第5話 赤い髪は護り手の証

「気持ちの悪い風が吹きやがる」


 鼻を付く海水の腐ったような臭いを伴った生ぬるい風が前髪を揺さぶった。

 まっすぐに見すえた金色に輝く目で暗闇を纏うはずの時刻にしては明るすぎる夜空を見上げて嘯いた。

 足元までがはっきりと見える程に月明かりは白く伸びていた。これでは、姿を隠すことさえままならないではないかと愚痴をこぼしそうになるのを寸手のところで思いとどまった。

 まるで自分自身が大罪を犯し、姑息にも身を隠しているように錯覚する。

 隠れなければならない事態こそがそもそもの間違であるというのに。

 自分から望んで暗闇を欲するようになるなどとはと力なく微笑んだ。その笑みは敗北感を隠しきれず、双肩にのしかかった重過ぎる運命の鉛に、半ば気力を奪われ、鬱蒼とした世界へ、うっかり迷い込みそうになってしまう。

 このまま消えてなくなれたのなら、どれほど心がやすらぐことだろう。

 このまま終わりになる方がいっそ楽だろう。

「俺は今、何を考えていた!?」

 首をただ無心に横に振った。

 悪夢を振り払うように。

 奥歯がキリリと音がなるほど噛みしめ、再び、空を仰ぎ見た。

 乾いた笑いがこぼれた。

 少し前までならば、曇り一つ無い美しい夜は、仲間達と語り合いながら、満点の星空に賛美を贈っていた。そう、ほんの少し前の俺ならば。

 しかし、この窮地にあっては、全ての光が足枷となりえた。まるで、俺を嘲笑うように照らす月明かりは、事態の禍々しさをいやおう無く自覚させる。

 額から左目にかけて残る傷口は、じくじくと痛み、顎にまで滴るほどの鮮血を吹き出し、純白のマントは血で紅く染まってしまっている。指先で何度もそれをぬぐいながら、辺りを警戒した。細心の注意を払いながら、波音がする方向へと進んでいく。

