チャプター19 「エンジン始動繰り返し試験」
エンジン始動繰り返し試験の初日はタイマーの作成とそれの実験車両へのセットで終わった。2日目は計測機器のセットから始める。
使用する計測器はお馴染みのレコーダーだ。電圧を計測する代表的な計測器を覚えているだろうか?そうオシロスコープとレコーダーだ。
オシロスコープは短時間で高速サンプリングレートで計測するのに優れ、レコーダーは多くのチャンネルを長い時間計測するのに優れている。計測のための基準グランド(アース)がオシロスコープは各チャンネル間で共通化されており、レコーダは独立しているのも大事なポイントだ。そうだっけ?という人はチャプター9を読み返してみてもらいたい。
今回はエンジンの始動を延々と繰り返すテストなので長時間計測が必要だ。またECUはインジェクターと違って計測すべき項目が多いのでレコーダー一択だ。
インジェクターはインジェクター内のソレノイドを動作させるための端子が2本しかないが、ECUはエンジンを動かすための端子がものすごく沢山ある。ここでその端子群を全て書いて説明していくとなると、それだけで読者が逃げていくレベルなので割愛させていただこう。決して書くのが面倒くさいという理由ではない。あくまで読者のためを思ってのことだということを強調したい。
レコーダーで計測する主なポイントは以下のとおりだ。
・バッテリー電圧
・イグニッションスイッチ
・クランキングスイッチ
・クランクアングルセンサー出力
・カムポジションセンサー出力
・インジェクターのオン信号4本(直列4気筒エンジンなので4本だ)
・点火コイルのオン信号4本(直列・・・同文)
・吸入空気量センサー出力
・エンジン水温センサー出力
・電子制御スロットルバルブの開度位置センサー出力
使用する計測器はレコーダーだけではない。
ECUはコンピューターだ。コンピューターはマイコン(マイクロコンピュータ)で動いていて、ECUはエンジンを動かすためのインジェクターなどの出力をマイコンで計算しながら出力している。ECUをテストする時にはほぼ例外なく、マイコンが計算している中身(いわゆるRAM値)をモニターする必要がある。例えば、インジェクターを何ミリ秒間オンさせているか? 点火コイルをエンジンの圧縮上死点に対して何度の角度の時に点火しているか? などなどだ。
ちなみに圧縮上死点というのは、4サイクルエンジンの吸気→圧縮→膨張(爆発)→排気のサイクルのうち、圧縮の工程でピストンがエンジンシリンダー内の一番上の位置に到達し、空気とガソリンの混合気を最も圧縮している時のことだ。
ECUの中身であるRAMを見るためには専用の計測器が必要だ。”QQ”に搭載されている月座電機製のECUのマイコン内部のRAMを見るには”K-line”という通信を使って行っている。ECUにK-line通信専用の端子があり、そこと専用の通信アダプターとパソコンを用いることでECU内のマイコンが計算している値を見ることができる。
今回、俺はこのK-line通信を使って、エンジンの始動に関連するRAM値を確認することにした。例を挙げると気筒判別を判別中か完了したのか、エンジン回転数など、あとはレコーダーで計測してる電圧と同じものを確認し、実際の電圧値とECUが認識している値とに違いがないかも確認する。
ちなみにこれらの情報は”QQ"のシステム設計書やソフトウェア設計書に記載がされているので、新人の俺でもきちんと各仕様書を読んで理解さえすれば把握することができる。まぁ通常の新人であれば、先輩や上司に根掘り葉掘り聞かないと、どこになんの情報があるのか、そもそもどんな情報が必要なのかすら分からないだろう。ここは俺の”絶対記憶”さまさまである。
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俺はようやくレコーダとK-line通信のセッティングを終えて、何回か試行しながらサンプルのレコーダー出力を印刷してみた。その印刷物を柴田主任に見せて、本格的に試験を開始する前に問題がないか確認をしてもらうことにした。
俺が車両実験場から事務所に戻ると、事務所の空気がやたらと重かった。と感じたその瞬間、
「お前はアホか!! 成長せんヤツやな! ええ加減にせえよ!!」
という東野係長の怒号が事務所に鳴り響いた。
一体何事かと思い、東野係長の席の方を見ると、田中くんが真っ青な顔をして東野係長のすぐ横に立っていた。
俺はこそっと鷹村の席まで移動し何が合ったのかを聞いてみた。
「おい、鷹村。何があったんだ?
「俺も詳しくはわからんが、田中くんが試験で何かをやらかして、ナメクジ (東野係長のことだ)に説教くらってるらしいわ。」
田中くんは一体何をしてあんなに怒声を浴びることになったのだろうか?
「あの説教、もう二時間続いてるんやで。」
はぁ? 説教が二時間?? それは説教ではなく拷問だ。
もともと”説教”という言葉は宗教からきていて、”説いて””教える”という文字の如く、宗教の思想を口頭で伝達する手段のことだ。各宗教における大切な教義や、神仏について信者などの正しく教え広めるためのものだ。
ところがこの東野係長の説教は”叱責”であって”説教”ではない。一方的に田中くんの否を咎めているだけだ。これでは話を聞かされている側は心にバリアを張ってしまって、内容を聞いて理解することができなくなってしまう。
それを二時間も続けているなんて、田中くんのストレスは半端ないものになっているだろう。
「おい、鷹村。何かできないか?このままだと田中くん潰れるぞ・・・。」
「あぁ、そう思ってな、ついさっきメールで玉ちゃんにヘルプをお願いしておいたわ。」
「やるなっ。 でもお前、玉田課長から差し出口だと咎められないか?」
「大丈夫や。俺と玉ちゃんの仲やで。」
一体どんな仲だ? もしかして二人の関係は課長と新人ではなく、より親密な関係に発展しているのか? 俺は気持ち悪い想像をするのをやめた。
「ほらっ、玉ちゃんが来てくれた。
鷹村の声を聞き、東野係長の席を見ると、玉田課長がニコニコと柔和な顔を見せながら東野係長に話しかけていた。
二人が何やら一言二言会話すると、すぐに東野係長が田中くんを解放してくれた。一体どんな会話をしたのだろうか? あれほどエキサイトしていた東野係長の説教 (叱責)をあっという間に鎮めてしまった。課長ともなるとそういう人を操るスキルも身につけないといけないようだ。
インジェ部実験グループのあのバーコード課長にもそんなスキルがあったんだろうか?毎日、席に座っているだけでボーっとしていた印象しかない・・・。
気がつくと田中くんの姿は事務所にはなかった。田中くんのメンタルが非常に気になる。新人同士、何か気分が軽くなることがしてあげられないかと思った。
「おい、鷹村。田中くんヤバいな。」
「あぁ、ここは一つ、パーっと飲みに誘って、愚痴を聞いてやるかっ」
俺たちはエガちゃん御用達のフリーペーパー「イエローターメリック」を使って良さげな店をすぐさま探し始めたが、すぐに柴田主任に見つかって「仕事しろ!」と絞られてしまった・・・。
まぁ、これは仕事中に店探しをしていた俺たちが悪かったんだけどね。でも、店探しって楽しいよね? 俺は飲み会好きのエガちゃんの気持ちがちょっとだけ分かった。ほんのちょっとだけねっ。
**********
田中くんは受難の相が出ていそうです・・・。
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