第十五節 本質の探求者

 日が昇ってしばらく経つ。仁はまだ眠っていた。昨日、両親と面会した。

「癒着問題なんて嘘だと信じているからな!お父さん達、応援しているぞ!」

 弁護士だった父は冤罪事件に関わったことも何件かある。だからか、言葉への熱の込め様は当人である仁さえ怯みかねないほどだった。

「そうたい、仁!挫けそうなっても、最後まで自分を信じちゃるんよ!あんたんこと、いつだって信じとるから!」

 母は興奮すると地元の博多弁が出る。これで話すときは余程の精神状態である。それだけ、想ってくれているということか。仁は胸が熱くなった。

 ともあれ、5分しかない面会時間の中で、募る想いを一気に放出してきたものだから疲れた。それまでのものとは違って、心地のよい疲労感ではあったが。

 風が頬を撫でる。窓が開いていた。尚も仁は目覚めない。

「いつまで寝てんだオメー」

 身体を揺すられる。ようやく目を擦って顔を上げた。

「もう9時になんぞ?最高裁もうすぐなんだろうが。シャキッとしろ」

 遊月が上がり込んでいた。驚きで大声を出しそうになる。逆効果なのは明白なので押し殺せたが、眠気はすっかり飛んでいった。

 小声で遊月に問い詰める。

「何で入ってんですか!警察に見られたらどうするつもりなんですか!?」

「今の俺はあくまで『善意の協力者』だ。アマカゼ関係者じゃねぇ。奇しくも、オメーの気遣いが上手く機能してくれそうなんだよ、ここでな」

 言いたいことは理解できた。確かに、アマカゼの関係者ではない第三者なら、弁護材料を提出するにも説得力はある。

 問題はどう弁護人に渡すかと、それとおぼしき物は恐らく今、剛の手元にあるということである。

「いずれにしても不法侵入に変わりはないですけど…ありがとうございます」

 遊月は仁の頭を撫でる。

「狙ってたんならとんだ指揮官だぜ、オメー」

「偶然ですよ」

 本来、それぞれの人生を歩んでほしいと思ってしたことなのだから。

「結局、手伝ってもらうことの方が多くなっちゃいましたけどね」

 撫でていた頭を押し、遊月はわざとらしく眉を潜めた。

「あのな、お題目ってのは往々にして守れねぇモンだ。大事なのはそこで諦めねぇかどうか、だろ?それとも何か、あの熱い告白はその場のノリだったってんじゃねぇだろうな?」

 7年前、『諦めないお前が好きだ』と架純に言ったことを思い出し、仁は赤面した。

「とにかく」

 遊月は両方の瞳に手の平を当てた。

「オメーはやりてぇこと貫け。背中押すための教師なんだ、いつだって頼りやがれ」

 手の平に『夢現』を乗せ、仁に握らせる。

「これ…」

「もらっとけ。いつかの『カチコミ』で役立つはずだ」

 背を向け、窓から帰ろうとした遊月は忘れ物に気づいたかのように足を止め、

「そうだそうだ」

 仁に指さした。

「科学研究棟の奴等、おもしれぇモン造ってんぞ。近い内、使うことになるかもな」

 冷凍睡眠法を実用段階に進展させた装置が完成したのだろうか。しかし、澪士が言っていたゾアの出現が気になる。

「取り敢えず、今のうちにストレッチぐらいしとけ」

 どうやら予想とは異なるらしい。

「じゃあな、仁。…負けんなよ」

 そう言い残して、遊月はフェイトスコープに変貌して窓から跳び立った。

 仁は呆然とする。ひとまず夢現をポケットにしまった。それから身体を起こし、ラジオ体操を始めた。


 迫田家のある住宅地から少し離れ、明良と奏雨はひと気のない林に入った。真には仕事と断ったが、実際は違う。

「あんた、体内の水を少しでも外に出すとまずいんだって?」

「集中力を必要とされる使い方をする場合は、特に堪えます」

 明良の、レシーバーズとしての力をより引き出すための『レクチャー』を受けていた。

 住宅地を離れたのは、言わずもがな癒着問題のこともあり下手に人々を刺激したくないから、それと真の両親がレシーバーズに殺されたという事情があるからである。

「水分補給じゃダメなのかい?」

「はい。今でも少しフラフラしますし…」

「完全にコア頼りってわけだ」

 奏雨に言わせれば、生命の根幹を成す『コア』と呼ばれる部分の働きによる自然回復でしか、一度排出した分の水を取り戻すことは不可能らしい。

 つまり明良の場合、体内の水分の放出は一般人よりもはるかに深刻な問題となるのだ。1%たりとも、おろそかにはできない。

「上手い使い方、考えなくちゃね」

 よれる明良の足元を見て、奏雨は呟いた。

「お願いします」

 互いにレシーバーズへ変貌する。

「身体の内側から水分を使うのがダメなら、外側の水分を使って同じことをするのはどう?あたしはそういう力の使い方しているんだけど」

 一度だけやったことがある。巨大なヘビ型レシーバーズを倒すため、その体内の水分を膨張することで身体を破裂させた。

 だが、以降はそうしようと思い至ることすら無くなっていた。アマカゼで活動を続ける内に、殺傷を選んではならない理由の一つを、夢にまで出てくるこの『事件』と照らし合わせて、考えるようになっていたから。自戒。もしくは、トラウマ。