 骨が砕け、本来の役目を果たさなくなった左足をずるずるとひきずり、ただ前だけをみすえる。

 ここで立ち止まることだけはもう絶対に許されない。

 あまたの神が立ち止まることを赦すと救いの言葉を星屑にのせて俺の頭上から降らせたとしても、俺は首を横に振るしかできない。


「紅い月」


 俺の目には、白銀に輝くはずの月が血色に映っていた。それは身も凍るようなおぞましいほどの深紅だ。焦って、幅広の袖口で、目に流れ込んだものをぬぐおうとこすりつけた。


「嘘だと言ってくれ。 これは俺の血のせいだろう?」


 期待は打ち砕かれ、血をぬぐったとて、その色は紅かった。悔しげに顔をゆがませる他ない。


『血の再生』


 忌まわしい言葉が脳裏をよぎった。

 違うと首を振りながらも、それを至極当然のように肯定するもう一人の自分。

 それは、かつて、栄光の地位に居たものから譲り受け、己の中枢となった物。

 抜き出して捨ててしまいたい衝動さえも、体中に刻まれた天の掟が邪魔をする。

 目の前にある天変地異は、凶事の前兆であると知らせてくる。

 全ては終わりを迎えるための始まりだという確信となり、動けと背を押してくる。


「何が再生だ! これは再生などというものではない! これでは、ただの虐殺だ」


 紅い月を睨みつけるように見上げると、凛としてしっかりと眼光を放ってやる。

 今の俺に出来ることは、当然を当然として受け入れないことだけ。根拠の無いがむしゃらさ、夢見がちの子供のように足掻くだけ。

 天が選び、天が道を示し、天にかわり地を統率せよと委ねられた者達を、かくも無残に消し去ることなどあってはならないと、何度も祈るように天を見あげる。

 だが、何の救いの道も術も与えられない状況は、見放されたと思うには十分すぎる。それは、別の結末を期待していたかのように落胆させる。


「物事の資質を問われるのならば、甘んじて受けてやる。 だが、理不尽に命を奪われるのと、天命が尽きるのはまったく別の問題だ」


 潮の臭いが数分前よりさらにきつくなり、目的地がさらに近づいたことを告げる。

 一段と重々しくなっていく胸の内を鎮めるようにゆっくりと目を閉じた。

 温かくぬめった感覚が、襟から背へと伝い落ちる。

 麻痺してしまっているのか、これだけの重症であるにもかかわらず可笑しな程、痛みはなかった。

「ありえない」

 そうだ、ありえない。

 嵐の最中のような荒々しい轟音が耳に届き、眉をひそめた。

 こみ上げてくる焦燥感は鼓動の音を速くする。

 俺が生きている限り守護する領域の海が荒れ狂うことなどない。

 だが、これは何だ。

 小波一つたつはずのない海が、今は終焉の象徴のごとく、稲光を背に黒々とうねりを上げ、波しぶきが岩肌を激しく攻め立てている。

「くそっ!!」

 状況は俺の予測を上回る速度で確実に追い詰められている。

 守護者である俺を無視するかのような圧倒的な力が働いているのだ。

 この先、逃げ場がないであろうことも、わかっていた。それでも、尚、進むしかないと気を奮い立たせた。

 いくら思考をめぐらせても、打開策が思いつかない。

「ちっとぐらい名案が浮かばねぇのかよっ!!」

 こんな時に仲間を失った大きさを見せ付けられるとはと、うなだれた。

 背にある温かさを何とか護らねばならないのに、俺にはもうどうすべきかさえわからない。

 頭がパンク寸前だった。

 己の体よりも数段小さく、折れてしまいそうな首筋をしている銀髪の幼子が俺の背を占領していた。刃物で切りつけられた肩の深い傷跡からは血があふれ、襟元まで真っ赤に染めている。痛みのあまり意識が朦朧としているのか、小さな呼吸は弱々しくなっていた。

「頑張れ、頑張るんだぞ」

 背中の幼子に何度も声をかけながら、歯を食いしばって前へ前へと足を踏み出す。

 ごつごつとした岩だらけの地面には、傷からあふれ出す深紅の花が、まるで道標のように咲いていった。

 肩で息をしながら、背後に感じる敵の気配が先程よりも近くなっていることにようやく気が付いた。

「終わりになどさせるか」

 ここにきて初めて足を止めた。ここで食い止めるしかない。

「何て姿してやがるんだ?」

 俺の視線の先には大きな緋龍が描かれている柱があった。

 だが、すでに崩壊は始まっており、大部分は傾き、黒い海に飲まれ始めていた。

 それをしばらく眺めてから、俺は最後の力を振り絞って、その傾きかけた柱の上へと跳躍した。柱の頂上には、俺のお気に入りの庭園があるはずだったが、望み虚しく、草花は黒い海の水に萎れ、庭園を彩る全てのものが死を迎えていた。

 一部はもろくも崩れ落ち、どうみても切り立った崖でしかなくなっていた。

 俺は廃墟と化した庭園の中央部に立つと、そっと、その幼子の体を緋色に輝く石室の上に横たえさせた。その体の前に片膝をついて、深く頭を下げた。その礼は上位者に対しておこなうものだ。この幼子はすでに俺の上に立つべき宿命をもっている。

 俺がここで命を落とす結果となったとしても、死守しなくてはならない。いずれ、この小さな手には先の幾千もの命が握られることになるのだから、この身を盾にしてでも護りきらねばならない。


「すまん。 こうする他に、お前を救ってはやれねぇみたいだ。 お前だけでも逃げ切れ」


 膝裏近くまである血に染まった髪に目をやり、ぐっと握りしめた。

 血に染まっても尚、輝きを失わない緋色の髪が俺の苛立ちを加速していく。

 

「お前の時代が来たのなら、俺と同じ宿命を背負うであろう『俺』と仲良くしてやってくれ。 頼むな」


 俺は胸に手を当て、己の胸から真珠に似た光を放つ珠をえぐりだした。

 その瞬間、体中に電流のごとく激痛が駆け抜け、うめき声と共に崩れこみそうになる。それでも、痛みに対し感傷的になる余裕などないと、体を震わせながら、ゆらりと立ち上がった。


「これが出すべき答えだ」


 力なく横たわったままの幼子の懐に、そっとそれを忍ばせると、ゆっくりと近づく気配の方へと振り返った。その人影とまだ距離があることを確認し、横たわったままで身動き一つしない幼子を再び抱き上げた。

