クラスに一人は居てほしい英雄の話

@torip

クラスに一人は居てほしい英雄の話

 夏の日差し照りつける第2学年の教室。某県某所、平たい台地の地上3階にある我らが教室は、一学期も終わりを迎えるこの日和に正しく最大級の喧騒を迎えていた。


 「〇〇さ、数学いくつだった?」

 「俺? 見な、これ(ドヤァ)」

 「96点とかやっば、カンニング頑張ったなー」

  「おい何言いよるお前、必死に勉強した成果だろ? そういうお前はいくつだよ?」

  「俺は79よ、めっちゃ落ちた」

  「草。そもそもお前さぁ──」


 あーアッツ苦しい。

 窓際の咳で夏風&紫外線と睨めっこしながらドッカリと頬杖を着く俺は、ありとあらゆることにウンザリして盛大にため息をこぼす。


 何が96点ドヤだよ、勉強厨がよ!

 なんで79点が低いんだよ、自慢すんな!


 あっちでこっちでやれ何点ほれ何点、高いだ落ちただやかましいうるさいうっとおしい!


 窓際の席で向かいの電柱に止まるカラスと睨めっこしながら俺は、夏の熱気とテストの熱気でむさ苦しい教室に辟易して思い切りため息をこぼす。


 「よぉよぉため息なんか吐いちゃってよぉ明日海アスミクン、何点だい?」

 「うっせ、課題終わってんのか」

 「テスト諸共"終わった"よ」

 「ダメじゃねぇか」

 

 うっとおしいバカが来た。万年赤点野郎、今沢イマザワだ。

 野球部でこんがり焼いた笑顔眩しい愛すべきバカはいつでもどこでも笑顔で、落ち込むという感情が見て取れない。面白いやつなんだが勉強ができない系のバカであることがたまにキズな奴だ。


 「今沢サンは何点だい? 31点?」

 「なるほど、こう暑いとアイスが食いたくなるよなわかるわかる。だが残念、今晩は肉が食えるぜ!」

 「ほー、惜しい、29点じゃないか」

 「今回は勉強したし行けると思ったんだけどなー」

 「枕の下に課題突っ込んで寝ても頭は良くなんねぇよ」

 「夢で勉強できると思ったんだが。次回はパンに答え焼きこんでみるか」

 「ドラえ〇んで見た。失敗するからやめとけ」

 「やかましい。んで、明日海くんは何点だい?」


 2度目の問いかけは逃げられる雰囲気ではなく、澄ました顔に冷や汗が伝う。思わずつい、と顔を逸らした。別に面と向かって話していた訳では無いが、万が一にも顔を合わせないように首から逃げる。それが失策だった。


 「おい、逃げんな」

 「逃げてない」

 「そんなこと言ってっと、ほら!」

 「あ、コラ!」

 「どれどれ〜? ……いやあのさぁ、明日海くんさぁ」


 隙を見られて机の上から俺のテストをひったくられてしまった。さすがは運動部エースか、反射神経と筋力が並ではない。ドタドタと取り返そうとするがのらりくらりと躱され、まもなくテストの角にある点数を見られた。今沢は無事、絶句した。ついでにちょっと引いた。


 「俺より点数低いのは不味いって」

 「〜〜〜〜ッ! 悪かったな、バカで!」


 数学の点数:20点

 正答率2割と聞けばなるほど聞こえは良い。しかし平均正答率は脅威の6割である。現実と仲のいい友人ほど非情な物はないと今日俺は知った。


 別に俺はバカではない。赤点は取ったことなど無かったし、なんなら平均点組だ。だったはずだ。

 何を間違えたのかと言われたら、授業をまともに受けないという選択肢を選んだ辺りから間違えていたかもしれない。いや、そうだろう。バカでは無いのだからそれしかあるまい。

 

 バカ今沢から屈辱の哀れみの目を向けられた。死にたい。


 「なぁ、明日海、元気だせって」

 「るっせぇな! クソ、こんなはずじゃ!」


 苦笑いになる今沢の手からテストを無理くりひったくって唇を噛む。くしゃりと握りしめられた期末テストの答案用紙が、今の俺には起爆寸前のプラスチック爆弾としか思えなかった。


