第6話 俺と小次郎
「新、言い訳してみぃ」
20階建ての高級ホテル18階にあるセミスウィートの一室。
大きなソファにゆったりと座っている30過ぎの青年。その前に正座をさせられている俺という構図は早1時間に及んでいた。
這う這うの体でたどり着いたホテルのロビーで意識を失った俺が次に目が覚めたら、この目の前にいる叔父の静が滞在しているこの部屋のベッドルームに居た。
丸二日、時々、目を覚ました気もするが概ね寝っぱなしだった俺がようやく起き上がって食事を済ませたのを見届けた静が正座を要求してきたのだ。
ばつが悪く、どうにも視線をあわしたくない俺の顎を指先で持ち上げられ、抵抗虚しく、静の切れ長の目に捕縛される。背筋を凍りつかせるには十分すぎる迫力の微笑みをたたえ、口を開いた。
「言い訳してみぃや」
俺、高階新の受難は続いていた。
8月11日の一件で新作のコレクションを中止し、方々に頭を下げ、連続徹夜記録を更新中の叔父の静に、理不尽なまでに著しく人権を蹂躙されることとなった。
命のやり取りをしてきた甥に対する態度かと睨んでみるが、アパレルの発表が流れるとどれだけの経済的ダメージがあるかについて論じられ、閉口。これこそ、秒殺というのだろう。
しかしながら、一番のお怒りの理由は別にある。チェロの紛失だろう。
「チェロは高いやんなぁ、ほんまに高いわぁ、なぁ、新クン?」
「せやけど!」
「是が非でもチェロを抱えて逃げるんが高階家の男の極意やろう?」
「無理やったんやって!」
「無理ぃ? しぃちゃんはそんなやわな男に育てた覚えはあらへんわぁ」
静は煙草に火をつけると、俺の顔をぐいっと覗き込んだ。
直視すると父さんと確かに血つながりだと感じさせるに十分すぎる容姿の持ち主で、冷え冷えとする目や形が良い薄い唇の口角の持ち上げ方まで瓜二つかよと内心ぼやいてしまう。
「海にチェロを落としました。 せやから、演奏できません? 演奏できないので金を稼ぐことできません。 なぁ、稼がれへんってことはどういうことかわかるか? こんな時は、しぃちゃんに土下座してでも、お願いするんやろ?」
「お断りや! しぃちゃんは闇金融よりたちわるい」
「何言うてんのんなぁ、お前の出演料の75%でええよー、て言うてるだけやんか?」
「75%とか、もうありえへんやん!?」
「何がやの? お前の親父、自称日本画の天才は生活費を思いついた頃に送ってくるだけ。 しかも、基本的に行方不明。 新を育てたのは誰や? 俺は新のオシメから何からしてやったのに、感謝の言葉もあらへんとはいかがなものや?」
テニスの試合を観戦しているように俺と静のやりとりを見ている桂は、言葉を挟むタイミングを逸していた。逸しているというか、このまま入ってこないでくれという俺の願いを正確にキャッチしているのは真規だけなので、桂はまだタイミングを伺っていそうで冷や冷やする。
「新が悪いよななぁ、桂」
突然、言葉を投げられ、桂は思わずうなずいてしまった。
実のところ、桂は静に頭が上がらないのだ。
桂の父である時東元治は、俺の父同様、放浪癖があり、一人娘の養育を静におしつけ、現在も行方不明なのである。故に、俺と桂は生活圏は異なっていたとしても、静に養ってもらっているようなものだ。
「今のは強制や! お前も安易にうなずくな!」
俺は桂を指差して、やや怒鳴り口調で訴えたが、静は聴こえませんというようにタバコを楽しんでいる。
「チェロは欲しい。 だけど、しぃちゃんの取立ては納得いかへん」
「それは何かい? しぃちゃんが心血注いで購入してやったチェロは気に食わへんかったから海へポイして、しかも、ローンも帳消しにせぇ言うてんのんか?」
「できれば、そうしていただけたらと……」
「甘えたこと言うてると、脳ミソにカビはえるで? ローンは継続! 新しいチェロはすでに購入済みや。 つまり、ローン+ローンってことやねぇ。 これこそ、世に言うローン地獄や。 あぁ、そうや! 新しいコレクションのモデルもやってもらうで? それくらいしても罰当たらんやろ? ま、利子はこれからもモデルでええよ。よろしくねぇ」
