チャプター12 「そうだ、実家へ帰ってみよう」

 俺は特別調査のために出勤した日曜日の代休を月曜日にとることにした。おかげで今週末は土・日・月の3連休だ。俺はこの連休を利用して久しぶりに実家に顔を出すことにした。


 俺の実家も関西にあるため帰ろうと思えばすぐに帰れるんだけど、正直面倒くさい。大学生時代からずっと独り暮らしをしていて慣れているから、今では誰からも干渉されない一人でいる方が遥かに楽だ。


 それでも年に何回かは実家に帰っている。俺の実家は関西の西の外れ近くにあって、世界遺産にもなった古城で有名な街だ。


 土曜日の夕方、俺は駅に降り立ち、正面に見える古城を見据える。もはや見慣れた姿だが、この城は数年後には平成の大改築を行う計画があるらしい。どのように改築するのかはまだ情報が出ていないけど、劇的に変化することはないだろうね。大きく変化させてしまうと、国宝や世界遺産としての価値がなくなってしまうから。もしこの城が大阪にある某有名な城のようなものになってしまったら、俺は二度とこの城に行きたいと思うことはないだろうな。大阪の某有名な城に行ったことのある人だったら知っていると思うけど、アレは最早、城ではなくてビルディングでしょ。


 城は変わらなくていいんだけど、駅は変わって欲しいと思う。この市は兵庫県では意外にも神戸市に次ぐ人口では第二になる中核都市だ。いずれ政令指定都市も目指しているらしい。そんな都市なのに駅はあまりにもみすぼらしい。ちなみに俺の高校時代の友人とのいつもの待ち合わせ場所は駅舎の北側にあるアイスクリーム屋の前だった。夏の暑い日はそこでアイスクリームを買って食べながら待ち合わせをするというのが定番だった。


 時間は夕方で土曜出勤だったであろうサラリーマン達が帰宅途中なのが見える。俺は実家に帰る前に腹ごしらえをすることにした。それが俺の今回の帰省目的の1つでもある、とある店に行くことなんだよね。


 俺は駅から北に向かい、駅前の商店街を進み始めるとすぐに右折し更にすぐに右手にある狭い路地の奥へ向かった。その路地の左手には鶏肉がメインの料理屋があって、そこも地元では結構な有名店で客足が途絶えることがないけど、今日の俺の目当てはそこではなく、その店の向かいにある店だ。


 その店に入ると何組かのサラリーマンたちいて、すでに俺の目当てだった料理を楽しんでいる。俺も席に案内され、一人でテーブルについた。


「いらっしゃい。あら、久しぶりやね。今日は一人なん?」

「うん。久しぶり。今日は久々にこっちに帰って来てん。 それやったらここに来んとあかんやろ?」

学生時代から、いや、親父に連れらて来ていた子供時代から通っているため、店長とは顔馴染みだ。


「おっちゃん、いつものね!」

「はいはい。まかしとき。」

お冷やを置きながら店長はそう言うと、厨房に向かっていった。


 久しぶりに俺のソウルフードが食べられるかと思いワクワクしている。姿形だけは俺の絶対記憶で完璧に思い浮かべることができるけど、流石にリアルタイムで感じる味だけは脳内で再現ができない。


 そうこうしている間に店長が直径25センチ程度の鉄製の底の浅い鍋を持ってきた。その鍋にはこれでもか!というくらいの量のモヤシが乗っている。その高さは鍋の直径をも越えるほどだ。そのモヤシの下にはこれまたたっぷりの野菜たちと、本命のホルモンが埋まっている。そう、俺の目当てはこの野菜たっぷりのホルモン鍋!


 初めてこの鍋を見た人は必ず「これでモヤシ煮えるの?」と言うけど大丈夫、煮始めるとそれが不思議と鍋にぴったりおさまるんだよね。


 卓上コンロの上にその鍋をセットすると、店長は慣れた手つきで火をつけて、手早く俺の目の前にご飯と漬け物と小皿を準備する。


「おっちゃん、ビールもお願いね。瓶ビールね。」

「おーおー、あのクソガキだったやつがいっぱいしに酒を飲むようになったんか~。」

「俺だってもう25やからね。」

「そうか~、もう25か~。でもまだまだ若いな。この前なんか、同じように子供の時からウチに来ていたガキが、還暦で定年退社したって言ってたしな。」

「おっちゃん、いったいいくつやねん!?」

「そりゃ、企業秘密やで。」

とニヤリと笑いながら店長はキンキンに冷えた瓶ビールとグラスと漬け物の盛合せを持ってきた。


 ビールはもちろんライオンビールだ。ビールを味わうならば本当はピルスナーが良いのだが、ここではなんの変哲もないガラスのグラスだ。だからといって俺は文句は言わない。ピルスナーは店の雰囲気にあわないし、グラスはグラスで良いところがある。


