チャプター7 「テレビ会議 前編」
水曜日 ーー インジェクターi-97の燃料漏れ再現試験結果を顧客である豊光自動車に報告する日 ーー がやってきましたよ~。
ちなみに前日の火曜日は俺は日曜日を代休出勤で仕事をしたから、火曜日に代休を使って休暇したんだけど、寝不足だったのか朝から晩まで一度も目が覚めずに寝てしまった。だけど、起きていても余計なものを記憶してしまうだけなので後悔はしていない。
今日の報告会はエガちゃんがするから、下っ端の俺はもう関係ないよね~。と通常の仕事に戻ろうと思っていた矢先に、俺はエガちゃんに呼び止められてしまった。
「お〜高坂。今日の午後から豊光自動車に例の試験結果の報告をテレビ会議でするけど、お前も出席しろよ。」
ちょっと待った~~!!おっとぉ~~!調査班の仕事も終わって、今日からは普通に戻れると思っていたところに、まさかの “大 ドン デン 返し!!” え~~、分る世代の方だけ懐かしがってください。(汗)
まだ新人の俺がなぜそんな会議に出席しないといけないんだ??そんなもん速攻で「ごめんなさい!」だっ、という俺の心の声を見透かしたように、
「実際に試験をしたのはお前だから、試験について何か質問があった時のために出席が必要なんだよ。」と言う。
「いや、それを言ったら、漏れ流量試験について一番よく分かっているのは、エガっ・・・、宇垣さんじゃないですかっ。」
「まぁ、そう言うなよ。こういうテレビ会議はきっとお前にとってもいい経験になるから。」 とチラッとみみちゃん先輩とハカセを見ながら返してきた。
否応なしに俺のテレビ会議への出席が決まってしまった。そんな俺を傍目にみみちゃん先輩とハカセがニヤニヤしている。おのれぇ・・・。あんたら結託して俺を生贄にしたな・・・。
豊光自動車とのテレビ会議は午後2時からで、インジェ棟の2階にあるテレビ会議室で行われる。会議には実験グループからはエガちゃんと俺の二人。設計グループからも二人。更に高橋インジェ部部長も出席する。全員月座電機の黒い新ユニフォームを着用し、まるでどこかの仮面ヒーローものに出てくる、悪の軍団のようだ。
俺は昼食を早めにとり、実験グループの試験結果をまとめた資料を5人分印刷し、それの電子ファイルをプロジェクターに投影できる準備を整えた。やっぱ俺のようなペーペーはこういうことくらいはサラっとやらないとねっ。俺はこういう常識的な処世術は書物からではなく、大学教授から教わった。
うちの教授はなぜかこういうのにうるさくてね。学生が社会に出てからスムーズに会社に馴染むためには必要な作法だって、いつも言われてた。そのために教授には何度もプレゼンの訓練をさせられたし、社会人としての最低限のビジネスマナーも叩き込まれた。せっかく教わったことは有効活用しないとね。
このテレビ会議システムは、離れた場所にある会議室を音声でつなぐだけではなくて、お互いのパソコンに表示される資料も大画面テレビ上で共有できる仕組みになっていて、更にビデオカメラが室内に設置されいて、会議室の様子と出席者の顔がお互いに分かるようになっている。
今回のテレビ会議は、当初は月座電機と豊光自動車の2社だけでのテレビ会議をする予定だったんだけど、急遽、燃料ポンプの開発担当である皇電装の担当者も参加することになり、豊光自動車側の会議室から出席することになったらしい。
インジェ棟テレビ会議室には、会議の始まる10分前には月座電機側の出席者全員が集合した。誰も言葉を発さず黙々と資料に目を通しているだけで、重苦しい緊張感が漂っていた。
会議開始5分前となったので、俺はテレビ会議システムを操作して、豊光自動車への接続を開始した。数回の呼び出しコールの後、豊光自動車との回線がつながり、テレビ会議がスタートした。
「え〜、もしもし。こちらは月座電機の宇垣でございますが、聞こえますでしょうか?」
とエガちゃんが第一声を発する。
「はい、聞こえます。本日はよろしくお願いいたします。」
豊光自動車側からの音声も良好だ。こうしてテレビ会議が始まった。
月座電機側の出席者は前述の通りの5人で、豊光自動車側の出席者は以下の通りの4人だ。
・前田主任、エンジン担当
・金子主任、燃料ポンプ担当