 「親に見せたら殺される……」

 「そんなにか、あ! 俺のテスト使うか!? 今回はお前のより点数高いぞ! 名前書き換えてやっから使え!」

 「結局赤点じゃねぇか肉やろう!いいさ、今回の愚かなテストの賤民は俺でいいさ!クソ!」


 ヤケになって突っ伏してみる。点数維持に失敗した俺の夏休みにはもはや未来などない。

 あぁ、さらばぼくなつ、来年は遊んでやるからな。受験だけど。


 スネる俺と苦笑う今沢だったが、その輪の中に不意にもう1人、大柄な影が乱入した。


 「なにスネてんだよ明日海、今更隠すなって、みんなだいたいテスト終わりのお前の顔みて察してるから」

 「……わざわざ来て慰めのつもりか昨田サクタ


 昨田、高身長イケメンでルックス抜群のバスケ部員だ。爽やかスマイルで女子に目配せしているだけならさぞモテモテだっただろう。だがそうはならなかった。


 「まさか、お前より点数低いぞ、15点」

 「自慢することか、バカ2号」


 信じられないとはこれこの事。運命の神様は残酷だった、まさかこの超絶イケメンの脳みそが今沢に次ぐバカ2号のものであったとは。


 「え〜自慢するよ! 今みんなに言って回ってんだ、前回より5点上がったよ、すごくね!って」

 「それ、言われた方が困るに1票」

 「今沢同じく1票」

 「え、凄い、なんでわかったの!?」

 「お前がバカだからだよ」

 「なるほど……」


 頷く昨田、それに呆れる俺の背中にのそりと重みが乗る。無遠慮なその体重には覚えがあり、いつも通りそれなりに軽い。あと背中に柔い感覚がある。


 「あすみぃ〜〜〜ん」

 「………………おい」

 「お、明後アカゴちゃん、どーだった?」


 明後は俺達のグループにいる仲のいい女子だ、にしてはちょっと近い気がするがこういう奴だ。隙の多い奴だがなんと俺より頭がいい。どうせ今回も"あー88点だー90行かなかったー"とか吐かすに違いない。今の自分の点数を鑑みるとバカにされる未来が見えて鬱屈とした。


 「イッマから-3点。無理〜、ぼくなつできない〜」

 「何!? 馬鹿な、お前も低いのか明後!」

 「お前もってことはまさかあすみんもか!?」

 「何があったか知らんけど、それでもちゃんと明日海より点数高い辺り因縁なのかね」


 驚いた俺は背中に乗る明後とお互いのテストを見せ合う。なんとも可笑しなことで、普段点数の高い俺たちふたりが本当に揃って惨敗だった。このテストに何があったのかと背筋が凍るようだった。


 「死にたいよぅ〜、ぼくなつできないよぅ〜」

 「分かる〜、病むわこんなん」

 「明後っちも明日海もそういう所似てるよね。あ、僕はいつもの事だから諦めてぼくなつやるよ」

 「「いいな〜」」


 何故かこの中で1番点数の低い昨田がぼくなつ権を得ていることに釈然としないが、それはそれで羨ましい。


 「お前らのそのぼくなつに対してのこだわりはなんなんだ……」


 すっかりツッコミ役になった今沢が呆れていると、ゴトリと俺の机が揺れた。すっかりたまり場になったこのスペースに来る人間ならもう想像が着く、昨田より点数の低い悲しいヤツに心当たりがあるからだ。


 今沢の横からヌルッと青白い手─片手にはくしゃくしゃのテストの紙が握られている─が伸びてきて、机の縁を掴む。そそ……と顔を出したのは目元が隠れるほど長い黒髪の女子だ。


 「みんなぁ、見てこれ、あう」

 「これは……一昨無オトナシ、いつも以上だな」

 「うっわぁ、おとちゃんやらかしたね」


 今沢がペラリと答案用紙を受け取ると、俺の机の上で広げた。10点、この子は確かに勉強ができないがそれでも久しく見ていない点数だった。10点


 「じろじろ見ないで〜」


 さすがの一昨無も泣きそうである。


 「しゃあないよ一昨無ちゃん、そんな日もある」

 「昨田〜〜〜」


 続く低い点で通夜ギリギリだった場の雰囲気において、残念イケメン昨田がむしろ眩しく見えた。


 だがこれは、おそらく決まっただろう。今回のテストでいちばん低いのはおそらく一昨無だ。このクラスの担任は面倒くさいことに最高点と最低点をわざわざ発表する。いつもならメンタルイケメン昨田の点数発表会だからいいものの、メンタル虚弱な一昨無だと落ち込み方が半端ではないだろう。さすがに惨い。


 「アカちゃん助けて……」

 「私も地獄みたいな落ち方してるからさ、仲間だよ」

 「明日海くん……」

 「明後に同じく、俺たちみんな赤点だよ。後でご飯いこうな。俺たちで奢ってやる」


 助けを求められても困る俺たちであった。なにせ助けを求めたいのは俺たちである。頭をポンポンとしてやることとご飯を奢ってあげるくらいが関の山だ。


 「……みなさん席に着いてください。最高点と最低点を発表します! 今回はかなり難しかったので低くても落ち込まないでください!大丈夫、です!」


 担任の教師は今年初めて学級を持つ若い女性だ。気が弱い方なのか少しオドオドしてる。余談だが一昨無と気が合うタイプなようで、よく話している。


 そんな彼女が最高点を告げるのを聞いて、俺は次の最低点10点の発表を恐る恐る待っていた。

 ちらりと一昨無に視線を向ければ、もはや前を見れないほど怯えている。酷い。


 「最低点は、0点、です」


 ザワ、と教室がありえない衝撃を受けた。まさかそんなことがあるのかと全体が驚愕に湧いた。示し合わせた訳では無いが俺たちグループは思わず一昨無を振り向いてしまう。当の一昨無も混乱しているようで、アワアワとしていた。まさか0点とは。

