第12話
最近兄の夢を見ることが多くなった。それは昔の兄の姿であったり、姿は見えなくて声だけであったりする。声だけの兄は、知っている声より少し低い気がするが、なぜか兄の声だとわかるのだ。
誠二にとっては、偶然かなと思っている事が、先輩に話すと少し眉をしかめて「調べてみるわ」と言われた。
深刻にすることないのに、と思っていられるのは少しの間だった。
体術の訓練の合間。用意してもらった師匠はとても教え方のうまい人で、その人自身がとても体の使い方が上手だった。
「体幹はしっかりしている方ね」
てっきりがっしりした体型の男性に師事するのかと思っていたら、柔らかい雰囲気の妙齢の女性で第一印象はとても驚いた。
「何かスポーツはなさっていたの?」
「中学校の時にバスケットを部活で」
「あら」
予想外が重なって畏まっている誠二に、女性はふふふと笑った。指で口元を隠す仕草はとても上品だ。
「片足で立ってくださる?」
「え、あ、はい」
戸惑いながらも右足で立つ。女性は一つ頷いて違う指示を出す。それに一つ一つ答え何回か同じ事を繰り返し、満足したのかもう大丈夫よと言われた頃には、誠二の頭の中にはたくさんのハテナが飛んでいた。たぶん、何か意味はある。板張りの道場の片隅で、ぽん太とともにこちらを見ている綾香が何も言ってこないところを見るとそう思う。
「ありがとう。では、手を取っていただけるかしら」
「……はい」
上向きに差し出された手に、右手を重ねると次の瞬間には床に背がついていた。
「え?」
ぽかんとしている誠二。綾香は道場の端であちゃーという顔をしている。ぽん太は警戒してか、しっぽがいつもの二倍くらいに広がっていた。
「師範、彼は素人ですよ」
「あら、でも、能ある鷹が爪を隠している事もあるでしょう?」
「あるかもしれませんが、ほとんどありませんので、心配しなくて大丈夫です」
そこで誠二は悟った。この女性、とてもマイペースだ。
転がっている誠二に、女性が手を伸ばしてきたので、警戒しつつもその手を取る。
「いきなりごめんなさいね」
引っ張り上げる手は、とても力を入れているようには見えないのに、誠二の体重などないかのようにするりと軽く立ち上がらされた。
すごい。
「改めて、これからあなたに体の動かし方を教えます。井波佳子(いなみよしこ)です。よろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
気が引き締まる思いだった。
とまあ、そんな感じで顔合わせを終えたわけだが、己の体力がないことを痛感した。中学時代はバスケットをしていたが、引退してからほぼ一年半何もしていない。こんなに息が続かないものか、と愕然とした。何度も道場の床に転がって、立ち上がってを繰り返すと何十回目かわからないころに、ついに足が言うことをきかなくなった。
「休憩しましょう」
井波先生の鶴の一声で、一旦の休憩が取られたが、重い体をそのままに、床に伸びる。ひんやりとした冬の床が、今は丁度いい。タオルを持ってきてくれたぽん太にお礼を言って、その頭を撫でていると、道場にひょっこりと薫が顔を出した。
休憩がてら最近の夢の話をしたことが、冒頭につながるという訳だ。
「たぶん、君と真一の縁の糸と言うのかな、そのつながりがとても強いんだろうね」
「十年前にハザマと現世に分かれて一度絶たれてしまったものが、君がハザマと関わることによってもう一度結び直されたというのが妥当かな。それに、君は真一を取り込んだ魔物とも関わってしまった。元々あった繋がりの上からもう一本縁の糸がつながって、強化されたと考えるべきだね」
つまり、最近兄の夢を見るのは偶然ではなく、縁が見せるものだということなのだろうか。でも、今まではなんともなかったのに、どうして不思議なことが起こるのだろうか。
誠二が難しい顔をしていると、察した薫が弟を見るようにこちらを見た。
真一の親友を自称しているところを見ると、誠二の事を彼も弟のように見ているのかもしれない。
「変な繋がりじゃないよ。血のつながりは本人が意識するよりも強いもんだ。望むと望まざるとに関わらず、ね。夢を頻繁に見るって事は、君と真一がきちんとつながっているって事だよ。あんまり心配することはない」
「わかりました」
「でも、真一をつながっているということは、真一を取り込んだ魔物ともつながってしまう可能性があるって事だからそれだけは気をつけてね」
