第九節 かの世

 夜が明ける。寺へと続く山道には、警察がごった返していた。ラバーズの関与した山火事とあれば、仁の立場上、止めるわけにはいかない。たとえそれが、シャットシェルの意向を無下にすることとなっても。

「では、その少女はこちらで保護します」

 ウサちゃんに警察官の視線が集まる。昨晩の襲撃もあって、ウサちゃんは怯えながらシャットシェルの脚に隠れた。

「嫌がる子を無理矢理連れるのを保護と呼ぶのか?人間は」

 シャットシェルが警察官達を睨みつける。数倍もの大きさの生物から鋭い眼光を浴びせられたのだから、当然ながら警察官達はたじろいだ。仁が説得する。

「だからって、あんな目に遭わせられないだろ。気持ちはわかるけど、現実的に考えてくれ」

「傲慢だな」

 冷淡に返すシャットシェルに、仁は眉を潜めた。

「自分達なら守れるから、黙って言うことを聞けということだろう?傲慢でなければ何だ」

 目の覚める思いだった。考えてもみなかった。いつしか、守る側として物事を思考する癖がついてしまい、守られる側の気持ちを汲めなくなっていたようだ。情けなさでいっぱいだった。

 とはいえ、何も策を打たないのは問題外である。双方にとって良い案は無いかと沈黙する仁の前に立ち、剛が啖呵を切った。

「いいから俺達に任せてくれよ!根っこのパードレって奴を止めりゃ、ウサちゃんとアンタを離ればなれにする理由も無くなるんだ!」

 激しい剣幕に、さすがのシャットシェルも戸惑いを隠せない。

「聞いていなかったのか?わしはその態度が気に食わんと…」

「信じてくれ!難しいとは思うけどよ、でも、ぜってぇ守るから!ウサちゃんも、アンタも!」

「…どこにそんな保証がある」

 剛は後ろの仁や、リッキー、乙、明良に目配せして言った。

「ここにあんだろ」

 威風堂々たる姿勢の剛の背中に、仁は昔の剛を重ねた。彼はリッキーの次に仁と出会った。小さな田舎町に住んでいたが、百獣村から飛び出たレシーバーズの1体に滅ぼされた。

 後に自衛隊の面々が大量の負傷者を出しながらもどうにか退治したが、剛の家族は帰ってこなかった。もっと力があれば。本人は決して口にしないが、そうした悔恨を抱えているのは、かつて聞いた寝言などから察しがつく。俺が守る。わずか10歳の寝言にしては、いやに力強く、哀しかった。

「…名は?」

 シャットシェルが尋ねる。剛は胸を張り、豪快に答えた。

「甲斐剛。アマカゼの一員、アイアンバスターだ!」

 剛を凝視し、シャットシェルはウサちゃんの隠れていた脚を横にどけた。

「約束は果たせよ、剛」

「…当然!」

 こうして、ウサちゃんは警察の下で保護、同時に義太郎は取調室で聴取を受けることとなった。パトカーに乗っている間、明良は思った。

 もしあの時、自分なら自信を持ってああ言えただろうか。わかり合えそうにもない相手にさえ手心を加え、守るべき相手に拒まれ、それでも挫けずにいられただろうか。元々プロミスだという自分に、果たして『守る』と言う資格があるのだろうか。

 入り組んだデコボコの道を、パトカーは進んでいった。

 そしてアマカゼの面々と義太郎は、ラバーズ用に設けられた取調室に向かった。仁の頼みもあって四人は部屋の外で待機、中には仁と義太郎のみである。

「…かの世に関するこっちゃな?」

 勘が鋭い。仁は慎重に頷いた。

「教えてくれ。どこなんだ?」

 義太郎の表情も堅くなる。

「パードレが呼んどる『かの世』はな、裏の世界なんや。まぁワシらにしたら、あんさんらの方が裏やけどな」

 要領を掴めない。ますます疑問が深まるばかり。しかし、せっかく世界を救い、架純を迎えに行くための足がかりになりそうなヒントがそこにあるのだ。粘るしかない。

「詳しく話してほしい。お前が知ってる範囲で、全部」

 深く息を吸い、義太郎は口を開いた。

「…わかった。あんさんらには義理がある。話さんわけにはいかんわな」

 およそ日本書紀の序盤に記されているであろ う時代のこと。まだ名もなき極東の地では、人と幻獣が共に暮らし、平和と秩序が保たれていた。

 しかし、突如それは壊された。停滞を善しとしない混沌の使者・四騎士は、世界を滅ぼそうと試みた。この進攻に抗ったのが土地長(とちおさ)ヤマトであった。だが、彼の抵抗むなしく四騎士は極東の地を蝕んでいった。

 悲嘆に暮れる時すら許されぬヤマトは、最後の力を振り絞って一部の土地ごと人々を世界の『裏側』──混沌の使者が干渉できない、言うなれば時空の特異点へと避難させた。いつか伝説の先導者・ゾアが本当に現れ、民を救ってくれることを願って。

 この事件は『国引き』として、形は変化しているものの、彼方の地から渡来してきた日本人の祖先達にも語り継がれている。

 だが、大事を成した代償は小さくなかった。ヤマトの身体は腕と眼と心臓を残して燃え尽き、散り散りに飛んでいってしまったと言う。かの世──正式名『タカマガハラ』にて、三種の神器と呼称される聖遺物の正体とも語られているが、真相は定かではない。(タカマガハラ宝書『ヤマト列伝』より、脚色を加え引用)

