第6話 裏側の話

 奥座敷。板の間に、頭領と相談役が座っている。そこに、誠二を送り終えた絢香が帰ってくる。薫は絢香の方にすっと目をやった。

「誠二くんは?」

「そのまま帰るみたいよ」

「そっか」

 引き戸を音もなく閉め、部屋の入り口から左に絢香が座る。右に座っていた壮年の男がふうとため息をついた。誠二がいる間は微動だにしなかったけれど、少し動いた男に他の二人の視線が集まる。男は腕を組む。

「お父さん。どうしたんですか。何か『視え』ました?」

「いや、特別なものは何も視えんな。簡易的でしかないが」

 藤間紋一郎。彼は薫の父で、絢香の祖父である。元は頭領であったが、先年薫にその地位を譲り、自分は相談役に収まった。

「そうですか。何か『視えた』方が原因がわかったんですがね」

「兄さんの方は?」

 と、絢香。

「んー。俺はそういうの得意じゃないからなぁ。やっぱり別の人間に任せるとするよ」

「そうね、私もそういうのは得意じゃないし」

「だが、何も視えなくとも何かがあることは、確実だろう」

 紋一郎は険しい顔をしてそう言った。

「そうですね。今回の件に関してはあいつとの繋がりも考慮に入れないといけないと思います」

「そうね。血の繋がった兄弟だものね。兄弟だからといって、必ずしも同じように特異性があるというわけではないけれど、可能性から除外するのは早計だし」

「こうなると、何も『視えなかった』方が、彼らの繋がりを示唆する事になるだろうな」

 話し合いをする彼らの脳裏によぎるのは、一人の人物だ。その人間は、木原誠二と大きく関わりを持つ人物でもある。なにせ、彼らは兄弟なのだから。

「綾香は、誠二くんに真一の話をするかい?」

 薫は険しい表情で首を横にふる。

「彼には言わないわ。今更なんて言うの? 実はあなたのお兄さんの事を知っていて、ずっと黙っていましたって言うの?」

「彼が傷つくのが嫌かい?」

「いいえ、それを知ってこっちに関わろうとしてくるのが想像できるから嫌なだけ」

 綾香は目つきを鋭くして反論する。

「誠二くんは知る事を望んでいるかもしれないよ?」

「じゃあ、兄さんが言う? あの人の想いに反して、そんな事できるの?」

 彼女の握った拳に力が込められた。

「そうしないといけないこともあるよ」

「頭領としての責務の話じゃないの。兄さんの感情の話よ」

「……」

 薫は押し黙る。そんな叔父を綾香は睨むように見つめる。激情をたたえた瞳に対峙する薫の目は、微かな感情を揺らめかせているようにも見えるが、簡単にはその内情を見せようとはしなかった。

 綾香は祖父に向き直る。

「お祖父さまは、彼をこの世界に関わらせるおつもりですか?」

「綾香は反対か」

「はい、こちらの問題は、私たちで解決すべきだわ。現世の人間にとっても、危険と隣り合わせのハザマとは関わりたくないはずよ」

 言葉の途切れた部屋の中に、小さなバイブ音が響く。綾香のスカートのポケットからで、綾香は時計を確認して「見回りの時間ですので」と部屋を辞した。いってらっしゃいという薫の声に小さく会釈をして、引き戸を閉める。

 その扉をじっと見つめたままで、薫は切り出した。

「綾香の両親のこと、あなたが一番よく知っているのでは? あの子の気持ちを考えれば、誠二くんを関わらせたくないと思う気持ちもよく分かります」

 紋一郎の眉がぴくりと動く。いらいらしているようでもある。が、すぐに無表情に戻る。返ってきた声は平坦だったが、僅かに不機嫌を残していた。

 この人にしては珍しい。

「依織の話はするな」

「あなたの娘の話です。私の姉でもあります」

「出て行った者の話など、話題に出してどうする。それよりも強力になった魔物をいかに討伐するかを、話し合った方がよほど建設的であろう」

 薫は、自分の利をとろうとする紋一郎の性格をよく知っている。この男は本心でそう言っている。ある意味で、境界を守るバランサーとしては正しい判断かも知れない。小を切り捨て、大を救おうとする考え方だ。

「どちらにしろ、木原誠二は狙われる。あの魔物は執着深い。傷をつけられておいて狙わないというのは、道理が通らん」

「それは俺も同意します。我々は彼を守ることに全力を注がないといけません」

「守るだけでは、頭領としてぬるいのではないか?」

「どういう意味でしょう」

「利用価値はあるだろうという話だ。教えただろう? 使える手は使えと。できぬならば私がかわってやろう。退いたとはいえ、まだまだ現役のつもりだぞ」

 紋一郎はそう言うと、立ち上がり部屋を去る。廊下のぎしぎしという足音が遠のいて、薫は重たい息を吐いた。

「お父さんの行動も要注意、か」

 薫は足を崩して、後ろに手をつく。板間の冷たい感覚が掌を伝って頭も冷やしてくれる。

「約束は守るよ」

 誰に向けたともわからない言葉が、苦味を含んで吐き出された。


 *


 次の日は土曜日。

 高校の運動部に基本的に休みはない。平日は学校で、土日は午前中が部活の練習。午後はやったりやらなかったり。個人の裁量に任されている。的前練習が始まってから、誠二はお昼を軽く済ませて自主練するが、今日は予定がある。午後には、ハザマの世界に行く。忘れないようにしないと、と今朝は意気込んだのだが、部活に来て忘れるはずはないと彼女の姿を見てから思い直した。

