アニメって見ます?

 何かしらの小説を書きたいと思うということは何かしらに影響を受けたということ。

 小説を書きたいんだから今まで読んできた小説に感銘を受けたと思われるが、そんなことはなくておおよそアニメの影響だと思われる。

 

 前回の話で私は陰キャでチー牛だと宣言しておいて、アニメや漫画、ライトノベルに馴染みがないわけがないだろう! チー牛にアニメはセットだろ! と思われた方。

 間違っていないでしょう。


 その通りで私もはアニメを嗜んでいた。

 とりわけ機動戦士ガンダムには多大なる影響を受けた。

 何がきっかけで見たか忘れたがガンダムを幼稚園の時にTSUTAYAで二週ほどしたのを覚えている。

 子供ながらにガンダムは何か刺さるものがあったらしく、初代ガンダム以外はガンダムではないという、リアルタイム世代にまれに存在する「初代ガンダム以外は認めないオジサン」のような子供だった。

 当時のリアルタイムガンダムはターンエーガンダムだったような気がするが、ガンダムの特徴を表す額のアンテナがこのガンダムでは髭だったので幼少期私の中ではガンダムでなかった。

 よくガンダムSEEDがリアルタイムといわれるが、普通の子供よりガンダムに触れるのが早く、初代から見ていたのであまりSEEDがリアルタイムだという感覚はない。

 しかしファーストガンダムに比べて圧倒的なカラー(当たり前だろ!何年前のやつと比べてんだ!)で描かれ、敵をポンポン墜とすガンダムにすぐに浮気した。

 ところが当時小学生の私にはすでに「ガンダムはオタクが見るもの」という認識がが備わっており、オタクであろうがなかろうがそれに該当するアニメを見ているとクラスメイトに知れれば、翌日には「やーい、オタク」と言われるような時代故にここで一旦ガンダムとお別れすることになる。

 意外とあっさり卒業することになるのだが、小学生のころにはドラゴンボールだのポケモンだのデュエルマスターズだの共通の話題で盛り上がれるホビーがあったため特に後腐れなく離れていくことができた。


 そうこうして同年代と真のデュエル(デュエルマスターズにおける命を懸けた戦い)やスーパーサイヤ人ごっこで遊ぶなどして割と普通?の小学生として過ごしていた四年生のころ。

 ある種今現在に至るまでの生い立ちを形成することに一役買ったアニメと遭遇してしまう。それは


 灼眼のシャナ


 そう、深夜アニメである。

 出会いのきっかけは当時契約していたアニマックスというアニメ専門チャンネルでのコマーシャルだった。

 そのとき既にセカンドシーズンに入っていたようで、バックに流れるセカンドシーズンOP「JOINT」のサビ部分、赤い髪の子が黒い外套をまとって日本刀を振りまわしている姿が衝撃的で、またアニソン特有の疾走感あるメロディーが耳に焼き付き離れなかった。


 べ、べつにシャナが可愛かったとかじゃないんだからねッ! 黒い外套来て刀振り回してる姿に惚れただけなんだからッ!


 と自分の感情をごまかしつつ、灼眼のシャナというアニメに探りを入れ始めた。

 当時一家に一台パソコンというような時代ではなかったが、我が家にはそれがあったために容易に調べることができた。

 親がいる手前、深夜にテレビをつけることに抵抗があった。その上サービスシーンなんて流れようものなら封絶(シャナの劇中に登場する結界)に包まれたかのように時間が止まるため、親の目に入らないように視聴するためにはインターネットしかなかったのだ。

 今ほど動画配信サービスが豊富にある時代ではなく、お金も自由に使える身ではないので、インターネットで動画を見るというのは無料動画投稿サイトで見るということになる。

 当時でもそこそこの知名度があったyoutubeを筆頭に、ニコニコ動画やひまわり、デイリーモーションをネットサーフィンし、灼眼のシャナを見ていた。(本来これらは公式の配信ではないので違法視聴にあたるのだが……)