・輿水主任、インジェクター担当
・鶴田氏
この鶴田氏が燃料ポンプの開発を担当した皇電装側の担当者だ。
会議の出席者はそれぞれの名前の紹介など簡単な挨拶を済ませて、まずはインジェ部のインジェクター設計担当者からの報告から始まった。
インジェクター設計の報告担当は、設計グループの村川係長だ。その報告内容を高橋インジェ部部長が腕組みをして真剣な表情で聞いている。何か不都合な報告をしようもんなら即座にフォローしようとしているんだろうな。
「え〜、私共、月座電機では設計と実験とでそれぞれ別れて調査内容を報告させていただきます。」
「まずは設計からの報告をさせていただきます。」
村川係長はi-97の構造的な設計や、従来製品からの変更点・生産方法から出荷管理まで、細やかにわかりやすく報告をした。まさに流れるような説明であり、かつ非常にわかりやすい。これだけの説明スキルを持つに至るまでには、かなりの場数を経験してきたんだろうなと推測する。
村川係長からの説明に対し、豊光自動車側からは出荷時の製品チェックの方法や、実際の検査結果の例を見せて欲しいなどの要望が出たけど、それは想定内の質問であり、村川係長はすぐにもう一人の設計メンバーに資料を画面に映し出すように指示して、完璧に答えてみせた。うん。できる男はカッコイイ。決して変な意味ではないよ。
製造業の設計者の仕事と言えば、ただ黙々と新製品の仕様を検討したり、設計図面を書いたりをしていると思われがちだけど、実際はそうではないんだよね。それよりも今回のような顧客との折衝とか、生産現場との調整、下請け業者との交渉など、言葉を操って人を相手にする仕事のほうが比重としては多い。
ある程度のポジションともなれば、実務の面では実際の設計は部下にさせて、自分は設計図面のレビューをすることの方がはるかに多くなる。自然と対人交渉やプレゼンテーションが上手くなるのだ。いや、訂正しよう。対人交渉やプレゼンテーション能力が高くないと、上のポジションには上がれないのだ。その点、村川係長は設計者として正しく必要なスキルを身に着け、今のポジションを手に入れているんだろうな。
そしてそれは設計グループだけでなく、実験グループにも適用される。続いて実験グループからの報告の番となり、エガちゃんの説明が始まった。
エガちゃんのしゃべりも流暢で流石に係長になるだけはある。先程の村川係長に負けないほどの滑らかさで、再現試験の結果について報告を進めている。とてもこの人がマラソン馬鹿で飲み会命のちょっとイタイ人だとは思えないな。そんな中でも俺が驚いたのは、説明のためのプレゼン資料に、漏れ流量試験機を実際に動作させている動画を盛り込んでいたことだ。
一体いつの間にこんな動画を撮影して、プレゼン資料作成をしていたのだろうかと思ったけど、きっと俺が1日中寝ていた火曜日に作ったのだろうなと悟った。動画の中で試験サンプルのインジェクターを交換している人物の手が女性の手で、驚くほど白く細長い指をしていて、分かる人にはすぐにみみちゃん先輩だとわかるからだ。
エガちゃんはi-97の量産品100本と、豊光自動車での燃料漏れが再現した車両に装着されていた4本には何の問題もないはなく、再現試験においても燃料漏れの発生はなかったことを説明した。豊光自動車側からは、ではなぜ燃料漏れが生じたのか?との質問が出てきて、ここからはフリーのディスカッションとなった。
俺はこの時、豊光自動車側の会議室の様子を写すテレビ画面の中で、豊光自動車の金子主任と皇電装の鶴田氏が何やらコソコソ話していることに気がついていた。二人はディスカッションに殆ど加わっておらず、なにやらそわそわしている様子なのが印象的だったからだ。
ディスカッションが膠着しかかった時に、その金子主任が声高に発言をした。
「月座電機さんは再現試験で燃料漏れの発生は無かったと報告されましたが、豊光自動車での試験車両ではインジェクターから間違いなく燃料漏れが発生していました。月座電機さんにはこちらにまだ言っていない欠陥等があるのではないですか?」
なんてストレートなご発言。この発言を受けて、会議の場に一瞬にして沈黙が訪れたのは当たり前田のクラッカー。もうちょっとオブラートに包めないもんですかねぇ?
