第7話 御礼参りはご丁寧に

 皮膚がひりつくほどの陽射しがアスファルトを照り付け、反射した光が視界を簡単に狭めてくる。

 怒りのあまり、オーバーサイズ気味のシンプルな黒のチノパンとTシャツに、膝裏まであるシースルーの長い白シャツという無頓着な部屋着のまま飛び出してきてしまったことにわずかながら後悔したが、この際、気にしないことにした。

 高層ビルの屋上にあるヘリポートに降り立つと素早くあたりを見渡した。

 気配はあるのに姿が見えないことに少々焦れた。


「出てきたらどないや?」


 ビルを駆け上がってくる風がシャツをあおり、その布がはためく音にすら苛立ってしまう。さっさと出てこいと眉を寄せたところで、しゃらりと軽いくさりのような金属音が背後から聞こえて、俺はゆっくりと振り返った。

 待ち人来る。

 そこには女好きするほど懇切丁寧な作り笑いの男が立っている。

 身長は俺とそうはかわりがないが、俺の方が5,6cmは高いから、視線は自然と見下ろす形になる。


「静ちゃん、お怒りはよく理解しているけれど、ビーチサンダルで登場するのはありえないんじゃない?」


 俺の足元をわざとらしく指さした彼はこれまたわざとらしく困ったような表情をつくるから、思わず、右の拳を繰り出していた。

 相手はきっちり読んでいましたよと言わんばかりに拳を掌で受け止めて、危ないなと声を荒げてみせるから、さらに癇に障った。

 俺は眉間にさらに深くしわを刻み、冷えた視線でにらみつけてやる。今回ばかりは冗談で済ませるわけにはいかない。

「寄生鬼はどう説明するつもりやった? 若宮直人くん?」

 寄生鬼と言った時にわずかだが直人の鉄壁の笑顔の仮面にひびが入ったように感じた。

「今、寄生鬼と言いましたか?」

「わからんかったとは言わさんぞ? それとも何か別の含みが?」

 他のいらん事は多少は目をつむるつもりではあったが、どれだけ譲歩したとしても、寄生鬼の件だけはいただけない。

「やりすぎたな」

 寄生鬼はただの妖魔ではない。宿主の血肉を糧に何かしでかすというわかりやすいパターンのものではないからだ。一番の目的は情報収集、ことに遺伝情報を入手する際に使役する類の物だ。遺伝情報を入手するだけならまだ許せるが、それで終わるはずがない。宿主の遺伝子に刃を差し込んで情報を抜き取るだけに、その傷口部分から壊死がはじまり、最悪の場合は死に至る。

「寄生鬼くらい自己処理できんのかとでも言いたげな顔やな?」

 直人は肩をすくめてから、おどけたままだった表情がわずかに強張った。

「静ちゃん、そもそも、僕がしかけたって証拠はあるの?」

「仕掛けていると断定していたなら、こんなに穏便な登場があると思うか?」

「でも、怒ってる!」

 表情は変わらないが、明らかに茶化す方向へ逃げようとしている直人を一瞥して、小さく息を吐いた。これまでの経験上、こいつのこれはもう何か知っていると直感した。

「察知できていながら見逃した罪は重いやろう?」

 直人の右肩をわしづかみしたまま、力いっぱい地面にたたきつけた。

 彼の身体の上に馬乗りになり、ぐっと顔を近づけた。

「お前、そんなに偉くなったんか?」

 コンクリートに奴の身体をのめりこませていきながら、にらみつけるが、直人はまったく抵抗してこない。甘んじて罰を受けるという所作をみせて降参しているつもりなのだろうが、このままで終わらせるはずもない。

「静ちゃんを敵にまわすほど僕は馬鹿じゃないよ」

 これでもあなたの自由を護っているのは僕なんだからと直人の目がまっすぐにこちらを見上げてくる。

 十分にこの目の前にいる若宮直人という男を知っている。俺の目を盗んで、こいつが本気でしかけてきたら、新は今頃棺桶の中だ。僻み、嫉みの類を多少の痛みをもって嫌がらせするのが彼の癖だ。俺が対処して大事になることはないと予想してやっているのが悪質極まりない。そこまでわかっているのだが、どうにも怒りの抑え方がわからない。

「俺はお前のそういう所は嫌いやないよ? ただ、新はあかん」

「静ちゃんがそんなにわかりやすい態度でいるから、狙いを定められるんだ」

 直人の言うことにも一理ある。しかしながら、優先順位が明確なだけであり、どこが悪いのかと思ってしまう。俺は俺自身が思う以上に短絡的思考の持ち主なのだ。緻密な計算、熟慮などというものは存在しない。