 ビールを飲みながら漬け物を少しずつかじり、鍋が煮えるのを待つ。この時間も至福の時だ。鍋がグツグツし出すとモヤシの山が段々と下がってきて、しばらくするとあら不思議。あれだけあったモヤシたちが全部鍋のなかに収まり、まるで測ったかのようにピッタリギリギリ鍋の縁の高さになった。そうなるとGOの合図だ。ホルモン鍋を食べてはビールを飲み、飲みながらまたホルモン鍋を食べ、ビールを一瓶飲み干すと今度はご飯をかきこみながら鍋を頬張る。久しぶりの俺のソウルフードに感動の嵐だ。


「ふ~~、食った~~。」

全て平らげて満足しているところに店長がやってきた。

「そういえば、三日前に親父さんもウチに来ていたよ。その時に息子も近々来るからよろしくって言ってたわ。」


 ん?三日前というと水曜日だけど、その時にはまだ帰省することは言っていないし決めてもなかったはずだけど・・・。


 俺が言うのもなんだが俺の親父もちょっと変わっているところがある。今回のように事前に何も伝えていないにも関わらず知っていることがよくあるのだ。その理由は良くわからないがもしかしたら親父も何かの絶対系の能力者なのかもしれない。


 俺の親父は自営で不動産業を営んでいる。大きな店ではないが地元密着型で市内では信頼されている不動産屋らしい。親父は今、駅より少し東側の掘っ立て小屋みたいな家しか建っていないような土地ばかりをなぜか買い漁っている。駅近くなので決して安い訳ではないが、周りになにもないため、駅の北側や南側に比べてかなり安いらしい。とは言え誰もその辺りに好んで住もうとしていないため、住宅地としては不向きなのだろう。そんな土地を買うなんて、まぁ親父には親父なりの考えがあるんだろうな。


 ホルモン鍋を十分に堪能した俺は電車に乗り実家へと向かった。俺の実家の最寄り駅まではたったの一駅だ。歩いて帰れなくもないが面倒なので電車を使う。


 駅から出て西に歩を進めると数分で俺の実家だ。小さいながらも不動産屋の社長の家だけあって、大きめの立派な家だ。とは言え、この家は俺が生まれる前に買った中古物件だそうだ。前の所有者はどこぞの会社の社長だったらしいが、オイルショックの影響で家を手放すことになり、その家を親父が買ったとのことだ。


 実家に帰るのは正月以来だ。家の玄関を開けるとピアノの音が聞こえてくる。これはいつものことだ。俺の母親はピアノの講師をしており、家にいるときは常にピアノを弾いている。


 リビングに入ると部屋の隅に置いてあるアップライトピアノでいつものように母親がピアノを弾いていた。曲はベートーベンの月光 第三楽章だ。月光の第一楽章はゆっくりとしたテンポのひっそりとした曲調で、月光と聞くとまずはこの曲が思い浮かぶ人が多いと思うが、第三楽章は打って変わってとても激しい曲調だ。

 俺の母親はその時の感情がそのままピアノの選曲やタッチにモロに出てくる人間だ。今日の選曲や音色を聴く分に、、、どうやら相当に機嫌が悪いらしい・・・。


 そんな母親のいるリビングで親父は8人は楽に座れるであろうほどの大きなダイニングテーブルで一人でワインを飲んでいた。


 俺の両親は二人揃って口数が異常に少ない。母親は思いや感情をほぼピアノで表現することで済ませようとするし、親父にいたっては目線や極僅かに発する単語のみで相手に要求を察せられるという特技で用事を済ませる。そんな無口で一体どうやって不動産屋をやってるのだろうか?そんな二人の息子である俺はおかげで言葉以外の手段での人の心情を察するスキルを身につけてしまった。


 さて、今日の二人はどんな状況だろうか?

