第七節 高波の前はいつも引き潮
時は少し遡り、混沌の間にて。レッドブレードはホワイトライダーの下した判断──世界の削除(デリート)を300年間待つこと──に不満を抱いていた。たかが口約束で取り決めていい年数ではない。そもそも、本当に試練を乗り越えたとは到底考えられない。奴のことだ、どうせ下らない美学とやらに振り回されたに違いない。
それを許したヨハネスにも納得がいかなかった。このところ、ゾアの気配を感じる。世界に生まれ落ちる命を選択できるのはヨハネスのみ。レッドブレードの脳内に、おぞましい結論が浮かび上がった。
レッドブレードは確認をとるべく、ヨハネスに顔を合わせた。
「兄貴、どういうことなんだッ!たかが数年でゾアを生み出しやがってッ!」
手を置いた卓上に、ヨハネスは立ち現れた。柔和な顔つきを崩さぬまま、淡々と言う。
「覚えが無い」
シラを切るヨハネスに憤慨し、レッドブレードは身の丈を超すほどの大剣を右手側に振り下ろした。衝撃波が何もない空間を駆ける。
「私も、この気配に異様な空気を感じていたところなんだ」
予想だにしない返答。ヨハネスがわざとゾアを、短期間に複数生まれ落とすように操作したわけではない。とすると、レッドブレードに考えられる線は一つだけだった。
「自力でゾアを生み出した奴がいるってのかッ!?」
ヨハネスは何も喋らない。
「だったら何故すぐに対処しねぇッ!」
激昂するレッドブレードを、ヨハネスは冷たく睨んだ。
「君は私に契約を破れと言いたいのかな?」
ホワイトライダーが決めた進化の猶予は300年。それをヨハネスが是認したということは、その間、混沌側からの介入は一切許されないことになる。もし破れば、彼らという世界にとっての『ウイルス』が消えて無くなる。
「全く、奇妙な契約を結んだものだ、私も」
薄く笑うヨハネスを見て、レッドブレードは思った。中途半端って言うんだ、ああいうのは。
混沌の中にしか世界を創れないから、混沌は神に不利な契約を結ばせた。しかし、神は唯一の条件を提示した。それが『契約違反を犯せば消去する』というものだった。確かに、世界の主導権を混沌が握っている以上、出せる条件は他に無いだろう。だが、普通はこう言うはずだ。『万物に手を出せば消去する』と。
我が子を守りたいのなら、たとえ理由が何であろうと、危害を加えた時点で手を下すのが道理である。その普通を神は選ばなかった。すなわち、限りなく不利な条件に立たされてなお、混沌の自由を否定しなかったのだ。
そんな神の慈悲など、レッドブレードにはどうでもいい話だった。
「はぐらかすんじゃねぇッ!オレ様を行かせろ、今すぐッ!」
すると、ヨハネスは距離を保ったまま、レッドブレードの首を絞めた。苦悶の声が漏れる。
「私を否定するな」
首の圧が退いていく。レッドブレードは咳き込んだ。
「反省したかい?これに懲りたら、もう私に歯向かわないことだ」
冷徹な顔でヨハネスは消えた。だが、レッドブレードの心中は尚も怒りで煮えたぎっていた。『直接』手を下さなければいいんだろう?なら──
そして現在。アマカゼ一同はいとが屋にて思い思いに言葉を交わしていた。すぐにでも、義太郎の件を進めたいところだったが義太郎や星牙の立場上、科学研究棟へ直行というわけにもいかず、『休憩所』で零と合流することにした。
「ありがとう、仁」
床に伏したまま、零が感謝と申し訳なさを織り混ぜて言う。
「気にするな、礼閃(あやさき)。それに、頑張ったのはこいつらだ」
仁は両隣の隊員達の肩を抱き寄せる。明良は喜びを顔に表したが、他の三人は困惑していた。
「オレ達、何もやれてませんでしたけど…」
「リキさんは頑張ったでしょー、探知で」
「俺完全にお荷物だったし…」
すると、仁は全員の髪を掻き回した。
「何言ってんだよ。アマカゼとして頑張ったのは皆一緒だろ?だったら全員の手柄だよ。ご苦労さん」
三人の顔も明るくなる。三日月模様の焼き印に似た傷痕を両目に刻んだまま、遊月は朗らかに笑った。
「すっかり板についたな」
「ホンマの家族みたいや」
義太郎も頬を緩ませる。仁は腕の中の四人に視線を向け、目を細めた。
「ワシも少し前はこうやった」
義太郎の言葉に星牙が反応する。
「今は違うのか?」
静寂が八畳半の部屋に流れる。彼方の景色を見るように、義太郎は瞳を上に動かした。
「あんさんらと同じく、血は繋がっとらん。でも家族みたいなモンやな。流れモンのワシを拾うてくれた」
それから、義太郎は次々に語り出した。
「ワシの腰ぐらいの女の子で、着とるモンもボロボロで、何なら住んどるトコなんて寂れた寺や。そんな子が、明日生きられるかもわからん頬痩けた子が、ワシを住まわせてくれたんよ。嬉しかったわ。何もかんもちゃう三匹でも、屋根は一つやった」
今度は明良が尋ねた。
「あと一匹は誰なんですか?」
義太郎は言葉に詰まった。
「話してええんかなぁ。あいつ、メチャクチャ人間嫌いやし…」
遊月は身を乗り出した。
「そいつって、バカでけぇ亀みてぇな奴か?」
「ようわかったな」
戸惑いながら話す義太郎に、遊月は確信を得た。
「シャットシェル…!」
