第十一節 おと

 廃墟から寺のある山までの道は複雑だ。林道を抜け、橋を渡って街道へ。そこから別の高速道路に入り、ようやく山道に着く。この間、およそ20km。

 今、クリスタルダイバーとシャッフルタクトは4分の3、つまり15km地点にいた。午後、曇り空に覆われた街並みは無機質な雰囲気を漂わせていた。全てがモノクロになったような、そんな気分。

「…私、忘れてたー…」

 黙るのに耐えきれなくなって、シャッフルタクトが口を開く。

「家族のことー…」

 クリスタルダイバーは返事もせず、ただ車輪を回す。

「思い出したらつらいからー…お家が焼けてて、お母さんも妹も死んじゃって、お父さんはいなくなっちゃってー…全部、一日で消えちゃってー…知らんぷりしてたら、本当に全部忘れちゃったー」

 表情が顔に出なくなった日のことを回想する。そういえば、『ここから逃げたい』と願ったのが、レシーバーズとして目覚めた引き金だった。逃げれば、きっと夢だと思えるから。逃げ出せた試しなんて、一度だって無いのに。

「仁さんいなかったら、もう生きてなかったかもねー…」

 逃げなくてもいいことを、仁が教えてくれた。自分と同じように、何かを失った人がいる。寄り合えばいい。互いを慮り、寄り合うための配置転換(ちから)なんだと、仁が諭してくれた。

 空の運転席に抱きつく。懐かしい温もりを感じた。それだけで、全てが真実だと確信できた。

「今だけ、こうしてていいー…?」

 シャッフルタクトは時が止まればいいと思った。隠してきた気持ちが、無視してきた想いが溢れてくる。そんな胸の内を音に乗せる。

「僕らは皆 生きている 生きているから歌うんだ」

 か細い声に合わせ、クリスタルダイバーが囁くように続く。

「僕らは皆 生きている 生きているから悲しいんだ」

 すると、シャッフルタクトの抱きしめる腕が強くなった。

「…二番に繋げてよー。悲しいのはもう…嫌だからー…」

 クリスタルダイバーは微かに笑った。

「すみません。じゃあ、気を取り直していきますよ。…『乙』」

 喉が詰まりそうになる。何年も込み上げてこなかったものが昇ってきて、嗚咽に変わる。

「ダメじゃないですか。それじゃあ…歌えなくなりますよ」

 クリスタルダイバーの声が震える。

「いーよ。続きはまた…今度にしよー?…『お母さん』」

 そろそろ、寺が見えてきた。現場には既に甲がいた。満身創痍のシャットシェル、その後ろに隠れて踞る流奈。甲はシャットシェルの眼前に立ち、次の一撃を放とうと自分の手首を掴んだ。

「返せよ。俺の娘だ」

「娘を攻撃する親があるか…!」

 かつて見た巨大なレシーバーズへ、憎悪の目を向けた。娘を守ることも、追うこともしなかった自分など、棚にあげて。

「どの口で言ってんだテメーは!」

 握られた手首から、音の刃が飛び散る。シャットシェルの身を引き裂きかけたその刃は虚空に消えた。配置転換。シャッフルタクトの背後に落ちてあった枝と、二人の場所が入れ替わった。

 甲が振り向く。憎悪と歓喜とが入り交じった、ひどく錯綜した面持ちであった。

「やっと会えたぞ…明良ぁ!」

 母と子は拳を握る。父を止めるために。

「戻ってこい。俺が生み、俺が育てた、俺だけの恋人(プロミス)!それがお前だ!」

「そのために色んなモノを壊していったんですか?」

 焦土となって日の浅い大地を踏み、クリスタルダイバーは問いかける。

「そうだ!騎士に魂を売った!ラバーズ─クズども─によく効く中毒電波(えさ)をばら撒き従わせた!盾(プロミス)としてな!全部、約束された未来のため、お前と過ごす日々のためさ!通った道に瓦礫が敷かれようと、俺達の知ったことじゃない!」

 一縷の躊躇いも無い返事だった。

「私はそんなもの、望んでいません!乙やそのお友達、仁さん、皆さんが笑える日々!約束してほしい未来はそれだけです!」

 すると、甲は顔を伏せて身体を震わせた。

「…俺はいないのか…その未来に。…お前も、違うのか…!」

 甲の着ていた服を突き破り、アンプのような突起物が肩から飛び出す。

「本物の明良なら、俺を拒まなかった!俺と未来を進んでくれた!終末を迎える世界で唯一生き残れる存在、プロミスでいてくれたはずなんだ!」

 唐突に語られた終末。激昂の末に漏れた言葉なら、欺瞞の線は考えにくい。甲のみが知る事情だと捉えるのが道理だろう。

「どういうことですか?世界が…滅ぶのですか?」

「もう教える義理も無くなった!ここで死ね!」

 完全に変貌を終えた甲の口内の拡声器から、超音波が放たれた。急激に熱された空気によって、前面に見えない爆弾の山を放り投げられたのと同じ状況下に陥る。弾け飛ぶ土、大気。皮膚に伝わる熱気。

 爆風に身体が耐えきれず、彼方へ追いやられかけたクリスタルダイバー達の窮地を救ったのは、またしてもシャッフルタクトの配置転換であった。舞う土と次々に場所を交換することで、この攻撃をかわした。

