第15話 望まぬ射手

「頴秀とは嫌みなほどに気の利いた名前だと思う。 本人自身がずば抜けて栄達でなくとも周囲の者が彼をその名の元へ導いてしまうぞとでも天はおっしゃりたいのだろう。 常勝の立場にある皆に対してひどく陰険ななさりようだ」


 温かさひとつない黒一色の大理石でできた玉座に横になったままの少年が頬杖をついて顔を持ち上げた。碧玉の瞳が二つ胡乱げな光を放ち、柔らかな栗毛が輪郭を滑り落ちるように流れる。

 年のころは14,5歳。だが、見た目の年齢と一致しないことはそこにいる誰もが理解していることだ。


「天の鳳凰も地の龍も与えないおつもりであるならば、いっそのこと根こそぎ奪い取れば済むだけだろう?」


 白磁のように血色のない肌に血をすすった後のような鮮やかな赤の唇が不気味に動き、言葉を吐き捨てる。


「先の者は秀斐と言ったが、あれにまんまとしてやられたことを覚えている? 今度は今度でこの様だよね。 だから、私が手を出してみても構わないよね?」


 少年が身を起こして、指を鳴らすと一陣の風が舞い上がり、その場にいる者はただただ眼前に現れた物におびえるだけだ。

 虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙と尻尾を持っている奇怪な獣。一度、牙をむくと好き勝手に暴れ回り、退くことなどなく死ぬまで戦う。

 誰かが難訓と小さな声でつぶやいた。

 これを逃さずに拾い上げた少年がくすりと笑った。


「おや、ご存じだったのかい? これは檮杌という。 常に自分勝手に荒々しく振る舞う悪獣であり、おっしゃる通り、教え導き訓化していくことが難しい。 だが、私はこれを御せてしまうんだよ。 君たちがあまりに鈍い動きしかしないものだから、第十天盤に忍び込ませてしまったじゃないか。 これで、あちらへも堂々と私同様の輩が出てくることだろう。 これは責めているのではないよ。 褒めているんだ」


 ひどく退屈そうに大きなあくびをして、彼はにっこりと笑んだ。


「予定調和となり果てた天盤争いはもう終わりにしよう。 そこで四霊を捕獲することからはじめようかなと思っている」 


 その場の空気は凍り付き、誰もが言葉を発しない。

 四霊は捕獲できるものではないからだ。


「麟、鳳、亀、龍は制御できるものではありません。 それぞれに天の意があり、組する者を選定するからです! あれ? どうしたの? こんな風に勇気ある発言ができる気骨のある者は誰一人いないの?」


 少年は大勢の大人を前にして、盛大に声をあげているが、誰一人それに反応を示す者はいない。


「捕獲が不可能であるのならばそれらを従わせる者を抑えて来てよ。 第11の天盤には龍の皆様がおられるだろう? 私が知っている限りでは赤・白・黒が現存しているはずだよね? 殺さずに連れ帰るんだ。 あぁ、そうだ。 蒼は私好みの独創的な動きをするから放置しておくんだよ。 彼は捨て置いて構わないからね」


 王号を持っている者は一筋縄ではいかない。それどころか、返り討ちにあいかねないことをわかっていて、少年はわざと言っている。

 そして、その場にいる全員が同じ思いでいる。

 狙いが一切読めないのだ。

 

「ねぇ、ところでここに座っているべき男はどこへ?」


 ひたひたと忍び寄る足音に目を閉じる。

 質問されているのが僕だということは明白だ。

 だけれど、答えるわけにはいかない。


「雪渓夏子、返答を」


 するりとのばされた指先が顎を持ち上げ、眼を合わせざるを得なくなった。

 ここで退いたならばこの少年の全面支配を防げなくなる。

 やるしかないと覚悟を決めた。


「緋賢は元より独自の動きを好みます。 鳳をお望みであれば静観を願います」


 ほおと言って少年はふわりと笑んだ。

 意地の悪い笑みが口角に残されたままだ。


「天がお好みの緋賢様であれば鳳凰を捕らえられると? さすが陽春君と名をいただく者だねぇ」

 

