第7話 式の案内
「やあ、昨日ぶりだね」
「こんにちは」
薫さんは相変わらず、ジーンズにカーディガンのカジュアルなスタイルだ。中のシャツが薄い水色でおしゃれに見える。武家屋敷みたいなこの家にはなんだかミスマッチな気もするが、現代風に合わせているのだろうか。
「持ってきた弓具は、この人に渡して」
奥で待機していた巫女服の女性に、持ってきた弓と矢を渡すと、その人は無駄のない所作で受け取り、礼をして去っていく。
「さっそくだけど。今日は『視る』専門の人に来てもらっている。部屋の中は儀式めいた装飾だけど気にしないでくれ。ちょっと座ってれば終わるよ」
引き戸をすらりと開いた先には、目に覆いをしたさっきとは別の女の人がいた。部屋の右隅に座っている。巫女のような衣装で、長い黒髪を三つ編みにして後ろに流している。目を覆う紙は、なにかの模様が描かれているが、それがなんの意味を持つのかはわからない。
「よろしくね」
と薫さんは声をかけて、女性は小さく礼を返した。
細い指先が、中央を指す。
「そこにお座りください」
「……はい」
床には円が描かれていた。周りには八方角に対応する印。奥に水盆。手前には何もなく、他の六方に読めない字のような模様があった。
「君には不気味に感じるかもしれないが、術者の『視る』力を底上げする為のものだ。そう恐れるものでもない」
「わかりました」
妙に緊張しているが、誠二は円の中心に正座する。座っている間、女性はこちらを向いたまま、微動だにしない。目を布で覆ってあるから、視線を感じないのが救いか。あれも力の底上げの為のものなのだろうか。周囲の道具もちょっと気になる。水盆の水は少し揺れている。
術師の女性が水盆に指をつける。波紋が揺らめいて、少しして消えた。何をしているのかわかったのはそこまでで、その後しばらくは、じっとしているのを誠二もただ待っているだけの時間が流れた。
覆面の向こう側で、こちらを見ていた女性が視線を逸らして、横に首を振った。
背後で薫が動いた音がする。
「そうか」
やり取りはこれだけだった。考え込むような表情に、期待する結果が出なかったことがわかる。詳細を教えてくれるつもりはないらしい。
「弓具の点検は、もうしばらくかかりそうなんだ。誠二くんにはその間、この世界に留まってもらうことになると思うけれど、いいかな?」
「はい」
「私は一度離れないといけない。絢香も用事があるから、案内役をつけよう。案内役に止められなければ、どこを周っても大丈夫だよ」
「案内役ですか?」
「そう」
誠二の疑問に、薫はいたずらっ子っぽく笑った。
薫は右手を出すと、指をぱちんと鳴らした。
「ワタシです!」
声は下の方から聞こえた。視線をずらすと、そこには一匹のタヌキ。
タヌキが喋ってる。ふさっとした尻尾をゆらゆら揺らして。口は笑顔の形に空いて、赤い舌が覗いている。くりっとした黒目がきゅるんと光った。
可愛い。愛嬌がある。
コテっと首を傾げて、ハッとするとタヌキは誠二の腕の中に飛んだ。
「うわっ!」
「ははは!」
落としたらダメだと、とっさに抱え込んだその腕の中へその生物はくるりと収まった。
現実のタヌキより小さくて軽い気がする。動物園でしか見たことはないが、なんとなくそう思った。というより。
「喋ってる」
ぽかんとする誠二をみて、薫はまた笑った。
「そいつは『式』だ」
「しき?」
「そう、術者がいてね。そいつが作った使役物、といえばいいかな。本当は命令に従順なロボットみたいなのが、普通なんだけど。その術者は少し変わっていて、色々と性格を盛り込んだみたいだ」
「あるじさまはいい人なのです」
「そうだな。ほら、彼は誠二くんだ。頼んだよ、ぽん太」
「うけたまわりました!」
誠二はしばし腕の中のタヌキをまじまじと見た。
薫はじゃあなと手を振って、颯爽と廊下の奥へと消えていく。それを見送ると、タヌキは首を上げて誠二を見た。
「どこへ行きたいですか?」
「えっと、君は……」
「ぽん太と、あるじさまはそう呼んでいました」
力の抜ける響き。
「ぽん太」
「はい! どこに案内しますか?」
尻尾がゆらゆら揺れるのをお腹に感じる。返事を期待した眼差し。無垢な視線を受け止めきれずに、うっと詰まった。可愛い。
「ぽん太の、案内したいところとか、あるかな。正直にいうと、俺には何があるかもわからないし……」
