第十八節 使命─オーダー─
『パードレ事件』が収束して数日が過ぎた。アマカゼの面々や『善意の協力者』の働きもあって無事、世間はアマカゼへの信頼を取り戻した。私営企業による積極的な資金援助活動も行われているほどである。
従来、アマカゼに関連した商品や娯楽作品の収益の3%をアマカゼの予算に充てていたのだが、世論の後押しもあり、あれよあれよと5%まで引き上げられることが決定した。
ともあれ、アマカゼの面々が休暇を楽しめる程の安寧が訪れたのだ。彼等は今、アマカゼ記念公園までピクニックに来ていた。
「退院できてよかったね」
リッキーがシャボン玉を飛ばす流奈に微笑みかける。流奈は黒く染まった髪を揺らして頷いた。
「あの亀じいさん、これ見たら驚くだろうな」
赤みを帯び始めた流奈の肌を見て、剛は呟いた。
「ウサちゃんの面影ないですもんねー」
流奈は人体に必要な色素を打ち、少しだけなら外を出歩けるようになった。体内に定着するまではまだかかるが、大きな進歩だ。黒染めの付けられた髪も、いつか本物の黒い髪が生えるようになるだろう。
甲の乗る車椅子を押し、明良は花畑を回っていた。
「すぐに快復してよかったです」
「これもレシーバーズの力、なのかな」
甲は俯く。
医者は明確に話さなかったが、感覚でわかった。おそらく、レシーバーズは他の生物とは回復の仕方そのものが異なる。だからもとより抱えていた病気も治り、傷もすぐに完治した。
皮肉にも、憎んでいた力によって生かされている。その力を最愛の妻にも押しつけた。挙げ句、今回の『パードレ事件』を引き起こした。
「…公表、し直すべきじゃないかな。僕がパードレだって」
明良の押す手が止まる。甲を背中から抱きしめた。
「パードレは死にました。今、掘り返して喜ぶ人なんていません。だったら自分だけの罪にして、誰かのために頑張ればいいと思います。それが宇佐美甲に与えられた罰、でいいんじゃないでしょうか?」
甲は黙る。普通、公の前で処断しなくてはならない事だろう。誰が罪を犯し、その者に与える罰を決めて施行する。社会とはそういうもので、それが普通だと思っていた。
だが、明良の言い分は違うらしい。どうやら、煮えきらぬ罪悪感を背負ったまま、他人に尽くすことを是としたいみたいだ。
ある意味、断罪よりも重い。不特定多数の視線を浴びて、己の罪を問いかけ続けながら生きろと言うのと同義なのだから。
「納得…できませんか?」
心配そうに眉を曲げる明良の手に、甲は自分の手を重ねた。
「…ちょっと、戸惑っただけだよ。思ったよりえげつない提案だなってさ」
明良は自分の言ったことの、違った意味を悟った。
「そんなつもりは…」
慌てふためく明良を見て、甲は笑みをこぼした。そういう生き方もあるのか。
罪とは何も、誰かの目に触れさせて、処断してもらわねばならないわけじゃない。罪を抱えさせて、それでも良く在ろうといかす。敢えて明るい道を歩かせ、己の影(つみ)と向き合う罰もある、といったところか。
「けど、君はそれでいいのかい?」
明良は咲き乱れる花を眺めて言った。
「私の願いは罪を裁くことじゃなくて、皆が笑顔でいてくれることですから。そうやって生きる権利は、誰にでもあるはずです」
「僕はそれを奪った」
明良は語気を強くする。
「もう奪わせませんよ。あなたにも、誰にも。それが私の、アマカゼの仕事ですから」
その目に揺らぎは無かった。甲は息を漏らす。
「音は独りにしない、か…」
風が草木を撫で、鳥が囀ずる。甲の頬が緩んだ。
公園で休暇を満喫する隊員達を遠目に、仁と義太郎はベンチに隣り合って座っていた。
仁の意識は、病院で見せた明良の力に集中していた。ゾアが目覚めたと澪士は言っていたが、まさか──
「お前は」
仁が話を切り出す。
「ゾアについて、どれくらい知っているんだ?海央日向と面識があるんなら、少しは情報あるんじゃないか?」
義太郎は両方の親指を眉間に付けて唸った。
「すんません、ワシはヤマト伝説のさわりぐらいしか知らんのですわ…詳しい事情は家ん中で内密に伝えとったみたいやし…ただ」
手を膝に置き、神妙な顔つきで語った。
「ワシがレシーバーズになったんといい、この世界で何や変な事が起きとるんは確かや」
仁は驚き、義太郎の方を向く。
「『なった』?初耳だぞ、それ…」
「言う機会もなかったしな」
浴衣の中の手拭いで、額の汗を拭く。
「そもそも、ワシがここに来たんは全くの偶然なんよ。それまでワシはただの蛙やった。けど突然、『風』がワシを包んでん。ほんで気づいたらあのお寺の近くにおったし、こんな姿にもなっとった」
超常現象の類ではもう驚くことはないと思っていたが、さすがに仁も絶句した。生物をレシーバーズに変える風。一体何なのか、皆目見当がつかない。
「思てんけど」
突然、義太郎が話題を切り替えた。
「仁はん、何でそないにゾアのこと知りたがるんや?」
「…約束なんだよ」
呼吸を整え、仁は答えた。
「300年経つまでに四人集めろってさ、ホワイトライダーとかいう奴とな。やらなきゃ世界を滅ぼすって」
義太郎は腑に落ちた顔をした。
「冷凍睡眠法っちゅうんは、そのための…」
頷く仁に問い詰める。
「それは…傲慢やで?」
仁は微動だにしない。
