2-3 ワンダーランドへようこそ

 「大変!大変!時間がないのに!起きて!起きて!」


ラピスはすやすやと眠っていた。誰かが声をかけたが、一向に起きる気配はない。声の主は往復ビンタを始めた。


「起きて!」


「バシッ!」


「起きて!」


「バシッ!」


「起きて!」


「ガバッ!」


ラピスはビンタの衝撃で目を覚ました。


目の前には、ショートで栗色の髪をした、ウサ耳の女の子がいた。ピンクと水色のマーブル模様のワンピースを着て、首には時計をかけている。


 「はああ~っ!?起きた~!」


「起きるわボケィ!」


「てかアナタ誰!?」


「こっちのセリフじゃーっ!」


「だってアナタ、さっきとカオが違うじゃない!こわい!!」


「てめーが殴ったんだろーがよ!」


「ひいいいっ!」


ラピスの顔はビンタでパンパンに腫れていた。ウサ耳の少女はチェックシートを取り出し、なにやら書き込み始めた。


「ボケ、バツ。キレの良さ、さんかく。ツッコミ、まあまあ。顔は・・・」


彼女はじっとラピスを見つめた。


「ひどい」


「ボコッ」


ラピスはグーで殴り、彼女の頭には大きなたんこぶができた。


「す・・・すみませんって」


ラピスはしかめっ面で腕を組んだ。ウサ耳の少女はオドオドと座り込んだ。


「てめえは誰だ」


「白ウサギのサミットです・・・」


「ここはどこだ」


「ワンダーランドです・・・!」


「あっそう」


 ラピスは辺りを見渡した。そこは、まるで絵本の中にいるかのような世界だった。空も森も、コミカルなタッチになっている。


木には大きな目玉が付いているし、そこら中に奇抜な色のキノコが生えていた。この世界にあるものは、どれも鮮やかな色をしているようだ。


「ここは・・・」


「ワンダーランドです・・・!」


「ワンダーランドかぁ~って・・・・・。ワンダーランドォォォ~!?!?」


「ワンダーランドでえええええ~っす!!!」


 その頃、レインはどこかで下品な大声が聞こえた気がして目を覚ました。


「ビュオオ~」


「ん・・・?」


レインがいたのは、高い高い木の上だった。どうやら藁のような塊の上で寝ていたようだ。


「ぴー」


「雛鳥か・・・」

赤色の鳥がいた。まだ独り立ちしていないようだが、人間の子どもくらいの大きさだった。


「どうやらここは鳥の巣だな。・・・にしても高すぎないか?」

降りようと思って見下ろしたが、地面がまるで見えない。ここはどこなのか、ラピスと合流するにはどうしようか考えていると、突風が襲い掛かった。


「んん・・・?」


「ぴっぴぴぴー!!」


その風は、雛鳥が起こしたものだった。気付いた時には、レインは風の激しさに吹き飛ばされていた。


「い・・・っ、いやあああー!!!」

あまりの威力に、レインは成す術もなく落下した。


「雛鳥に飛ばされ転落死・・・。無念なり、いと哀し・・・」


「ドスッ」


レインは自分の死期を悟ったつもりだったが、地面に叩きつけられた感じはしなかった。


「落下したはずじゃ・・・」

驚いて目を開くと、そこには金髪の青年がいた。あろうことか、抱きかかえてくれていたのだ。これが世間で言う『お姫様抱っこ』だったことをレインが知るのは、結構先の話だ。

「・・・怪我は?」


「大丈夫・・・だ・・・」


「それは良かった」


青年は微笑んだ。


レインは青年をまじまじと見つめた。


彼の瞳孔は、ラピスと同じように、変な形をしている。モミジの葉の両端に穴が空いたような、ヘンテコな形だ。


深い碧の瞳に、長いまつ毛。ラピスとは違って紳士的な印象だ。彼はまるで、おとぎ話の王子様のような風貌だった。紫のロングコートに、月のモチーフのネックレスをしている。さすがのレインも、思わず見とれてしまうほどだった。