「ワシもただの昔話や思とったけど、ホンマに別の世界に来てもうたもんなぁ…日向のこと、バカにできんわ」

「知ってるのか!?」

 仁が身を乗り出す。

「知っとるも何も、昔はよう遊んだよ。クソ真面目やけどええ子でな、優しかったで。草踏むんも躊躇うぐらいにはな」

 信じられない気分だった。仁の知る海央日向、オーダーは百獣村の戦いのみならず、多くの事件の糸を引いていた、とんでもない人物である。

 レイジもそうだが、かつての日向を知る者は仁が見てきたことと真逆のことを述べている。何が彼女を変えたのか。

「…調べたよ、日向の記録。反動やろな、優しさの」

 義太郎は遠い目で語る。

「村ん中でも、日向は特に好きやったからな、ヤマト列伝。よう言うとったわ。『私がゾアを見つけて、世界を救うんだ』って。オーダー名乗っとったんも、多分澪士を想ってのことちゃうかな。ここで言う神主の生まれやった澪士の負担、少しでも背負(しょ)いたかったんやろ。出方が最悪になってしもたけどな…」

 日向の生まれた村では、オーダーの家系があるらしい。彼らは幼い頃より、ゾアを見つけ出し、世界を救う担い手となるべく育てられる。あるともわからない、極東の地へ赴くために。

 仁の脳裏に、いつか総理大臣に見せてもらった極秘事項『超能力者暗殺事件』のファイルがよぎる。超能力者の名前は──暁澪士。

「…繰り返しちゃいけない。そのために、」

「かの世と、その宝を狙うパードレの情報が必要やね。任せとき。パードレの方も多少の見当はついとる」

 義太郎は着物の懐からスマートフォンを取り出し、Webラジオのホームページを開いた。それから、『ウェーブラジオ』と書かれた簡素なフォントのタイトルロゴを指さす。

「この番組あるやろ?前から裏ん方でちょっとした噂なっとったもんやから、こっそり調べたんや。ほんならプロミス全員の視聴履歴にあったんよ。おかしい思わへんか?大した人気も無い番組をこぞって聴くか?普通」

 言われてみればそうだ。こんな番組、初めて聞いた。始まったのもつい数ヵ月前、裏社会の人間の間で少し噂になる程度の知名度。それをプロミスと呼ばれる構成員全てが視聴している。不気味な話である。

「一応確認してみる」

 仁は警察庁に電話し、捕らえられている一部のレシーバーズから『ウェーブラジオ』の視聴経験について聴取するよう頼んだ。数十分経った結果、オウルデッドをはじめ、パードレに繋がっていると思われる全員が何かしらの手段で聴いたことがあると判明した。

 とはいえ、問題点もある。

「さて、どう乗り込んだものか…」

 一連のプロミス事件との関連性がまだ認められたわけではない。たまたま全員が単なるリスナーだったという可能性だって捨てきれないのだ。容疑をかけるにしても、不確定要素が多すぎる。

 すると、義太郎が提案した。

「ラジオパーソナリティを調べたらええんちゃう?そいつの足跡たどればボロ出るはずやろ」

「偽名だったらどうするんだよ。これってアマチュアでも配信できるやつだろ?」

 お人好しにも程があるやろ。と、口に出しそうになるのを抑え、

「そういうのほど、個人情報の特定はしやすいんや。どんなもんであれ、アカウントを作る時に絶対打ち込まなアカンのはID、パスワード、誕生日、出身地。匿名や言うても、こういうとこから探り入れたら割とあっさり特定できるもんやで」

 義太郎の説明に仁は圧倒された。

「詳しいな、お前…」

 聞こえない音量で義太郎は呟いた。

「…お人好し通り越してアホや思われるで、それ…」

 ともあれ、ラジオパーソナリティのアカウントから特定をかけ、アマカゼは遂に容疑者を見つけた。

「違法薬品の取引、それを実験用マウスに投与し多大な損害を出し学会追放。その翌年、7年前に失踪、そのまま行方不明に…」

 ざっと調べた経歴でこれだけ黒いのだ。ほぼ間違いない。リッキーも頷く。

「今なお遺体は見つかっていない…生きていてもおかしくはないですね…」

「で、肝心の名前は何ですかー?」

 乙が率直な疑問を投げかける。仁は目を泳がせた。どうしたものか。偶然だとは思うが…

「顔写真すらねぇし、これじゃ捜しようがねぇぞ?ダンナ」

 剛に急かされる形で、やむなく仁はその名前を教えざるを得なかった。

「…名前は──」

 名前を言ったまさにその時、明良の脳内で鍵をかけていたものが、洪水のように一気に溢れ出た。明良が覚えているのは、ここまでである。


 一方、パードレは酒瓶を積み上げて出来たオブジェクトを音響で壊して、憂さ晴らしをしていた。

「バカ鳥がよ…!やたらに爆発させやがって…!」

 パードレはオブジェクトの破片を拾い上げつつ、小綺麗なラベルの貼られたスコッチを飲む。

「しかし、神って奴がマジでいるなら面白いことをしてくれる…まさか、娘が『二人』もいたとはなぁ…!カエルの因縁以外にも用が出来たわけだ…!」

 そうしてパードレは背後に置かれた巨大なビーカーいっぱいの培養液に浸された大量のミイラに目を向け、ビーカーに取りつけられた装置に彫られた自分の名前をなぞった。

「待ってろよ、明良…!」

 細胞培養装置。製造者、『宇佐美甲(うさみ こう)』

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