「ゾアが四人もおんのは驚きやけど…それ以前にやな、あんさんが言うとるんはさ、四人もおるゾア皆の人生を、世界のために捧げろってこっちゃで?ゾアやったって家族や友達がおるやろうに、全部無視して眠らせるってこっちゃで?」
もう何度も反芻し、呑み込んだ罪だ。そうまでしても、手を届かせたい人がいる。
「大体、どないしてゾア見つけるっちゅうんや?」
「オーダーにはそれがわかる。海央日向がそうだった」
仁の言わんとすることが伝わり、義太郎は言葉を詰まらせた。
「ほ、ほんなら、あんさんまさか…」
「そうだ。今のオーダーは俺だ」
仁は立ち上がり、義太郎と相対する。
「今、ゾアは二人いる。一人は人知れず世界を支えてくれている。そしてもう一人は、家族や仲間と休暇を楽しんでいる」
「じゃあ、明良はん…ゾアなんか…」
仁は頷いた。たまらず、目を逸らして呟いた。
「誰が好きこのんで仲間の人生奪うかよ…」
拳を握る。義太郎は仁の心中を察し、おもむろに立った。
「…ワシが伝えるわ。あんさんばっか、貧乏くじ引く道理は無いやろ」
仁は義太郎の肩を叩いて言った。
「その言葉、嬉しいって思っちまったじゃねぇか」
涙を堪える仁に、義太郎は黙ったまま手拭いを渡した。
すると、仁のポケットからスマートフォンの着信音が鳴った。手拭いを受け取ってから電話に出る。相手は遊月だった。
「今すぐ科学研究棟に来い。いいモン用意してあっからよ」
仁は目元を拭き、
「皆、俺は科学研究棟に用が出来た。その間、リッキーの言うことちゃんと聞くんだぞ」
と断ってから、急ぎ車を走らせた。そうして科学研究棟へ着いた仁を面食らわせたのは、扉の前で待ち構えていた遊月と、日向の姿だった。
車から降りて近づき、目を擦る。間違いなく本物だ。
「夢じゃないわよ。7年ぶりね、志藤仁君」
「日向か、ホンマに…日向なんか!?」
バックドアから義太郎の声がした。義太郎は仁の肩をつつく。
「つねってくれへん?頬んトコ」
「いつ着いて来たんだよお前…」
「ええからはよ」
仁がおもいっきりつねると、義太郎は痛みで絶叫しながら跳びはねた。その様子を見て日向は、7年前に人類を淘汰しようとしたオーダーと同一人物とは思えないほど、柔らかく笑った。
「レシーバーズになっても、そういう所は変わらないのね、義太郎」
「わかるんですか?」
仁が尋ねる。なにせ、今の義太郎は普通のカエルよりはるかに大きく、浴衣姿で、それ以前に喋るから。
「もちろんよ。何年の付き合いだと思って?」
日向によれば物心ついた時からの友達だったらしい。なるほど、人慣れしているわけだ。妙な得心がいった。
「ところで先生」
話題の中心が遊月に移る。
「何を用意してあるんですか?」
「気になるか?」
遊月はニヤつきながら仁の顔を覗き、怪しげな雰囲気を醸し出す。
「入ってからのお楽しみだ…」
気味の悪い笑い声を上げる遊月の腕を、日向が軽く叩いた。
「やめなさい、変な誤解生むから」
「かてぇ頭まで昔のまんまかよ」
呆れつつも、日向は楽しそうに仁に囁く。
「懐かしいやりとりだわ」
仁は目が点になった。仁の知る二人とはかけ離れていたから。日向は言わずもがな、遊月はまるで、悪戯好きの少年のように見えた。普段から暗い人間ではないが、かといって幼い印象は無かっただけに意外だった。
遊月の足はアマカゼ本部に向いていた。今更ながら、仁は違和感を覚えていた。関係者でもないのに、何故ここを出入りできる?まさか、それが『いいモノ』と関係しているのだろうか。
本部から研究員の一人が出てくる。
「来ましたか、仁さん」
「何でそこに?」
仁が質問すると、彼もまたニヤつく。サプライズパーティーでも行われているかのような気分だ。
「驚かないでくださいよ?」
そう言って出てきたのは台車を引く零と、台車に乗せられた見るからにハイテクな装具だった。金属光沢が目を惹きつけて離さない。
「これは…」
背後から遊月が肩に手を置く。
「対レシーバーズ装甲、名付けて『ユニゾンギア』だ!」
零がユニゾンギアを仁の前に移動させる。
「全ての生物に宿る命の核、コアの働きを最大限にまで高め、擬似的にレシーバーズと同等の力を引き出せる装備だ。もともと科学研究棟の皆で開発していたのを、僕らが手を加えて完成させた。これで君も戦える」
仁は胸に昂る熱さを感じた。
「…ありがとう、皆」
日向が腕を組み、わざとらしく頭をひねる。
「けれど、ユニゾンギアというのは一応総称なのよね。知っての通り、レシーバーズとしての力には個体差があるでしょ?だから、個々に名前を付けなくちゃやりづらいと思うのよ」
意図を理解した仁は、まだ色も無いその装甲を見つめて言った。
「──名前、決めていいですか?」
零の口角が上がる。
「もちろん。他の誰でもない君の力だ。君の願いを込めろ」
直感的に言葉が浮かんだ。それは、仁の歩んできた人生が呼び起こした言葉だった。
俺には使命がある。300年の猶予の内に、いつ、どこにいるともわからない四人のゾアを集めること。同じ時代に生まれなくても、その価値観は違ったとしても、一つの線で結びたい。世界を救う以上に、意味があるような気がする使命。その使命だけは、絶対に諦めたくない。
「お前の名前は…」
俺は──絆を繋ぐ。
「『ビルドネクサス』」
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