 俺は庭園の絶壁となった部分へ迷い無く足をすすめた。そして、暗黒の海の中へ、その体を投げ入れた。


「本当は二度と戻って来なくて良い。 時が過ぎ、天がお前を見過ごしてくれるのなら、それも良いだろう。 愛されて生きなさい。 それが正解だ」


 俺の声は光となり、完璧なまでの静寂を生む。

 研ぎ澄まされた透明な空間は、荒れ狂う海を鎮め、その水面を大きくすり鉢状に変化させ、落ちてゆく体を限りなくやさしく包み込んだ。光と水が繭玉のように絡み合い、ついには幼子の身体を完全に飲み込んでしまう。

 それを見届けると、俺は膝を折った。炎のような色の髪は、色が抜け落ちてしまったかのように透き通った白髪へと変わっていった。

 近づく足音が、耳にしっかりと届いた。距離はもうなかった。不敵に笑うと、ゆらりと立ち上がった。


「何て役回りだ」


 口の端に嘲笑を残したままで、俺は血の涙を流した。

 別離故の涙ではない。振り返った先に居るであろうはずの人物を敬愛しているが故だ。だが、一番、憎むべき人物となってしまった。それなのに、どうしても憎めない人物。身を切られるよりも辛いとはこのことだなと思った。


「あなたに従う術も、抗う術もない」


 妖力の根源である物を取り出し、幼子に委ねたことにより、もう戦う術はなかった。あるとしたらそれこそ、自爆することくらいだろうなと苦笑いだ。


「随分と様変わりしたな。 私はお前の炎の色をした髪が好きだったのだが?」


 色の抜け落ちた髪を一束指で吸い上げ、自嘲めいた笑みを浮かべた。

 ほんの少しは能力を残しておくべきだったとわずかに眉をひそめた。

 手傷一つ負わずに追いつかれたことはさすがに計算外だった。

 目の前にいる男がわずかでも負傷していてくれたのなら、何とか時間稼ぎをしてみようと思うのだけれどと唇をかんだ。

 完全に幼子がこの世界を抜け出すまでいかにして時間稼ぎすべきか必死に模索した。この男を相手に数分もちこたえることが出来るかどうかすら怪しいのだから。

 出来る限り、会話を長引かせるしかないのかと、手に汗を握った。

 悟られてはならない。

 今はまだ不完全すぎる。

 月が姿をくらませば、あの子が無事にどこかの天盤へとたどり着いた事を意味する。それまでは何としてでも足止めをせねばならない。

 二人の頭上で、月はさらにその色を深め、海原は大風にあおられ、その荒々しい姿をさらに強大にしていた。


「天は正しいのか?」


 穏やかな声だと思った。

 だが、彼の瞳は狂気の色に染まっている。出来ることならば、この目の前に居る敬愛すべき男を眠らせてやりたい。この手でそうすべきだなのだ。その手段さえ、自分に残されていたのならば迷いなく手を下していたことだろう。

