26いざ、出発
「歩武、朝だよ。早くあいつを助けたいんだろう?」
「朝だぞ!さっさと起きろ。今日はやることが山ほどある」
「あと10分……。あれ?」
昨日は夢も見ずにぐっすりと寝てしまったようだ。歩武は頭上から聞こえてきた声に意識がはっきりしない状態で答える。しかし、布団と枕の感触がいつもと違うことで、徐々に頭が働き出す。目を開けて周囲を見渡すと、そこには見慣れた猫耳少年とうさ耳少年が歩武のことを見つめていた。
「ようやく起きたか。外で男が待っているぞ」
「あと少しでも起きるのが遅かったら、部屋に押し入るって言っていたよ」
二人の言葉に、自分が置かれている状況をようやく思い出し、慌てて手で髪を整える。ベッドから降りて姿見で身なりを確認して、一度深呼吸する。ちらりと窓の外を見ると、カーテンから陽の光が漏れている。歩武の視線に気づいたセサミが気を利かせてカーテンを開けると、一気に部屋が明るくなる。陽の光を浴びて、歩武の眠気は一気に吹き飛んだ。
「トントン」
ドアをノックする音がした。セサミたちの言葉の通りなら、外で先輩が待っているはずだ。今日は土曜日で、せっかくの休日を自分や妹のミコのために費やしてくれているとなると、少しでも時間は無駄にできない。
「どうぞ」
歩武がドアの外に返事をすると、ガチャリとドアが開き、先輩が顔を出す。すでに着替えを済ませていて、黒い半そでのTシャツにジーパンというラフな格好をしていた。
「おはよう。昨日はよく眠れたみたいだね」
「ええと、ハイ」
そこで会話が途切れてしまう。昨日の今日で話すべきことはたくさんあるが、急に男の先輩の家に泊ったという事実が歩武の頭を支配し始めた。自分の恰好を確認することで落ち着けると思ったが、逆効果だった。歩武は今、先輩から借りた灰色のスウェットを身に着けていた。それがなんだか彼氏の家にお泊りした感じを醸し出していて、歩武の顔は赤く染まる。
「顔が赤いみたいだけど、もしかして、いまさらオレの家に泊ったことが恥ずかしくなったとか?」
「ち、違います。先輩が部屋に入ってきたら、急に部屋が暑く感じて」
なぜか、先輩から生暖かい目で見られてしまったが、歩武はごまかすように両手を顔の前でぱたぱたと降り、風を送る。清春はそれ以上、歩武をからかうことはやめて、今日の予定を話し出す。
「今日は運が良いことに学校が休みだ。妹を助けるのなら、この週末をうまく利用することが大切だ。ということで、朝食を食べたら、すぐに今日の予定の打ち合わせをしよう」
ぐうう。
朝食という言葉を聞いて、歩武の腹が空腹を主張し始めた。すでに一度、カフェで同じようなことが起きているため、歩武は開き直ることを覚えた。空腹は健康な証でもあると思うことにした。
「まずは、朝食からですね。腹が減っては戦はできませんから。先輩が作ってくれるんですか?」
「先輩に向かってその口の利き方はいただけないけど、まあ、自分も食べなくちゃいけないから、君の分も作ってあげるよ」
「開き直っているね」
「まあ、元気がないよりいいだろ」
小声で話すセサミとアルの頭を小突いて、歩武は清春と一緒に部屋を出る。セサミとアルは顔を見合わせて、彼らの後に続いた。
〇
「先輩って、料理ができるんですね」
「料理っていうほどの物じゃないけどね」
リビングにやってきた歩武はソファに座り、キッチンで朝食の準備をしている清春を眺めていた。清春はトースターで食パンを焼き、フライパンで卵を焼いていた。
「うわあ、おいしそう」
数分後、清春はテーブルにホットサンドが乗った皿を置いた。ホカホカと温かそうな、おいそうに焼き色がついたパンに、黄色い色が鮮やかな卵と、緑のレタズ、赤いトマトが彩り豊かに挟まっていた。清春はさらに自分と歩武の目の前に牛乳の入ったコップを置いて、朝食の準備が完了する。
『いただきます』
二人は席について、手を合わせて朝食を食べ始める。セサミたちが食べたそうに見ていたが、彼らに食事は必要ないので、無視して二人は黙々とサンドイッチを口にしていく。あっという間に食べ終わってしまった。
「いいなあ。僕も人間みたいな食事をしてみたいなあ」
「オレも思うけど、それをするためには、あいつみたいになる必要があるけど、オレ達にそれができるかって言われたら、無理だな」
歩武たちの隣でぶつぶつと会話を交わす二人だが、彼らの声は食事に夢中の歩武たちに聞こえることはなかった。
朝食を食べて一休みすると、清春が今日の予定を話し出す。
「今日の予定だけど、昨日の夜に事前に兄に連絡をつけておいた。兄はこっちが拍子抜けするくらい簡単に、オレに会ってくれると言っていた。だから」
「お兄さんの所に今から行くということですね」
歩武が清春の言葉を引き継いで答える。こんなにすぐにことが運ぶとは思ってもみなかった。とはいえ、この後にどんなことが起こるのかわからない。
「そうだね。遠野さんはオレの兄と会ったことはないんだったよね。ということは、今日が初めてということでいいのかな」
「まあ、そうですね」
清春の問いに歩武はあいまいに答えるしかなかった。直接会って話したことはないが、遠目に見たことはある。学校で見た印象からは、あまり良いお兄さんではない気がした。そんな相手に会わなければならないことに憂鬱な気分になる。暗い表情に気付いた清春が苦笑する。
「その顔だと、兄の外見を見たことがある感じだね。だったら、問題はない。初対面で兄と会うのと、兄の容姿と雰囲気を知っているのとでは、心構えが全然違うだろうから」
歩武はその答えに妙に納得した。確かに一度あの雰囲気を知っておけば、警戒した方がいいと思える。ミコをさらった人物なのだ。最初から警戒心マックスで挑む方がいいのは間違いない。
「よし、じゃあ、準備して兄に会うとするか」
「はい」
いよいよ、ミコの救出作戦が幕を開ける。歩武は気を引き締めるために両ほほを軽くたたいて喝を入れる。
「オレ達の役に立つときが来るということ」
「頑張らなくちゃね」
歩武たちは急いで出かける準備をする。休日ということもあり、制服のまま出かけるのは目立つということで、歩武は清春の姉の服を借りることにした。偶然にも同じような体格らしい。適当に選んだ服がほぼぴったり歩武の身体の大きさにフィットした。白のレースが付いた半そでのブラウスに、紺色のワイドパンツを着た歩武は、玄関で待っていた先輩に声をかける。
「お待たせしました。先輩、なぜ、昨日の夜、お姉さんのパジャマを貸してくれなかったんですか?」
「なかなか似合っているよ。靴も適当に借りていいよ」
「ごまかさないでください!」
「だって、そうでもしないと、オレが男で、君が女だってことに気付かないだろう。少しは意識してもらいたかったんだよ」
靴も拝借した歩武は玄関を出る。彼女に続いて清春とセサミ、アルも外に出る。外は雲一つない晴天が広がっていた。清春の言葉は歩武の耳には届かなかった。
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