「どうしてそこまでこだわるのですか?」

 直人の言葉に思わず乾いた笑い声がもれた。

 俺はくくくと喉を鳴らして、直人の喉にぴたりと掌をあててみせてから、思いっきり指に力をいれてやる。さすがに苦悶の表情を浮かべ始める直人の額に脂汗が浮かんでいる。

 俺はそっと直人に顔を近づけると耳元でつぶやいてやった。

『お前は新やない』

 直人が眉を顰め、激情のままに俺をみあげているのがおかしい。 

 僕だって巻き込まれたんだと直人が掠れる声でつぶやいた。

「同じ場におったんやったらどうにかできたんと違うか?」

「不本意ながらもギリギリまで護った僕にこの仕打ち?」

「最後までやりきらんかったのは可愛くあらへんわ」

 だけれど、こちらも予想外だったんだと直人が言葉を吐き捨てた。

「新だけはあかんってあれほど言ったはずや。 覚えてへんとかないよなぁ?」

 直人がぐっと唇をかんで、うんうんとうなずいている。

 その苦しそうな表情をみても、俺の指の力は一向に緩まない。骨がきしむ音が聴こえてきそうなほど食い込んでも何とも思わない。

 苦しさのあまり、直人が俺の腕をつかんだ。

「気安くさわらんといて?」

 すみませんと直人があわてて手を離す。

 ただ悶絶するだけで、まったく抵抗してこない様子にそろそろ飽きてきた俺はふいに手を離してやった。

 すぐには息ができないのか、激しくむせこんでいる様子を無言のままでしばらく見下ろしていると、呼吸を整えたらしい直人がひどすぎると不満の表明をした。  

 襟首をつかんで起こしてやると、目にじわりと涙をためたまま、本当にひどすぎますよと彼には珍しいほどの怒声をあげた。

「お仕置きはおわりや」

 俺はぽんぽんと彼の頬を手でなでてやると、ほんの少しだけ気配が柔らぐ。

「直人、仕込んだ相手くらいは探せたんやろな? 御礼参りはきっちりが信条やからねぇ」

 直人は手土産ならありますよと言いながら、空を見上げた。

 燦燦と降り注いでいた陽の光が一気に雨雲にさえぎられていく。

 ポツリポツリと二人の頬を雨の雫がぬらす。

「真夏なのに、静ちゃんのまとう空気は氷点下すぎる」

 直人は空を指さしてから、大きなため息をもらした。

 言葉にしないが、直人が指さした方向に目をやり、なるほどねと嘆息した。

 空の向こうにもう一つの世界がうつりこんでいる。

 今はまだすりガラスだが、これはいずれクリアなガラスとなるだけでなく、衝突してガラスは木っ端みじんになることだろう。

「狙い撃ちできるほど情報つかまれたんか?」

 俺の問いに直人はおそらくはと小さく答えた。

 面白くない。これまでうまく隠し通してきたが、どこで漏れたのか。

「漏らしたか?」 

「僕は何も! でも、嫌と言うほどに御存知でしょうが、うちの連中は血の気が多い。 カリスマがいなければ統率することなどできやしない! それは静ちゃんが一番わかってるでしょう?」

「管理不行き届きは不出来なお前の落ち度やろう?」

 俺は射抜くように直人の目を覗き見た。

「あぁ、ほんとにひどい。 この十数年隠し遂せた方が奇跡だと思いますけど?」

 生意気だなと俺は直人の髪をわしづかみした。

 直人は降参の意をこめて両手をあげたまま、状況を無視したようにヘラヘラと笑った。そして、俺の肩越しに何かを追うようにゆっくりと直人が視線を動かした。言葉はないが、彼の視線が俺にすべての情報を与えた。

「僕はたぶん有能です」

 直人の視線がふっとさがったのを見て、俺と直人はほぼ同時にかかんだ。

 風を切る音が頭上でした。

 直人がとっさにはった透明のヴェールがなかったなら、かまいたちは腕や肩をかすめていたかもしれない。 

「褒めてやる」

 直人の髪をぐしゃぐしゃとなでてやると、気をよくしたのか、彼の動きが俊敏になった。その手から放たれた硬質の氷の矢は、視認できなかった透明に見えた空間にそれは深く突き刺さる。どす黒い血が流れ出し、縞模様の巨大な虎が姿を現した。