そんな一昨無は思わず先生に問いかけた。


 「あ、あの、0点なんですか? 10点ではなく」

 「ええ、0点です」

 「うそ、誰が」

 「俺だよ、一昨無ちゃん」


 ガタリ、と音を立てて立ち上がる影。 

  一昨無の白い肌よりなお一層青白いそいつの顔は少し引きつっている。なにせそいつは──


 「嘘だろ!? 弥日ヤツヒが0点!?」

 「クラス1の秀才が何どうした急に!」

 「ヤッくんどうした!」


 弥日はどんなテストでも90以上常連だ。50点以下、まして赤点を取ったなど聞いたことも無い。中学から同じだった俺が断言するのだから本当に無いはずなのだが。


 「弥日、お前、何があった」


 俺が生唾を飲み込みながら問いかける。 

 振り向いた弥日は線の細い顔を気丈に眩しい笑顔で歪めていた。


 「明日海か、一昨無ちゃんもみんなも、見てみな、これ」


 その答案用紙には、縦横無尽の赤丸二重丸と更に記述問題は問答無用の花丸が着いている。パッと見て100点は間違いない完璧な答案なのだが、しかしその右角に書き添えられた点数は見事な0だ。


 「何が……」

 「ほら、コ・コ」


 指さすところは答案用紙唯一の空欄、もとい氏名欄。

 クラス全体が察した雰囲気だった。


 「みんな、見てみろ、完全正答の0点だ! あぁ確かに答えは全て分かっていた、だがそれだけが大切なことではないとよくわかったよ。 一昨無ちゃん、みんなも、テストの中身なんて気にするな! 大切なのは問題を解くことではなく見直しをする諦めない心だ!僕はそれを証明したことで役割を全うした……今日からみんな、学年1位の僕より高得点を名乗れるぞ!やったね!先生、頭が痛いので保健室行ってきます!!!」


 全身ガタガタと震えながら言い切った弥日は、最後にグシャリと答案用紙を握り潰して颯爽と歩み去って行った。悠然としたその歩みはどこぞの英雄のようで、一周まわって格好いい気がする。


 「あ、俺、弥日送ってきます!」

 「明日海くん……お願いします」


 先生はかなり心配しているようだ。見たらわかる。誰でも心配する。


 後を追って、教室の窓から見えない辺りで弥日を見つけた。気張るのを諦めてとぼとぼと歩む姿が物悲しい。


 「弥日、送ってくよ」

 「明日海すまない、少し聞いてくれ、こんなはずじゃなかったんだ、こんなはずじゃ……」

 「わかるさ、俺も赤点だった、こんなはずじゃなかったよな」


 泣いている子供を泣き止ませる時はより大声で泣いてやるといいと聞いたことがある。なぜ泣き止むのか、その一端を身をもって味わいながら弥日を慰めてやった。


 戻るとテスト返しは終わっていて、事後報告だけでもと先生に報告しに向かう。


 「戻りました、弥日は相当キツそうだったんで寝かせときました」

 「ありがとうございます、明日海さん」

 「先生、今回のテスト、一体何があったんですか。あまりにも惨……恐ろしい、高得点組が何人も赤点に墜ちています」

 「私にも何があったか……ただ1つ言えることは、何か恐ろしい事象が干渉しているとしか思えません。何を言っているのか自分でもわかりませんが……」

 「いえ、分かります。きっとそういう、神の意志のような何かが我々を貶めた。こんな惨いことがもう、二度と起こらないよう願いたいですね」


 ***===***


 「あすみん、やっつんは?」

 「ありゃあダメだな、立ち直るの待つしかない」

 「あんな惨いものそうそう見れるもんじゃねぇからな」

 「今沢さ、いや僕もいつもの事ってことで流してるけど君も赤点だからね? 大概酷いからね?」

 「みんな私よりいいですよ、死にたい」


 いつものメンバーが窓際の俺の席を占領している。我が物顔で俺の玉座に座り込んでいる明後に冷たい目を向けつつ、その肩を力を込めて揉んでやった。


 「痛ったァ!」

 「まぁ、こんな日もあるさな」

 「あすみん痛ったい!」

 「とりあえずこれで一学期終わりだし、この後明日海の家でスマブラやろうぜ」

 「それいいな昨田、じゃあ今沢参戦」

 「わたしも、行きます」

 「あすみん私も行くしなんなら退くからちょーーっと力弱めて痛たたいたいたいたい」

 「勝手に決めよってからに……」


 観念した明後が退いて空いた席にどかりと座ると、開けっ放しだった窓から夏風が吹き込んでくる。蒸し蒸しと暑いそよ風と紫外線にメンチをきりながら、ぼんやりと遠くの積乱雲を眺める。

 ふと頭の片隅で馬鹿みたいに面白かった、笑えない0点の英雄がチラついた。


 「なぁ、弥日もスマブラ会誘うか」

 「あり」

 「いいね」

 「いいと思います」

 「いいねぇ、あいててて」


 ワイワイとできるのも今のうち、どうやってあの答案を隠そうか思案しながら、長い長い夏を予感して俺は疲れたような溜息を吐いた。

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