第十三節 嵐の後に

 海底にはいくつもの火山が眠っている。その大きさは地上に聳える山々を凌駕し、それらを呑み込まんばかりの量の熱を内包する。小笠原諸島より西に1海里離れた、およそ12平方kmの海域、太古に消えた極東の地『タカマガハラ』のあった領域にも海底火山は存在する。目には映らぬ名もなき山もまた、体内に熱を隠し持っていた。

 その熱と、深度10000mの水圧を一身に帯びる者がいた。煮えたぎる溶岩の中で、赤い肉体が燃え盛る。

「あの眼、厄介だぜッ…!」

 レッドブレードは先の出来事を思い返した。


 明良達が命からがら寺より離れた後、フェイトスコープと星牙を相手に、レッドブレードは戦った。

「似てやがる、あの野郎にッ…!」

 自ら起こした土砂崩れが霧散した様子に、レッドブレードも警戒の姿勢を見せた。

 ヤマト。かつて、混沌の淘汰に抗った極東の戦士。その眼は月の満ち欠けのごとく夢と現を操り、その手は星を渡る舟のごとくどこまでも届き、その心臓は暁光照らす太陽の炎のごとく無尽蔵の働きを見せた。

 いま思えば、奴はゾアとなり得る存在だったのかもしれない。もしくは──

 タカマガハラでの激戦を思い起こしていたレッドブレードに、星牙が飛びかかる。縦に回転する刃は、レッドブレードの左肩にかすり傷をつけた。

「手応えはあったんだがな…」

 背後に着地した星牙は、息を荒くして呟く。レッドブレードは星牙を見向きもせず、痛みに悶えるフェイトスコープに拳を向けた。生きてもらっちゃ困るんだよ、お前には。

「くたばれッ!」

 しかし、瞬時に星牙がフェイトスコープを抱え、拳から遠ざけた。歯軋り。

「鬱陶しい野郎だな、テメーッ!」

 激痛の中、フェイトスコープの左目に映るのは、右目と異なる景色だった。姿は朧気だが、確かに人が立っていた。無限の色に光る樹を背に、人は手を差し伸べて何かを言った。そして手を繋いだ瞬間、フィルムが回転を止めたかのように、左目は景色を映し終えた。

 フェイトスコープは息を呑んだ。

「そんな事情だったなんてな…」

 星牙の手を離れ、フェイトスコープは立つ。

「日向…オメーの荷物、少しだけ見えた気がする」

 そう呟くフェイトスコープの心中は、大きなものを悟っていた。

「なら、俺の役目は──」

 右目が開く。夢を現に変える右目『像(かたどり)』。巨大な黄金の門が開き、目の前のレッドブレードを吸い込む。抗うレッドブレードだったが、抵抗むなしく門の中へ幽閉された。

 門が消える。変貌を解いた遊月は両目を押さえ、断末魔の苦痛に呻いた。

「おい、大丈夫か!?」

 星牙は焦った。どうなってしまったんだ、遊月は。

 やがて、目から二つの眼球が落ちた。硬質な球体は望月を思わせるほど美麗で、星牙も目を奪われた。

 夢現をまじまじと見つめていると、苦悶の息遣いで遊月が言った。

「それを渡すべき…奴がいる…」

「誰なんだ?」

「──」

 赤みを帯びる空をカラスが舞う。ほのかな月が浮かんでいた。


 仁は自宅に軟禁されていた。玄関の向こうで警察官が二人立つ。リビングに仰向けになる。腕は手錠で縛られて自由に伸ばせない。

 国家反逆罪の容疑。確かな証拠は無いが、反証要素も無い。あるにはあるが、アマカゼ(こちら)側から出したところで信憑性は薄い。アマカゼという組織の特殊性も踏まえ、3日後に控えた最高裁まで軟禁という形におさまったのである。

 天井を見上げる仁の胸中は、罪悪感に満ちていた。20にもならない子供達を戦わせなければならない情けなさ。前線にいてくれた彼等を誰よりもケアしなければならなかった。それをできなかった自分への怒り。

「また…見ているだけだった」

 アマカゼの奇跡、か。平和を守った英雄ミストゲイル。本当は華奢で、誰よりも繊細で、寂しがり屋な少女なのに。英雄にしてしまったのは自分だ。何もできなかった。

 同じことを彼等にもしてしまった。人並みに弱いと知りながら、心のどこかで無敵のヒーローか何かと高を括っていた。あいつらならやれる、あいつらならできると。そんな保証、どこにある?見ることすら碌にできちゃいない。