 瞬きしなくとも理解しがたい現象を、甲は即座に理解した。そして、娘に怒りの矛先を向ける。

「乙だよなぁ!?ニュースで見たぞ!なぜ邪魔をする?俺と明良が幸せになるのがそんなに嫌か?娘だろう、お前は!」

「今さら親ヅラしないでよ…!ほったらかしにしたくせに…!」

 腕のスピーカーから音の散弾が出てくる。硝煙を纏って遠くの木々や地面に穴を空けるが、シャッフルタクトの配置転換を捉えられる速さではない。

「私はアマカゼの駒沢乙で、あなたは犯罪者パードレなんだよ…!もう、親子じゃない…!」

 甲は頭を抱え、顔を歪める。四肢に生えていたスピーカーは口に変わっていく。

「お前も独りにするのか!どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!俺が何をしたんだ…」

 甲の瞳がシャットシェルを見据える。こいつだ、こいつが全てを狂わせた。

「消してやる…ノイズを!跡形もなく!」

 いくつもの口に溜められた空気が、山をも砕く音となる寸前、クリスタルダイバーとシャッフルタクトの間をすり抜けて、流奈が駆け出した。

「危ない!」

「戻ってー!」

 しかし流奈は聞き分けず、甲のもとへ一直線に走る。

「あの子は何を…」

 シャットシェルだけではない、その場にいる誰もが当惑した。流奈が甲の胸元に抱きついたからである。

「流奈!わかってくれたか!」

 甲は嬉々として抱き寄せた。が、理由は予想だにしないものだった。

「なかないで」

 乾ききった焦土に立ちながら、流奈はそう言った。

「どうして…そう思った?」

「たすけてって、さびしいよって…そうきこえたから」

 流奈の声色に、異形への恐れは微塵も無かった。まるで、泣きじゃくる子供を慈しむようであった。

 何か張り詰めたものが決壊した甲は、膝から崩れ落ちた。

「何でわかるんだよ、レシーバーズでもないのに…」

「だからこそかもな」

 シャットシェルが口を開く。

「人間だレシーバーズだ、線を引かんのがその子の良さなんだろう。わしにはもう、できないことだ…」

 流奈とシャットシェルの想いを汲み、クリスタルダイバーは元の姿に戻って甲に歩み寄った。

「罪を償ってください。その子のために。もう一度、家族になるために」

 朧気だが、確かな記憶が明良にはある。家族の温もり。心を共有する尊さ。アマカゼに感じたものの正体が、少しわかった気がした。

「…取り返しのつかないことをしたぞ。命を奪った。今さら、許されようという気はない。いっそ、殺してくれ」

 酒でひた隠しにしてきた自責が溢れ出した甲に焦れったさを覚え、乙が詰め寄り言葉をぶつけた。

「それが自分勝手なんだって気づいてよ!こっちだって取り戻すつもりなんて無いよ!祈ったって時間は後ろに行けないし!でも…死んだら前にも行けないんだよ…」

 甲は息を呑んだ。誰かが、何かが独りにしたのではない。自分が独りになったのだ。

 明良が甲に目線を合わせる。

「記憶が無いの、気にしてました。けど、アマカゼに入って記憶より大事なもの、見つけたんです」

「…何だ?」

 初めて出会った時のように、甲が独りではなくなったあの日のように、明良は微笑んだ。

「あったかさです」

 音が聞こえてきた。これは、心臓の鼓動。身体に温度を伝えるリズム。ずっと、聞こえなかった音。

「今までの悲しさよりも、これからのあったかさを大事にしたい。私は…そうやって生きたいです」

 ああ。お前は誰よりも『明良』だ。

 曇り空を破って、太陽が射し込む。眩しくて手をかざすと、甲は自分の手の平が赤くなっているのに気づいた。そういえば、そんな歌もあったな。確か──

 突然、甲の身体から力が抜け落ちた。背中から血が流れる。何が起きたのか悟るのに、時間がかかった。

「甲さん!」

 明良がその軌道の先に視線を移すと、警察官が一人、震える手で銃を構えていた。

「どうして!」

「射殺許可は出ていましたから…」

 あり得ない。乙は即座に思った。いかにラバーズ──アマカゼが普段相手にするような凶暴なレシーバーズであろうと、意思の所持から射殺は決して許されていない。そのことを巡って国会が荒れたことさえあるほどだというのに、何故そんな禁忌が解除されたのか。理解に苦しんだ。

「…誰から指示されましたー?」

「警視総監から直々に…」

 いよいよキナ臭い。明良も勘づいた。現段階では、パードレが宇佐美甲だろうという憶測しか出ていない。それに、その情報を知るのはまだアマカゼ一同のみである。どうやって警視総監の耳に届いた?

 推理する間もなく、警察官は明良達に銃口を向けた。

「何をしているんですか!?」

「あなた方がパードレ、宇佐美甲と癒着しているとの情報を手に入れたんです…現場を見て確信しました…もう言い逃れ、できませんよ…!」

 レシーバーズに対する恐れを露に、ガタついた声で警告を発する警察官だったが、銃声は鳴らなかった。代わりに首が、音もなく消し飛んだ。

「可哀想になッ…!オレ様の指示だとも知らず、こいつはお前らを憎んで一生を終えたんだッ…!」

 胴体だけになった警察官を握り潰し、赤鬼が大きな剣を担いで現れた。かろうじて息のある甲は赤鬼を一瞥し、呟いた。

「レッド…ブレード…!」

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