チャプター20 「飲みニケーション?」

 ほぼ食べ物の、私の好物の話です・・・。



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 俺の目下のところの関心事は、田中くんの愚痴を聞くための飲み会の場所探しだ。強制ではない飲み会の場所探しは意外と楽しい。


 いかんいかん、このまま飲み会好きになってしまうと、エガちゃんという将来像しか浮かばなくなってしまう。それだけは避けたい。だが、エガちゃん本人は楽しそうなんだよな・・・。



 俺の今のメイン業務であるエンジン始動繰り返し試験は、さっさと準備を終わらせて試験を開始している。自作の自動装置のために放っておくことができるので、俺は車両試験場で試験をしている体を偽装しながら、田中くんのための飲み会準備をこっそりと進めていた。


 

 結局、店はフリーペーパーの”イエローターメリック”から探したのではなく、鷹村が先輩社員から聞いたオススメのホルモン焼肉屋ですることになった。


 このホルモン焼肉屋だが、月座電機 淀川製作所の社員の間では結構有名な店らしく、月座電機社員ならばかならず一回は行かないといけないとまで言われているほどの有名店らしい。俺と鷹村は週末に田中くんを誘ってそのホルモン焼肉屋に行くことにした。



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 俺と鷹村と田中くんは連れ立って箕面駅の裏手にあるそのホルモン焼肉屋に向かっている。


「ごめんね。僕なんかのために気を使ってくれて。焼肉は好きだから誘ってくれて嬉しいよ。」


「いやいや、田中くんは派遣社員とは言え、社会人としては俺らと同期やん。新人同士助け合わないとなっ。」


「鷹村はハードウェアチームだから、直接、東野係長と絡むことはないやろうけど、俺は直属の上司だからな。田中くんの愚痴を聞くついでに情報収集して、対策したいってのもあるから気にせんといて、今日は思い切り食べて、愚痴を言って、少しはストレス解消してよ。」


 会社にいる時よりはリラックスしているようだが、今日も田中くんの顔色はあまり良くない。昼間も東野係長に少しグチグチ言われていたようなので、今日は日頃の鬱憤を晴らしてもらいたい。



 今日のお目当てのホルモン焼肉屋は箕面駅の裏の路地を少し進んだところにある。3人とも行ったことのない店だったし、月座電機の全社員が一度は足を運ぶとまで言われている店なので、相当期待して教えられた場所まで到着した。



「鷹村、本当に場所はここなんか??」


 俺たちは裏路地のさらに裏路地とも言えるくらいのひっそりとした場所に入り込んでいた。周りには店どころか何かの看板すらない・・・。


「場所は合ってるはずなんだけどな・・・。ほらっ、どこからか焼肉のいい匂いはするやろ・」


 確かに美味そうな匂いがどこからともなく漂ってきている。俺たちはもう少しだけ先を歩いてみて、次の角を曲がったところで目を見開いた。


 そこには一体どこからこれだけの人が湧いたのかと思ってしまうほどの人数が列を成してしたのだ。その数、おおよそ20人だ。その列の先に看板はなく、小さい暖簾が出ているだけのこじんまりとした店を見つけることができた。


 それは店と言えるのかも怪しい造りで、ほぼプレハブの掘っ立て小屋だ。


「どうやらここがそうらしいけど、これが超有名店なのか?」

「あぁ、すっげぇいい匂いがするわ〜。」

「二人とも早く入ろうよっ。」


 気分が沈みがちだった田中くんでさえ、あまりの美味そうな匂いにテンションが上がってきたようだ。ただ、早く入りたくても20人待ちだ。俺たちは溢れるヨダレを飲み込みながらひたすら順番が回ってくるまで耐えた。



 およそ1時間も待たされたが、俺たちはようやく店に入ることができた。店内も店構えに負けずと劣らず汚い、、、いや、趣がある。


 机は僅かに5つしかなく、それぞれにプラスチックの丸い椅子が4脚ずつ置かれている。机の中央にはガスコンロがあり、その上に網が置かれているだけという、なんともショボい、、、いや、質実剛健の趣がある。



 見た目はアレだが、美味そうな匂いが半端ない。周りの席を見ると、全員が本当に幸せそうな顔で肉を頬張っている。味と店構えは関係ないことがよく分かる光景だ。


 席に案内されると、人の良さそうなほぼおばあちゃんのおばちゃんがニコニコしながら注文を取りに来てくれた。


「お兄ちゃん達いらっしゃい。この店は初めてやね?」


 確かに初めてたがこのおばちゃんは来店したことのある人を全て覚えているんだろうか?