 実に面白いと高笑いをした少年の前に片膝をつくなど屈辱でしかないが、今は耐えるしかない。

 彼は死を司る星の神に名を連ねる者。本来であれば出張ってくるはずのない存在だ。それがこの目の前にいる。逆らうなと拳を握り締める。


「そもそも、君たち二人は私に刃を向けたことがあるよね? それについてはどう答えるの? この揺光に歯向かって良いことなど一つもないよね」


 挑発的な視線に奥歯をかみしめる。

 本来、この目の前の少年に従う義理などない。だが、今、これに反意を示そうものなら力技で潰されかねない。それほどに別格の忌まわしさがある。


「陰とも陽とも組されないはずの貴方です。 あのように出くわせば、吾らは身を護ります」


 なるほどと揺光はわざとらしく頷き、玉座へ戻っていく。

 こんな返答で納得してくれるはずもない。

 何が狙いで、こちらに組するというのかが本当にわからない。

 揺光とは北斗七星の破軍を指す名だ。

 破軍星が示す方向に従い戦うものは勝ち、逆らって戦うものは負ける。

 その凶の星がここに居る。


「何故、ここにいるかと聞きたそうだね?」

 

 玉座に坐した少年は剣呑とした雰囲気でこちらを見た。

 聞きたいに決まっているだろうがと言いそうになった手前で何とか思いとどまった。


「君たちは勝っているようにみえて、肝心な部分は抑えきられたままだよね。 龍を見逃し、鳳も見逃すとなればもう笑い話にもならないよ。 ねぇ、一度くらい完璧な勝利をつかんでみたいでしょう? だから、私が勝たせてあげようと思ってね」


 甘えたような声の上、小馬鹿にした口調で言い放ち、揺光は半笑いしている。

 余計な世話だと言いそうになるが、喉の奥に押し込める。

 自分で言うのも何だが僕でこれほど苛立つのだから、揺光と静が対面していたとしたら、間違いなく数秒ともたない。

 静はわかりやすいまでの聖君で、太陽帝君を絵にかいたような人物そのものだ。

 陽の側の僥倖は静がこちらに居るということと同意ゆえに、僕たちの聖域である静を穢されては困る。彼を除かれようものなら、天の怒りはこちらへ降り注ぎ、一掃されることも容易くなる。

 おそらく揺光は静の性質を細かく把握している。その上での参入となると、悪意があるとしか思えない。


「嘘だよ。 あちらにも規定外の援護がついた。 だから、私は公平性を保つため君たちにつくことにした。 これなら理解しやすいかな?」


 打って変わって温和な笑顔を浮かべる揺光。どちらが本音でも気に食わないのは同じだ。

 常に劣勢にあるあちらへの規定外の援護など今に始まったことではない。それを持ち出してきた所で、僕の疑念を膨らませるだけだ。

 まるで破滅へと導こうとする揺光に感謝しますとでも言えば良いのだろうか。

 揺光がこちらにいる以上、力で敗れることは考えにくいが、それでも、ちらつくのは天の意に敗れるイメージだ。


「雪陽、君はいずれ感謝のあまり私に首を垂れるよ。 私は寛容だから今は見逃してあげようね」


 僕に対して檮杌が牙をむいたのを手で制した揺光が再び胡乱にこちらを見た。

 見逃すというのは間違いなく静を指しているのだろう。

 

