第99話 精霊術士とチェルシー
夕暮れ時。この楽しかった1日が、もうすぐ終わる。
なんだかんだ。僕らは、ほとんどのアトラクションを体験させてもらった。
乗り物系はほぼ全て網羅したし、お化け屋敷なんかにも入った。
時間も時間だし、最後に何か乗ろうか、となったとき、チェルシーが選んだのは、少し意外な乗り物だった。
「もっと激しい乗り物を選ぶと、構えてたんだけど」
ゆっくりと広がっていく景色を眺めながら、僕は独り言ちた。
彼女が最後に選んだ乗り物。それは、観覧車と呼ばれるものだった。
回転に合わせてゴンドラが高度を上げていく。
夕焼けが照らし出すその風景は、ダンジョンで見たそれとは、また、違った美しさだ。
「激しいのは、もうコロモたちと乗り倒したしね。最後くらい、ゆっくり景色を眺めるのも良いかと思って」
「ああ、よい選択だと思うよ」
実際、僕も、こういった落ち着いた空気は嫌いじゃない。
とはいえ、2人っきりで対面に座り合うこの状況。
ともすれば、ついついあのことについて尋ねてしまいそうになる。
「あのね……。ノル」
聞くべきか聞かざるべきか葛藤していると、チェルの方が先に口を開いた。
「あなたは今、満足してる?」
「なんだよ、藪から棒に」
「いいから。本音で聞かせて欲しいの」
「満足してるさ」
こちらは何の葛藤もなく、すぐに答えられた。
正直、最高のパーティーで、最高のダンジョンに挑めるこの状況。
それに、僕らだけじゃない。たくさんの人が、僕らの聖塔攻略のために力を尽くしてくれていることが、なによりも嬉しかった。
「本当に本当?」
「ああ、心から満足してる。僕は……」
ゆっくりと眼下に広がる黄昏の風景へと目を向ける。
「ずっとあの頂に至るのが夢だった。冒険者としての高み、そこに至るためなら、仲間から虐げられようと何があろうと、大丈夫だと思ってた。でも、君に会えて、"かわいい"自分に出会って、過程を楽しむことの大切さを知れたんだ。だから……こんなこと言うのもなんだけど、僕個人としては、前ほど聖塔の攻略に執着していないのかもしれない」
それが、今の僕の本音だった。
「君達との時間が楽しすぎたんだ。聖塔っていう目標が霞んでしまうくらいに」
「ノル……。私も……そうなの……」
チェルも同じ風景を眺めながら、ゆっくりと語る。
「ノルと……みんなといる時間は、私の人生の中で、一番充実した時間だった。だからね。正直、聖塔を攻略することに、少しだけ抵抗を感じている私もいるの。この目標を達成してしまったら、私達の物語は終わる。今のこの楽しい日々は、すぐに思い出になってしまう。それが、とても怖い」
夕日で照らされたゴンドラの中に、一滴の涙が、キラキラと落ちた。
「チェル……」
「なんとしても達成したい目標だと思ってた。でも、今は、こんなにもその目標を達成することが怖いの!! ゴールを迎えたくないの!! みんなと一緒に、ずっとずっと、冒険してたい!!」
ボロボロと泣き崩れるチェルの姿。
いつも、カリスマアイドルとして、パーティーのリーダーとして、僕らの前では、飄々と振舞っていた彼女。
そんな彼女が、こんなに弱い姿を見せるのは、初めてだった。
でも……。
「チェル。僕は嬉しい」
僕は、泣き崩れるチェルの肩をそっと抱きしめた。
「僕も、みんなも、チェルと思いは一緒だよ。本当は、ずっとみんなでアイドルして、冒険して、笑い合っていたい。でも……」
頭の中に、たくさんの顔が浮かんでいく。
マネージャーさん。
カングゥさんやメロキュアさん。
リオン。
スタッフの皆さんやぬいぐるみ屋のお姉さん。
握手会に来てくれたファンのみんな。
「もう、僕達の夢は、僕達だけのものじゃない。たった2人で始まった僕達の夢だけど、今は、たくさんの人たちが僕達の夢を応援してくれてる。だから、僕達は、立ち止まっちゃいけないんだ」
穏やかに彼女の肩を抱きながらも、僕は、そう断言した。
誰かを支えるだけじゃなく、誰かに支えてもらえること。
その喜びを、僕は極光の歌姫としての活動の中で、強く強く感じることができた。
今という大切な時間を手放したくない気持ちはとても強い。
でも、それ以上に、僕は、支えてくれるみんなに恩返しがしたい。その期待に応えたい。
僕にとって、聖塔の攻略とはそういう意味を持つものへと変わりつつあった。
嗚咽混じりのチェルの声が止まり、静けさがゴンドラの中を支配した。
チェルにとって、今の僕の言葉はことさら欲しかった言葉ではなかったかもしれない。
それでも、僕は確信していた。
彼女は、きっと……。
「もう……大丈夫」
顔を上げた。
チェルの顔に、もう迷いは欠片も残っていなかった。
「弱い私を見せるのは、これで最後。ここからはいつもの私よ」
頬についた涙の後を、親指でこすりながら、彼女はニッと微笑んで見せた。
「やっぱり君は、勇者で、アイドルなんだね」
「当然よ。でも、たまに、センチメンタルな気持ちになった、その時は……」
「胸くらいだったら、いつでも貸してあげるよ。薄っぺらくて恐縮だけど」
入れ物すらしていない、真っ平な胸を張ってやると、彼女は肩を竦めた。
「その平らな胸も一部の人たちには人気みたいだけど」
「おっと、その話はそこまでだ」
そう言って、笑い合う僕達。
ゴンドラが、やがて下り出す。
すると、見下ろすその先で、コロモが、エリゼが、セシリアさんが、僕らの方に手を振っていた。
ゆっくりと下降していくその最中、僕らは、彼女達へと手を振り返した。
大切な、大切な、時間。
僕らの青春を夕日が赤く染め上げていく。
その照らされた美しい横顔を見ながら、僕は思った。
僕を暗い闇の淵から救ってくれた太陽のような女の子。
最後の最後まで、僕は、彼女のために出来る限りのことをしよう、と。
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