 クリスタルダイバーは黒く濁った手の平を見つめる。心臓が素早く脈打つ。

「…何か、使いたくない理由があるみたいだね」

 ライトニングレイに、トラウマのことを話した。ライトニングレイは唸る。それから、クリスタルダイバーの肩に手を置いた。

「あんたがわざわざあたしを呼び出したってことは、強くならなきゃいけない理由があるってことだろう?なら…優しいことは言わない。自分のしたことに向き合わなきゃ、強くはなれないよ」

 固唾を呑み、おもむろに拳を握る。脈動は更に速まる。

 その時、枝を踏み割る音がした。咄嗟に音の方を向く。真が木の裏に隠れていた。

 目が合う。どう声をかければいいか、わからなかった。

「…つけていたの?」

 ライトニングレイが問いかける。全身を強張らせ、真は頷いた。

「だって…働く雰囲気じゃなかったし…」

 実際、何の用意も無しに『仕事へ行く』と外へ出ても信憑性は薄い。

「でも俺、怖くないよ!父ちゃんが言ってたから!真実は頭の中だけじゃわかんないって!そのためのカメラなんだって!だから…怖くないよ、俺」

 胸に下げたインスタントカメラを握りしめ、声を震わせて叫ぶ。怖いに決まっている。自分の両親を殺した奴と同じ種類の生物なんて。生きるだけで、誰かを苦しめている。向き合うべき罪の重さを改めて知る。

 永遠にも思える沈黙を破るかのごとく、突如『何か』が飛来してきた。木々を倒し、土煙をあげるその影は、二体のレシーバーズに対して片眼を鋭く光らせた。

「思わぬ幸運…!」

 隻眼の獅子は笠を上げ、牙を剥きつつ笑みを浮かべた。

「我輩のコア、貴様等で試させてもらう」

 瞬時に間合いを詰め、隻眼の獅子はクリスタルダイバーに爪の攻撃を連続で繰り出す。触れてもいないのに、木に切り傷がつく。ライトニングレイも、その速度に唖然とした。単純な身体能力だけで、ここまでの力を引き出すとは。

 クリスタルダイバーは防御の姿勢を取りながら後退する。

「やめてください!戦う理由がありません!」

 隻眼の獅子は眉間に皺を寄せた。仰向けに転ぶクリスタルダイバーの頬を、爪が掠める。地に刺さる爪は名刀に勝るとも劣らぬ輝きを見せていた。

「貴様は生きることに理由を求めるのか?いかに知性を得ようと、生命の本質は食うか食われるか、強いか弱いかだ。そこに言葉も、意味も要らん」

「それだって、立派な『言葉』じゃないの?」

 ライトニングレイが隻眼の獅子の背後をとる。雷を纏った腕をかざす。

「ならば、手っ取り早くやらせてもらおう」

 咄嗟に高速で移動した隻眼の獅子は、真を腕の中に引き寄せた。ライトニングレイの腕に溜められた雷が退く。

「理由はこれで十分か?黒い者!」

 真は恐怖のあまり、踠くことすらできない。クリスタルダイバーは立ち上がり、拳を握った。

「離してください…!」

「来るか」

 しかし、クリスタルダイバーは一歩を踏み出せなかった。動け。頭で命令するが、真が視界に入ると途端に息が苦しくなる。助けられるのか?自分に。失敗しない保証は無い。そうなったら、流奈や甲みたいになるのか?動機が激しくなる。

「…買い被りだったか」

 隻眼の獅子は舌打ちをし、木を伝って瞬く間に跳び去った。すかさず追おうとするライトニングレイだが、クリスタルダイバーが膝から崩れ落ちるのを見過ごせなかった。

 クリスタルダイバーは限界だった。心が磨耗しきっていた。どんな意志を掲げても成し遂げられない自分──自分などというものがあるのかどうかすら疑ってしまうほどに、嫌気がさしていた。

「奏雨さん。構わず行ってください。私より、あなたの方が…」

 奏雨は変貌を解き、クリスタルダイバーの胸ぐらを掴んだ。その形相は憤慨と哀しみを携えていた。

「罪を止まる言い訳に使うな!あんたも、あたしも、誰もが一生向き合わなきゃいけないんだよ!」

 手を離し、話を続ける。

「苦しいのも、つらいのもわかる。けどさ、そこで止まってどうするつもりなんだ?助けを乞うのか?自分の人生なのに?」

 確信した。昨日感じたことは『かもしれない』ではなく、事実だ。自分がわからないのではない。ただ、自分を見たくなかっただけなのだ。醜悪な自分を、自分と認めたくなかったのだ。

 仁の言葉を思い出す。透き通る水晶のように、何の濁りも無く、深く物事を見つめてほしい。クリスタルダイバーとは、本質の探求者。濁りきった己さえ、濁りの無い目で向き合う強さを願われた。

「改めて聞く。あんたは誰?」

 深呼吸する。黒く濁った自分も、殻に閉じ籠ろうとした情けない自分も、全部本質だ。全部、見つめなければならない自分だ。

「…アマカゼのクリスタルダイバー、潜明良です」

 奏雨は笑みを浮かべ、クリスタルダイバーの背中を叩いて呟いた。

「疾走(はし)れ、クリスタルダイバー」

 クリスタルダイバーは振り向かず、ひたすらに駆け抜けた。最高裁まで、残り7時間。

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