チャプター10 「原因究明」

 レンタカーを使った試験が始まりましたが、試験計画はこんな感じです。


 木曜日の午後15時から試験をスタートして、以後は4時間ごとにファイバースコープで燃料漏れの有無を確認する。ファイバースコープによる確認は22時までとして、翌朝8時に再度ファイバースコープによる確認をする。その後インジェクターを別のサンプルに交換し試験を再開するという算段。


 木曜日はレンタカーに装着されていたインジェクターをそのまま使うけど、金曜・土曜は量産品から抜き出したインジェクターを使う。そして日曜日は豊光自動車から借りている豊光自動車の試験車両で実際に燃料漏れが起こっていたというインジェクターだ。


 レコーダーはデジタルデータでの保存と並行して、レコーダー内蔵のプリンターで波形を印刷させる。レコーダー波形の印刷は記録紙が大量に必要となるけど、1分あたり1センチメートルという低速での印刷設定としているので、一晩放置していても夜中に用紙切れになることはない。4時間に一回だけチェックするというお手軽試験だが、土日も出勤しないといけないので、それだけが苦痛だ。


 予定より少し遅れて15時30分より試験がスタートした。燃圧を計測するためのセッティングに少々手間取ったためだ。燃圧を計測するには、燃料ポンプとインジェクターの間にあるデリバリーパイプの間に圧力センサーを取り付ける必要があるんだけど、ゼータではその圧力センサーを取り付けられるスペースがなかなか見つからなかったことと、車両がレンタカーであるため、傷とかをつけないように取り扱いに気を使い余計に時間を使ってしまったためだ。

 だけど、30分程度の開始遅延などまだまだ許容範囲ですわ。新規部品の開発現場で取り扱うものは常に最新のモノであるわけで、実験をするにしても前例がない試験方法を考え出したり、今まで使ったこともない新しい計測器を使ったりすることも日常茶飯事。そのため、事前に時間的な計画を立てたとしてもその通りにできることなど殆どない。それを考えると今回の試験は計画との乖離がわずか30分だけとも言えるだろうね。


 俺は試験を開始させて、まずは初期データチェックを行った。バッテリー電圧は12.8V、インジェクターのソレノイドの端子電圧はインジェクターがOFFであることを示している。燃圧は3.0MPa (メガパスカル)だ。試験開始前にエンジンをかけていたため、燃圧はきっちり3.0MPa (メガパスカル)を示している。ファイバースコープを覗くが、当然燃料漏れなど起きていない。


 その後俺は、18時と22時にもファイバースコープでインジェクターを目視確認したけど、いずれも燃料漏れは発生していなかった。でも、印刷されているレコーダデータを一目見てニヤリとした。予想通りの結果が出ていたからね。


 俺はエガちゃんを始めとする特別調査班のメンバーと高橋部長に経過報告をして、計画通りにそのまま月曜日の朝まで試験を継続するよう指示を受けた。


 そして再びテレビ会議が開かれる月曜日を迎える。


 その日のテレビ会議も前回同様に14時スタートで場所はイン制棟の2階のテレビ会議室だ。俺は事前にレンタカーを使った試験結果をまとめた資料を、月座電機出席者の人数分だけ印刷し会議室の席上に配布しておいた。14時の10分前には前回と同じ5名が席についた。当然だけどこの5人には既に事前に結果を伝えてある。


 エガちゃんがふと、

「そう言えば、今月って1999年の7月ですよね。」

と口にした。1999年7月といえば、ノストラダムスの有名な預言書にある有名な一節が思い出される。


「1999年7か月、空から恐怖の大王が来るだろう、アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために。」

この一節は、百詩篇第10巻72番に出てくる。


 マスメディアではこぞってこのノストラダムスの預言について放送をしているが、俺は全くこの予言を信用していない。預言など解釈の仕方によっては、どのようにも受け取ることができるからだ。だが、もしこの預言が実現するのだとすれば、果たしてこの恐怖の大王はどこにやってくるんだろうか。


 前回と同様に会議開始5分前に俺はテレビ会議システムを操作し、豊光自動車への接続を開始し、数回の呼び出しコールの後、豊光自動車との回線がつながった。

 豊光自動車側の出席者も前回と同じだ。エンジン担当の前田主任、燃料ポンプ担当の金子主任、インジェクター担当の輿水主任、そして、皇電装の鶴田氏の4名だ。


「え〜、もしもし。こちらは月座電機の宇垣でございますが、聞こえますでしょうか?」

「はい、聞こえます。本日はよろしくお願いいたします。」

前回と全く同じセリフで会議が始まった。まぁ、こういう定型的な挨拶は毎回変わるようなものではない。初めに言う言葉を決めている人もいるくらいだ。


「はい。それでは弊社で実施いたしました、レンタカーを使った再現試験について結果を報告させていただきます。え~本日の報告ですが実際に試験を担当しました、弊社実験グループの高坂よりさせていただきます。」


