第十九節 贖罪

「臨時ニュースです」

 ビルのディスプレイに映されるニュースキャスターの姿は、画面越しにもメイクの雑然さが伝わるほど、ひどく慌ただしかった。声色も恐怖を隠しきれていない。

 無理もない。画面の右上に流される湾岸の様子。それはかつての『アマカゼの奇跡』と同等、ともすれば凌駕しかねないほどの衝撃的なものだったから。

「先ほど、謎の赤い巨人が東京湾に上陸しました!巨人は全長およそ40メートル、身体から発する熱は1200度を超えると予想されており…」

 画面が切り替わる。

「このまま進めば、国会議事堂などを通過する恐れがあります。皆様、迅速かつ慎重な避難をお願い致します」

 そのニュースは瞬く間に広がり、人々はパニックに陥った。避難誘導の列は渋滞を起こし、遅々として動いている気配を見せない列に腹を立てる者、泣く者、現実から逃避しようとする者、恐怖は次々と伝染していった。

 だが、無慈悲にも巨人の歩みは着実に街に近づく。頭の影が見えてくる。ビルが熱波で溶かされる。人波も熱に呑まれ、肌は爛れ、骨が露になり、残るのは焼けた肉の臭いと人だった液体のみであった。

 防衛省もまた、未曾有の危機に翻弄されていた。

「都心部の避難状況は!」

「まだ報告されておりません!」

「他国からの支援要請の方は!」

「全く音沙汰なしです…!」

 防衛大臣は机を叩いた。怒りや恐怖、混濁した感情を込めて。

「…総動員し、周辺区域の救助活動を急げ…!我々の戦う相手はもはやラバーズどころではない、『災害』だ…!」

 手をこまねいている間にも、災害は刻一刻と都心部へと迫る。

「希望があるとするのなら…彼等しかいないか…」

 アマカゼ記念公園に影が落ちる。影の主の姿と、溶けるビルは、アマカゼの隊員達に異変を気づかせるのに十二分の出来事だった。

「レッドブレード…!」

 甲が息を呑む。明良は山で戦った赤鬼を思い出した。甲と因縁がある相手といえば、奴を置いて他にいない。

「あいつを止めねぇと!」

 走ろうとする剛の腕を、リッキーが掴んだ。

「何で!」

「闇雲に行ってもダメだ。ここにいても伝わるぐらい、あいつの出す熱気は凄い。それにあの巨体。下手に勝負を挑めば、貴重な戦力を失いかねない。僕は…賛成できない」

 渋々、進むのをやめる。乙は甲に尋ねた。

「知ってるんだよね?あいつのこと…教えてくれない…?」

 熱気による急激な温度差が雨雲を生む。甲は口を開いた。

「…皆が望むことは言えない。奴には…無いんだよ、弱点が」

 その場にいた者全てが絶句する。明良と乙にかかる衝撃は尚更だった。

 ただでさえ圧倒的な強さと大きさを誇っていたレッドブレードが、更に巨大な姿となり、接近すらままならないほどの熱を放ち、街を襲っている。そんな災害にも等しい奴に対抗する術が無いなんて。

「何それ…インチキじゃん…」

 乙の両肩から力が抜ける。

「せめて、奴の目的さえわかれば解決の糸口は見えるはずです。何かありませんか?甲さん」

 明良の必死の問いに、甲は静かに答えた。

「奴は僕への援助と『三種の神器』を交換条件に取り引きした。狙うとしたら、それしかない」

「三種の神器ってぇと…」

 剛は取調室の扉越しに、リッキーを介して聞いた話の内容を思い出した。タカマガハラとかいう別世界の宝物で、それとおぼしき物を遊月が持っていると。

「ダンナの先生が危ねぇんじゃねぇか!?」

 リッキーも勘づき、

「すぐ連絡を取ろう。避難の呼び掛けぐらいなら、まだ何とかできるはず…」

 スマートフォンを取り出した。しかし、過剰な熱気は電波の流れを乱す。回線が繋がらない。リッキーはスマートフォンを握り潰してしまうのではないかというほどに、指に力が入っていた。

