第八節 高波

 夕刻は回りかけ、森が闇を作り始める。銀色の日本車が目的地に向かって進む。その車内は穏やかではなかった。

「あいつ、別世界の人間だったのか…」

 仁は呟いた。色々納得はいくが、どうにも突拍子も無い話で呑み込みづらい。日向の生まれを聞くよりも、まずは正否の再確認だ。

「海央日向の持ち出した神器を、遊月先生が使った。そう言いたいんだな?」

 バックミラー越しに、義太郎が頷くのを一瞥する。

「でもどうしてだ?もしそれが本当だとしても、先生には使う理由が無い」

 零の寝る部屋の隅で、倒れ伏したまま動かない日向の姿を思い浮かべる。遊月を含め、三人は星牙が看ている。

「夢現は夢を現実に、現実を夢に変える力があるって言われとる。欲しがって当然や。海央日向も助けられるしな」

 知っている、いや察したのか。仁は眉を上に動かした。かなり勘が良いのだろう。だからこそ、敵に回した者の強大さを改めて痛感する。人質を取られていたとはいえ、一度は義太郎に配下につく選択をさせたのだから。

「本腰入れて狙われたんや。一筋縄ではいかんやろな」

「心配だな、お前の身内」

「あいつがおれば大丈夫やろ」

 そう腕を組む義太郎の皮膚からは冷や汗が流れていた。

 ライトを点け、走ること数分。

「あれや!あの寺や!」

 飛び上がるように義太郎が指さす。そこには虫に食われた木製の柱や床で出来た、小さな寺があった。きっと昔は修行僧が住み込んでいたのだろう。寂れても、それなりの貫禄は感じられた。

「誰かいますよ」

 明良が運転席まで身を乗り出す。暗がりから、一人の少女が現れた。継ぎ接ぎだらけの洋服を着た、幼い子だった。

「ウサちゃーん!」

 大声を上げ、義太郎が手を振る。ウサちゃんが朗らかに手を振り返す。それに合わせ、白い髪が揺れる。

「ホントにウサギみてぇだ…」

 剛が面食らう。リッキーも感嘆のため息を漏らす。

「うさぎ うさぎ なにみてはねる」

 乙は童謡の『うさぎ』を口ずさみ出し、それに合わせて明良が手拍子をする。仁は思った。

「夏まっ盛りだけどな」

「指揮官、夏の月を甘く見ちゃいけませんよ!あの松尾芭蕉だって何度も詠んだほどの風情があってですね…!」

 リッキーの俳句好きまでも発動し、すっかり賑やかになった銀色の日本車に、ウサちゃんが駆け寄った。窓から児童がするように、全身の力を使って話す。

「義太郎さーん!どこ行ってたのー?帰ってこないから心配しちゃったー!」

 気を利かせ、リッキーが窓を開ける。義太郎が窓から首を出す。(決して真似しないように)

「お仕事や」

 首を傾げる一同に対し、義太郎は囁いた。

「ちょっとした趣味でな、ヤーさんのしたりしとるんよ」

 最近自警団か何かが裏社会の組織を潰して回っていると複雑な心境でぼやいていた警察官のことを、仁は思い出した。

「これ何ー?この人達だれー?」

 興味津々に車を眺めるウサちゃんの瞳を見て、仁の胸は痛んだ。結成発表時はネットニュースになり、SNSでもトップトピック。今でもウェブラジオなどで話題の中心にいるアマカゼを知らない人など、少なくとも国内にはいない。車なんて尚更だ。もし日本に住みながら双方認識しないことがあるとすれば、生まれた時から文明社会と隔絶された場合のみである。何があったのかなど、推して量るまでもない。

 そんな少女に、義太郎は満面の笑みを見せた。

「これは車。走らんでも色んな所へ行けるんよ。ほんで、この人達はワシの新しい友達や」

 またしても仁の表情は曇る。そう思ってくれるのは嬉しいが、仲間と合流し、護衛が終われば互いに逮捕する者とされる者なのだ。行動の意図は十分に理解できても、ルールを守らないことには、守るべき市民への示しがつかない。