「そんなぁ! 俺、また、しぃちゃんの都合でコンクール辞退せなアカンの? 『親父が見に来るから、嫌や』とかわけわからん言い訳して?」
「お前、俺よりコンクールが大事なんか? 借金返済よりコンクールとか本気で思てんのか? あぁ、踏み倒すつもりか?」
「必ず、借金は返済します!」
「その言葉忘れなや?」
鼻歌交じりに立ち上がると、ベッドルームから静は大きなダンボール箱を引きずり出してきて、やや得意げに笑った。
「さぁて、新くん。 新しい相棒の音、確かめてみぃ。 オーストリア産やで?」
静は段ボールを指先でつついて見せると、軽くウィンクしてくれる。
伯父とのやりとりは毎度おなじみだけれど、俺を誰よりも愛してくれているのはこの叔父でしかない。
俺は大はしゃぎで厳重に梱包されている箱に飛びついた。
「ほんまにガキやねんから」
困ったように笑うと静は改めてソファに座りなおした。俺におごらせたルームサービスのロイヤルミルクティに口をつけると、静は柳眉を逆立てた。
「真規がいれた方がまだうまいわ。 これまっずぅ」
「あのどういう意味なんでしょうか?」
真規はこぶしを固めた。確かに、料理をはじめ家事全般をプロフェッショナルにこなす静に比べれば劣るかもしれないが、腑に落ちない言葉だと思うと真規はストレートに不満をこぼした。
「深い意味はあらへんよ。 真規を褒めてるんやけど?」
「それで褒めてるつもりですか?」
真規は片眉だけつりあげて、静を睨みつけた。
小次郎は内戦が勃発するのを察してか、ひょいと真規の腕の中から逃げ出した。
「あぁ、そうやわ。 桂、この間、プレゼントした服どないしたんやろかぁ?」
桂はギクリと身を固める。矛先が自分に向くことを予測できていなかったのか、完全に腰が抜けている。
「仕方あらへんかったとは思うで? あんだけの事件に巻き込まれて、破れてしもうたんわ。 で、ごめんなさいは?」
「ゴ、ゴメンナサイです」
桂は完全に委縮している。額に冷や汗びっしょりの彼女に静はにやりと笑んだ。
「バイトしてもらうで?」
桂ががっくりと肩を落としたのを横目でちらりと見て、偉そうに静はソファにタバコをふかしたまま、横になった。
海外では駆け出し同然ではあるが、高階静の『SHIZUKA』というブランドは国内では絶大な人気を誇る。業界人をはじめとする多くの著名人が彼の洋服の虜となっている。故に静の顔は広すぎるほど広いのだ。
「桂をいじめすぎたら、ストレスで死んでしまうで?」
俺はわずかに振り返ると顔をしかめた。
「破ったもんはしゃーないやろ?」
相変わらず、大きな態度の静は悪びれもせず、薄く笑った。
これ以上からむのは無駄だと判断し、俺は梱包具との戦いを継続した。
ようやくチェロを取り出すと、自然と口元がほころんでくることに気がつき、あわてて表情を引き締めた。
「これ、前のと全然違う!」
弦を指先で撫で、木の感覚を確かめるように抱きかかえる。
静はソファの背からわずかに顔を出してニヤリと笑んだ。
「高い分ええやつに決まってるやろ」
父親が息子の喜ぶ顔見たさに大奮発して購入したクリスマス・プレゼントを枕元に置いた後の気持ちに似ているのかもしれないと静が笑って言ってくれた。それもこれもうれしくて、俺は夢中で音を確かめる。
金銭的に困っていることは実はもうない。むしろ、余っているほどに稼げるようになった。だけども、俺も静も、昔からのスタンスを崩すことはない。
静はたぶん俺の技術の進歩に乗じて、分相応のチェロを与えてくれていた。
「泣き虫で、甘えん坊の新クンもいっちょ前に世界を舞台に駆け回っている男になってくれたんやから奮発せなあかんよなぁと1か月前に注文しとったこの俺様を崇め奉れや?」
「1か月も前!?」
この度の紛失がなかったにせよ、この新品ちゃんは手元に来る予定だったのだ。
俺はさらに嬉しくなって、静の方に視線をやった。