「まず飲み物は何にする?」

と言いながらおばちゃんは店の壁に掲げられているメニューを指さした。


 ところが何にすると聞いておきながら、飲み物のメニューがビールしかない・・・。俺たちは全員ビールを注文した。


 ドリンクメニューの少なさにも驚いたが、同じように壁に掲げられている焼肉のメニューにも驚かされた。なんと、バラ・ホルモン・センマイの3つしかないのだ。このメニュー構成はどう評価したらいいのだろう? 潔いのか、それともずぼらなのか。


 ほぼおばあちゃんのおばちゃんが同じようにニコニコしながらビールを持ってきてくれた。銘柄は箕面駅前ではデファクトスタンダードであるオリオンビールの中瓶だ。


 以前にインジェ部実験グループの打ち上げで行った店のように、飲み口が極限まで薄いピルスナーではなく、普通のガラスコップだが店の雰囲気にはよくマッチしている。


 俺たちはまずはよく冷えた瓶ビールをコップに注ぎ、それぞれの労をねぎらいながら乾杯をした。仕事で疲れた後の最初の一口目のビールほど美味いものはない。


「さぁ、お兄ちゃん達、何を注文する?」

「そうやね。俺たち初めてだから、全種類を3人前ずつもらえる?」

と鷹村が愛想よく注文した。


 おばちゃんを見る鷹村の目が若干ギラギラしてるのは気のせいだろうか?もしかして、鷹村にとってはこのほぼおばあちゃんも守備範囲に入っているのか?


 注文を受けたおばちゃんが店の奥に行くと、あっという間に肉を持って席に戻ってきてくれた。メニューが少ないのはこういうレスポンスに関与しているのかもしれない。


 俺たちはまずはバラを網の上に並べた。この店の肉には全て始めから下味がつけられているようだ。肉を焼き始めるとすぐにたまらない匂いが立ち込め、その中に若干だが砂糖を

焼いた時のような匂いも混じっているのに俺が気がついた。この下味をつけるためのタレには砂糖が混ぜられているのだろう。


 程よく肉が焼けたところを見計らって、俺たちは一斉に肉を頬張った。その瞬間、俺たちは信じられないものを見たような顔になった。


 これが焼肉なのか?だとしたら俺たちが今まで焼肉と思っていた食べ物は一体なんだったのだろうか?絶対記憶を持つ俺の脳内メモリーを確かめる必要もなく、この焼肉は最高のモノだった。


 まず肉がとても柔らかい。肉は脂身がほぼなく見た目は完全な赤身に見えるのだが、驚くほどに柔らかい。下味をつけるだけでなく、肉自体にも何かの下処理をしているのだろう。


 そして最高なのが下味をつけるためのタレだ。予想通り砂糖を使っているのは分かる、やや甘めの味付けなのだが、その他には一体何を材料に使っているのか、皆目検討がつかないほど複雑でまろやかな味わいだ。それが柔らかいバラ肉に非常にマッチしている。


「こんな美味い肉食べたことがないよ・・・」


田中くんのそのつぶやきが全てを物語っていると思う。鷹村などは最早しゃべることすら忘れて、必死に肉を頬張っている。食べるのに夢中すぎて、肉をよく焼かずに半生状態で食べているほどだ。



 続いてセンマイだ。センマイは俺の大好物だ。バラの味から期待値がグッと高まる。


 若干大きいサイズにカットされたセンマイを網にのせ焼き始めると、バラの時とはまた違う匂いが立ち上ってきた。バラとは違う下味が施されているのだろう。


 十分に火を通したセンマイを期待に胸を膨らませ口に頬張る。その瞬間、俺たちはまたもや驚きの表情を浮かべた。


 バラを食べたことによりハードルが上がったセンマイに対する俺の期待値などあっという間に飛び越してくれた。センマイ好きを豪語しながら今までこのセンマイに出会えてこれなかったことが非常に悔しい。


 センマイの下味のタレはバラと同じものをベースに、さらに一工夫されている。この若干の舌先に感じる刺激は、ひょっとしたら山椒ではないだろうか?その程度までは分かるが、この味を自分で再現することは不可能ではないだろうかと感じてしまった。