 即座に飛び掛かってくる妖魔を俺がひょいとかわすと、直人が口笛を吹いた。

 妖魔を容易く使役するだけでなく、何の前兆もなく召喚してくるとはなかなかのレベルが登場したよいうことか。面倒が増えたと苦い表情を浮かべるしかない。

 思い当たる相手は数名いるが、違和感を払拭することができない。明らかに攻撃パターンが異質に思えるのだ。


「直人、お前はこれをどう思う?」


 手に白銀に輝く棍を呼び出すと、俺は一つ小さく息を吐いた。直人は考えたくもないよと舌を出した。

 次から次へと想定外の攻撃を受けながら、戦闘の感覚を取り戻して行ってるようなまさに荒療治。ここしばらく、こんな風に身体を動かしたことはない。まるで、早く早く元に戻れと急かされている気分になる。

 息をつく間もないほどの虎の攻撃をかわしながら、殺傷処分するか否かを検討中だった。妖魔は切り裂くことで毒となる物もいる。意図して虎をあててくるということは斬れと言わんばかりの所業だ。

 隣にいる直人の横顔に目をやると、どうやら同じところに行きついているようだ。

「斬ってみてよ、直人くん」

「静ちゃん、そういうところ、良くないと思うよ?」

 はははと笑いながら片眉だけ持ち上げている直人の背を蹴飛ばしてやると、危ないだろと寸手の所で直人は虎を避けた。

 避けるなよと口先を尖らせると、直人が味方はどこにいるのかとつぶやいた。

 突風が吹き荒れた後、俺達の背後から風に乗って慣れ親しんだ香りが届いた。


「わざわざおでましとは、何事です? ……違う! 避けて!」


 直人が振り返ったと同時に、俺の身体を突き飛ばし、とっさに剣で防御の姿勢をとり、金属が激しくぶつかり合う音がこだました。

「僕らが二人して騙されるとは……。 静ちゃん、退いて!」

 冷や汗が襟首から背にかけて流れ落ちた。

 絶対的な味方の登場だと一瞬でも気を許した自分自身を恥ずかしく思った。

 現れた栗色の髪の少年は面白くなさそうに直人ではなく、俺をみつめた。その表情はまるで幼い子供がいたずらに失敗して残念がっているようにみえる。

 俺は頬に鈍痛を感じて、息を呑んだ。直人は肩口がざっくりとやられている。

「やってくれるじゃない?」

 直人の表情にありありと焦りがにじんでいる。それだけで、少年がいかに危ない奴かを認識するには十分だった。

「行けるんか?」

 俺が問うと直人は愚問だと答えてみせたが、明らかに表情が強張っている。

 何とか少年をはじきとばした直人にちらりと目をやり、動くなと指示を出した。

 辺りを注意深く見回しながら、思案する。少年のレベルが規格外だというは百も承知だった。だが、状況は逃げるだけの余裕を与えてくれそうにない。

 介入してはならないクラスが興味本位に首を突っ込んできたということだけはよくわかった。

 相手がその気ならばこちらにも奥の手がある。

 こちらの手持ちのカードを切らせたいということなのだろう。


「ええやろう。 リクエストにお応えして、こちらも躊躇なくカードきったるわ」


 俺の言葉に直人がゆっくりと首を横に振って反対だと意志を示してきたが、俺は笑い飛ばしてやった。


「少年、君が天界何層目の住人かはっきりさせてほしいところやけど……。 実のところ、お前程度にはあんまり興味ないねんわ」


 少年は淡い碧の目の奥に炎をともしはじめる。さらに俺は目の前の少年を煽ることにしたが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 

「それでは煽られた気にならないよ」


 少年がニヤリと笑ったのだ。それも大人びた表情を浮かべている。

 このガキンチョの中身はおそらく世界で一番出逢いたくないアイツの気がした。


「上で何かあったんやろなぁ、こりゃ・・・・・・」


 小さな竜巻がおきた後、少年の横に彼よりも多少体躯の良い仏頂面をした赤毛の少年が片膝をついているではないか。

 なるほど、瞬時に召喚しまくれるということか。これでは高確率でアイツだと判断できてしまうではないか。

 俺の横に居る直人は現状把握がわずかに遅れている。それもそのはず、直人以外に絶対に屈することはない赤毛の少年が意図も容易くからめとられたのだから。

 少年がアイツだとしたら、離脱経路はおそらく防がれていると考える方が無難だ。

 俺は状況のまずさに唇を噛む。

 

「まずったわぁ・・・・・・」

 