「気に入ったんか?」
「これ、めっちゃすっごい!」
調律もまだ終わっていないのに、ほんの少し指先ではじいてみただけで心地よい低音が部屋中に響き渡る。
防音設備の部屋を頼んでいて良かったと静は煙草を口にくわえながら小さく息を漏らした。
「しぃちゃん、これ、最高や!」
興奮気味で俺は勢いよく立ち上がったが、軽いめまいを感じ、思わずチェロを抱え込んだまま、床に崩れこんでしまった。
「桂、すまんけど、近くの薬局で胃薬と、俺の着替えの下着を買って来てくれへんかなぁ」
静はひょいと財布を投げると、桂をあっさりと一室から追い出してしまった。
「桂は出て行ったで?」
静は歩み寄ると、俺の肩をぐっとつかんだ。
「たいしたことあらへん。 かすり傷やし、もう傷口はふさがってるし、疲れてるだけやと思う」
「新、明らかに目をそらすんは嘘ついとるってことになるんやで?」
俺の嘘はいつも静にだけは簡単に見破られてしまう。
静は俺の左腕を力一杯握り締めた。
俺はたまらずに悲鳴を上げた。
「これでも疲れてるだけ言うんか?」
静は煙草をくわえたまま、呆れ顔になる。
「ゴメンなさい。 ・・・・・・ほんまに傷口はなんともないんやで? せやけど、変な痣があんねん。 その痣の所が急におかしくなるねん」
「いつからや?」
「数時間前かな?」
傷口を中心に蛇のような形をした緑色の痣が左腕に広がっている。静はわずかに眉間にしわを寄せた。そして、無言の内に俺をひっぱるようにしてバスルームへ向かった。
「しぃちゃん!」
俺は困惑して、ただ目を丸くするだけだ。
静はバスダブの横に強引に俺をしゃがませると、シャワーの蛇口をひねった。
「何するん?」
「黙っとけ!」
普段の静からは考えられないほどの怒声がバスルームに響き渡った。
俺は生唾を飲み込んだきり、勢いに負けてしまい唇を引き結んだ。
「新、タオルをしっかりと噛んどけ。 痛みで奥歯が折れてしまうからな!」
静は状況を把握できていない俺の口にスポーツタオルを押し込むと、ポケットからサバイバルナイフを取り出した。そして、躊躇することなく、その痣の中心に突き立てた。
俺は痛みのあまり、身体をよじり、押さえつけている静の腕を振りほどこうともがいたが、じっとしとけと再度怒鳴りつけられて思い切りタオルをかみしめた。
「あぁ、もう! こんなもん、身体に住まわせよってからに!」
凶行による強烈な痛みに無意識に暴れそうになる俺の身体をしっかりと抑え込んで、静はさらにナイフを腕に深く突き刺していく。シャワーの水がひたすらに俺の血を洗い流していくから、余計に血の気がひいてしまう。
「出て来い!」
俺の腕からは赤い血ではなく、どす黒い紫色の血が流れ出ていた。
「コイツの身体に寄生なんかさせへんぞ!」
静は自分の指先を軽く噛み、血をにじませた。それを悶絶中の俺の額に押し付けてきた。全身に電流が走った瞬間、ヒルのような生物が傷口から飛び出した。バスダブの排水溝に滑り込み、わずかな硫黄臭を残し、それは逃げ去った。
「ちぃっ! 逃げやがったか!」
俺の腕からはようやく鮮血がにじみはじめた。黒く濁っていた水が赤く染まっていくのを確認し、静はナイフをゆっくりと抜いた。
「まったく、どないなってんねや? 寄生鬼を使いこなす奴がちょっかい出してくるとは。 ・・・・・・なぁ、小次郎?」
バスルームの入り口には小次郎がしょんぼりと頭を垂れて座っていた。
「気がつかへんかったんはお前の落ち度と違うんか? お前がついていながら、これはどういうことなんや?」
静は俺の傷口を手際よくネクタイで縛りながら、ゆっくりと振り返った。
「小次郎、しゃべったらどないや? それとも、言い訳でけへんくらいの失態やったんか?」
「いちいち、うるさいねん! アタシかて、めい一杯やってんから!」
小次郎は甲高い女性の声で話し出した。ちょっと待て、何で小次郎がしゃべってるんやと俺は目をさらに丸くする他ない。