「移動も連絡もマトモにできないなんて…」

 方向から考えて、間違いなくレッドブレードは科学研究棟の辺りを通る。低く見積もっても600mは離れた地点から、肌が焼けそうな熱を発したまま歩いている。それだけで、科学研究棟はおろか防衛省、ひいては議事堂の機能を麻痺させる力を秘めている。奴は歩くだけで国を壊せるのだ。

 沈痛な空気が漂う。崩れるビルの音や叫び声が轟く。

「クソッ!」

 剛は地面に拳を叩きつけた。

「こんな時に何もできねぇなんてよ…カッコ悪すぎんだろ…!」

「まだですよ」

 雨雲が覆い隠そうとしている空を、明良は見上げた。

「必ず方法はあります。そうやって色んなこと、乗り越えたじゃないですか」

 そう言ってクリスタルダイバーに変貌し、レッドブレードのいる方へ足を運ぶ明良の背中を見ていると、いつしか胸から恐怖の二文字が消えていた。いや、溶けたのだ。恐怖と不屈が混ざり、勇気という二文字へ。

「流奈ちゃんはここにいてね」

 ベンチに座らせ、リッキーはマージナルセンスに変貌する。それに合わせ、それぞれがレシーバーズに変貌した。

 後ろからマージナルセンスが声をかける。

「何をすればいい?」

 すると、クリスタルダイバーは曇天に手をかざした。雨雲が一点に密集する。開いた拳を固めると、天から激流がレッドブレードめがけて一直線に注がれた。とめどない蒸発音と共に、徐々に熱が退いていく。

 スプリンクラーのように、辺り一帯に細かい雨が降り始めた。黒くなった表皮が漱がれ、青に変わっていく。

「進みましょう、前に」

 その声を合図に、アマカゼは現場へ出動した。

「来たか、ゾアッ!」

 レッドブレードがアマカゼを見下ろす。アイアンバスターは溶けた肉片に手をつけ、瞼を閉じた。

「ゴメン。遅れちまった」

 しかし今、悔いる時間は無い。アイアンバスターは立ち上がり、レッドブレードを睨んだ。

「こっから先は通さねぇ!俺達がいるからな!」

 鋭い剣幕を前に、レッドブレードは嘲り笑った。

「進む意味がねぇッ!何故なら、オレ様が待っていたのはテメーら…いや、ゾアだからなッ!」

 誰のことかわからず、アマカゼは呆然とする。

「知らねぇなら教えてやるよッ!そこの青い奴がミストゲイルと同じ世界の救世主様、ゾアだッ!」

 マージナルセンスは息を呑み、咄嗟にクリスタルダイバーの方を向いた。レッドブレードの言葉の意味を理解し、冷や汗が流れる。

「じゃあ…あいつは明良ちゃんを狙って…」

「そうともッ!笑えるよなぁッ!世界の救世主様がいるせいで、そこの奴等全員死んじまったんだからなぁッ!これじゃあ、どっちが悪だかわかりゃしねぇぜッ!」

 巨体から放たれる笑い声は、空気の流れを歪ませるほどに震わせた。

「明良ちゃん…」

 クリスタルダイバーは俯いた。自分がいたから、後ろの人々は死んでしまった。自分が休暇を楽しんでいたせいで、あの人達は二度と笑顔を見せることができなくなってしまった。罪悪感が募る。