 なにぃ~~!! そんなことは聞いていないっ!!俺は驚愕の眼差しでエガちゃんを見つめた。エガちゃんは大きく頷いている。まるで「さぁ、成長できる大きな舞台を作ってやったぞ。存分にやってみろ。」と言っているようだが、横で高橋部長が必至に笑いをこらえている。これぞ正しい無茶ぶりというものだろう。だいたい、入社して3カ月程度しかたっていないまだ研修生扱いの俺を、特別調査班に入れてこき使い、挙句の果てには客先の前に引きずり出し、月座電機にとって莫大な賠償を請求されるかどうかを決めるかもしれない会議の場で報告をさせるとは、凄いのか凄くないのかもう訳がわからない状態だ。


 当然、通常であればこんな無茶ぶりをするわけがなく、組織の責任者である高橋部長も笑って見過ごすわけがない。にもかかわらず新人にこんなことをさせるには、今回のレンタカーでの調査では月座電機にとって絶対有利な結果が出ているからにほかならない。


 俺は仕方なく腹をくくって報告を始めた。


「え~、それでは私、実験グループの高坂が報告をさせていただきます。まず結果から述べますが、レンタカーでの再現試験の結果、インジェクターi-97からの燃料漏れが発生することが確認されました。」


 いきなりのインジェクターからの燃料漏れ発生発言。俺のこの発言を聞いて、テレビ画面の中の豊光自動車側がざわつき始めた。


「ちょ、ちょっと、月座電機さん。私には事前にインジェクターには何も問題がないから心配無用と連絡いただいたじゃないですか!」

と食ってかかってきたのは豊光自動車インジェクター担当の輿水主任だ。


 輿水主任が慌てるのも無理はないだろうね。自分が担当する部品が重大な欠陥を持っているなんてことになれば、その部品を供給するサプライヤーの選定や仕様決定をした自分達にも責任がかかってくるわけだから。月座電機側からは事前に輿水主任には詳細は告げずに、単にインジェクターには問題がないとだけ、メールで一報を入れていただけだったんだから、その狼狽ぶりも仕方がないだろう。


 俺はおかまいなしに説明を続けた。


「今回、弊社は4本で1セットのインジェクターを、合計4セット用いて試験を行いました。レンタカーに初めから装着されていたセットと、弊社の量産品から抜き出した2セットと、御社より借用させていただいております、御社の試験車両で実際に燃料漏れがあったと確認されているセットです。今回、燃料漏れが再現できたのは、その最後の1セットになります。」


「ということは、個体差によって燃料漏れが発生するものがあるということですか??」

とエンジン担当の前田主任が質問をしてきた。


「そういうことになります。燃料漏れが発生するインジェクターとそうでないインジェクターが存在します。」

「これは大変なことですよ。月座電機さんどうされるつもりですか?」

「かなりの賠償額になりそうですねぇ、、、」

燃料ポンプ担当の金子主任が発言し、皇電装の鶴田氏がもはや他人事であるかのようにつぶやいた。その他のメンバーもざわつきが止まらない。


「皆さん。すみませんが、弊社からはまだ続きの報告があります。」

高橋部長がざわついた場を静まらせた。おぉっ、続きは部長自らやってくれるのか?と期待を持った眼差しで俺は高橋部長に目をやった。


「じゃあ、高坂くん。続きをお願いします。」

やっぱりか~~~。


 俺は誰にもわからないように軽くため息を吐き、報告を続けた。


「え~、確かにインジェクターからの燃料漏れが生じていることが確認されましたが、これには当然ですが原因があります。まずはこのレコーダー波形をご覧ください。これは今回のレンタカーの試験で計測したレコーダーデータになります。」


 俺は一枚のレコーダー波形をテレビ会議で共有できるスクリーンに写しだした。そこにはバッテリ電圧・インジェクターの駆動有無が分かるソレノイドの端子電圧・そして燃圧値が時系列的にわかるように表示されたグラフが映し出された。


「このグラフの横軸は時間を表しており、左端から右端までで8時間分のデータを表しています。上からバッテリ電圧・インジェクターの駆動を表す電圧・インジェクターのデリバリーパイプ内の圧力すなわち燃圧の波形になります。」


 このグラフが写しだされた刹那、金子主任と鶴田氏が青褪めた。


「お分かりの通り、バッテリ電圧とインジェクターの駆動電圧は、左から右までずっと一直線であり、この8時間の間にまったく変動がないことがわかりますが、一番下の燃圧波形だけは、周期的に変動していることがわかります。」


 俺はあえてしばらく沈黙し、豊光自動車側の反応をうかがった。


「え?これって車両をソークしている時の波形なんですよね?エンジンは止まっているので時間経過とともに燃圧が下がることは理解できますが、なんで上がっている時があるんですか?」

インジェクター担当の輿水主任が発言し、それに対しエンジン担当の前田主任が応答した。


「あぁ~、これってあれですよ。ソーク後の再始動性を上げる目的で、ソーク中もある程度デリバリーパイプに燃圧を残しておくようにしてまして、定期的に燃料ポンプに起きてもらってポンプを動かして燃圧維持をしてもらっているんですよ。」