 天井がぼやける。

「どうすりゃよかったんだ…?」

 一筋の涙が床に落ちたその時、周囲の世界が変わった。仁の肉体は暗闇に包まれ、しかし視界は明瞭だった。

 おもむろに起き上がる仁の前に、無限の色の光と共に、一人の男が立っていた。暁澪士。遊月の親友であり、日向の恋人であった者。

「…7年も何してた」

 やり場の無い感情を澪士にぶつける。相も変わらず、柔和な顔つきを崩さない。

「どうやら、僕が君の前にいられる条件は二つみたいだ。一つは、君の命が脅かされた時。もう一つは…ゾアの覚醒」

 仁は目を見開く。

「本当か!?」

 不思議だった。ホワイトライダーはゾアが同じ時代に現れないと言っていた。

 混沌は四人いる伝説の救世主ゾアの登場を止められないが、生まれる時期を操作することはできる。そうしてゾアが四人揃うことはなく、今まで世界は混沌の手中にあったのだ。

 それが架純がゾアに覚醒したわずか7年後に、新たなゾアが現れるなんて。ホワイトライダーが嘘をつく奴とは思えない。ましてや、混沌が気を利かせたなど到底あり得ない。

「原因は色々あるだろうけど、ともかく重要なのはゾアを見つけて協力してもらうことだ」

 いま、世界は非常に不安定である。風のゾアに覚醒したミストゲイルこと颯架純が、世界の根幹を成す無限樹に絶え間なく養分を与えている。いちど削除(デリート)を決定された世界は、この養分なくして維持できない。つまり、時の止まった空間で、架純が少しでも養分を送らなければ、世界は再び滅びの一途をたどるというわけだ。

 世界も架純も助ける方法は一つだけ。四体のゾアを集めることである。そのために、仁は7年前、混沌の使者の一体であるホワイトライダーから300年の猶予を得た。

 しかし今、仁は躊躇いの表情を見せる。

「…そのために冷凍睡眠の理論を確立させて、実用段階寸前まで漕ぎ着けた。でも…それは正しいのか?」

「どういうことだい?」

 澪士が問う。

「ずっと眠らせるってことはさ…そいつらの家族や友達と引き離すってことになるじゃねぇか。それじゃあ…海央日向と何にも変わらないだろ。デカい目標のために、何か犠牲にするなんて…そんな身勝手を押しつけるなんてさ…」

 すると、澪士は深呼吸をしてから仁に語った。

「気持ちはわかるよ。でもね、君も知っているはずだ。罪の無い人なんていない。誰もが正しいし、間違っている。何かしようと思えば、相応に他人に迷惑をかける。架純ちゃんだってそうだっただろう?君を守るために、多くのことに目を瞑った過去がある」

 咄嗟に仁は澪士に掴みかかった。

「お前に架純の何がわかるんだよ…!」

 澪士は瞳を逸らさず言った。

「一人で抱え込んじゃダメだ」

 仁の手を離し、澪士は話を続ける。

「君がどれだけもどかしいか、悔しいか。一緒にいるんだから伝わるよ、全部。けど、生命(いのち)がそんなに気丈なら、日向はああならなかった。君が繰り返してどうする?」

「じゃあ…何もかも捨てて心中してくれって言えばいいのかよ?」

「そうだ」

 毅然と言い放つ。

「心中して後悔しない。そう思わせられる人になるんだ。どうせ迷惑をかけるなら、それぐらいの覚悟は無くちゃダメだよ」

 冷酷にも思える言葉。しかし、考えてもみればそうだ。アマカゼだって、子供達との信頼の上で成り立っていた。

「確かに架純ちゃんも、彼等も弱い。人並みにね。けど、人並みに強いよ。そんな強さを、君が疑ってどうするのさ?」

 過度な罪悪感から卑屈になっていたらしい。弱さを見て、ケアすることは当然必要だ。しかし、それが足りていなかったと思うほど彼等は頼りなかったか?慮ることばかりにとらわれて、逆に信頼を足蹴にしていなかったか?

「…バカだな、俺。あいつら強いのに」

 澪士は微笑み、仁の肩を叩いた。

「君には君の戦いがあるように、彼等にも彼等の戦いがある。信じよう、彼等が勝つことを──」

 澪士は光の中へ消えた。

 目を覚ますと、再び自宅のリビングにいた。心配が絶えたわけではない。しかし、それ以上に今は信じている。アマカゼの皆が、いつか必ずこの苦境を脱することを。自分達の戦いに勝つことを。

「まずは…手本、見せねぇとな」

 床に座る仁の瞳に、もう涙は無かった。最高裁まで、あと3日。


 満たされない。いくら倒しても。アマカゼでならラバーズと認定されるであろうレシーバーズを、手当たり次第に見つけては戦った。その結果が、泥を被ったかのように黒ずんだクリスタルダイバーの皮膚である。

 雨が水溜まりを作る。光の消えた虚ろな瞳で、己の姿を見る。一つも心が動かない。水溜まりを踏んでいった。

 足取りは芳しくない。生傷の絶えない肌で歩く。近くきたる秋の収穫を待つ田畑が横に見えても、何も匂わない。何も感じない。それを心地よいとも思わない。ただ、泥が詰まった感覚をずっと抱えて生きている。

 平坦な道で転ぶ。土埃が付いたことにさえ気づけないほど、服は汚れていた。

 起きなければ。使命感だった。誰も守れなかった、その罪を背負った者として、生きることが罰なのだと思った。自分がここにいる意味がわかる気がした。目を閉じれば、消えたくなるから。

 だが、身体は冷酷にも瞼を下ろした。風の音が遠くなる。手足の神経は徐々に頭の指示から外れ、全身を地に貼りつかせる。眠りたくない。夢でまで苦しみたくないのに──

 昨晩から止まない雨の日に、少年は一人の少女を見つけた。少女は地面にうつ伏せになっている。少年は胸に下げたインスタントカメラを手に取り、少女に照準を合わせた。迫田真(さこた まこと)、初めてのスクープ写真撮影の瞬間である。

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