 まず母親だが、俺の帰宅にも気づかずにまだ一心にピアノを弾いている。激しい曲調の月光 第三楽章を一層激しく弾いているように聴こえるが、その中には少し浮わついたソワソワした感情が聞き取れる。この事からどうやら母親は、本当は嬉しいことや待ち遠しいことがあるにも関わらず、表向きは不機嫌であることをわざわざアピールしているのだということと察する。


 一方親父の方だが、自分の妻の激しい感情を知っていながらも、それを拒否するのではなく同じ空間(リビング)を共有する余裕があり、更に好みのフランス ボルドー産の赤ワインを優雅に飲むことで、自分への妻からの感情の吐露を受け流している。ということは母親の不機嫌の理由は大したものではないということだ。


 これらの情報から導き出される両親の仮想会話はこうだ。


「あんたっ、今日伸二が久しぶりに帰ってくるのを知ってて私に教えんかったやろ!? 私がいつも伸二の帰省を楽しみに待っていて、あの子に美味しい料理を食べさせたいと思ってんのを知ってるやろ! あぁっもう!何も準備できてないやないの!」

「ふん。そんなん知らんわ。先に言うたところであいつはホルモン鍋を食べて来んねんか意味ないやろ。そんなんより、ワインに合う曲に変えてくれよ。」

こんな所だろう。


 全く面倒な両親だ。仕方ない。助け船を出してやろう。


「母さん、ただいま」

俺は一心にピアノに感情をぶつけている母親に声をかけた。

 その声を聞いた母親は、月光第三楽章の演奏を止め、なぜかCメジャー7thのコードを鳴らして顔を輝かせながこっちに目を向けた。一方、親父の方はとうに俺の帰宅には気づいており、軽く俺に目線を向けてからついっと一瞬だけ母親の方向に目を動かした。何とかしろってことやね。分かってるよ・・・。


「母さんごめん。事前に連絡してなくて。母さんを驚かそうと思っててん。急に帰ってきた方がサプライズの喜びが大きいと思って。」

母親は俺の言葉を聞くと笑顔を浮かべながら無言でダイニングテーブルの俺のいつもの席のイスを引いた。俺はありがとうと言いながらそのイスに座り、

「晩御飯はもう食べて来たんやけど、親父と一緒に母さん手作りの肴を食べながらワインが飲みたいなぁ」


 そう言うと親父は無言のまま食器棚からもう1つワイングラスを取り出し、トポトポとグラスにワインを注いでくれた。が、わざとボトルのラベルを隠している。俺にどんなワインか答えさせたいのだろう。親父がこんなんだから俺も自然とワインには多少は詳しくなっている。

 俺は匂いを嗅いでからワインを一口含んだ。親父の好きなボルドーらしい少しネットリとした舌触り。まだ葡萄のフレッシュな味も強く残っている。これだけでまだ若いワインであることは分かるが、若いのにすでにボルドーらしいどっしりとした風味も出しているとは簡単なことではない。流石はボルドーだ。

 俺は絶対記憶に残る今までに飲んだワインと照らし合わせるが、完全に一致する味がなかった。それもそのはず、ワインなんて同じ銘柄、同じヴィンテージであっても樽が違うと微妙に風味が変わるし、同じボトルのワインであっても、温度によって大きく変化するほど繊細なものだ。

 だが根幹にあるこの味には記憶がある。以前にこの銘柄のワインを飲んだ時はつまみにイタリア産生ハムの代表的ブランドであるプロシュートを食べたことまで思い出せる。今日飲んだワインはその時よりも若いヴィンテージだ。


「親父、これはボルドーのシャトー・デュドンやろ?。ヴィンテージは最近の年のものちゃう?」


 俺の答えを聞くと親父はピクリと片方の眉毛を上げると、軽く舌打ちをしながらボトルのラベルを俺に見せた。やはりシャトー・デュドンでヴィンテージは1998年だ。

 俺がドヤ顔をしていると母親がツマミを持ってきてくれた。今日のツマミはフランスパンにガーリックバターを塗って表面を軽く炙ったものに、イタリアを代表するチーズの1つであるパルミジャーノ・レッジャーノを溶かしたものをタップリと乗せてあった。何て贅沢なツマミだろう。


 久しぶりの実家で俺はいつものように無言の空間で贅沢な時間と空間を楽しんだのだった。


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