「正しいって、何だろうな」

 ため息と共に漏れ出た言葉に、明良が反応する。

「どうしたんです?」

「いや」

 ふと見た明良の容姿は、仁には架純と瓜二つに思えた。架純ならどう答えてくれただろうか。

「…何でもないよ」

 ドアを開け、仁を除く全員が外に出る。車を寺の傍に停めるべくウィンカーを点けると同時に、ヘッドライトが巨大な影を捉えた。影が照らされる。亀の足だった。

「お前達、人間か」

 シャットシェルの首が伸び、顔に光が当たる。顔面だけで少女の身長と大差ない。迫力を感じる。それに物怖じることなく、明良は答えた。

「レシーバーズです。アマカゼってチームを組んでます」

 シャットシェルの眼が明良に向く。

「屁理屈だな。人のために戦う部隊だ、人と何ら変わりは無い」

「あなたと同じですよ」

 明良がウサちゃんを指さす。シャットシェルの視線が鋭くなる。

「一緒にするな。この子は人に捨てられ、わしが育てた」

「『ワシら』やろ?」

 義太郎が間に割って入る。

「ワシ、助けてもろたんや。やから邪険にせんといてくれへん?」

 シャットシェルが今度は義太郎を睨む。

「ウサは例外に過ぎん。とにかく帰らせろ。わしは好かん」

 しかし、シャットシェルが威圧するその真下で、ウサちゃんはリッキー達と遊んでいた。

「これ、なーに?」

「トランプって言ってね、楽しいゲームができる道具なんだ。オレ達も緊張ほぐしたりする時よくやっているんだけど、色んなゲームがあって…」

 アマカゼの面々と談笑するウサちゃんを見て、シャットシェルは小さく唸った。車から出てきた仁が、シャットシェルに言う。

「あいつらもウサちゃんと同じなんだ。みんな、色んな理由で親がいない」

 仁はリッキーの方に顔を向けた。6年前、リッキーは路地裏で独り踞っていた。生まれつき変貌する肉体、それによって発揮される研ぎ澄まされた感覚は、彼を孤独に追いやるには十分だった。親に捨てられ、文字もろくに知らないまま育ったリッキーに手を差し伸べ、仁は皐姫や星牙と協力して教育した。対レシーバーズ部隊の戦士としてではなく、誇るべき一つの生命として。

「それに、帰れない理由があるんだよ。ここにお前達を狙う奴等がやって来る」

 シャットシェルは訝しげな表情をした。義太郎が訴える。

「ホンマなんや。ワシがやらかしたせいで、あんさんもウサちゃんもえらいことになってもうたんよ。謝っても謝りきれへん。やからこの人達に頼んだんや」

「わしだけで十分だ」

 意固地なシャットシェルに対して、義太郎は土下座した。

「面の皮厚いと思てくれても構へん。あんさんが人間嫌いなのもわかる。けど堪忍してほしい。ウサちゃん大事なんは変わらんやろ?」

 シャットシェルは7年前のことを思い出した。人里から離れ、満身創痍の、いつ死に絶えてもおかしくないシャットシェルに生きる希望をくれたのはウサちゃんだった。捨てられたというのに、生きられる望みなど一縷も無いというのに、それでもまるで『私はここで生きている』と言わんばかりに精一杯泣くウサちゃんだった。皮肉にも、殺したいほど憎んでいたはずの人間に、シャットシェルは生かされたのだ。

「…勝手にしろ」

 そう呟いた直後、銀色の日本車が爆発四散した。爆風に吹き飛ばされる仁が空で見たのは、禍々しい影だった。

「死のサンタクロースが来てやったぜ!」

 フクロウ型レシーバーズ・オウルデッドは羽ばたきながら、携えた袋からダイナマイトを投げた。夜の森が炎で輝く。すかさずクリスタルダイバーが消火活動に入る。

「季節外れだっての!」

 アイアンバスターがオウルデッドめがけて砲弾を撃つが、軽快にかわされる。

「厄介だねー…!」

 位置転換を行おうにも、地上からおよそ20mは離れている相手には通じない。マージナルセンスが照準を逐一報告しても、砲弾はオウルデッドを撃ち落とせない。爆弾が次々に投下される。森が燃え、煙が辺りを覆う。

「どうしてこんなことを!」

 クリスタルダイバーが叫ぶと、オウルデッドは下品に笑った。

「お前らが喧嘩売ったからだろ!自業自得さ!」

「じゃあ私達だけ狙ってくださいよ!この方々も、森も関係ないのに!」

 クリスタルダイバーの耳に聞こえてくる声。『助けて』と怯えるウサちゃん、庇うシャットシェル、火を払おうと努める義太郎と仁、オウルデッドを止めようと奮闘するマージナルセンス、アイアンバスター、シャッフルタクト。そして、この森に生きる自然の断末魔。胸にさざ波が押し寄せる音。

「知るかよ、オレは焼きてぇだけだ!」

「それが何になるんですか!」

「うるせぇな!オレが気持ちいい、それで十分かよ?」

 さざ波は高波に変わり、クリスタルダイバーは瞬時に水の弓矢を構築した。射られた矢はオウルデッドを狙って飛ぶが避けられる。

「だから無駄だってんだろ、おバカさんが!」

 しかし矢は弾け、広大な網となってオウルデッドを包んだ。まるで、鳥籠のように。水で出来た鳥籠は、クリスタルダイバーが手を握りしめる動作と共に、中央にいるオウルデッドめがけて水の球を放った。360度、逃げられる場所は無い。

 水の球はダイナマイトと反応し、水蒸気爆発を起こす。痛みに羽をばたつかせ、オウルデッドは悲鳴を上げた。

「やめろ、助けてくれ!」

 クリスタルダイバーは深海よりも暗い瞳でオウルデッドを見上げた。それを一番叫びたいのは、ここに棲む全ての命だろうに。

 煤だらけのサンタクロースが落下する。消火に向かわねばならないクリスタルダイバーに代わり、仁が手錠を受け取る。

「仁さん」

 クリスタルダイバーは俯く。こんな相手でも、殺してはいけないのか。悪者と決めつけてはいけないのか。

「正しいって…何ですか?」

 仁は沈黙したまま、オウルデッドに手錠をはめた。答えなんて、あるのだろうか。

「…俺も知りたいよ」

 誰にも聞こえぬその声は、夜風に運ばれ消えていく。月が雲に覆われる。明かりは炎で十分だろう。そう言わんばかりに。既に焦土しか残らないというのに。

 消火を終えた明良に、ウサちゃんが駆け寄る。

「こわかった」

 懐に顔をうずめる少女を抱きしめ、明良は思った。私も。胸のさざ波の正体は、芯の揺らぐ音だった。

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