「そんなことはない!」

 その時、叫び声が響いた。甲が車椅子を離れ、息を切らして立っていた。

「明良は悪くない!お前が言っているのは…屁理屈だ!心を蝕みたいだけの、醜い音だ!」

 レッドブレードの蟀谷が浮き出る。

「言ってくれるじゃねぇか悪者さんよぉッ…!罪だらけの奴が何言ったって、説得力ゼロだぜッ!」

「だからこそだ!」

 甲は変貌し、一歩ずつレッドブレードへ迫る。

「僕は罪の重さを、味を知っている。だからこそハッキリと言える。明良はここにいるべきなんだ」

 音波がレッドブレードを包み込む。熱が更に退き、赤い肉体に霜が出来始めた。空気の振動数を極限まで下げ、温度を低くしたのだ。

「クソがッ!動けねぇッ!」

 そして甲は手の平に音の塊を作り、レッドブレードに照準を定めた。

「終わりだ、レッドブレード!」

 だが、音の弾丸が赤い肉身を貫くことはできなかった。気づけば、黒い天秤を片手に持った何者かがアマカゼにお辞儀していた。

「誰だお前!」

 リッキーの問いに対して、まるで汚らわしいものでも付いたかのように耳元を払ってから、丁重に答えた。

「小生、ブラックリブラと申します。こう見えましても、7年前に来訪したホワイトライダーや後ろの木偶の坊と同じく、マスター様こと混沌に仕える騎士でして」

 黒いローブから傘を取り出す。

「本当は293年の猶予がございますから、この木偶の坊の回収だけにしておきたかったんですがね。性分なのか、実際こうしてゾアを見かけると高揚して仕方ないのです。というわけで…」

 傘から熱湯が噴き出し、レッドブレードの凍てついた身体を解かす。じっくりと熱が上昇していく。

 それから、ブラックリブラが天秤の柄を握ると、天秤は腕甲に変わった。腕甲を装着し、ローブを脱ぐ。筋骨隆々の肉体が露となった。

「小生も混ぜてください」

 底知れぬ威圧感に、アマカゼも甲も固唾を呑んだ。レッドブレードと同等ということは、単純に考えて災害規模の強敵が倍になったということ。

「気をつけて。あいつ、かなり手強いよ…!」

「あのマッスル見てそう思わねぇ方がすげぇよ逆に…!」

「サイズの問題でしょー…!」

「あの大きさでレッドブレードと同じぐらい強いってことですもんね、話聞く限り…!」

 どう攻めたものか。雨粒の落ちる音だけが耳に届く。刹那、ブラックリブラが雨をすり抜け、アイアンバスターの懐に潜り込んだ。

 殴打の衝撃は後方のコンクリートを抉り、大地に亀裂を生んだ。

「剛君!」

 アイアンバスターは彼方に飛ばされ、すかさずマージナルセンスもアッパーの餌食となった。想像を絶する破壊力に、シャッフルタクトは後ずさる。ブラックリブラは余裕綽々とばかりに、シャッフルタクトの前でボクサーステップを踏む。

「ダメです、乙!怯んだらやられます!」

「ご明察!」

 鉄拳はクリスタルダイバーを吹き飛ばす。3本の亀裂を背に、シャッフルタクトは既に戦意を喪失してしまっていた。

 棒立ちのシャッフルタクトを見て、ブラックリブラは微笑んだ。

「ありがとうございます。かなり殴りやすいです」

 ブラックリブラがシャッフルタクトの肉体を粉々に砕こうとしたその時、シャッフルタクトの脳内で声がした。

 力を使え。僕と入れ替われ。

 いつの間にか、シャッフルタクトは声に従っていた。そうして代わりに身体を貫かれたのは、甲だった。

「お父さん!」

 変貌を解いた甲の口から、血が溢れ出る。

「まさか、催眠(これ)で守る日が来るなんてね…」

 パードレとしての活動が頭に甦り、自嘲気味に笑みをこぼす。

「何で…」

「親が子を守るのが…そんなに変かな?」

 穏やかな笑顔から一変、甲はブラックリブラの腕甲を掴んで唸る。

「レッドブレード!僕の体内に…何があるか知っているか…?」

 触れた手から波動が発され、腕甲にヒビが入る。その様子を見て、レッドブレードは驚愕した。

「まさかッ…!」

「そうさ…ミストゲイルの…英雄(ゾア)の細胞だ!」

 片腕の腕甲は砕かれた。即座にその破片を握り、甲はレッドブレードに投げた。ブラックリブラは腕を抜き、もう片方の腕で甲を地面に叩きつけた。甲の骨という骨が粉砕される。

「お父さん!」

 シャッフルタクトの泣き声が雨空に吸い込まれる。これが一家の父、宇佐美甲の最期であった。

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