30祈った先は

「お姉ちゃん!」


 かすかだが、倉庫の中から自分を呼ぶ声が聞こえた。結界があっても、自分たちの絆は引き裂かれていないのだ。とはいえ、この結界を破るためには、セサミたちの犠牲が必要ということになる。それだけはしてはいけない。


「なんともまあ、素晴らしき姉妹愛だね。反吐が出そうだ。だってそうだろう?君たちは人間と人外、本来なら相容れない存在同士だ。まったく、不快なものを見せつけてくれる」


「み、ミコを返してください!ミコは、人間に悪さするような存在じゃありません!私が彼女に言い聞かせますから!」



 妹が目の前にいる。それだけで歩武は力が湧いてくる。閉じ込めた本人がいるのなら、本人に交渉すればいい。清春の兄、清光が歩武を軽蔑した表情で侮蔑の言葉を吐いてくるが、歩武は負けずに反論する。


「兄貴、人外がすべて悪いわけじゃない。ここは引いた方がいい。そうしないと」


「そうしないと、お前を家に連れ戻しちゃうぞ!」


 清春も歩武の言葉に加勢するが、その言葉は途中で第三者に引き継がれる。いったい誰だと声のした方向に身体を向けると、そこには、歩武と同じ体格をした茶髪のショートヘアで、黒いパンツスーツを着た女性が立っていた。その顔はどこか清春や清光に似ている気がした。



「あら、その服、どこかで見覚えがあるのだけど、いったい、誰のお洋服だったかしら」


「あ、姉貴!」


「かわいい弟の呼び出しに、応えないわけないでしょう?それで、私のかわいい弟を困らせているのは……。あら、そこにいるのは、愚弟ではないの!私の前に現れるとはいい度胸ね」


「き、清音!」


「さて、私はどうすればいいのかな」


 突然現れた清春の姉らしき人物に、清春以外の人間は驚いていた。セサミとアルは、特に驚いた様子はなく、ただ彼女のことを面白そうに見つめていた。どうやら、彼らは清春から姉の存在を聞いていたようだ。兄の清光の時とは違い、警戒している様子が見られない。


「なんか、自分勝手なところは似ているな」


「そうだね。血のつながりを感じるね」



「あ、あの、私の妹のミコがあなたの弟に捕らわれてしまって」


「あなたが清春の彼女の歩武ちゃんね。心配はいらないわ。お姉さんが来たからには、と言いたいところだけど、あなた、その妹やらが人外だってことは知っているわよね」


 歩武は彼女なら、セサミたちの犠牲なしにミコを助けてくれるのではないかと期待が高まる。しかし、そう簡単に手を貸してはくれないようだ。



「でもまあ、清春からもお願いされているから、今回は特別にあなたの妹やらを助けてあげるわ。でも」


 次はないわ。


 そう言って、清春の姉、清音(きよね)は歩武が通ることができなかった倉庫の中に向かって歩き出す。当然、清光は講義の声を上げる。


「お前なんて、オレの敵じゃない!やれるものならやってみろ」


「ふうん。確かに今までの私なら、あんたに負けていたかもしれない」




「お、お姉ちゃん!」


 また、倉庫の中からミコの声が聞こえた気がした。倉庫の外で話している声が聞こえたのだろうか。先ほどよりも大きな声での妹の呼びかけに、居ても立っても居られなくなり、倉庫の結界があることも忘れて、歩武は再度、倉庫に向かって駆け出していた。


「ミコ!」


 歩武は、今度は倉庫の中に足を踏み入れることができた。先ほどは倉庫の前に壁のようなものがあって入ることができなかったが、それがなくなっていた。


「お、おねえちゃん?」


「ミコ!よかった。無事だったんだね」


 ミコが家に帰って来なくなってから数日しか経っていないのに、ずいぶんと久しぶりな気がした。二人はしばらく抱き合っていた。



「あら、私の出る幕がなかったわね。いったい、何が起こっているの?」


「あいつら、自分を犠牲にしてまで」


「バカな。オレの結界がこんなことで敗れるはずがない」


 歩武たちの再会に感動している者はいなかった。安倍きょうだいは、彼らの再会に驚き、困惑していた。



「ねえ、ミコ。わたしね、今までどれだけ、あなたに依存していたのかようやく知ることができたの。だから、これからはミコに依存するだけでなく、お互いに助け合って生きていけたらなって」


