第六節 水面下

 白昼の首都高を走る車影二つ。カエル型レシーバーズの義太郎を乗せた黒いカマロと、アマカゼの三人が乗るトラック床を引っ張る水のフェラーリ。双方、時速は既にレッドゾーンを振り切らんばかりであった。

「けったいな運転したら斬るで!」

 義太郎が運転手に怒鳴る。カマロは前方の車両を次々に避けていった。カーブで遅れを取っていたフェラーリが後を追う。

「明良、限界速度どれくらい出せる!?」

「カタログで見たのと同じぐらいだと思います、仁さん!」

「250か…それ、信じるからな!」

 仁はアクセルを更に強く踏み込んだ。タイヤから火花が散る。車体の揺れが強くなる。190km/h。クリスタルダイバーは多大な風圧をマトモに受ける形となった。

「仁さん…キツい…!」

「いいからもっと上げろ!中途半端したらぶん殴るぞ!」

 免停確実の仁は元凶のクリスタルダイバーに対する憤慨を露にした。レッド・ツェッペリンの『Immigrant Song』が首都高に鳴り渡る。シャッフルタクトがトラック床から口を尖らせた。

「これエアロスミスじゃないよーアキちゃーん。アルマゲドンだよーエアロスミスはー」

「隕石衝突映画だっけか?」

「縁起が悪すぎる…」

 後ろで賑やかに騒ぐ三人を尻目に、星牙は仁に尋ねた。

「…いつもこうなのか?」

 疲弊しきった声音で仁が答える。

「明良が来てパワーアップした」

 いたたまれなくなり、星牙はため息をついた。

 一連の光景を目にした義太郎は、刀身に写る自分の姿を見た。やっぱ、こんなんおかしい。ワシ、何しとんねん。義太郎は眉を潜め、運転手に呼びかけた。

「車寄せてくれんか?」

「何をバカなこと…」

「ええから!」

 鋭い剣幕に押し負け、カマロはフェラーリに幅寄せした。訝しげな視線を向ける仁に、義太郎は尋ねる。

「あんさんが大将か」

「そんなとこだ」

 一呼吸置き、義太郎は言った。

「クリスタルダイバーいうんとサシでやり合いたい。ワシが勝ったら見逃す、負けたら人質返す。これでどないや」

 敵からの思いがけぬ提案に、仁の中で疑念が生まれる。そのまま逃げればいいものをわざわざ幅寄せして、明らかに不利な条件で決闘を申し出た。何より、瞳に邪心を感じない。彼は本当にパードレとかいう奴の仲間なのか?

「…何考えてんだ」

「他人様に迷惑かけとうない。普通のことやろ?」

 誘拐は迷惑にあたらないのか?仁が言葉をぶつけようとする前に、先に運転手が不満を口にした。

「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ!雇われの身ってこと、自覚してんのか?」

 すると、義太郎は切っ先を運転手の顔に向けた。

「ほんならワシの仁義で動いてかまへんやろ」

 運転手は青ざめ、首都高を抜けてすぐに埋め立て地へカマロを走らせた。

 潤い一つも無い荒涼とした大地に、アマカゼは立つ。カマロがエンジンを止めた直後、義太郎は運転手を刺した。血飛沫が舞う。

「裏切ったな…!」

 手拭いで血糊を取り、義太郎はにべもなく吐き捨てた。

「雇われモンに裏切りもクソもあるかい」

 運転手が力なく座席からずり落ちる。おびただしい量の血が貼りついた座席に目配せし、呟く。

「筋は通したる。それでチャラや」

 本当に何を考えているんだ?仁は義太郎の行動に息を呑みつつ、ますます疑念を強めた。そんな仁をよそに、義太郎は声を張り上げた。

「クリスタルダイバーはどいつや?」

 元の形に戻ったクリスタルダイバーが無邪気に手を上げる。義太郎は手招きし、クリスタルダイバーを付近まで来させた。

「あの、サシって何ですか?」

 義太郎は咳払いをした。何や、聞いたんと随分違(ちご)うてるな。

「一対一のことや。要するに、ワシとあんさんだけで戦って、勝ったら人質返すし、負けたらワシらんこと見逃してほしいんよ」

「嫌です」

 明良は人に戻った。義太郎の喉から奇怪な音が鳴る。

「どういうこっちゃ」

「無意味だからです」

 明良の眼差しは呆れ返るほど真っ直ぐだった。

「あなたは自分の仲間を殺しました。勝ったって移動手段がありませんし、そもそも私に有利すぎます。それって、自分に勝つ気がないって言っているようなものじゃないですか」