「新、お前もとりあえず委細そのまま飲み込むんやで?」
状況に有無を言わせない静に抱きかかえられながらシャワールームを出た所で真規がバスタオルをかかえて飛び込んできた。
俺は静と真規に両側から支えられ、何とか歩行してベッドまでたどりついた。
まだ目の前で何が行われているのかわからない。ベッドに寝かされながら、理解が追い付いていない脳みそを何とかしようと躍起になった。
「わけわからん幸運にぶちあたらんかったら、新は今頃遺骸になってるところやぞ?」
静は足先で小次郎の尻あたりを蹴飛ばした。
「言われんでもわかってるわ!」
小次郎は静の足に軽く爪を立てて仕返しをしている。
「相変わらず、役立たずやなぁ、小次郎さん」
「黙っときぃ、自分!」
「ちょっと、そこどけ。 偶然、踏みつけてしまうかもしれん」
静は足で小次郎を追い払った。
「どないな偶然やねんっ!」
小次郎はひょいと俺の身体の上に飛び上がった。
小次郎は心配そうに俺の頬をなめ、じんわりと涙を浮かべている。
「小次郎、邪魔や」
静は片眉だけ上げると、面倒くさそうに嘆息し、小次郎をつまみ上げて、真規の方へと放り投げた。真規が小次郎の身体をキャッチすると口元を引きつらせている。
「小次郎、言うな! アタシをそう呼んで良いんは新だけや!」
小次郎は負けじと真規の腕から逃走すると、ベッドに飛び上がり、俺の枕元に再度陣取った。
「玉三郎! 小次郎を引き離せ! 手当ての邪魔や!」
面倒くさそうに現れた白い毛並みのややフェレット気味のネコが小次郎のすぐそばまで近寄る。
「アンタもね、女の癖に玉三郎って呼ばれて平気なわけ?」
小次郎は背中の毛を逆立てて威嚇するように言う。まさか、玉三郎までしゃべるんちゃうやろなと俺は息を飲んだ。
「ええのんと違う? 新ちゃんがカッコエエとのたもうて、命名されてしもうたんやしぃ? 性別とか、ガン無視でつけたんは新ちゃんやん? まぁ、うちはそないに大騒ぎするほどの問題でもあらへんしぃ? こっちは哀れに思うて遊びにのってやってんやでぇ? ええのんと違うのん? ぎゃあぎゃあ、言うてんの自分一人やで? もう、小次郎と玉三郎でええやん?」
「呆れて物も言われへんわ!」
「そしたら、黙っといたらよろしいわ」
玉三郎は後ろ足で耳をかいている。
その余裕たっぷりの動作に小次郎の怒りは臨界点に達したらしく、さらに怒声があがる。
「あぁ、うっとおしい! この胴長化けネコ!」
「何やてぇ? こっちは急な呼び出しで、ただでなくてもうんざりしてんねん! どうせたいして動かれへんのでしょう? 大人しくしてたらどないや? この能無しキツネリスネコ!」
「ふんっ! どうせ、アタシは出来そこないやもん!」
激しい痛みに負けて、俺は小次郎に手を伸ばしてやりたくとも視線だけしか動かせない。口にはタオルを押し込まれたままだから言葉もかけてやれない。しかも、意識が朦朧としてくる。眼だけで小次郎の姿を追うしかない。小次郎はベッドから勢いよく飛び降りると隣のリビングルームにある俺のチェロの前に座り込んでいるのがわずかに開いている扉から見えた。
「ねぇ、静。 小次郎、あれは相当凹んではるなぁ」
玉三郎は小次郎が項垂れている様子をちらりとみると悪戯っぽく笑った。
「むしろ、へこましたんはお前と違うか?」
静は俺の治療を手際よくしながら、口の端を吊り上げて笑った。
「この程度はあいさつ代わりや」
玉三郎は静の肩に飛び乗って、首に巻きつきながら耳元でぼやいた。
「基本、俺様は寛容やけど、これはいただけんわ。 こんなに血の気ない顔にされたら商売あがったりや」
俺の顔を見ながら、静は眉をひそめた。言葉は荒いが、俺を心配しているのだけはわかる。明らかに静が激情の中にいるのがわかる。彼を包み込んでいる空気がこれまで感じたことがないほどに凍り付いている。
「玉三郎ちゃん、どないしょうか?」
玉三郎は静の肩の上でニイっと笑った。
「やってしまおうかぁ」