「わ、私は全然、それでも構わない。お姉ちゃんさえいてくれればいいの」


「それじゃあ、ダメだよ。今回の件でそのことを思い知らされたの。私とミコだけの世界じゃダメなの。ミコを助けることができたのは、彼らのおかげなんだよ。先輩に、セサミやアルが協力してくれたの」


 お礼を言おうと、歩武はようやくミコとの抱擁を終えて後ろを振り返る。セサミたちが言っていた言葉はすっかり頭から抜け落ちていた。


「セサミ、アル。それに先輩、今回はありがとうござ」


 お礼の言葉は途中で止まってしまう。当然、先輩やセサミ、アルの三人が歩武たちの再会を喜んでいると思っていた。しかし、後ろを振り返って確認できたのは、安倍きょうだいの三人だけだった。猫耳少年とうさ耳少年の姿はそこになかった。


「セサミ、アル?」



「あいつらは君に言っていただろう。『自分たちなら結界を破ることができる』と。それを実行して、それで」


 存在が消滅した。


 清春は歩武と視線を合わせずにうつむきながら、彼らがいないことを説明する。


「う、嘘。そんなわけない。だって、私は彼らを犠牲にすることを望んでいない。それ以外の方法でミコを助けようって」


「オレもそうだと思っていたが、彼らにとっては違ったようだ」


 せっかく、最愛の妹と再会できたのに、その喜びは一瞬で消え去り、代わりに歩武の心に占めたのは、彼らがいなくなったという喪失感だった。自分が何とかならないことでも、妹なら何とかしてくれる。すがるようにミコを見つめるが、ミコにもどうしようもないのか、ただ首を横に振るだけだった。




「ははははは!」


 突然、清光が大声で笑い出す。暗い雰囲気だったその場の空気が壊れる。いったい何事かと歩武たちが男に視線を向ける。しかし、男は一向に笑いを止める様子なく、腹を抱えながら、歩武とミコを指さした。


「滑稽だな。人外が人外を助けるために自らを犠牲にするなんて。だが、これで、害悪な人外が二匹も自ら消滅の道を選んだ。残りはそこにいる、衰弱した化け猫一匹だ」


 ミコが消える。


 そんな言葉を聞いて、黙っていられるはずがない。



「お前みたいな男にミコは渡さないし、消されたりしない!」


ミコを自分の背中に隠して、歩武はミコの存在を消されないようにする。男の言葉にひるみそうになるが、何とか耐えて男を睨みつける。頼もしいことに、この場には歩武たちの味方が存在して、歩武の力になってくれた。


「いい加減、あきらめな。私たちがいる限り、お前はそこの人外を消すことはできない」


「オレも、今回ばかりは後輩の味方をすることにする」


「先輩、お姉さん……」


 自分のきょうだい二人からの言葉に、清光は一瞬、嫌そうな顔をしたが、二人と一人で分が悪いと判断したのだろう。捨て台詞を履いて、その場から逃げ去っていく。


「まあ、別にお前らなんかオレの敵じゃない。それに、そいつはすでに弱っているようだから、あまり長くはないだろう。どうせ死にゆく存在に手をかける必要はない。そこの倉庫ももう、結界が破れては使い物にならないし、今回はこれで見逃してやるよ」


 去っていく背中を追うものはいなかった。



「あまり長くはないって、どういう」


「まあ、確かにずいぶんと彼女、衰弱しているようね」


 男の捨て台詞になった不吉な言葉について考えていると、歩武たちの近くにやってきた清音がミコの様子を見て、納得したように口を開く。専門家の目から見て、そこまで弱っているのだろうか。


「だい、じょうぶ、だよ。少し、休めば、こんなの」


 改めてミコの様子を観察すると、いつもより顔色が悪い気がするし、大丈夫と言い張る割に、言葉がとぎれとぎれで苦しそうな呼吸をしている。


「セサミやアルに続いて、ミコも私を置いていかないで!」


 一度に三人もの存在を失うのは歩武には耐えがたい。


「お願いだから、神様。ミコを助けてください。お願い……」


 無意識に歩武は神に祈っていた。奇跡が起こしてくれるとしたら、神様しかいない。

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