 しかし、現実はもう止めることはかなわない。ならば、出来る限りの足枷でいよう。

 ザンっと大きな剣が、白髪となってしまった俺の体を貫いた。それでも、苦悶の表情一つみせてやるものか、屈服するものかというように笑ってやる。

 男の顔が悲痛にゆがみ、その手が震えている。本当はこんなことをしたくないのだというように。

 俺は知りつくしすぎた相手の顔を悲しげに見下ろした。

 この瞬間にも悪夢が醒めはしないものかと願った。

 だが、ちろちろと弱々しく炎がゆれるように、俺の体は傷つき敗れていくしかなかった。悪夢は現実であると、みせつけられたままでなすすべもなく敗れる未来がそこにある。

「俺は生きる為にだけ、それだけのために最後の最後まで抗います」

 散る間際の花の叫びとはこんな想いなのだろうかと思った。

 大量に流れ出す鮮血は、二人の足元に血のたまりを作った。

「お前では私を止められない」

「全くその通り。 俺では到底、あなたを食い止めることはできない」

 口の端に、自分でも驚くほど自然に笑みが浮かんだ。

 俺は己の身体を貫いている剣を抜かすまいと懇親の力を込めておさえつけ、男の身体をひきつけた。

 男は、生暖かい感触の物が足元から膝にかけて這うようにして登ってくるのを目にした。それは、赤黒く、ゼラチン質の粘りを持った物体。

「わずかな時しか稼げないとわかっていながら、なぜ、こうも馬鹿になれる? 敗れるとわかっていながら仕掛けるほど、お前は耄碌したのか?」

 男は瞬時に狂気の表情となった。だが、血の鎖は、体中をゆっくりと締め付け、男に膝を折らせた。

 足枷に抗うようにして、立ち上がろうとする男の目は血走り、半狂乱の様相を呈していた。この人は、これほどまでに病んでしまったのかと俺は静かに眺めた。

「あなたは己の過ちの大きさを、その身に受けるがよろしかろう」

 これまでだなと、事態に見切りをつけた俺は皮肉な笑みを浮かべる。

 もう、あの聡明な男は死んでしまったのだとはっきり認識した。

「これで、少しばかり、遅くなったとしても結果は変わらない」

 俺の心を深く傷つけていることなど知る由も無い男の言葉は、深い闇のように広がりを見せた。まるで悪魔が住み着いているかのような心地の悪さが声に張り付いている。

 男の蒼白い顔に悪魔のような笑みが浮かんだ。その目は、何をも捉えようとはしない。幸せな夢を見ているかのような現状にそぐわない表情さえ浮かべる。

 男は手に持っていた血に濡れた剣を足元に投げ捨てると、もう片方の手に握られていた純白の布で包まれた物に目を落とした。取り出した鞘の無い美しい刀身に頬を寄せ、静かに目を閉じる。それは、この上も無く幸せそうに、慈しむように、まるでそこに恋人がいるかのように恍惚の笑みをはりつかせている。

 俺はひたすらに驚愕の表情を浮かべるしかなかった。

 今、男が持っている剣は、大罪中の大罪を犯した者を断罪する為だけ、大きな犠牲の上に『審判者』だけが手にするもの。男が持つことなど許されるはずがない物が目の前にある。

「私は抜きん出た名君だったそうだ」

 一瞬の出来事だった。

 立ち上がった男の剣は、確実に俺の急所を貫いていた。

 肺を満たした血は逆流し、喉の奥から押し寄せてくる熱い液体をとどめることはできなかった。

 ごく自然に、大粒の涙が零れ落ちていった。怒りはもう振り切っており、身を震わせるほどの哀しみしか残らない。 

「見ろ、お前の命がけの抵抗は、こうも容易く消え去った。 どうして、天はお前たちを助けようとしない? 天意の具現たる尊き者が、過ちを犯した者に易々と滅ぼされる。 どうしてだ?」

 俺は体のバランスを失い、膝を折った。

 胸部深く、長身の刃物にえぐられた傷口からは、より多くの血があふれ出し、衣服をあっというまに一面の朱赤に染め変えた。ついには、両手までも地につけてしまう。この傷はもう二度と塞がらない。

「これに貫かれては、さすがのお前でも、終局が見えたようだな」

 返す言葉などない。むせかえるような血の匂いが自分から発せられているのだとわかっているだけに肩を落とすしかできない。残された時間はもうわずかしかない。

 幼子を思うと、かわいらしいいたずらっ子の顔しか浮かんでこない。

 もしもなどあってはならないと思ったが、忍ばせておいてよかった。

 この男に今追いかけられたらひとたまりもない。

 だったら、最後の最後に大博打をうつしかない。

 幼子はまだ大事をなせるほどの成長を遂げていない。肉体が熟していないのだから、その姿を奪い取ることも可能だ。今の肉体を破棄させて、核だけを転移させることができるかもしれない。そして、遺骸をこの男の目の前にさらせば良い。

 永遠に騙しぬくことはできないが、時は確実に稼げる。

 俺は向かい風に目を細めた。

 ゆっくりと息を整えて、すべての代償をこの身に受ける覚悟をした。

 真に害されて、奪われて、核となる魂を消滅させられるくらいなら、天より与えられた血肉を奪い、隠し抜く方がマシだ。

 だけれど、己より上位の者を傷つけることにはかわりはない。その罰則がどうなるのかもわからない。それでもと、小さく息を吐いた。


『血肉を根こそぎ奪え』


 幼子の胸元にあるはずの俺の核から発せられるこの言葉はただの風だ。

 痛みがこの瞬間にもあの子を襲っているかもしれない。

 