「ふむ。確かにそうですね。でしたらいいところを思いつきました! 弓道場を見てみませんか? あまり大きくはありませんが、道場があります! 誠二様は絢香様と同じ弓道部と聞いたのです」
「そうだね。よろしくお願いしてもいいかな」
「はい! では左手側に直進です! 誠二様は何があってもワタシがお守りしますので、安心して案内されてくださいませ!」
タヌキもとい、ぽん太は誠二の腕に収まったまま、胸を張って指示を出した。楽しそうだ。自分の足で歩く気はないらしく、落ちにくいところに自ら収まる。
もう少し早く歩いてもいいのですよと、嬉しそうに尻尾を振る。こんなに懐っこいタヌキはいないだろうな、と遠くに目をやった。この式を作った人はどうして普通の式にしなかったのだろうか。可愛いけど。もふもふとした素晴らしい感触を堪能しつつそう思う。多少欲望に忠実なのは、誠二の動物好きに起因するが、話に出しても仕方ないので黙っておく。
考えを巡らせていると、そういえばとぽん太が話し始めた。
「ここの弓道場は、現世の県立中央武道館をベースにしているのです。とは言っても少し現実の建物のままでは手狭なので、改装はしておりますが」
屋敷の門を一度出る。城山の山道口に出て、弓道場は山を半周ぐるりと回って反対側らしい。城山の山頂からは西側に位置する。こちら側にも出入り口はあるようだが、教えてもらえなかった。テクテクと歩いて、十分ぐらい。和風の瓦屋根が見える。
白壁の向こう側に見えているのは、弓道場の
外見は現世の建物と変わりはないが、改装しているというからには中は現世の施設とは変わっているのだろう。
西側の正面玄関に入る。左手に一般用の受付がある。中を覗くと事務机が五つ置かれていて、一人だけ奥の机に座っていた。腕のぽん太を一瞥して、会釈されたので頭を下げておいた。出ては来ないようだ。そのまま通ってもいいのだろうか。
「大丈夫です。許可は得ておりますゆえ」
ぽん太を見下ろすと、左前足でグッと拳を作ってくれた。
「そっか。お邪魔します」
靴を脱いで、右側の靴箱に入れる。『弓道場はこちら』の案内に従って歩みを進める。
この武道場は弓道場の他に、剣道場や多目的スペースと一緒になっていて、武道館の名の通り弓道場がメインというわけではない。選手の控え室や、師範の控え室がちらりと廊下から見える。
行き先から弦音が聞こえた。
カーンと高い音がする。いい音だ。
道場内は廊下からは直接見えない。突き当たりを左に曲がって、矢取り道として設けられた内廊下を進む。ここからだったら矢道に向かってガラス張りになっていて、弓を引いているところを横から見られる。
四人ほどがいた。
弦音の後に、風切り音。的紙(まとがみ)を貫くパンッと明瞭な音。大学生くらいの男の人だった。残心を終えて手を下ろす男に、子供が数人近づいた。中学生に上がる前の成長していない子供達だ。
「あんなに小さな子も練習を?」
弓道は中学生からという漠然とした常識を持っていた。体ができる前に引いたら、変な型がつくかもしれないから、と。
「あのくらいの子は、実際に弓を引くことはありませんが、武道の心得と、弓を持つ前の、型の習得はできます。あの頃は体術や剣術に重きを置いているはずです。小さな頃からの鍛錬の積み重ねが、魔物に対抗しうる肉体と精神を作り上げるのです」
形の練習だけならできますしね、とぽん太は続ける。
なるほど。
「きみのあるじさまも小さい頃から彼らみたいに鍛錬したの?」
誠二はふと気になって、聞いてみた。しばし口を閉じると、式は答える。
「ワタシのあるじさまは、少々特殊な力と、経歴を持つ方ですから。このような鍛錬はなさらなかったようです」
「特殊?」
「他者の強化に特化したお力です。他のバランサー方からも頼りにされた方でした」
「でした……?」
ぽん太は言いにくそうにやや下を向いた。
「そうです。数ヶ月前に魔物に襲われた際に。行方不明に」
「そう、なんだ」
「しかし、ワタシがこうして動いている事が、あるじさまが生きているということの証明なのでございます。あるじさまが亡くなれば、共に消えるのが式としての定めですから」
「そっか、見つかるといいね」
「ありがとうございます。誠二さまお優しい方ですね」
目元をふわっと緩めるタヌキに、少し癒される。
「先輩……。藤間先輩はどうなの?」
