12 Sink to the seabed

 玄関の前に立ち、まず周囲を確認する。もしかしたらどこかに彼が隠れているかもしれない。街頭に照らされて彼が笑みを浮かべているかもしれない。

 ザワザワと草木が夜風に揺れる音がする。

 でも、この辺りってそんなに緑が多いイメージじゃないような。というか、まだそんなに遅いわけでもないのに、どうしてこんなに人通りが少ないのだろうか。平日、木曜日の午後六時過ぎ。なんなら家へと帰っていく人が多くいる時間帯なはずなのに。

 不思議に思いながらも、周りに一人もいないことを認める。それから人差し指を出して、インターホンを押す。

 誰が出るかはわからないけど、もうそんなことはどうでも良かった。私のことを知っていて、それでいて私が心を許せる相手であれば、もはや誰でも良かった。最悪の事態が起きなければ、何があっても私は耐えられる。

 そう、思っていたのに。

「ふふ、遅かったね。どこ行ってたの?」

 あの声が、あの瞳が、あの悪意の笑みが、私の目の前に現れたのだ。

「あ……あ、あぁ」

 息を吸ったまま、吐き出せない。声が出ない。酸素を求めてあえぎながら、横隔膜が痙攣しているのを感じている。

 自然と後ずさり、けれど力が抜けていく。もう一度助けを求めて、彼から逃げるために走らなければならないというのに、足は動かない。あれほど走ったのだから疲れているのも当然だが、それよりも恐怖が強かった。身体の中にあった力全てが吹き飛ぶような衝撃。

「ん? どしたの。息、できないの?」

 その骨張った大きな手が私の首をぐいと掴む。

「ほら、力抜いて?」

 彼はその手に強く力を入れる。もとから息ができていなかったのに、それ以上に酸素は消えていく。苦しい。怖い。痛い。辛い。彼の短い爪が食い込む。喉が握り潰されていく。

「うんうん、かわいいよ」

 彼は背中に隠していた左手を出すと、持っていたナイフを私に見せびらかした。新品とは思えない鈍い光を放って、それは振り上げられる。

「ありがとう、僕のために死んでくれるんだね」

 意識が遠のく。息ができない。酸素が足りない。世界に溺れる。ナイフが振り下ろされるシーンを見ることなく、私は深海へと沈んで行った。


Ending3 『Sink to the seabed』

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