『護りうる者のいる天盤へ届けろ』


 駄目だと思った。

 もう意識を保つのが難しい。

 瞼がさがってくる。


「やはり、お前の悪あがきは無駄だったのだ。 月が隠れたぞ?」


 男の言葉に俺はホッとした。

 月が翳り始め、暗闇の支配へと変わっていく理由は一つだ。

 男は死んだと判断しているのだろうが、俺は真実を知っている。

 後はどうにかして、俺の核がここにないことを悟らせないことだ。

 男の隙をついて、俺は渾身の力をこめて立ち上がった。

 崖から飛び降りるだけだ。


「あの子に安らぎを……」


 幸運にも足元が大きく崩れ、男と俺の居る場所を二分した。

 投げ出された身体は一途落下をたどる。

 血が混じる薄紅い涙が宙に舞った。

 海は黒々ととぐろを巻いたままに俺の身体を飲み込んだ。

 沈み行く体にまとわりつく幾千もの魂達に、もう救ってはやれないのだとただ首を振った。何度も何度も、すまん、無力ですまんと繰り返しながら。

 遠のく意識の彼方で、俺は温かなものに包まれた気がした。

 この海を、影海という。

 影のごとく黒い色をした海。

 思いを残した死者達の魂のよりどころ。

 そして、影海は、陽炎の苑と通じているという。

 天人も獣も居ない、地人だけが住まうという常世の世界。


 ※


「美蘭! 美蘭、起きて!」


 肩を揺さぶるだけでなく、頬をはたかれているのだとわかった。

 じんわりと痛みが届き、声をあげながら飛び起きた。

 全身汗びっしょりで、慟哭がする。

 

「顔が真っ蒼だし、すっごいうなされてたよ?」


 私のベッドに腰掛けているのはチームを組んで3年になる従妹殿だ。

 少し色素の薄い濡れた黒髪にはタオルがかけられたままで、雫が肩にこぼれおちている。Tシャツの肩が濡れている様子に目が行き、じんわりと夢と現の境界が引けた気がした。

 ぴりぴりとした痛みが頬に走り、手で触れてみるとそこには大きめのガーゼがあてがわれたままだった。

 大丈夫かというように覗き込んでくる従妹殿にもう大丈夫だと手をあげてみせると、彼女は小さく笑った。

「私もさっき起きたところ。 自分があまりに汗臭くってシャワーしてきた」

「私もシャワーしてこようかな?」

「そうしたら良いよ」

 ポンポンと従妹殿が私の肩をたたいてくる動作に何か意図を感じて、その腕をつかんだ。私の目を見た彼女はうんうんとうなずいてから、苦笑いした。

「やっぱり気づいたか。 では、発表します。 わかっていたこととはいえ、絞られてるみたいで帰ってこない」

 誰が、誰にとは聞けなかった。

 今度は私が盛大なため息を漏らして渋い顔をする番だった。

 絞られてるというからには相当な時間つかまっているに違いない。

「おっぱじめたのは私と美蘭なんだけど、私たち二人ともブラックアウトしたからオチがわからないままだからねぇ……」

「まさかとは思うけれど自分も同意したなんてこと言ってたりする?」

 私が知っている彼ならやりかねない。

 ただでなくとも連座制度である上にルール外の行動を先導したとなると、間違いなく針の筵だ。

「言ってると思う。 むしろ、自分が命じたくらいには言ってると思うよ」

「どうするの?」

「どうしようもない。 反省してるなら絶対に口をはさむなって、当の本人にすごまれた。 目が覚めて早々に言われたからね」

 簡単に想像できてしまう様子に私はさらに大ため息だ。

 しばらくはお叱りを素直に受けて、規範的な動きを徹底するしかないなとつぶやくと、従妹殿は濡れた髪を無造作にタオルでふきながら乾いた笑いをもらした。

「でもさ、この異常事態を見過ごせるほど私たちは情がない組織にいると思う?」

「どういうこと?」

「お節介集団だってことだよ。 それに、そもそも、あれに出くわしたのが偶然だったとは思えない」

 これはリーダーの受け売りだと彼女は笑った。

 偶然ではなく、想定済みの事態だったとすれば、自分たちも間違いなく出演者としてカウントされていたことになる。

「あっちでは紅と白がそろってるみたいだしね」

 彼女は離れの方向を指さしてにやりと笑んでいる。

 白と聞くだけで、思わず眉をひそめてしまう私にドンマイと彼女が背をたたいてきた。何がドンマイだと叩き返すと、けらけらと笑い、彼女はベッドから立ち上がり部屋を後にした。