誠二は話題を変える。ぽん太はしばしうーんと唸ると口を開く。幼い頃はよく知らないのですが、と前置きして。
「藤間家の方々は、ご当主の血筋の方々です。皆優秀で、苦手なことでもそれなりにはできるのではないでしょうか。特に絢香様のお母上は武にも術にも大変優れておられたと聞きますが、詳しいことはワタシにはわかりません」
ぽん太はするりと誠二の腕の中から飛び出した。音もなく着地すると、内廊下を奥まで行き、左に曲がる。増設されたという遠的場があった。遠くに大きな的が一つ。これは現世の道場にはない施設だ。
「絢香様は剣技が優れておられます。努力を怠らない方です。柔軟で自由な発想を持つ薫さまとは違い、型に則った技を使いますが、日々の学びから自分に取り入れていく方です」
「すごい人だね」
彼女を支えているのは彼女自身の努力か。至らないところにも真摯に向き合って克服していく姿が、たやすく想像できた。弓道場での彼女の背中を思い出す。
綺麗な弓道場だった。整えられた芝生と、安土。並んだ的。いつかここで引いてみたい。試合でもいい、練習でもいい。
「ぽん太。バランサーの人たちはどうしてこの世界で生活しているのか、聞いてもいいかな。常夜と現世の間を守るためだっていうのはなんとなく理解したけれど」
「バランサーの血筋は、古くは陰陽師の家系から分岐したものだと言われます。より結界術に特化したもの達が彼らのご先祖さまに当たります。彼らは境界の違和感に即座に気づくことができ、その力こそがこの世界を保つのに必要だと考えられたわけです」
「境界か」
「そうでございます」
それに穴が開くと、『落ちてしまう』人がいる。誠二と同じように、ハザマの世界に来て、魔物に襲われるという怖い体験をするかもしれない。
「常夜と現世、両方の境界を見張る必要があるため、常にハザマに身を置かなければならない、と昔の人は考えたのではないでしょうか。既に居住の地として整えられた結界内は、彼らの一族が昔からここに住んでいることの証明に他なりません」
「どれだけ昔なんだろう」
「それほど昔の事は、直接彼らに聞いた方がいいかもしれません。ワタシは式ですので、少しばかり知識に制限があるのでございます」
「そうか、ならしかたないね」
仮に誰かに聞いても答えてくれるとは限らないか、とも思う。
前回初めてハザマに招かれたとき先輩は、誠二をハザマに連れて行くのは不本意だとはっきりと言った。最初に助けてくれたときも、忘れなさいと言われたのはよく覚えている。彼らには彼らのルールがあって、判断基準があって、現世で平凡に暮らしていた誠二には理解の難しいこともあるかもしれない。誠二としては、自分の周囲で何が起こっているのか知ることは、必要だと思っている。しかし、自分の知識を満たしたところで、それが他人の領域に無遠慮に踏み入ることだとしたら、積極的にしようとは思えなかった。
ただ、やはり知りたいと思う心も本物で、矛盾する気持ちに心が騒つく。
遠的場でも誰かが弓を引いていて、離れた矢は大きく弧を描いて五十メートル先の的に飛んでいく。紙の的とは違う固い音がして、矢は中心から少し左寄りに刺さったようだった。
「戻ろうか」
「もう、よろしいんですか?」
「見ていたら弓を引きたくなったんだ。もしかしたらそろそろ道具も返してもらえるかも知れないし」
「承知いたしました」
誠二は道場を出て、城山の周りをタヌキの
銅像がある東側に抜けたとき、木の葉擦れの音に混じって、ぴしりと音がした。落ちたガラスを踏んだような音だ。耳に覚えがあるような気がする。なんだっただろうかと、嫌な予感と共に思う出そうとしていると、抱えていたぽん太の体が強ばった。
「すみません。誠二さま、突然ですが走れますか?」
見上げてきた表情が、緊張をはらんで険しかった。
え、とも、あ、ともつかない声を出す誠二。タヌキの式は腕を抜けると一つの方向を睨んだ。
そうだ、思い出す。空間が歪む音。境界が破られる音だ。ここは結界の中で、安全なのではなかったのかと、疑問がよぎる。
黒い何かが、ぐわりと大きくなって迫ってきた。尖った爪、五本の枝分かれ。魔物の手。
無理やり結界の中に侵入してきた魔物の腕は、誠二をまっすぐに狙っていた。
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