更に金子主任が説明を付け加える。


「そ、そうなんですよ。その通りなんです。この燃圧の動きは正常で期待通りなんです。」

「いや、でも我々インジェクター担当側ではこんな制御をやるなんて聞いていないですよ?まぁ、ずっと燃圧がかかっているからって、インジェクターに対して何か問題があるかというとありませんけどね。でも、エンジン担当さんや燃料ポンプ担当さんから我々にこんな制御をやっているということの連絡がなかったのはおかしくないですか??」

輿水主任があからさまな不満顔で前田主任と金子主任をにらんだ。


 そう、輿水主任が言われるように、インジェクターにとってはずっと燃圧がかかっていること自体には何の影響もない。そんなことで燃料漏れが起きるような設計もしていないからだ。


「すみませんが、豊光自動車内での仕様横通しが不十分なところがあったようです。今後このようなことは起きないように処置いたします。」

と前田主任は悪びれずに言ったけど、燃料漏れ問題は別としても、このような重要な制御を社内で共有できていないということは、豊光自動車の情報管理が杜撰であることを表している。


 俺はかまわず話を続けた。

「はい、この燃圧の動き自体にはインジェクターにとっても問題ではございません。しかし、次にこの燃圧の動きを拡大した波形をご覧ください。」

そう言うと俺はもう一枚の画像をスクリーンに映し出した。そこには燃圧センサの波形を拡大した波形で、燃圧が高周期で変動していることを表していた。


「ご覧のように、燃圧が周期的に脈動していることがわかります。燃圧がこのように周期的に脈動するのはポンプの駆動周期が関係しておりますが、このような脈動自体には問題ありません。問題はその周期です。この波形の周期は19kHz (キロヘルツ)でした。」


「19kHz!?」

反射的に輿水主任が言葉を発した。


「金子さん。燃料ポンプの駆動周期は21kHz以上にしてく欲しいと要求していましたよね?」

「え、えぇ・・・。」

金子主任は言葉が出せない。輿水主任は更に続ける。


「それなのになぜ19kHzにしているんですか?私、言いましたよね?駆動周期は人間の可聴域よりも高くすることと、i-97は超微細噴流を実現するためにニードルをこれまでより細くしているから、共振点がこれまでと異なるって。内部仕様書にもその事をちゃんと記載していますよ。」


 そう、共振だ。i-97の燃料漏れの原因は燃料ポンプの駆動周期がもたらす燃圧の脈動が、インジェクター内のニードルの固有振動数と合致し共振することで、非常に極僅かではあるがニードルと吐出口に隙間を生じさせ、燃圧が高いこともあり、そこから燃料が滲み出てしまうことによるものだった。


 インジェクターの個体差により共振点が微妙に異なるため、モノによっては全く燃料漏れが起きないものと、起きてしまうものとが出てくるのだ。高橋部長が言っていた過去の類似事例も同様の理由でインジェクターからの燃料漏れが発生した現象のことだそうだ。それ以来、豊光自動車のインジェクター担当と月座電機のインジェ部設計グループとの間では、共振については気をつけていたらしいんだけど、こういう問題は過去を忘れたころに再び出てきてしまうものだ。


 長らく会議の場が沈黙した。


 沈黙を破ったのは燃料ポンプ担当の金子主任だ。

「実はポンプの駆動周期の問題には気づいていました。皇電装さんの新型燃料ポンプは駆動周期を可変できる仕様となっており、ソーク中はポンプの駆動音が聞こえないように、通常駆動時よりもさらに早い周期でポンプを駆動するようにしていたのですが、そこで仕様伝達ミスがあり、ソーク中の駆動周期が誤って19kHzになってしまっていたのです。」


 数十秒の沈黙のあと、輿水主任が口を開いた。

「月座電機さん。この度はどうもありがとうございました。またご迷惑をおかけしてしまいまして大変申し訳ございませんでした。今後は当社と皇電装さんとの間で協議いたしますので、本日のところは会議を終わりたいと思います。」


「どうもありがとうございました。」「ありがとうございました」「それでは失礼します。」まばらな挨拶をお互いにし、テレビ会議が終了した。


 月座電機にとっては莫大な賠償費用の請求を免れたわけで、喜ばしい結果ではあったんだけど、この後の豊光自動車と皇電装のことを思うと大喜びはできない。こんなミスはどこの会社であっても、月座電機であっても些細なミスが原因で起こりえる問題なので他山の石としなければならない。近藤部長をはじめとする月座電機の会議出席メンバーの表情はみんな暗かった。


「さぁ、みんな。今回はお疲れ様でしたね。では本日をもって特別調査も終了ということで、この後は通常業務に戻ってください。」

と高橋部長の一言のみで、月座電機のメンバーも解散となった。



「やっと終わったな。これで気持ち良く打ち上げができるぞ。」

実験グループの事務所に戻る途中にエガちゃんが忘れておいて欲しいことを言いだした。


「やっぱりやるんですね・・・。」

「当たり前だろ!!」


 1999年7月、恐怖の大王は豊光自動車と皇電装に訪れたと思っていたが、打ち上げという名の恐怖の大王が俺のもとにやってくるようだ。

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