 そこには藤間絢香の姿があったから。

 着替えて道場に入ると、弓を引いている彼女の背中が目に飛び込んできた。久しく見ていないその姿に、しばらく見入ってしまったのは仕方ない。

「珍しいよね、藤間さんが来てるの。おはよう、木原くん」

 近づいてきた須賀先輩に挨拶する。この前射形を見てもらった先輩だ。優しいし、教えるのが上手い。今日も人好きのする雰囲気で、親しみやすい笑顔を浮かべている。

「おはようございます。藤間先輩来てるんですね。道場では久しぶりに見ました」

「だね。家の事情で忙しかったみたいだけれど、落ち着いたのかな?」

 その言葉に少しどきりとした。

「ですかね」

 そう言葉を濁して苦笑する。

 弦音がして、藤間先輩が離れた状態のまま、残心をとる。結んだ黒髪が背中に流れている。綺麗な横顔だが、難しい顔をしていた。真っ直ぐに見ている的の数センチ左に矢が刺さっていた。すっと伸びた背中を初めて見たのは、部活紹介の体育館だった。弓道部は、巻藁に向かって弓を引く実演をしていて、藤間先輩が女子部員の代表でステージに立っていた。

 シンとした体育館に弦音が大きく響いて、次の瞬間にはこの部活に入ろうと決めていた。

 懐かしい思い出だ。

「惜しいね」

 と、誠二の視線の先を見て、須賀先輩がコメントする。弓手ゆんでが緩んだかなと呟いて、須賀先輩は藤間先輩に近付くと、助言をしていた。中学の頃から弓道をしている須賀先輩の目は、ひとりひとりの射をよく見ている。的確な助言は誠二の指導をしてくれる時も例外では無く、とても重宝していた。

 部員がそろって、いつものように練習が始まる。二年生から四本引いていって、一年生はその後。それを五回繰り返す。今日はちょっと力が入りすぎたのか、二十本中七本しか当たらなかった。悔しい。

 引いている途中、たまに藤間先輩の視線を感じていた。昨日の会話が蘇る。誠二が使っている弓と矢を調べると言っていた。特別なものはない、学校の弓と、弓具店で買った安めの矢だ。何かあるのだろうか。一人で考えても、先輩が誠二に伝えようと思わない限り、どうかはわからない。

 最後に挨拶をして、解散だ。

 弓は弓袋に入れて、矢は矢筒にしまう。近くの道場で少し練習をしたいと苦しい言い訳をして。

 矢は自分で買ったものだが、弓は部が管理している物なので、ちょっと気まずいが、仕方ない。挨拶して道場から出るときには、何か追求されたらどうしようとどきどきしていた。

 校門を出て、先に帰っていた先輩を探すと、少し先に後ろ姿が見えた。

 彼女は振り返って誠二が来ている事を確認すると、追いつくのを待たずに歩いていく。誠二はそれについて行った。先輩との間には五メートルぐらいの間があった。話ができる距離ではないので、無言だ。

 奇妙な追跡が短い時間続いて、学校からそう遠くない鷲の門に到着する。仰々しい門の間をするりと抜けて行った先輩を確認して、誠二もそこをくぐると、昨日と同じハザマの世界だった。

 ここまでで大仕事を成し遂げたような気がするして、大きく息を吐き出す。でも、今日はこれからが今日一番の用事なのだ。誠二はまた気を引き締め直して、待っていた先輩の後に続いた。

 少し待ってくれていた先輩と、しばらくは横に並んで歩く。昨日と同じ公園内ではあるが、ちらほらと人を見かけた。他のバランサーだろうか。今日は子供も見かける。まだ小学生にも上がっていないような小さな子も紛れていた。

「物珍しい顔をしているわね」

「あの、子供もいるんだって、気になって……」

「ああ、バランサーの一族は現世との調整役以外はこっちの世界に住んでいるの。まだ魔物に対抗する術のない者は結界内からは決して出ないようにしてね」

「そうなんですね」

 傍らをゴムボールがテンテンと転がった。それを腰ぐらいの背丈の少女が追いかける。数メートル先で、兄とおぼしき少年が、少女を呼ぶ。少女はボールを持つと、声の方に駆けていった。

 池の周りを巡って、昨日と同じように登山道入口の鳥居に入ると、お屋敷の玄関に着く。何度見ても不思議だ。

 今日は昨日とは別の部屋に通された。

 扉の前には薫さんが待っていた。

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