「何に気をつければいいんでしょうか?」
「そうだね。その夢で『呼ばれている』と感じたら、すぐに連絡してほしい」
呼ばれる。
「招かれる、こっちへおいでと言われる。手を引かれる。ついてこいと誘われる。色々と手法はあるけれど、その場から動いて、相手の方へ向かうことが条件だね。ただの夢ならいいけど、そうでない場合もあって、区別はつかないだろうから、ついて行かずにそのまま目覚めるのがベストだよ」
兄に招かれたら要注意。誠二は心に刻んだ。
「さて、休憩は終わりですよ」
よっこいしょと足を伸ばした薫が、ぐっと伸びをする。縮まっていた猫が縁側で背中を伸ばす幻覚が見えた気がしてにこにこしていると、不思議なものを見るような目で見られた。何でもないですよ。
「はい、すぐいきます」
井波先生に返事をして、誠二も体を起こした。
「さてと、動きも段々と様になってきたようですので、今回は攻撃を躱す、またはいなす訓練を致しましょう。あなたの方からは攻撃せずに、私の攻撃をひたすら凌いでください」
「はい」
簡潔に返事をして、構えをとる。数日前は形から直されていたそれは、少しずつ馴染んできたように思う。
ふっと短くはき出された呼気とともに、先生の攻撃が襲ってきた。的確に頭を狙う手首を弾いていなす。力はそれほど込められていないが、場所は的確だ。太ももを狙う膝を躱して、脇腹を守る。しゃがむと、頭の上を拳が通過していった。速い。
考えていると攻撃を食らうスピードに、ほとんど反射でついていく。目からの情報は重要だ。広く視野を持たないと些細な動きに惑わされる。
ストレートな攻撃に時折混ぜられるフェイント。頭の右すれすれを通っていた手が翻ってこめかみを狙う。身を捻ると襲いかかってくる逆からの攻撃。思わず変な声が出た。強打が来るかと身構えると、予想以上に軽い接触。
「まずは一本です。まだ続けますよ」
「っはい!」
「よろしい」
間髪入れずに次の攻撃が来るので、態勢を整える余裕もなく距離をとる。
「相手から目線を外してはいけません」
離した距離は一歩で詰められる。
「それが、致命的な隙になることもあります」
襲いかかってくる手刀にガードを重ねるが、さっきより重たい衝撃が襲いかかってきて、顔をしかめた。
「思考を止めてはいけません。手に入れた情報は更新し続けてください」
右、左下、もう一度右から来て、左上。一挙手一投足に気を配るのは難しい。手数に加えて速度も上がっている。目が追いつかない。井波の言う通りに考え続けても、どうしても視界から外れてしまう攻撃がある。今右から通っていった攻撃もそうだ。勘でよけているところがある。でもこの訓練、その『勘』も含めて対応しないと難しい。
左に半身を捻る。次いで右に移動しようとしたとき、足が動かなくてたたらを踏んだ。まずい、転ぶ。でも、後から攻撃が来ているのがわかった。ここは、そのまま身を任せた方がいい。前方に手をつき、受け身をとる。視線をあげると真剣な表情の先生が、右の手刀を構えていた。そのまま打ち込めば左のこめかみに当たる。人一人昏倒させるには十分な攻撃だ。
「一本です」
力を抜いた井波に、誠二は立ち上がって礼をする。
「ありがとうございました」
「思ったよりも動けるようで安心しました。この調子でいきましょう」
「はい」
誠二は大きく息を吐き出した。先生から反省点を聞いて、頭の中でのシミュレーションを行う。相手から視線を反らさないようにすることと、視野を大きく持つことは特に重要だ。今回攻撃として食らわなかったが、ぎりぎり避けた手も多かったし、次に生かせるように想像しておくに超したことはないだろう。
「今日はここまでにしましょうか」
「わかりました」
井波は生徒の体力を調整するのもうまく、一回目の訓練で限界まで動いて以降、無理な訓練を課されることはない。それでも着実に動けるようになっている実感があるのが本当にすごいところだなと誠二は思う。綾香が太鼓判を押すのもわかる気がする。
夜までに時間が余っていたので、弓道場を借りて、弓道の練習をさせてもらう。最近は学校が終わってそのままハザマに来る関係で、部活動に参加できていないためその補填として体術の練習が終わったらこちらの道場で弓を引かせてもらうのが常になっていた。疲れてはいるが、疲れているからこそ、余分な力が入らなくて気持ちよく引ききる事ができる。無心に的に向かう時間は誠二の心の安定に一役買っていた。
