31別れ

 どうか、ミコを助けてください。


『これもなにかの縁だな。そこの捨て猫はずいぶんと君に懐いているようだ。このまま安らかに眠れるように別れの時間を与えよう。彼らも、自らの命を犠牲にしてまで彼女を助けたことを称して、最期の言葉を交わす時間を与えることにする』


 歩武の祈りが神に通じたのか、彼女の耳に男性の低い声が頭に響き渡った。思わず辺りを見渡すが、声の主は見当たらない。清春の声にしては低すぎるし、女性の声でもなかった。声は歩武にしか聞こえていないのか、清春たちは全く動いていなかった。その場から微動だにしない様子に歩武は困惑する。まるで私たち以外の時が止まってしまったかのようだ。


『その考えは正しい。私は今、この世の時を止めている。この世で動けるのは君と、そこにいる彼女だけだ』


 歩武の心を読んだかのように再度、頭の中に声が鳴り響く。

「あなたはもしかして……。神様、なの?」


『人間は私のことをそう呼ぶものもいる。好きに呼ぶがいい』


 歩武は、今のこの状況と自分が先ほど誰に祈りをささげたのか思い出して、声の主を予想すると、どうやら正解だったようだ。



『さすがにあまり長い時間は止めていられないが、別れの挨拶くらいはできるだろう。彼らも呼んでやったから、最期の言葉を交わすといい』


 声の主の言葉が終わると同時に、歩武のひざの上に何か乗ったような感覚がした。下を向いて確認すると、そこには一匹の猫とウサギが歩武を見つめていた。


「セサミと、アル、なの?」


『歩武、なの?』


 猫とウサギは歩武と視線が合うと、歩武の脳内に直接話しかけてきた。どうやら、最期の別れは動物の姿でしてくれと言うことらしい。ケモミミ少年の姿ではないことを少し残念に思いながらも、唐突な別れをしないで済んだことを神様に感謝する。


「そうだよ。私の祈りが通じて、セサミとアルとお別れの時間をもらうことができたの。ミコもなんだか弱っていて、それで」


 彼女ともお別れをしなくてはならない。


 口にすると、かなりの衝撃を受けそうなので、途中で言葉を止める。しかし、歩武の顔からすべてを察したらしい猫とウサギは、まるで歩武を慰めるかのように、彼女のお腹に頭をこすりつける。


『僕たちだけじゃなくて、あいつも一緒にお別れか』


『歩武はそれで平気なの?』


 行動とは裏腹に、二匹は心配そうに歩武の脳内に語り掛ける。


「平気、ではないかな。でもね、私の周りには、私のために働いてくれる人たちがいるってことがわかったの。だからもう、ミコと二人の世界で生きるのはやめた。セサミたちがせっかくミコを助けるために動いてくれんだから、私は」


『私はまだ死んでいない』


 二匹と一人の別れの時間に割って入ってきたのは、歩武の妹の声だった。しかし、彼女の声もまた、脳内に直接響いてきた。隣にいたはずの妹を確認するために視線を向けると、そこにいたのは一匹の猫だった。そういえば、清春の兄はミコのことを化け猫と言っていた。これがミコの本来の姿なのだろうか。


「あれ、この猫、どこかで見たことがあるような」


 全身が真っ黒で、闇に溶けてしまいそうなほどの黒い毛に金色に瞳。すがるような目で歩武を見つめる瞳は覚えがあった。


『お前があの時、拾った猫を覚えているかい?昔、夏祭りの時に拾った弱った捨て猫のこと』



 頭の中に男の声が響き渡る。いつ、歩武は猫を拾ったのだろうか。夏祭りと捨て猫、その言葉がキーワードになり、歩武はようやくすべてを思い出す。すべてはあの夏祭りの日から始まっていたのだ。


「あの時に拾った猫は、ミコだったんだね」


『そうだよ。私はあの時、お姉ちゃんに拾われて命を救われた。救われたけど、それはつかの間の命だった。だから、私は神様に祈ったの。お姉ちゃんを守れるような人間になりたい。一緒に居られるようになりたいって』


 猫の姿をしていても、ミコはミコだった。頭にミコの声が聞こえてくる。ミコを拾った時のことは思い出したが、それ以外のことはまだ、曖昧にしか思い出せない。


『健気なその姿に心を打たれた私は、彼女の願いをかなえてやることにした。だが、その願いはもう、君には不要のようだ』


『そうですね。お姉ちゃんは私がいなくても、しっかりと周りの人間と生きていける。私がいなくてもきっと』


 大丈夫。



 いよいよ、別れの時が来てしまった。ミコの言葉から歩武は覚悟を決めた。人生、別れはつきものだ。同級生の高木だって、最愛のペットとの別れを終えて、新しい人生を歩み始めたのだ。


 泣きそうになるのをぐっとこらえ、歩武はミコやセサミ、アルを自分の胸に抱きこんで、ぎゅっと腕の中に閉じ込める。突然の行動に三匹は、最初は驚いて暴れていたが、すぐにおとなしくなる。頭を歩武の胸に押し付けて、まるで歩武の心臓の鼓動を聞いているかのようだ。


『ミコ、あなたのことは忘れないよ。セサミも、アルも。だから、今度会うときは、私と一緒に居られる存在がいいね』


 またいつかどこかで。


『さよなら』とは口にできなかった。口にしたら、抱きしめた彼らを手放せなくなりそうだ。



『歩武らしいね。そうだね、またいつかどこかで会えたらいいね』


『またね、今は別れだけど。悲しいのは今だけだよ』


『じゃあね。私もお姉ちゃんにまた会える日を信じているよ』


 またいつかどこかで。


 歩武たちは笑いながら、最期の別れの挨拶を終えた。


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