 従妹殿の言う『白』とは私の父を指している言葉だ。

「何でこのタイミングで父さんが来るんだ……」

 このタイミングだからこそかとすぐに思いなおしたが、やはり肩を落とすしかできない。ここ宗像では私のミスはその師匠のミスとなる。罰則は必ず連座だ。

「紅と白がそろっているというからにはそう簡単に類に及ばないだろうけれど……」

 連座とはいえ、ある意味で破格の扱いの彼らを裁ける人間はいない。それでも、小言の一つや二つは避けられない。やはり罰が悪い。 

 私たち黄泉使いには明確なルールがある。

 与えられた能力を発揮する相手は悪鬼というリアルにない物のみだ。時として、所有権争いをする冥界の輩ともやりあうことはあってもリアルで仕事をすることは皆無だ。

 悪鬼は人の魂が堕ちて転成、転化したものを指しており、それが私たちの獲物だ。

 であるからして、妖魔の類とはやりあったことはない。妖魔の類は冥界にも存在しないからだ。絶対に存在してはならないものだと私たちのリーダーは言っていた。

 悪鬼に関しては百戦錬磨であったにせよ、見たことも闘ったこともない妖魔の屠り方がわからなかったために、ひどく消耗した。

 見ぬふりをして去ることも可能だったが、闘う術を持たない生身の人間が逃げ惑っている悪夢的な状況を前にしたら勝手に動いていた。それは従妹殿も同じだ。

 ただ一人、私たちのリーダーである宗像貴一だけは反対した。作為的な何かを感じると言って、一時退けと命じた。だけど、目の前で喰われていく無抵抗な人達を見捨てられず、私たちは動いてしまった。

 彼はすぐに本部に連絡を入れた上で、15分だけだと制限をつけた。

 15分以内で救える者は救う。それが譲歩だと言ってくれた。

 我武者羅に動きまくって、ブラックアウトする寸前に闘った白装束の男は桁違いの強さだった。冥府に属している上位層の顔は知っているが、彼は見たことがなかった。よく見ると冥府の白装束とは異なっており、なるほど別物だと自覚した瞬間に私たちのリーダーである貴一が前に出た。

 貴一が前に出るということはそれだけ相手が格上という証だった。

 だから、私は援護に回るつもりだったのだけれど、どうにも激しい頭痛がおさまらない。貴一はあっさりと離れ業をかまして、意識のない従妹殿と刻々と意識が朦朧としくる私を抱えて逃げてくれた。

 ブラックアウトしてそのまま私はあの悪夢を久しぶりにみて、今に至るのだから、そこから先はわからない。

 もう一度、ごろりと寝転がって、ぼんやりと天井をみあげた。

「どうして、こんな夢ばかり見る?」

 赤い髪の男が全てをかけて誰かを護る夢。その夢の中で、私は確実にその赤い髪の彼と同じ痛みを体感することになる。

 数年に一度しかみなかった夢を、ここ数日間は連日見ている気がして、鳥肌が立ってきた。

 何かが近づいている。そんな気がしてならなかった。

 じんわりとにじむ汗が首筋を滑り落ちて行った。


「それに……誰だ、あいつ」


 あの少年の顔が脳裏にやきついたままだ。

 美少女と見まごうほどの整ったベビーフェイスをしているのに、何というか、しっかりと男だと認識するだけの気配をもっている。

 彼らを逃がすために貴一が動いたのなら、彼は早く立ち去るべきだと思った。

 だから、私は言葉を荒くしてでも遠ざけた。

 それなのにと思った。何であんなに絶望的な顔をするのだ。どうしてこちらが責められたような気になるのだろう。


「そうか……彼は普通じゃないのかもしれない」


 彼が普通の人間であったのなら、戻ろうとしただろうか。

 今更気が付くなんてと唇をかんだ。

 彼が何者であるのかを私はつかんでおくべきだったのではなかったのかと肩をおとしてしまう。共闘できる相手だったのかもしれないのに、私はみすみす機会をうしなったのかもしれなかった。

 苛立って、髪をかきむしり、小さな唸り声をあげた。

 

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