黒い蓮の炎を操る天人王号を持ってんだろ?」

 時生がそうだと力なく笑った。

「冥府の長の名を知っているだろう?」

「天風と言ったな。 第11天盤の絶対的な支配者で、氷以上に冷たい男だと……」

「天風は貴一そのものだ。 だから、甘く見ない方が良い。 君の方が随分と善良で間抜けだ。 万葉を追い込むのは彼に任せておけ……。 君はひたすらに生きることにのみ集中しろ」

「なんだそりゃ! 失礼の極みだな、お前!」

「君が死んでしまったら、君を拠り所にしている子猫ちゃんが泣いてしまう……」

「お前こそ、娘が泣くぞ。 ちゃんとリカバリーしろ!」

「僕の娘は大丈夫だよ。 一等強い男のそばに置いておいたし、身を護るための悪どい術はすべて与えてあるんだ……。 ねぇ、静、僕がこうなったことを、できれば最後まで黙っておいてくれ。 どこかで生きてると思われた方が」

 時生は言葉半分で意識を失った。

 だらりと落ちた腕に気づき、俺は頸動脈に指を添わせた。

 拍動がない。

「宗像時生はこんなところで冷たくなって良い男やないはずやろう? お前は宗像の皆に見送られてしかるべきはずやろう? こんな暗がりで、俺なんかに見送られる最期ちゃうやろう?」

 時生の身体をゆさぶってみても、反応はない。

 右腕がだらりと力なく落ちているというのに、左手で右の袖を握り締めている。

 はっとして、左手の握りしめている羽織の袖をまさぐった。やはり、その内側に縫い付けられている何かがある。

「さすがだな……」

 どこで誰が聞いているかわからない。

 時生の言葉がどこか曖昧で、要点を得ないものばっかりだったのは用心していたということになる。

 最期の瞬間にこの隠した物をしめすように袖口を握り締め、真に伝えたいことはここに凝縮してあるということだ。 

 縫い付けられた部分をいそいではずし、書付を取り出した。

 すばやくその内容を読み取り、紅蓮の炎で燃やした。

 この伝言はもう二度と誰の目にも触れない。


「お前はやっぱり宗像時生だな。 委細承知や」


 俺は旧知の友を失った。こいつがどうして同じ側にいてくれなかったのかと幾度となく思ったほどの友だった。

 奥歯がきしむほどにかみしめて、彼の身体を抱きしめた。

 いつだって、飄々としていて、俺が足を滑らせそうになると、間抜けだの、阿呆だのと救いの手を差し伸べてくれたのは宗像時生だ。

 娘が可愛すぎると言っては幾度も見せつけてきて、月の連中が愛おしいだのと言っては自慢話を垂れ流すのが彼の悪い癖だった。

 月が背負う汚さも醜さも、何もかもを請け負い、美しいものだけを宗像に与えた。

 その彼を天はここで召した。

 俺の腕の中で彼を召したというのなら、彼の願いを俺が叶えろということと理解した。

 

「雪崩を起こす」


 この言葉の意味を俺はたった今、学習した。

 





  


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