それに応えるように静がうなずき、口早に何かを唱えた。すると玉三郎の身体は消え去り、静の手には棍が握られていた。
「おい、真規と小次郎! ちょっと御礼参りしてくるから、新を今度こそ見張ってるんやぞ?」
真規はベッドサイドでびくりとして背筋を伸ばすとはいと軽く手を挙げて苦笑いしている。小次郎があわてて、ベッドルームに戻るよりも早く、静の身体を花の香りのする風がゆるやかに包み込み、忽然と姿を消した。
「相変わらず派手な匂いだなぁ、静さんは……」
真規が盛大なため息を漏らした。
「女癖悪い静にはお似合いの匂いや!」
小次郎がふんと鼻を鳴らすと、その様子に真規はまぁまぁとなだめるように語り掛けている。間違いなく、真規は小次郎のことも静のことも知っていたと言うことだ。
意図したように静は桂を外した。ということは桂は何も知らない。いや、知らせてはいけない人物と心得よと言うことなのだ。
「新、大丈夫やで? 静はものごっつい強いから! あぁ、まだ新には声が届かんよなぁ……。 我慢や、我慢! とりあえず、新を励まそう!」
いや、小次郎、ばっちり聞こえてる。口に押し込まれたタオルを誰もが除去してくれない故に声が出ないだけだ。
「新、もうそろそろ自分を許してあげてや」
頬ずりをしながら、小次郎は必死に訴えかける。気がつくと小次郎の目から大粒の涙が零れ落ちていた。
身体の自由が効かないから、泣くなよと撫でてやることもできないまま、俺はじっと小次郎を眺めていた。
どうして忘れることができたのだろう。
幼い日、俺が小次郎と話すことが出来ると日記に書いてしまった。
それをあざ笑った大人達や同級生達のせいで俺が膝を抱えて泣いていた時も小次郎はずっとそばに居てくれたじゃないか。
しかし、日が経つほどに状況は悪化し、俺を嘘吐きだと罵しった上級生達は、兄である恒までも苛めはじめた。
多勢に無勢の中、立ち向かった恒と俺だったが、身体の大きな上級生に突き飛ばされた恒が鉄柱で額を大きく切ってしまった。それを見て俺の怒りはついに爆発した。
公園内に大きな竜巻が生じ、方々でカマイタチ現象が起きた。三人の上級生は鋭利な風に四肢の神経を切断され、重体となってしまった。俺を必死に止めようとしてくれた兄の恒も同様に重体。
悪魔だと口々に噂された俺に逃げ場はなかった。
そうして、住み慣れた鎌倉を後にし、祖父が住んでいた京都へ移り住んだのだ。
自閉気味になってしまった俺を救ったのは哀しいかな父親に兄のかわりにやれと言われて渡されたチェロだった。7年という月日が経ってもまだ俺の心にはあの日が深く刻み込まれたままだ。
『小次郎がしゃべるなんて言わなきゃよかったんだ』
そうか、俺は俺に暗示をかけてしまったのか。
小次郎はずっとそばに居て、ずっと俺を一人にしなかったと言うのに何てことだ。
小次郎が俺の頬を舐めてくれるのが、こんなにうれしいのに、俺はなんてことを想ってしまったんだろう。
「新、ごめんなぁ。 新、痛い? 新、どうしたらええんやろか?」
呼びかける声が俺に届いているかどうかなどと小次郎には関係ないのだろう。
ただ、一心不乱に語りかけてくれている。
その声があまりに切なくて、俺は思わず涙がこぼれた。
ごめんな、小次郎。
はっとしたように小次郎が目を丸くしてこちらを見ている。
声が届いたのだろうか。
「新、わかるの?」
小次郎の問いかけに俺はゆっくりとうなずいた。
小次郎が俺の顔にまとわりつくように飛びついてくるから、苦笑いだ。
頼むから、この口におしこめられたままのタオルを引きずり出してくれないかと心の底から願った俺は真規に視線を移した。
真規が苦笑いしながら、俺の口からタオルを取り出してくれ、ほうっと息をつくことができた。
真規の指がのびてきて、目にかかったままの俺の前髪をすくいあげてくれた。
少し眠ってと真規が言ったか言わなかったかくらいで俺は情けなくもブラックアウトした。
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