豊光自動車側から見れば車両で実際にインジェクターから燃料漏れが起きているのだから、インジェクターを疑うのは当然だけど、こちらには過酷な条件下での再現試験でも、燃料漏れは発生していないし発生しないと断言できるデータがある。
その事をエガちゃんが反論をすると、今度は皇電装の鶴田氏が
「では、その再現試験のやり方がまずかったということはないでしょうか?」
なかなかこういう会議の場で、別のサプライヤーが他のサプライヤーに対してこんな発言をすることはない。だって余計な敵を作る恐れがあるから。
その発言にもすかさずエガちゃんが反論をする。
「私共は今回の再現試験の条件に問題があるとは見ていません。試験条件は豊光自動車さんからi-97の開発依頼を受けた時にいただいたものをベースに使っていまして、今回の再現試験ではその条件よりさらに厳しい条件を用いています。」
そう。インジェクターに限った話ではないけど、通常、カーメーカーから各サプライヤーに部品を発注する場合、製品の要求仕様だけではなくて、その製品の性能を確認・保証するための試験条件も提示される。各サプライヤーはその要求仕様と試験条件を満たすために設計を行って、実際に試験を行い、カーメーカーからの要求を満たしたものを納品する。また、サプライヤーによっては、カーメーカーから要求のあった試験条件だけではなくて、独自の自社基準に則った試験も実施するけど、その独自試験条件はカーメーカーからの試験条件よりもさらに厳しい条件となっているのが普通だ。
そういう訳で月座電機もi-97に課せられたカーメーカーからの試験条件よりもさらに厳しい条件で製品テストを行い、当然パスしているからこそ量産となっている。そんなことは皇電装も知っているはずの製造業では常識的なことだ。
エガちゃんの発言に対し、豊光自動車エンジン担当の前田主任が、
「月座電機さんの試験条件についてはよく理解していますが、試験環境や装置についてはいかがでしょうか?このような再現試験では可能な限り車両と同じ環境に合わせるのが望ましいですが。」
と発言してきた。 それに対しエガちゃんは、
「はい。試験環境は弊社の自動試験装置を用いており、車両の実環境に合わせた条件を再現しております。温度・湿度・振動については、車両環境のプロファイルデータを御社よりいただいておりますので、それを模擬的に再現しています。」
「なるほど。それでは試験環境的には車両とまほぼ同一と考えてもよさそうですね。」
豊光自動車側からも皇電装側からも追加の発言はなく、再び場に沈黙が訪れてしまった。
俺は皇電装の鶴田氏の言葉に引っかかっていた。
「では、その再現試験のやり方はまずかったということはないでしょうか?」と言うことは、鶴田氏は再現試験について別の何かがあるということを知っているのではないだろうか?とね。
俺は再現試験の合間に眺めた豊光自動車ゼータに関する資料を脳内で見直した。俺にとっては資料の見直しは一瞬だ。
俺はあることに気が付き、テレビ会議システムのマイクを一旦OFFにしエガちゃんに話しかけた。
「宇垣さん。漏れ流量試験機の燃料ポンプは汎用ポンプを使っていて、実際のモノではないですよね?」
「ああ、そうだが、今それを言う必要あるか?」
「汎用のポンプと皇電装の燃料ポンプの違いで変わるコトがあると思うんです。」
「う~ん、パっと思いつかないが・・・。」
「あると思います。固有・・・・」 と俺が言おうとした瞬間、その会話を横で聞いていた高橋部長がそれまでの沈黙を破ってつぶやいた。
「高坂くん。それ、ありえるかもね。」
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