仁と星牙はその名前に反応した。百獣村の戦いや、アマカゼの奇跡が起きる前の大決戦でも姿を現した巨大なカメ型レシーバーズ。遊月から極度に人間を嫌っていたと聞いている。
「しかし、あいつが小さな子と共同生活って、どういうこった」
義太郎によれば、寺に先に住み着いたのはシャットシェルの方らしい。深い傷を負っていたシャットシェルは何の気まぐれか、寺の前で捨てられていた赤ん坊を育てた。義太郎が住み着く7年前の出来事だった。
「意外といいとこあるんだな、あいつ」
遊月は微笑んだ。
「やから守りとうて、あいつらの条件を呑んでしもうた。『身内に手出さん代わりに仕事手伝え』って…」
零の腕を撫でて、義太郎は頭を下げる。
「ごめんな。痛かったやろ?不意打ちやったもんなぁ」
首を横に振る代わりに、零は義太郎の手を握った。
「痛いのは、君の方だろ?」
声にならない嗚咽と共に、大粒の涙が布団に落ちた。明良は義太郎の背中をさすった。パードレに言われたこと──自分がプロミスだということ──を振り払うように、丹念に。
かくして、一同は義太郎の案内で現在使われていない寺へと向かった。仁はハンドルを握りながら、泣いて喜んでいた。
「免停じゃなくてよかった…!」
いとが屋に停めてあった愛車を横目に、仁は防衛省に電話していた。免許剥奪のみならず、業務過失などを覚悟していた仁だったが、今回の速度違反は任務中の必要な行為であると判断され、厳重注意にとどめられたのであった。
「余程だったんだな…」
車窓越しに、星牙は腕を組んで呟いた。
「ローンが無駄にならなくてよかった…!」
なるほど、泣いて当然だな。星牙は思った。エンジンをかける最中、仁は明良を睨んだ。
「お前もう車にはなるなよ?」
「でも追いつけたじゃないですか」
悪びれた様子の無い明良の額を指で押しながら、仁は募りに募った不満を圧に変え、言葉に乗せた。
「乙なら法律守りながらできただろうが…!剛も狙い定められたし…!」
「怖いです!暴力反対!」
騒ぐ二人を制止すべく、乙はスマートフォンを取り出した。
「音楽でも聴いて落ち着きましょー。メタリカとかどうですー?」
「焚きつける気満々だろそれ!」
「アキちゃーん、仁さん怖ーい」
「私も仁さん怖ーい」
「変なノリばっか覚えやがってこの子はもう…!」
後部座席から油の注がれた火を眺め、義太郎は笑った。
「何やホンマの家族みたいやなぁ」
苦笑しつつもリッキーは肯定する。
「特に明良ちゃんと乙ちゃんは仲良しなんですよ」
「俺だって負けてねぇぜ!」
対抗心を燃やす剛に、義太郎とリッキーは口角を上げた。アクセルが踏み込まれる。
「よし、出発だ!」
義太郎の案内を受けて車は進む。座席を倒し、隊員四人はトランプに興じる。山道に入る頃、仁は義太郎に問いかけた。
「何で遊月先生の目を潰したんだ?」
零に見せた罪悪感が本物なのは疑う余地もない。しかし、遊月の両目を使えなくしたことも事実だ。仁はそのことが胸に引っかかっていた。
「ワシが襲った頃にはもう、あの人は目ぇ使えんくなっとったよ」
ハンドルを握る手が滑る。トランプが宙を舞う。幸い、車体はどこもぶつけていない。仁の顔が険しくなる。
「じゃあ何が原因で…」
「心当たりはある」
仁は咄嗟に振り向きかけたが、どうにか理性が勝った。中にいる全員が息を呑む。
「ワシの故郷──パードレは『かの世』とか呼んどったけど、そこに伝わる神器を使(つこ)た時と同じ症状やった」
以下は義太郎の説明となる。
『かの世』には三種の神器と呼ばれる幻の宝が存在する。太陽の心臓『暁炎(あけぼの)』、星の手『渡舟(わたしぶね)』、そして遊月が使用したと思われる月の瞳『夢現(ゆめうつつ)』。これらは『かの世』を創った者の欠片だと言い伝えられている。授かった者は限りない力を得られるが、その器に値しなければ身を滅ぼす。なので器を確かめる期間を設けるべく、それぞれの神器に対応した部位が封じられるのだ。
「パードレは多分これ狙いや」
「そんなとんでもないもの、一体どこから手に入れたんだ…」
仁の疑問はますます深まる。胸はざわつく。確かな答えを知っているかのように。だが、仁には理解ができない。奇妙で気持ちの悪い感覚だった。
すると、義太郎は意外なことを口にした。
「仁はん。あんさんはよう知っとるんちゃいますか?遊月はんと一緒にアマカゼの奇跡に立ち会(お)うたっちゅうあんさんにはわかるはずや」
「俺にも…わかる…?」
まるで見当がつかない。そもそも、三種の神器だとか、かの世だとか、全部初めて聞いた言葉だ。何をわかれと言うのか。
「7年前、世間を騒がしたオーダー。シャットシェルから色々聞いたで。先導者や何やって。そん時ピンときたわ。故郷の伝説にお熱やったんなんて、あいつしかおらんわと」
「まさか…」
「海央日向(かおうひなた)。あいつがワシの故郷から持ち運んできたに違いない」
暗い山道を通る車の頭上に、影一つ。もうすぐ月が顔を出そうとしていた。
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