 青年はレインをそっと下ろした。


「危ないところを助けてもらうとは・・・かたじけない!」


「間に合って安心したよ」


「ところで・・・ここは?」


レインは周囲を観察したが、さっぱり分からない。さっきまで泉にいたのに、全く違う場所に来てしまったようだ。見渡す景色、動植物、全てがヘンテコだ。まるで子どもの落書きのような絵でできた世界が広がっていた。分かることと言えば、高い木で囲まれた森の中にいるということだけだ。


「ワンダーランドさ」


「ワンダー・・・ランド?」


レインは女神の言葉を思い返した。


『もう!こうなったらワンダーランドに閉じ込めてやる!一生出してあげないから!』


『ワンダーランド・・・?』


『時間内にアリスの鍵を見つけたらあなたの勝ち』


『間に合わなかったらどうなるんだよ!』


『あなたの物語が終わるだけよ』


『なっ!』


『そして一生、ワンダーランドの住人になるのよ』


これはマズイことになった。アリスの鍵を見つけなければ、永久にこの世界に閉じ込められる・・・。


「君はここに来たばかりのようだね。この世界は全て、女神の管理下にある。旅人が入り込むことも少なくない。実際に外の世界に出られた人がいるかは知らないけどね」


「・・・なるほど。この世界に詳しいようだが、何者なんだ?」


「僕は、ワンダーランドの住人Aってとこかな。昔からここにいるよ」


「『あ』から始まる名前なのか!」


「え・・・?」


青年は首を傾げた。


「ただの物の例えだよ」


「失礼、そうであったか・・・!」


「僕にとっても君は旅人Aだ」


「じゃあこれからはレインと呼んでくれ。剣士のレインだ。よろしくな」


「剣士レイン。いい名前だ」


「雨は嫌われ者だがな」


「雨が由来なのか?」


「どうだろう。家族に会ったことがないからな。でもきっとそうだ」


「日照りの多い地域にとっては恵みの雨だ。名前は大切にするといい。閉じ込められたら、自分の名前も記憶も忘れていくんだ」


「え・・・」


「自分がなんだったか、なにを思っていたのか、なぜここに来たのか。全て忘れる」

レインは目を見開き、青年の肩をゆすった。


「それは困る!改心したばかりなんだ!この罪を忘れるなど・・・あってはならない」


「罪から逃れようとするのが普通なのに、君はとても純粋な人だ。きっとここから出られるよ。僕に案内させてくれ」


「ありがとう!」


青年は柔らかな笑みを浮かべると、何かを思い出してクスッと笑った。


「・・・あながち間違ってないけどね」


「ん?何か言ったか?」


「いや、何も。さあ行こう。案内するよ。ゆっくりと・・・ね」


 「この針が一周するまで?」


「はいっ!」


ラピスは白ウサギのサミットの、懐中時計を眺めていた。針はまだ「1」にも満たない。どうやらまだ時間はあるようだ。


「この針が12時を指すまでに鍵を見つけなければ、ワンダーランドの住人になってしまいます!」


「そりゃ困るな。鍵はどこにあるんだ?アリスが持ってるとかって女神が言ってたな」


「えーっとぉ・・・。ちょっとタイムですぅ~」


サミットは近くの木に走って言った。


「鍵当番表を出してくださいな!」


ラピスがサミットの元に着く頃には、木の幹に張り紙が浮かんでいた。


「この表はなんだ?アリスが持ってんじゃねえのか?」


「ずっと持っているのは嫌だって、当番制にしたんですよ!」


「へえ、自由だな」


「そりゃそうですよ。ここはアリスの想像の世界。アリスが好きなようになるんです~」


「ふうん。変な世界だな」


「そうでもないですよ。ここはワクワクとドキドキが詰まった、ハッピーだけが集まる場所です。あなたたちの住む世界の方が、よっぽど変じゃないですか」


「そうかあ?」


「変ですよ。辛いこと、悲しいことだらけじゃないですか。ここにいればずーっと幸せでいられますよ?」


「そうなのか?俺は早く出たいけどな」


「なぜです?」


「兄貴と会う約束をしてんだ」


「あの森を行けば、会えますよ」


「は・・・?」


「鍵当番のチェシャ猫、オードもそこにいます。行きましょ?」


 

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