 天上人の規格外が来てしまったら、完璧な封印を解いていない俺のままでは勝負にならない。だが、ここで解除するのはありえない。

 奴に若宮直人をあてて、俺が先に退くか。いや、これは最適解ではないな。

 直人にはまだ使い道が十分すぎるほどにある。この段階でフェードアウトさせるのは敵の思うつぼだ。それに、捕獲されでもしたら、ただでは死なない直人の生態系だ。直人ならあちらにつく可能性は十分だ。今はまだこちらについていたとしても、明日はわからない。

 こうなってくると例の方の加勢を願わずに入られなくなる。

 必ず来るであろう救いの手をじっと待つ。

 花の香りがほのかに鼻先を掠め、俺はクスリと笑った。


「流石のお察し機能に完敗や」


 今度は本物だと確信した。俺のよく知っている男の声が風に乗って耳に届いた。

 

『化け物の登場はまだ先の予定だったのにねぇ』


 天上人を化け物とのたまう男の感性に俺は吹き出してしまいそうだ。

 姿はないのに声だけであたりを殺気でうめつくす手法に、さすがに少年も警戒しはじめている。ちょっと違う種類でややこしい第三勢力の介入に驚いていることだろう。少年がアイツであったとしたら、この第三者と拳を交えるのははじめてのはず。

 ケガの功名とはこのことだ。

 少年は第三者を知らないということが意味することが俺には大きな収穫だった。

 こちらの奥の手のカードが何であるかを敵側はまだわかっていないということだ。

 ラッキーだなと乾いた唇を舌先でなめた。


『君ほどの男がまんまとはまるなんて、目も当てられないね。 天からのお客様のお相手をするのは時期尚早だよ』


 男の声がやむと同時にキーンと耳をつんざく音があたりを支配した。これがくることをしらない少年は耳を覆う。まんまと隙ができた瞬間だった。


「時間切れや、少年」


 俺は手のひらに自分の血で封紋を書き込んだ。口早に呪文を唱え、その姿を風に変える。直人の襟首をつかんで一気に切り裂かれた空間に飛び込んだ。


『少年、良いことを教えてやるわ。 すべてのチェス盤の枠組みはすでに壊れている。 天にあって、天にあらず。 地にあって、地にあらず。 神にして、神にあらず。 人にして、人にあらず。 紫微にして、陰陽にあらず。 汝、天の門、地の門をすべる神人の誉れ、神帝の寵児なりってな』


 俺は声を風にのせて、捨て台詞をはいてやった。


『美しき梟勇はその翼を穢されはしない』


 ぬかせとか、何とか聞こえた気はするが、相手に対して敬意はないから、強制終了も後ろ髪などひかれはしない。


「いつまで甘えてるんや?」


 別のビルの屋上へ飛び出して、俺は直人をその場にポイっと投げ捨てた。ドスンと音がして、アスファルトの上に落ちた直人がうっと声をつまらせた。


「疫病神め。 お前は不運召集体をいつ卒業するつもりだ?」


 ひどいと身体を丸めて拗ねている直人の尻を足で蹴飛ばしてから一つ息を吐いた。直人の疫病神っぷりは今に始まったことではなく、仲間から歩く厄災とまで陰口をたたかれるほどだ。


「ほんまに祓われて来い」


 俺の足に腕をのばして絡み付こうとする直人をもう一度ふみつけてから、空に向かって話しかけた。


「時生さん、助かったわ。 礼は必ずするから」


 返事はないが、あの食えない男のことだ。きっと笑っている。

 足元に目をやると、やや蒼白い顔をしている直人が目に入る。肩口の傷は深く、かなり血を失ったのだろうが、特に興味がわかないのでその場に捨て置くことにした。


「さっさと自己修復せぇ、阿保」


 悲壮感ただよう声で直人は助けを求めていたが、俺は躊躇なくホテルへ戻ることにした。直人を心配してやる時間など数秒ほどもない。


「褒めて欲しんやったら、どうすべきかよう考え。 わかった?」


 直人は転がったままで片手だけあげて、力強く何度もうなずいている。

 このどこか悲壮感の欠けている直人を飼いならすには鍛錬がいる。

 さてどうしたものか。


「しばらく消える。 ええな?」


 追うなという意図を正確に理解したらしい直人はもう一度、手を挙げた。

 俺は風を身にまとい、空間転移する。

 完全なる安全が担保できる場所などない。ムカつくが新を地下へ潜らせ隠すほかなさそうだ。

 

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