ファン〇オレンジとか具体的な商品名出ちゃってるけど…。お袋JKの手料理って味薄そうだよね(偏見)

 見慣れた制服姿から着替えて、鬱陶しい長い髪もバッサリと落とした悠は、清々しい顔をしている。実の父親から、女だからと馬鹿にされ続けてきた環境から解放されても、ほんの少し物憂げな表情は残っている。


「本当にこれでよかったんですかね。あの人が死んだ途端、何もかも忘れたみたいに…。」


 虐待を受けていた子供は、親ではなく、自分が悪いと責める傾向にあるそうだ。絶対的な親に逆らった経験が少なく、新たな環境に身を置いても、そのことが悪であると思い込むようになるらしい。

 あいにく、俺はカウンセラーでもなければ、心理学に詳しい訳でもない。彼女にかけるべき言葉を迷っているうちに、結局家まで着いてしまった。


「量さん、このエプロン似合いますか?」

「……ああ。なかなか悪くないと思うぞ。猫、好きなのか?」


「わからないです。けど、可愛いと思いました。」


「そうか……。」


 エプロンに縫われた猫の耳を撫でている。飼ってみてもいいかなと思いをはせていると、このマンションはペット禁止であることを思い出した。


「ここって、ペット禁止でしたよね。少し残念だなって思ったので、たぶん好きなんだと思います。」

「そうなったら、ペットショップにでも連れて行ってやるよ。来週あたりにな。」

「いえ、そこまでではないですね。とりあえずこれで満足です。」


 遠慮しているわけではないのだろう。

 今まで抑圧され続けてきたせいで、感情表現が苦手のようだが、それでもなんとなく分かるようになってきた。人の感情の機微に疎い俺にしては珍しいことだ。


「お茶でも淹れますか、量さん?」

「いや、俺は炭酸が好きなんだ。冷蔵庫に炭酸水があるだろう。それ取ってくれ。少し仕事をする。」


「ああ、いや、そっちの冷蔵庫じゃないんだ。ここのシンク下に、小さい冷蔵庫が置いてあってな、炭酸水はここに備蓄しているんだ。」


 今まで何度か開ける機会があったはずだが、邪魔な謎の箱程度にしか思っていなかったようで、これが冷蔵庫であることを知って驚いていた。そしてその中身が見事に炭酸の類しか入っていないことにも驚いていた。


「私も、ファンタオレンジ飲んでもいいですか?」

「いいぞ。好きにとって飲んでいい。あ、飲みかけの物は入れるなよ?」

「大丈夫です。こっちの缶の方を飲むので。」


 炭酸水を片手に自室に戻ろうとすると、かすかに服の裾を掴まれる。驚いて悠を見てみると、わざと目を逸らしながら、ムニムニと口を動かしていた。


「パソコンに飲み物がかかったら大変ですし、飲み終わるまではいいんじゃないですか?」

「…あー。まぁそれもそうか。」


 PCの近くに液体を置かないなんて、プログラマ歴10年の俺であればわかりきっている。だからこそ、ちょっと書類を纏める程度で済ませるつもりだったが、あえて彼女の心配に乗ってやることにした。

 信頼だとか、好意だとかではないのだろう。だったら何なのかという話になるが、そこまでは俺もわからない。なんとなく違う気がする程度だからだ。


「お休みなのに、お仕事なんて大変ですね。辛くないですか。」

「別に良くあることだ、いまさら……。いや、少し辛い。だから、明日の休みは昼頃まで寝て、ご飯も食べずにゲームをしようと思っていた。ゲームに飽きたら本を読んで…。適当に過ごするつもりだ。」


 正直な俺の発言にくすくすと笑いながら「まるで子供ですね。」と言う。そろそろ最後の一口になるところで、

「明日私も一緒にゲームやりたいです。」とまっすぐに見つめられる。


「ああ、楽しみだ。」


 人とゲームをやるのは久しぶりだ。うまく手加減できるように調整しておかなくてはならない。その前に、そこまで本腰を入れて片付ける予定ではなかった仕事を処理してしまおう。


 夢中になってパソコンとにらめっこをしていると、小さくノックが聞こえた。

 壁掛け時計を見てみれば、すでに20時近くを回っており、腹の虫も思い出したかのように大きな音を立てた。普段ならこのまま忘れたふりをしてシャワーを浴びる予定だが、ドアの隙間から流れる五目ご飯の香りにつられてダイニングに向かった。


「お疲れ様です。ご飯できてますよ。」

「悪いな。遅くなった。…リクエストしてすぐに作ってくれたのか。」


 買い物のとき、何が食べたいかを聞かれて、五目ご飯とかに玉と頼んだが、テーブルにはその両方が並んでいる。どちらもCMで子供が美味そうに食っているのを見て興味があったが、複数人で食べることが前提だったので手が出せなかったものだ。


 悠の茶碗にはおこげが乗っているが、俺にはない。苦手だと伝えていたから避けてくれたのだろう。


「いただきます。……うん、美味い。」

「ありがとうございます。でも、少し薄味じゃありません?」

「まぁ少しだけな。」


 レトルトの濃い味付けに慣れた俺の舌が悪いのかとも思ったが、水の分量を間違えたらしい。だが、決して不味い訳ではないし、むしろ今まで不摂生だった俺には薄味の方が良いのかもしれない。


「次は、もっとおいしく作りますから。」

「……次。そうか、次があるのか……」


 悠の何気ない一言で、一気に箸が止まった。

 キッチンに置かれている濡れたフライパンと、壁にかかった猫がらのエプロンを見ていると、いま目の前にいる少女は俺のために料理を作ってくれたのだという実感が湧いてきた。


「悠、本当にありがとう。」

「…はい?何だか分かんないですけど、どういたしまして。」


 今までは、頼んでも願っても、手作りの夕食が出てくることなんてなかった。俺のために誰かが食事を作ってくれるなんてことはなかった。

 けれど、今は…。


「何回でも食べるから。何でも食べるから。ずっとこのままでいてほしい。」

「ええ、大丈夫です。ずっと、量さんのために食事を作りますから。」


 微かに目を細めて笑う彼女の艶やかさにやられて、思わず目を逸らした。


……to be continued

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