第3話 ミキちゃん

 ミキちゃんは、ある夜、最寄りのコンビニの前に座り込んでいた。大きなボロボロのボストンバッグと、何かがパンパンに詰まったビニール袋の上に、顔をもたせかかるようにして。疲れ果てて放心している顔に、舞台メイクのような、バサバサのつけまつげがのっていて、アンバランスさがシュールだった。


 僕は翌日の朝ごはん用のパンをコンビニで買うと、そのまま家に帰ろうとしたんだけれど、ミキちゃんのことがどうしても気になって声をかけた。


「寒くないですか?」そう言った僕の息が白い。三月の始めで、夜はまだかなり冷える。

「はい」ミキちゃんは僕を見上げて言った。

「大丈夫ですか?」

「はい」今度は、僕を見ないで言った。


 僕はとりあえず会釈してからその場を立ち去り、百メートルくらい歩いてから、どうしても気になって、またミキちゃんのところに戻った。


「あの……」

「はい」

「ぶしつけな質問をしてもいいでしょうか」

「はい」

「今日、どこか泊まるところはあるんですか」


 ミキちゃんは黙って首を横にふった。なので、僕はミキちゃんを僕のマンションに泊めてあげた。捨て猫でも拾うように、僕はそうやって、ミキちゃんを拾った。

 

 ミキちゃんは、僕のところにきて三日間、ほとんどしゃべらなかった。毎日外にも出ず、シャワーすら浴びず、一日の大半を眠って過ごしているようだった。


 四日目の夜、仕事から帰ると、ミキちゃんはさっぱりとした顔に、バサバサのまつげを付けて、僕を待っていた。


「どうもありがとうございました」ミキちゃんは僕の前に土下座して、深々と頭を下げた。床についた手の爪はピンクに塗られていて、先のほうが三ミリくらい白い。爪の根元に、花や小さな宝石みたいなものが散りばめられていて、とても賑やかになっていた。


 賑やかになったのは、ミキちゃんの手だけじゃなくて、その日から、ミキちゃんはよくしゃべるようになった。


「私、化粧品会社のコールセンターで働いてるんです。お客さんのお肌の悩みだとか、商品の質問とこか、苦情とか、そういうのを聞いてサポートするんです。そこの化粧品って匂いがキツくて、実は私使ってないんですけどね。えへへ」


「本田さんの好きな食べ物はなんですか? 私ね、ハンバーグとかカレーとかオムライスとかが好きで、よく『子どもが好きなものばっかり』とか言われるんですよ」


「本田さんは下の名前はなんですか? タクヤさん? あだ名とかあります? ないんですか? だったら、つけちゃう。えーとね、タクやんにしましょう。タクやんって今から呼んでもいいです?」


「タクやん、私、料理が壊滅的に下手なの。ごめんね。その代わり、後片付けやるから。タクやんの作ったご飯、おいしいね。でも、かなりメニューが渋いよね。お年寄りみたい」


「タクやん、たまには外にご飯食べに行こうよ。私がおごるから。ね、明日の仕事の帰りに駅で待ち合わせしよう。私ね、チェーン店の居酒屋とか、ファミレスとかが、本当は一番好きなの。舌がお子様だからさ。しょうがないよね。ハンバーグ食べたい。それから、デザートはパフェにする」


 元気になったミキちゃんは、次から次にいろんなことを話してくれたけれど、ミキちゃんがどうして、あの夜、コンビニの前で途方にくれていたのか、昔はどこに住んでいて、どうして今は帰るところがないのか、そういう肝心なことは、しゃべらなかった。


(つづく)

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