そんな誠二を綾香は少し離れたところから眺める。
弓を引いている時の誠二は、人並みを超えた集中力を見せる。弓引きとしては何年も先輩であるはずの綾香よりもその集中力はあるように思う。綾香自身は最後の最後で集中しきれなくて、命中率はそれほど高くない。
「誠二くんは面白い子だね。文句も言わずに僕たちの事についてきてくれる。真一が関わっているとはいえ、秋まで全くの無関係だった彼に、俺たちは命を掛けろと言っているにもかかわらずね」
変な子供だよ。そうひとりごちる薫の横顔には苦笑が浮かんでいた。
「彼の後悔と、罪悪感が、そうさせるのでしょうか」
そう意見を言ったのは井波だ。
「後悔と、罪悪感、ですか?」
「ええ」
「そういえば、以前一回だけ藤間くんと、お兄さんが、真一が消えたときの話をしたことがあります。淡々と話していたように思えたけれど、もしかしたら彼自身の心のどこかにそういう気持ちがあったのかもしれません」
綾香は喫茶店での会話を思い出していた。あのとき、彼はどういう表情をしていたのだろう。自分は、あのとき何を思っていたのだろう。あのとき、綾香は誠二に対して弁解をしていた。自分たちが真一のことを誠二に話していなかった事情を打ち明けようと、心の余裕がなかった。誠二がどういう表情をしていたのかまで、心を配る余裕はなかった。
「そうね。人の心は読みにくいわ。その人自身が隠そうとすればするほど。何年も隠してきた感情ならなおさら」
「目の前で血のつながった兄が消えて、後悔しないはずはないよね」
残された人間が何を思うか、綾香は自分のことと重ねる。綾香の父も、突然いなくなってしまった。父の気持ちを思いやれなかった後悔も、その罪悪感も数年経っても癒えないでいる。日々の忙しさにかまけて、忘れたように振る舞っているだけで。ふとした拍子に思い出して胸が痛む。
うつむいていると、頭に温かい手が乗せられた。
薫だ。兄の表情をした薫はそのままで口を開いた。
「見ていてあげよう。必要な時に手をさしのべられるように」
「わかった」
その手は、綾香の頭を二回軽く叩いて離れた。そんな二人を微笑ましげに眺めていていた井波は、訓練を思い返して話題を変えた。
「そういえば、彼の訓練を見ていて思ったのですけれど、面白い感覚を持っているかもしれませんよ」
「え?」
「綾香は何か感じませんでしたか?」
「少し……。素人にしては、攻撃に対して反応が速い、ように感じました」
薫が横で腕を組む。近接戦闘における勘は、綾香の方が鋭い。薫はどちらかというと、術方面に詳しく、知識も多い。
でも、速い? 果たしてそうだっただろうか? 今口に出した言葉に、綾香は疑問を抱く、あれは、速いのではない、と思う。
そんなことを考えていると、薫が何か思い出したのか、口を開く。
「見えていないところに反応していた事が、何回かあったね」
井波はうなずく。そうだ、違和感はそれだ。死角からの攻撃に反応しているように見えた。
「そうですね。視覚をついた攻撃に彼は反応していたように思います。しかし、それはすべてに反応しているという訳ではなく、偏っていました」
「偏り、ですか」
「ええ、おそらく。私と誠二さんの位置に関係していました」
それを聞いた薫が、何かを思いついたようだ。
「俺たちの視線の届くところ、だね」
「はい。誠二さんが今反応できる攻撃は、見えている攻撃に限定されます。つまり、彼の目が捉えていなければ気がつけません」
熟達してくるにつれ、視覚情報だけではなく聴覚、経験から来る予測、第六感まで使って相手の動きを判断することができるようになるが、誠二にその技術はない。
「しかし、彼は反応して見せました。つまり、彼には『見えている』のでしょう」
「真一がハザマに適応して見せたように、彼もまた、徒人とは違った何かを持っているのかもしれませんね」
ハザマへの適応、それは果たして彼にとっていいことなのだろうか。願わくはその力が、彼の命を守ってくれるような力でありますように。そう思わずにはいられない。視界の端には、矢の当たり所が悪かったのか、小首を傾げて考える誠二がいた。
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