「では先に感謝を申し上げておきましょう。 こちらも今は何も致しません」


 揺光の瞳の中に怪しげな光がともった。

 今はという部分に力を込めた僕の意図するところがわからない相手ではないはずだ。静に何かしてみろ、お前が相手であろうとその喉笛を噛み切ってやるぞとにこやかに返す。

 この話し合いはどこまで行っても、真っ当なやりとりになどならない。


「互いに月に足元をすくわれぬように用心いたしましょう」


 手の内の炎を吹き消すには外に炎を準備させることが肝心だ。

 揺光の興味の対象が切り替わる音がした。

 そうだ、お前のその眼を静からそらせるのならそれで良い。

 破軍が外に目を向けている間に面倒な問題を片付けることが最優先。


「11の天盤にいる宗像の麒麟児のことかい?」


 僕ですら彼と対峙して不覚にも一歩も動けなくなったのだ。さすがの揺光ですら麒麟児と評するか。

 太陰帝君を彷彿させる黒蓮を操ってみせた宗像貴一はまさに伏竜鳳雛。

 下手をすれば、この先、彼は揺光を凌ぐことになるだろう。

 笑えるほどに八方塞とはこのことだ。どこを向いても敵だらけ。

 どちらの敵がましかなどと思考する他ない。


「天眼をもっている者など天部にも数えるほどだもの。 どこの誰が選定者として降りたのか、知りたいものだよねぇ」


 疑り深く、凶事を好むような声色の少年のこの言葉に、僕は深く息を吸い込んで、身体中の息を吐きだした。知ったことかと吐き捨てたい気持ちの代弁だ。


「その点については一切をお任せいたします」


 天の意があり天部の誰かが人として命を受けて、陰の側に降りていたとして、それが何だというのか。

 人として命を受けている段階で、天部のそれとは縛りが異なるのだから、言うても仕方ないことだ。

 そして、その誰かは決して陰の側にだけ存在しているとは思い難い。天のなさりようは常に一には一だ。

 僕と揺光の間におそろしいほどの沈黙が流れ、周囲がざわめく。

 腹の探り合いをするにこやかな笑顔とにこやかな笑顔がただ向き合っているそれだけの空間だ。

 ひりひりとした空気はさらに圧を増してくるが、静が本気で怒る時の気配の方がいくらか恐ろしいので屁とも思わない自分がおかしい。

 

「素晴らしい度胸だね。 では、またいずれ」


 揺光は我慢比べをこれ以上続けることはやめだと言葉を発し、横を通り過ぎていく。

 それを横目で見送り、二度とあいたくねぇわと舌を出してやった。

 後にどれほどの罵詈雑言を浴びせられたとしても、ただ勝てば良いというだけなら、静という聖君を先陣に立たせさえしなければ7割は完了したも同然。それ故、天盤争奪の勝敗に手助けなど元より不要だ。

 

「眼前には破軍星、背後には鳳雛。 さて、今のこの状況、何を意味する?」


 いっそ哀れなのは僕一人じゃないのかと乾いた笑いがこぼれた。

 大学の道は明徳を明らかにするに在りかとやけくそになりそうだ。

 大学とは、世の中に良い影響を与える大人になるための学門を言い、天が授けてくれた人間の良心を明らかにし、自らの心を磨き続けることこそ道だと示している。

 まさに、勝つのであれば正当性を、妥当性を、公明性を持てということだ。

 さりとて、世界はそれほどまでに清らかで、美しく、優しいものばかりでできてはいない。

 

「物に本末あり、事に終始ありってか?」


 そうも賢者どもが言葉を並べるのなら、天意とやらをとことんまで探ってやろうじゃないか。

 悪と呼ばれることに慣れた僕にしか見えないものがあるのだとしたら、それは真理中の真理かもしれない。

 

「悪いけれど、勝つしか道がないのなら、僕は勝つよ、静ちゃん」


 静以外の奴に膝をつくなど、二度としてたまるか。

 ゆっくりと立ち上がり、僕は皆に命を下した。


「月狩りをする」

 

 場に歓声があがる。

 意味もなく奪うなという静の方針に従い、長年我慢してきた奴らは鬱憤だけを募らせていた。

 だからこそ、僕、若宮直人は声高に宣言する。

 

「完膚なきまでに奪いつくすよ」


 見据えた先は一つだ。

 月の僥倖と鳳雛をたたく。それだけだ。

 




 



 

 




 

 







  




 


 

 

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