 そしてそれを皮切りに深夜アニメにどっぷりのめり込み、自他ともに認めるアニメオタクの完成であった。

 今思えばオタクというほど見ているわけではなかったように思うが、小学校高学年のころには自分はオタクであると言い切るほどに開き直っており、学校から帰ってはパソコンにかじりつきアニメとネットサーフィンを嗜む生活サイクルが形成されていた。親もネットにのめり込む私を特段注意することなく、そうした生活サイクルが高校を卒業するまで続いたのである。

 高校にもなれば同じような人間に出会うために、交友関係も次第にアニメオタクやゲーマーなどのいわゆる同志が大半を占めるようになった。

 

それはそれで充実した生活ではあったが、本稿の冒頭にと書いたようにそういう、アニメが中心になる生活は高校で最後となった。いや、最後というわけではないが一気に見る本数が減った。それはなぜかといえばアルバイトを始めたからである。

 高校卒業後はグラフィック系の専門学校に入学し、学生時代の延命措置を図った。正直あまり働きたくなかった。とはいっても自分が世間からは冷遇される人間に属していることは自覚していたし、なんだかんだお金も入り用だったため今までアニメとネットサーフィンに割いていた時間をアルバイトにあてた。

 当然アニメを見る時間が減るので見る本数が減った。そして不思議なことに本数が減るたびに呪縛から解放されたような感じがしたのだ。今までは見ることによって生活の充足感を得ていたのが、いつの間にかアニメを見ることがアイデンティティの確立、私が私であるための証明にすり替わっており、知らず知らずのうちに見ることに苦痛を感じるようになっていたようなのである。

 このあたりの心境の変化は同じくアニメを見ていた者ならばなんとなくわかるのではないのだろうか。

 アニメを見ていたのは単に暇だったからで、私生活が忙しくなると簡単に手放す。意外とそれでも平気な自分がいて、また暇になっても忙しくなるだろうからと敬遠する。

 そうして私は専門学校を卒業する頃には今季放送しているアニメをまったく把握していない人間になり、社畜となった。家に帰っては親に用意してもらったご飯を食べ、これまた親に洗ってもらった服を着て寝るだけの生活を五年ほど続け、現在本当に研鑽を積まない人間となってしまった。


 何もしていないとは言っても、完全に断ったわけでない。気になるアニメがあれば見るし、漫画があれば買う。むしろ学生時分よりお金があるので見る本数が劇的に減った代わりにお金は落とすようになった。これが理想とする社会人の姿かと言われれば疑問が残るが……。

 かたや私がそういう人間になったのとは対照的に、オタク活動が精力的になった友人も存在する。

 素直に好きなことを継続できていることは尊敬できるし、惰性的に続けるくらいならば生活を圧迫するほどのめり込むほうがまだいいだろうと思っている。自分には到底できないから。

 最近は動画配信サイトが豊富で気が向いたときに過去に見たアニメを見直したり、古いアニメを見たりして流行りのアニメよりは自分の趣向にあったアニメを見るようになった。これでも何もしないよりましだろうと思ってのことだがさすがに年一本程度では何もしていないに等しいだろう。

 今では自分が小説を書くためにアニメだけに限らず、インプットを増やしているところであるがあまりうまくいっていないのが現状だ。感性が衰えてきたのかと思うと自分も年だなと辟易するがまだ衰えさすには早いはずだ。

 

 私も今では何の面白みのない人間……元から面白みがあったのかと言われればそうではないが、自分のことをエッセイにするにあたって書くことがないというのはあまりにも無計画すぎると言える。

 しかしアニメに託けて一つ書いてみれば三千文字ほどは書けるようで、なんだかんだアニメを見なくなったといっても自分の中にはまだそういう熱意が残っていてオタクの遺伝子を持つ人間なんだと実感した。

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