 義太郎は固唾を呑んだ。間抜けや思てしもうたけど、意外に本質突いてくるもんやな。

「形だけやとしてもな、通さなアカン義理っちゅうモンがあんねん。わかってくれや」

 ギョロついた目から放たれる威圧感にも物怖じず、明良は言い返した。

「私にも通すべき芯があります」

「何や、それは」

「あなたとは戦わないことです」

 水は何物も拒まない。あらゆるものに溶け、水面下に真実を映し出す。明良はその真実を見極めたいのだ。水でありたいのだ。

 顔二つは低い所から突き刺さる眼差しに、義太郎は笑みをこぼした。

「ホンマ、わからんやっちゃなぁ。あんさん」

 刀を納め、運転手のポケットに入っていたスマートフォンを取り出し、明良の目の前に差し出した。『パードレ』の下の発信ボタンに義太郎の指が寄る。

「ほんなら、とことん付き合(お)うてもらうで?クリスタルダイバー」

 明良が仁の方を振り向く。仁は近づき、義太郎を見上げて言った。

「リッキーから事情は聞いた。色々理由があってのことだと思う。それでもお前は犯罪者だ。事が済めば捕まえさせてもらう。忘れるなよ?」

「承知の上や」

「なら押してくれ」

 ボタンに指が重なる。しばらくの発信音の後、声が聞こえてきた。

「…どうだ、進捗は」

 頭蓋だけが震えるような、静かで響く声だった。明良の頬を冷や汗が滴る。

「ちょいと話がありますんや」

「言ってみろ」

 すると、義太郎は単刀直入に述べた。

「この約束な、ごめんやけど破らせてもらうわ」

 沈黙が流れる。喉の水分が欠けていく。

「…何故だ?」

「ワシ思てん。やっぱ、守るためや言うても芯折ってもうたら『あいつら』に顔合わせられへんなって」

「算段があるわけか」

 義太郎は明良を見て口角を上げた。

「今見つけた」

 突然、空気が震えた。渇ききったはずの埋め立て地が、振動で次々に水溜まりを作る。義太郎は耳を塞ごうとするが、振動の強さで身動きすらとれなかった。

「俺を裏切って笑ってんじゃねぇぞ、クズが」

 義太郎の体温が著しく上昇する。振動によって生まれた熱が義太郎を蝕んでいるのだ。

「何が芯だ。俺に手を貸すって決めた時点で折れてんだよ、そんなもんは!」

 湿った皮膚から発火し始めた。すかさず明良はクリスタルダイバーに変貌し、指先から体内の水分を放出して鎮火に努める。

「そこにいるのは明良か」

 落ちたスマートフォンからパードレが呼びかける。クリスタルダイバーの身体が硬直する。

「戻ってこい。今なら許してやる」

 明良の身体が徐々に元に戻っていく。マージナルセンスが真っ先に反応した。

「何を…言っているんだ、お前…」

 青ざめるマージナルセンスに対し、パードレは楽しげに語る。

「勘の良い奴がいるようだな。察しの通り、明良は元々プロミスだ」

 その場にいた全員が呼吸を止めた。記憶喪失で、呆れ返るほど天然な少女が、様々な事件に関与している組織の一員だったなんて。

「明良。お前は俺のもとにいるべき存在なんだよ。そいつらといても不幸なだけだぞ?」

 慎重にスマートフォンを拾い上げ、明良は言った。

「行きません」

 電話越しの空気がヒリつく。

「お前はプロミスなんだ。約束された民なんだよ。そいつらとは生きる世界が違う」

「私はアマカゼの隊員です。約束が何かは知りませんけど、私が生きる世界はここにあります」

「きたる終末から救われるんだぞ!バカなこと言ってねぇでとっとと帰ってこい!」

 明良の肌から焦げた臭いが漂う。それでも明良は怯まず叫び続けた。

「そんなもの、私達がはね除けます!そのためのアマカゼです!」

 仁は明良の背中を見て、胸を熱くした。似ている、あいつに。

 唐突に声が止んだかと思えば、パードレは不敵に笑った。

「義太郎はこんなのに懸けたのか。それで裏切ったと…そうかそうか…」

 噛み締めるように呟き、怒鳴った。

「ふざけんじゃねぇ!ぶっ殺してやる!手始めに義太郎、お前の仲間からだ!俺をおちょくった罪、思い知りやがれ!」

 音圧でスマートフォンが粉砕された。粉塵と化したスマートフォンを目で追う。明良はその芥を掴み取り、呟いた。

「それもはね除けます。絶対」


 某所にて。パードレは『スポンサー』と向き合う形でソファに腰かけていた。ラム酒を瓶から直接飲み干す。

「どいつもこいつも使えねぇ…!お前の采配、ホントに大丈夫なのか!?」

 スポンサーはパードレの持つラム酒の瓶底に指を当てる。瓶は破裂し、欠片全てがパードレめがけて飛び散った。振動の壁で防御したので、出血は無い。

「現場の頭の問題ってこたぁねぇのか、おいッ…!?」

 鬼を彷彿とさせる赤く大きな体躯と野太い声は、パードレの意気を消沈させるには十分だった。

「悪かったよ…でもよ、これからどうすりゃいいのかわかんねぇんだよ。やっぱり、俺が直接…」

「バカかテメェッ!」

 建物にヒビが入る。

「顔を出すのは負けだと思えッ。謎の存在だからこそ、テメェの能力も威厳も映えるんだッ。絶対、誰にも正体を晒すなッ!」

 パードレはすっかり竦み上がり、頷く以外の行動を取れなかった。スポンサーは古びた時計の針を確認し、テーブルにスタンドマイクとノートパソコンを置いた。月明かりが埃被った部屋を照らす。スポンサーはソファを立つ。

「まぁ、オレ様もマシなの集めといてやるよ。『かの世』のこと、テメェにはもっと知ってもらわねぇと困るしな」

 ドアノブに手をかけ、パードレの方を一瞥する。

「テメェもせいぜい、『広報活動』頑張れよ」

「前から聞きたかったんだが!」

 ノートパソコンに映った『ウェーブラジオ~電気の波に乗せる言の葉~』の文字列を眺めたまま、パードレは声を振り絞った。スポンサーへの直線上以外に、空気の震えは一つも無い。

「…お前、何者なんだ?」

 スポンサー──レッドブレードは身体と同じ色の、巨大な剣を担いで答えた。

「神のみぞ知る、ってな」

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