 あまりの美味さに田中くんも言葉を発することがなくなってしまった。鷹村などは驚きと無表情を交互に繰り返すという器用な無限ループにおちいっていた。



 俺はなんとか正気を保ったまま、3つめのメニューであるホルモンに目を移した。


 このホルモン焼肉屋の名前はその名も「ホルモン焼肉屋」だ。ということはこのホルモンこそがこの店の看板メニューであると思われる。これまでのバラやセンマイは太刀持ちや露払いなのだろう。この2つだけでも俺たちはもうすでに土俵の外に寄り切られている。横綱であるホルモンは一体どんな驚きを経験させてくれるのだろうか?



 俺は田中くんと鷹村が正気に戻るのを待って、いよいよ看板メニューのホルモンに手を付けることにした。


 このホルモンの見た目の特徴はなんと言っても大量の脂だ。これほどまでに腸の周りに脂がついているホルモンをこれまで見たことがない。見た目だけではほぼ脂の塊だ。


 そのホルモンも何かのタレで下味がつけられている。そのホルモンを網にのせるとじわじわとその脂が溶け出してきて、徐々に半透明になっていく。それに合わせて、説明の言葉が思い浮かばないほどの美味そうな匂いが立ち上ってきた。


 程よく火がとおり、半透明の脂の部分に若干の焦げ目が付き始めた時がこのホルモンの食べ時だ。俺たち3人はいよいよそのホルモンを口にした。


 これはホルモンなのか? もしこれがホルモンなのだとしたら、俺が今までホルモンと思って食べていたものは一体何だったのか? そう思わせるほどの衝撃だった。



 ホルモンといえば、安物であればゴムのような食感で、いつまでたっても噛み切れずに、最悪は飲み込めずもせずに口の中に残ってしまうこともある。ホルモンが嫌いな人はこのような経験をしている人が多いと思う。


 だがこのホルモンは違う。


 まず柔らかい。柔らかいという表現では足りないかもしれない。口の中で溶けるのだ。そして決してゴムのような食感ではなく、わずかにコリコリとした感覚を残しつつ、歯を通そうとすると程よい抵抗見せつつも、あっという間に喉の奥に滑り込んでくれる。


 そして下味のタレだ。このタレの秘密は一体何なのだろうか?

 甘味・辛味・塩味・苦味・酸味・旨味。この世に存在する全ての味が存在し、舌の味蕾を全て刺激してくれる。俺が今まで読み漁った数々の料理に関わる本の記憶の中にも、この味を表現する言葉がなかった。


 月座電機の先輩社員が言った、淀川製作所の全従業員が必ず行くべきだという言葉は決して大げさではなく、焼肉を愛する全ての人類がこの店に行くべきだと俺は思った。



 バラ・センマイ・ホルモンを3人前づつ注文していたが、あっという間になくなってしまった。その後俺たちはなんとそれぞれを5人前ずつ注文し、残らず平らげてしまった。



 驚きに包まれた最高の時間はあっという間に過ぎたように感じた。俺たち3人は最高の満腹感に包まれ、ほぼおばあちゃんなおばちゃんに笑顔で見送られながら店を後にした。



「美味かったな・・・・。」


「あぁ、あの店ヤバいな・・・。」


「僕、泣きそうになったよ・・・。」


 田中くんのその言葉は決して大げさではない。俺も感動で涙が出そうだった。だが、俺を店を出てから大切なことに気がついた。


「あ、そう言えば、今日は田中くんの愚痴を聞くつもりだったのに、食べるのに夢中で全く話ができなかったな!」


「うわ〜、ホンマや・・・・。田中くんごめん!」


 俺と鷹村は申し訳無さそうに謝った。


「いや、いいよ。あれだけ美味しいモノを食べられたんだし。後悔はないよっ。」


 田中くんは店に入る前の暗い表情とは打って変わって、憑き物が落ちたような晴れやかな顔をしていた。ただ、最後の”後悔はない”という言葉に、俺はどこか引っかかりを覚えていた。



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 このホルモン焼肉屋ですが、実は私の地元にモデルにさせていただいた店があります。コロナ禍のおかげで長らく行けていないのですが、コロナ禍があけたら真っ先に行きたい店の一つです。

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