第25話
ナイフがリンナの頬に触れ、万事休すかと思われた。だが……。
リンナはジェミーの顔の方から、何とも言い難い不思議な視線を感じ、見つめ返した。
見るとジェミーの目から涙が溢れている。
それは明らかにダンの意思に反した涙だ。
「ジェミー……」
「ん?何だ?手が動かないぞ。何故だ?」
いきなりナイフを持つダンの手が震えだした。
震えているのは手だけではない。足も身体もだ。
ジェミーの顔も涙を流しながら震えている。
震えはだんだん大きく成り、終いにはリンナに絡みついていた蔦が震えで離れた。
離れた瞬間にリンナは後方に下がり、引き金を引く。
『バーン』という音が響き、注射弾はダンの胸にまともに突き刺さった。
慌ててジェミー顔のダンは後ずさりし、そして注射弾が刺さった体を捨てるかのように背中が割れて元のダンが現れた。
「びっくりした。なぜ動けなかったんだ」
「おそらくジェミーの記憶が働いたのでしょう」
「ジェミーの記憶?」
「ジェミーは普段から私に怯えていました。死ぬ時も私に怒られると思いながら亡くなった筈です。だから私を見て、怒られると思って泣きながら震えたのでしょう」
「なるほど。わたしが頂いたジェミーの細胞が邪魔をしたのか。遺伝子内の記憶が体まで動かすなんて信じられないが、実際に体験したから否定できないな。まあ、2度とジェミーに成らなければ済む話だ」
「貴方はジェミーどころか、2度とメタモルフォシスは出来ません」
「ほう?何故かね?」
「注射弾が当たりましたから」
それを聞いたダンは不敵な笑みを浮かべた。そしてリンナの言葉を否定するかのように背中が割れ、再び新しいダンが出てきた。
「残念だったね。ホラっ!こうやって何度も変態出来るよ!『ウイルスが注入されたのに何故?』と、思っているのかい?実は別館の受付の子はわたし達の仲間でね。君達が頑張って育てていた対モルティングマン退治用のウイルスを全て死滅させといたのさ。君が今しがた使ったその試作品も、ベニーが取りに行った培養器の中の物も全てだよ。残念だったねえ。態々こんな研究所まで来て極秘で作ってたのに。本当に無駄な苦労だった。クックック……」
勝ち誇るダンの話を聞いてもリンナは顔色一つ変えなかった。それどころか淡々とした表情のままで、先程ダンの脱いだ皮をゴム手袋を着けて調べ始めた。
「貴方に撃ち込んだのはウイルスでは有りません。罠に掛けたつもりでしょうが、罠に掛かったのは貴方です」
「何?」
意味が分からないという顔をしたダンの顔が急に膨らみだした。
破裂しそうにまで頬がパンパンに成る。
頭だけではない。
手、足、体も風船のように膨らみ始めた。
「な、にゃんだコレりゃ?ひみは、にゃ、にゃにを撃ったのはね?」
「ゼノボットをご存知でしょうか?」
「ひゃい?」
「スーパーコンピューターの設計の元で作られた、プログラム通りに動く生きた人工細胞です。簡単に言えば、極小生体ロボットですね。
リンナがそう言ってる間にダンの身体は限界まで膨れ上がり、動く事も喋る事も出来なく成っていた。衣服も弾け飛び、肉風船は今にも破裂しそうだ。だが、リミッターを失った細胞は尚も暴走を続ける。
リンナは菌やウイルスなどの生物兵器をモルティングマンに使っても、直ぐに共生してしまうので効果が薄いと判断していた。そこで彼女が考えたのが代謝の早いモルティングマンの特性を利用する方法だ。人工的に作ったモルティングマン自身のコピーミス細胞で、身体の内部から破壊する。未知の生命体の細胞なので、スーパーコンピューターが弾き出した設計方法は莫大な量だったのたが、人手と費用と時間をかけて実験を何度も繰り返し、そして遂に彼女の所属する科学研究開発局のプロジェクトチームは作る事に成功したのだ。
「私は貴方達の目を欺く為に
「どいてろ!!」
リンナが冷静に解説中、倒れていたブロックがサブマシンガンを持って立ち上がった。
そしてダンの丸い肉塊に向かって弾を乱射する。
ダンの肉塊は、体内の粘液やゼラチン物質を撒き散らしながら見事に吹き飛んだ。
上辺だけ紳士なサシガメ教授の哀れな最後である。
「や、やったぜ!ダ、ダンの野郎……ざまあみろだ……」
「ブロック博士。生きてたんですか?」
「ヘヘッ……防弾チョッキを着てたからな……傷は浅えぜ……」
「無茶をせず、早く手当を!」
「政府の犬の殺し屋お嬢さんよぉ……いいか……アメリカの……いや、人類の威信にかけて負けんじゃねえぞ……」
そう言いながらブロックは再び倒れた。そして倒れたと同時に、物凄い爆発音と共に背後の別館から炎と黒煙が舞い上がる。
「ケイスさん!!」
ケイス達の安否は不明のまま、蔦を纏った洋館は勢いよく燃え上がる。
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